余命7日間で9490日分の恋をした
コイル@委員長彼女③6/7に発売されます
第1話 0日目 死
もし月に牢獄があったら、こんな部屋だろうか。
壁にはめ殺した窓から水彩の筆で書き散らしたような鉛色の空が見える。
床には何も置かれていない。どこの部屋にもありそうなゴミ箱も、観葉植物もない。卓上に置いてありそうなティッシュも何もない。
壁にはスチール製の無機質な本棚があるが、戸棚にはしっかりと鍵がかけられていて、分厚い深緑色の本が無機質に並べられている。
白い壁は、今までポスターもカレンダーも貼られてないのだろう、生まれたての白さで空を見ている。
無駄なものが何ひとつない、すべてがそぎ落とされた空間……それが弁護士事務所の相談室だ。
はじめてこの部屋に入った時は疑問に感じたが、感情を高ぶらせた人が部屋にあるものを投げるのだと思い至ったのは、ここに何度か通うようになってからだ。
このビルには何件も離婚専門の弁護士事務所が入っていて、入り口で泣き叫ぶ女性や、鞄を振り回す男性を見た。
すべての感情を受け止めるように、この部屋には何もない。
もしここで泣いたらどうなるのかしらと、私……
ハンカチもない、ティッシュもない、何もない世界で泣いたら?
涙は床に落ちて染みとなり、この世界でたったひとつの異物になるのかも知れない。
くだらない思考で時間を食い潰すにも飽きてきたころ、重たい扉が開いて弁護士が顔を出した。
何人も弁護士に面会したけれど、この人に依頼すると決めたのは感情の起伏が見えなかったからだ。
突然このビルが真ん中で割れても眉毛ひとつ動かさずに書類を書き、必ず私たちを離婚させてほしい。
そう強く願い、この人に依頼した。
弁護士は何も置かれていない机に、三枚の書類を等間隔で広げた。
『財産分与契約書』『離婚協議書』。そして『弁護契約解除合意書』だ。
弁護士は相変わらず眉毛ひとつ動かさず、ぬめりと黒く光る万年筆を見せた。
「本日こちらの処理、すべて終了しまして、契約終了となりました。ご苦労様でした」
抑揚が無い静かな声に、私は万年筆を手に取った。
ずしりと重く書き心地が良い。そこに最後に書くであろう、自分の名前を書いた。
そしてしっかりと印鑑を押す。浅見という苗字とは今日でお別れ。明日から旧姓の稲垣に戻る。
稲垣。
結婚して今日でちょうど26年、9490日ぶりに戻るその苗字は懐かしすぎて、そんな言葉も存在していたなと思わせるほど遠い。
結婚前に馴染んでいたからこそ違和感がある言葉で、大昔に一度だけ行ったことがある旅行先のよう。
私はもう使わない浅見の印鑑をバッグに投げ込んだ。
黒皮の鞄の中で、印鑑が居心地悪そうに転がっている。
これもただの『黒いゴミ袋』にしよう。私はそう決めた。
少し前に片付けのプロフェッショナルの人が「思い入れがあるものは、中身が見えない黒いビニール袋に入れましょう。ただの袋になり、感情が消えます」と言っていた。
私はその方法で、今日離婚する旦那である
一緒に出かけた旅行先で撮った写真、お土産、全部黒いゴミ袋にした。
特に一番捨てられなかったのは100本以上ある『耳かき』だった。
木の棒で作られた後ろに地域色がある何かがくっ付いている耳かき。優太朗は旅行にいくと何店舗も周り、そういう耳かきを探した。
はじめてデートに行った東京タワーでも、小さなタワーが付いた耳かきを買った。
「あって困るもんじゃ無いからさ」そう笑い、私の冷たい手を柔らかく包んだ。
今、私の目の前。判子を片手に、押す所はしっかりと指示してあるのにも関わらず、右往左往している男ではない。
この男はいつからこんなに頭が回らなくなっていたのだろう。
「ちょっとまって。ここと? ここ? あれ、ここも?」
「こちらは割り印となっています」
「こっちは?」
「普通に押して頂いて……こうですね、遙さまと同じようにしていただいて構わないです」
「ああ、そう、なるほどね、はいはい」
優太朗と弁護士のやり取りを聞いて心がザラザラし始める。
最初に東京タワーで買った耳かきは、何度も木の部分が折れかけた。それを丁寧に直していたのは優太朗だった。
もう同じものは売っていないからと直し方を調べ、接着剤を選び、包んで。触るとまた割れてしまうから触れないでくれと、大切に見守って。あの頃はそんな優太朗を真摯な人だと思っていたけど、今は私が押した所に同じように印鑑を押せばいいだろうと、心の奥底から呆れてしまう。
押すところには付箋紙と共に丁寧な説明も書いてあるから、そこに押すだけだ。
早くここを出たいのに一緒にいる時間を引き延ばされているようで、身体中に苛立ちが詰まり、息が苦しくなる。
すべてが時間の無駄だ。弁護士の大切な時間さえ、その行動で奪っているとどうして想像ができないのだろう。
「はい、これで問題ないです。こちらをお持ち頂いて……おつかれさまでした」
そう言って書類が入った封筒を渡された。離婚の意志を伝えてから2年間。優太朗は私の言葉からのらりくらりと逃げた。
首根っこを掴んで捕まえて、家を査定して土地を売る準備と財産分与をした。やっと手にいれた未来を持って相談室を出た。
弁護士にお辞儀をして事務所を出る。何度か話したことがあるスタッフは軽く目を伏せてお辞儀をしてくれた。
廊下に出ると空気が頬に冷たく、身体の中から生き返るようだ。
ああやっと刑務所を出て自由になれる。
エレベーターで一階に下り、ロビーからホールに向かうと濡れた匂いが身体を包んだ。
外をみると雨が降り始めていた。
九月。夏と秋が隣り合わせている時期。どんよりと重く灰色の空から落ちてきた大粒の滴が道路に無数の染みを作っていく。
雲の蛇口が壊れてしまったかのような強い雨に驚き、スマホで雨雲レーダーを見るがしばらく止みそうにない。
ビルの前にいたタクシーもすべて出払い、アプリで捕まえるのも難しそうだった。
スマホを鞄の中に戻すと、中に入っていた離婚届が、今日の日付と共に私を見ている。
26年前の今日。私たちは結婚した。その同じ日に離婚する。結婚記念日は4年目には祝わなくなり、優太朗は覚えてもいないだろう。
でも私にとっては大切な日だった。だからその日を取り戻す。一生この日を呪わなくて済むように、今日を祝いの日に変えるのだ。
私は折りたたみ傘を掴んで出した。ここまで降ると思っていなかったから小さい傘しか持ってこなかった。濡れてしまうけど仕方が無い、これをさして市役所まで歩こう。
今日、今すぐこれを出さなければいけない。
傘をさして歩き出すと空気をまるごと洗うような雨の香りがして気持ちが良い。でも横を見ると優太朗の姿がない。
振り向くと建物の入り口で、ゴミ捨て場に突然置かれたたぬきの置物のようにぽかんとした表情で雨を見て立っていた。
私の中がどす黒く濁る。
「……まさか傘を持ってないの?」
「雨が降るなんて知らなかったから」
「天気予報に書いてありましたけど」
「そんなものは見ない」
「どうするんですか? 私だけ市役所に行って離婚届を提出してきましょうか」
「……いや、そこの表通りまで出ればコンビニがあるだろう。そこで傘を買う」
優太朗は、雨の境界線に迷いなく踏み込んだ。そこから先は土砂降りだと言うのにまるで気にせず、何も見えてないように。
私は慌てて傘を持って駆け寄って叫ぶ。
「私だけ濡れて無くて、あなたが濡れていたら、私が非情な人間だと思われるじゃないですか!」
「……そんなこと誰も思わないだろう」
「思うに決まってるじゃないですか!」
「そこまでだ。そんなに濡れることはない」
「こんな土砂降りの中で少しでも傘なしで歩いたら、全身濡れますよ、いい加減にして下さい。このまま別々に帰るなら勝手にすればいい。でもこのあと一緒に市役所にいくならば『そこまで入れてほしい』と頼むべきなのでは? あなたはいつもそう。いつも私に察させようとする。だから……!!」
離婚になったのだ。そうわざわざ言いたくなくて、首と共に言葉を振り落として雨の中に捨てた。
吐き出す息さえ凍る氷点下の夜に粉雪がふわりと舞い落ちるように。最初は誰も気にしなかった、どうしようもなく小さな違和感から対処すべきだった。
ただ積もるのを黙って見ていた雪を退かすすべもない、傘もない、動けない。
違和感とそれを取り払う手段もなく、私たちはそれに埋もれた。
そして別々の道を歩むことになった。
唇をぎりりと噛むと、一日塗っていた口紅の汚れた味がした。
毎回毎回毎回だ。何も言わずに私に我慢させる。その繰り返し。どう思っているかなど頭の片隅にもない。
優太朗は小さな折りたたみ傘の中で居心地悪そうに目を逸らしているだけだ。
面倒くさい。心の奥底からすべてが面倒くさい。私は左手に傘を持ち、優太朗の服を引っ張り強引に雨の中を歩き始めた。
雨は更に強くなり、小さな傘を全力で殴りかかってくる。雨が跳ねて黒いヒールの中に入り込み中を濡らす。
私に連れられて、のろ、のろ、と優太朗は歩く。
身体の中心が右に左にずれてしまっているような、壊れたメトロノームのように不明瞭な動きで、のろ、のろと。
そして右腕に優太朗の左腕が触れた。その腕はまるで川を何年もゴロゴロと転がり全てを捨ててきた流木のように細く、ぎょっとした。
驚いたという感情ではない、腕に触れたのが人間の腕だと思えなくて、ただぎょっとした。
普通に食事していてこんな腕になるのだろうか。ちゃんと食べているのだろうか、優太朗は……ああ、もういい、こういうことばかり考えて胃を痛めた。
身体の真ん中を釘で押さえ込むようにシクシクと痛む胃を深呼吸で膨らませて顔を上げた。
雨で赤信号がにじむ視界。大きな交差点の向こうにコンビニが見える。
そこで傘を買うまでの辛抱だと顔を上げると、優太朗の顔が目の前にあった。
その目は大きく開かれていて、眼球が顔から落ちてしまいそう。
26年、いいえ、その前に2年付き合っているから28年見てきた顔だけど、こんな表情は一度もみたことがない。
そしてやっと冷静に思う。
どうして横にいたはずの優太朗が目の前にいるの?
その瞬間、背中の服が思いっきり引っ張られて首が絞まり、空を見た。
浮いていると分かったのは自分の足先を見たからだ。今日のために購入した黒のヒールが足先から取れて烏のように飛んでいく。
そこにはどんよりとした曇り空が吐き出す雨ではない。私が持っていた水色の小さな傘の花柄が広がっていた。
「危ない!!」
その声の方を見ると、金色の髪の毛をした女の子と、制服を着た男の子、そして車輪が飛んでいるのが見えた。
車輪が自転車の物だとわかる頃には空を花柄の傘が飲み込み、冷や水を浴びる。
潰れた。
正面から平面の空気にまるごと身体が圧迫されて、身体の中身がすべて飛び出すのが分かった。
ずこりと全部、真四角な入れ物から、白い杏仁豆腐を取り出すようなぴったりとした正確な感覚で。
同時に大きな音で聞いていたヘッドフォンのケーブルを突然引き抜かれたような異音と無音が同時に響いた。
気がつくと目の前に木彫りの人形がいた。
表面は雑だ。雑に作られているとしか言えない。彫刻刀の形がよく分かるような雑な掘り方をされている。子どもがはじめて作ったような適当さ。
それには目がなく、口も、なにもない。そんな状態なのになぜ人形かと分かったかというと、とにかく首が長い。木彫りだと一目でわかるのに、首の部分だけ妙に長く、それにぬらぬらと光っている。
顔の部分は雑に掘られていて、形状的にはあれが目だろうなと分かる程度。細くてぬらぬらとした首の下には妊婦のように腹が大きな身体が見える。
一言でいうなら、気持ちが悪い。
『気がついた?』
その声はその木彫りの人形から聞こえてきた。
いや、それは波音だと気がついた。
波音は目の前の波が出しているわけではない。目の前に広がる海全体から聞こえてくるものだ。
そのようにこの声は、この木彫りの人形から聞こえていた。
冷静になって見渡すと部屋は畳敷きで障子があり、凜とした雰囲気の日本家屋だった。
ほのかに檜の匂いがするのは、この人形からだろうか。落ち着いてみると台の上に無数の人形が置いてあるのが分かった。
粘土を固めて焼いたようなシンプルな人形、ぬいぐるみのように全身が毛で覆われパンパンと高い音を響かせそうな打楽器を持った人形、人間にそっくりだけど人間ではない球体関節人形、藁が人の形に編まれたもの……無数の人形が部屋には置かれていた。
その全部の人形から声が聞こえてくる。
「……なんで水が……人間のカタチをしてるんだ」
聞き慣れた声に横をみると、真っ青な顔をした優太朗が立っていた。
その服装は弁護士事務所に行った時と同じスーツ姿。そして顔は皺だらけ……いつもと同じ優太朗だった。
その顔を見て一気に現実味が増す。優太朗は私のほうを見て口を開く。
「遙。見たか、水が動いて、人になって、俺たちに話しかけて居るぞ」
「……? あなた、何を言っているの? 話しかけてきているのは木彫りの人形ですよ」
「遙、混乱してるのは分かる。でも何を言ってるんだ、目の前にいるのは水がうねうねと動いて人間になったじゃないか、お前は何を見てるんだ」
「あなたこそ何をみてるんですか!!」
「ちゃんと見ろ!!」
『どっちも正解』
人形たちが波のように話した。
「ほら、人形が話してるじゃない」
「水の人間が話してるだろ?!?!」
もうこんな異常な状況なのに話が通じなくて疲れてしまう。ここまで来ても違うものを見ている。
……ここまできて、違う物を見ている? 自分の思考に顔を上げる。
これは。この状態は。理解した私を理解したのか、人形の波は私に話しかけてくる。
『どうして死後の世界がみな同じように見えると思った?』
「……やっぱり私たち、死んだのね」
「そうだろうと、思った」
私と優太朗はその場に糸が切れたようにだらりと座り込んだ。
木彫りの人形は続ける。
『死後の世界が同じに見えると思えるほどお前たちは共に生きたのか』
木彫りの人形から波のように聞こえてくる言葉なのに、あまりに図星で、今まで人生で感じたことがない暴力性を自分の中に認識するほど苛立つ。
あの人形もこの人形もすべて握りつぶして燃やしてやりたい。あの細い首をちぎりたい。それほどに図星だった。
その気持ちを飲み込んで、でも歯が震えるほどイライラしながら言葉を吐き出す。
「……何の話だか分からないけれど、死んだならもうそれでいいわ。はやくこの茶番と説教を終わらせてくれない?」
私は木彫りの人形に向かって言葉を吐いた。身体が圧迫された瞬間、私の身体に何かあったのかも知れないと思った。
もう離婚もしたし、それに合わせて財産分与も済ませた。だから別に死んでも構わない。
よく考えたら今こそ死ぬタイミングだ、もうどうでもいい。
身体というカタチから中身がはみ出すような感覚。あれが死だというなら、身体は本当にただの入れ物だ。
私の考えていることがすべて分かるのだろう。木彫りの人形は私に話しかける。
『その通り。魂が抜けたのだ。そして私たちは罪を犯した』
「……? 罪……? どういうこと? だから私たちは死んで尚、こんな所で説教されているの?」
『私たちは
「え……ちょっとまって。状況が分からない……どういうこと? 私たちは死んだのよね」
そう叫ぶと私の身体の外から、私が見える状況になった。
花柄の傘をさして優太朗と交差点で立っている私。そこに雨でスリップしたトラックが突っ込んできた。
優太朗が私を庇おうとするが、同時に自転車に二人乗りした子たちが突っ込んできた。
そのひとりの子は私も覚えていた。金髪の女子高校生。私に向かって「危ない」と叫んでくれた女の子。
そして私と優太朗は、トラックと共にそのまま壁に押しつけられて、自転車と高校生ふたりは衝撃で道路に転がった。
その映像を見て私の手は震える。いや、身体全体が震えているのが分かった。
トラックがあの交差点に突っ込んできて、私と優太朗を潰した。それを高校生ふたりが助けようとしてくれて吹き飛ばされた。
「……分かったわ。事故で死んだのね。それで魂を分離させるときに……間違えて……私たちを助けてくれた子たちの魂を持って行った……?」
『人解しは容易ではない。離れたくない魂があり、その場合容易に魂は解せぬ。抜け出た魂を君たちだと思い、私たちは海に流した』
「ちょっとまって……つまり……私たちの代わりに、私たちを助けてくれたあの子たちが死んでしまったということ?」
『人が解かれただけだ』
「なーーにいってんの、あんた?! いい加減にしなさい。間違えたら謝って、ちゃんと説明して!! 偉そうに変な言葉を並べてんじゃないわよ!!」
「あはははは!」
私が叫ぶと横に座っていた優太朗が声を出して笑った。それは友達のしたバカを見て、もう我慢ができない、止めることなど不可能だという笑い方で。
こんな風に笑う優太朗を見た覚えはあるけど、記憶に無くて、私は詰め寄る。
木彫りの人形より人の言葉が使える優太朗に。
「何笑ってるのよ?! こんなめちゃくちゃな事言われて、でも上から目線で偉そうで、それを静かに聞くアンタも間違ってるわ」
「うんうん。その通りだよね。いやほんと失敗したと言いながら偉そうだ。でも昔の遙は、そんな風に全部ぶちまけるように怒ってたから懐かしいなと思って。いや、人って追い詰められると素が出るね」
「何をそんな平然と冷静な顔してるんですか。もう私たちはあの映像見る限りおしまいですけど、関係がないあの子たちが巻き込まれたんですよ?!」
「ああ、そうだね。水さん。それでこれからどうしたらいいのか教えてくれるかな。こんな風に死後の世界で説教するんだから、何かあるんだろ」
あまりに冷静な優太朗の言葉に箱の中から飛び出して部屋中に散らばったような感情が落ち着いてきた。
皮肉なことに、こんな風に心が落ち着いたのは、久しぶりかもしれない。
木彫りの人形は話し始める。
『今きみたちの魂を、高校生の身体に仮に入れている』
「はああ??」
叫ぶ私を優太朗が窘める。
「まず聞こう」
息を吸い込んで胃を広げる。さっきまでキリキリと痛んで間違いなく血を吐いていた私の胃は、もう存在しないからか、痛みを感じなかった。
静かに頷く。聞こう、まず、聞こう。
『高校生たちの魂は海に流した。それを取り戻すのに人間の時間で七日間必要だ。必ず持ってくる。魂が抜けたままの身体は死に至る。だから仮に君たちの魂を入れた。君たちの身体は魂の破片で生命のみ維持する。だから七日間高校生の身体の中で待っていてほしい。君たちが目覚めてから七日間だ。そして魂の瓶が戻ったタイミングで入れ替える。そして魂を海に流し、君たちは正しい死を迎える』
正しい死を迎える。
本当に死んでしまったのだ。
すべてはここからだったのに、やっとすべて終わってここから始まると思ったのに、死んでしまった。
それが一気に現実となって押し寄せてきて、飲み込まれて言葉も出ない。
横で聞いていた優太朗は静かに頷き、
「なるほど。七日間。初七日的観念かな。俺たちは高校生の身体で余命七日ってことか。若い身体で七日。悪く無い死に方だね、最後に楽しめる。俺たちの代わりに魂を抜かれてしまった高校生ふたりはどんな関係なのかな。一緒にいるってことはそれなりの関係があるってことだから、七日一緒にいても問題ないってことかな。そうじゃないと七日の難易度が上がるな」
あまりに冷静な言葉に私は優太朗の身体をグイと引っ張る。
「ねえちょっと待って、飲み込みが早すぎる。死んだのよ? どうして冷静に若い身体で一週間なんて言っていられるの?」
優太朗は私の手に優しく触れた。
離婚を決めて2年。一度だって触れようと思わなかったその手を、私はたったひとつの蜘蛛の糸のように握り返した。
何もかも分からなくて、不安で。優太朗は私が握り返した手を見て、花がほころぶように笑顔になった。ゆっくりと甘く、そしてどうしようもなく嬉しそうに。
そして絶望を吐いた。
「遙。俺さ、病気だったんだ。余命宣告されて一年経ったかな」
「は……?」
今まで木彫りの人形よりは理解できていた優太朗の言葉が突然一番理解できなくなった。
でもふと思い出す。さっき雨の中、傘に連れ込んで優太朗の腕は、カラカラに乾いた棒きれのほうに細かったことを。
1年前。それは離婚したいと言い続けて、やっと優太朗が受け入れて出て行った頃。
私が息が出来るようになった日。祝杯のビールを美味しくのみ、喜んだ夜。
あの日、あの頃、余命宣告……?
私は小さく首をふる。知らなかった、何も知らなかった。
「……どうして……言ってくれなかったの」
「言ったら君はどうしたかな。また何も言わずにただ耐えて、苦しんだだろう。それがイヤだったから俺は言わなかったんだ」
「言ってくださいよ、言ってください、そんなずっと一緒に……」
ずっと一緒に暮らしてきたのに、酷いじゃないですか。
そう言おうとして、違うと飲み込んだ。一緒に暮らしてきただけで、話し合わなかったから、向き合わなかったから離婚になったのだ。
優太朗のいう通りだ。言われたら、更なる地獄だったのは分かっている。ストレスで私のほうが死んでいたかもしれない。
聞かなくて正解だった、間違いない、どうしても聞いておかなければいけない話だったのに、聞いてはいけなかった。
私は何も知らずに優太朗を追い出す必要があった。
だから優太朗は何も言わずに家を出たんだ。
でも、やっぱり、ちょっとまってよ、納得できない。どうしたって。
「そんなの酷いじゃない!!!」
そう叫んで身体を起こすと、そこは病院の一室だった。
真っ白な天井に、宙に浮いている点滴。
そこにぐちゃぐちゃに崩れた男性の顔が突っ込んできた。
「
強く、間違いなく痛みを感じる強さで身体を掴まれる。
爪がめり込み、視界が揺れる。
ああ、生きている。そして震えていて温かい。生きている。また生きている。
終わりの始まりだ。
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