第20話『薬師、絶体絶命』


「ひいぃぃぃっ!」


 彼らに見つかった直後、わたしは声にならない声を上げながら逃げ出す。


 けれど足元は砂地だし、相手は男の人だ。すぐに追いつかれ、首根っこを掴まれる。


「……あ? 誰かと思えば、いつかの薬師さまじゃねぇか。俺たちの話、聞いてたよな?」


 そのまま押し倒されたわたしの目に飛び込んできたのは、いやらしい笑みを浮かべた工房長だった。


「いやあの、いえいえ」


 全力で首を横に振るも、状況が状況だ。信じてもらえるはずがなかった。


「なんだ、兄貴の知り合いかよ?」


 そこにもう一人の男性が近づいてきて、そう尋ねていた。


「まぁな……お前、仲間たちと俺のことを散々ののしってくれたが、盗み聞きとはやってくれるじゃねぇか」


「あ、あう……」


 現状、言い訳のしようがない。わたしは言葉に詰まる。


「そうだ。以前も言ったが、俺の店で働けよ。そうすりゃ、今回のことはお咎めなしにしてやる。だが、答えによっちゃ……」


 わたしの胸ぐらを掴んだまま、彼は凄む。その右手には、古めかしいナイフが月明かりに照らされていた。


 ……こんなの、返事は一つしか許されていない。


「わ、わかりました……」


 絞り出すように言葉を紡ぐと、わたしはようやく開放されるも……力なくその場に座り込む。


「よしよし。これでうちの工房はますます安泰だ。とりあえず、こいつを隠れ家に連れて行って……」


 弟のほうを見ながら、彼がそう口にした時。黒い球体がわたしの頭上を通り過ぎ、砂の上を転がった。


 ……それはわずかに光を放っていた。


「ひぃっ」


 次の瞬間、謎の物体は強烈な音と光をまとって炸裂。驚いたわたしは思わず顔を伏せる。


「な……なんだぁ!?」


 驚いたのは彼らも同じようで、明らかに動揺した声が周囲に響く。


「いやー、どうもどうも」


 ……その時、背後から聞き慣れた声がした。


 思わず顔を向けると、そこに立っていたのは……商人のレリックさんだった。


「あ? なんだてめぇは。こんな時間まで押し売りか?」


 その正体に気づいた工房長たちは、威嚇するようにレリックさんを睨みつける。


「いえね、その方に何かあっては困るんですよ。うちの大事なお得意様ですから」


 威圧感たっぷりの兄弟に対し、レリックさんはひょうひょうとしていた。


 そして懐から先程と同じ球体を取り出すと、さっと火をつけて、放り投げる。


 すると、再び轟音が鳴り響き、色鮮やかな炎が周囲に撒き散らされる。


「うぎゃあ! あちちちち!」


「な、なんだてめぇ、魔術師か!?」


「いえ、ただの商人ですが。モタモタしていると、次は当てますよ?」


「ふ、ふざけやがって……おい、逃げるぞ!」


「あ、兄貴、待ってくれよ!」


 続く球体をレリックさんが構えると、それを見た兄弟は慌てふためき、一目散に逃げ去っていった。


「……ふぅ。なんとかなりましたね。エリンさん、お怪我はありませんか?」


 彼らの姿が完全に見えなくなったのを確認して、レリックさんはわたしの前にしゃがみ、優しく声をかけてくれた。


「あ、ありがとうございます……おかげで助かりました」


 そう口にしたものの、何が起こったのかイマイチ理解できず。わたしは上の空だった。


「あの、レリックさんは魔法が使えたんですか? 商人さんというのは、仮の姿?」


「いえいえ、私は正真正銘、ただの商人ですよ。これは東の国で作られた、花火という道具です」


「花火、ですか」


「そうです。これを魔法とは、無知は罪ですね」


 手元に残った黒い球体を弄びながら、レリックさんは薄い笑みを浮かべる。


 そういえば、東にある島国では夏の終わりに火薬を使った儀式を行うと聞いたことがある。これがそうなのかな。


「物珍しさから質流れの品を仕入れてみたものの、安全に使うには専用の発射台が必要だとあとになってわかりましてね。今回やむなく脅しに使ったのですが、うまくいってよかったです」


 花火を懐にしまいながら、彼は安堵の表情を見せる。それを見て、わたしも助かったという実感がようやく湧いてきた。


「なんにせよ、これで彼らが裏で繋がっていることはわかりましたし、食中毒事件も一気に解決に向かうでしょう。エリンさん、証言をよろしくお願いしますね」


「は、はい」


 彼は満足気に言ったあと、わたしをまっすぐに見てくる。


 もしかして、レリックさんも自分なりに事件を解決しようと、工房長のあとをつけていたのかもしれない。そうじゃないと、登場のタイミングが絶妙すぎだったし。


「それでは戻りましょうか。皆さんも心配していますよ」


 続いて彼はそう言って、右手を差し出してくる。


 座り込んでいたわたしはその右手をしっかりと握り返し、立ち上がったのだった。

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