第15話『薬師、薬を配る 後編』


「……おや、そこにいるのは、いつぞやの薬師やくし様ではありませんか」


 振り返ってみると、そこには以前、心臓の薬を作ってあげたおじいさんが立っていた。


「あ、その節はどうも……あのあと、お加減はいかがですか」


「ええ、おかげさまでなんとか。ところで、何をされているのですか」


「えっと、実は……」


 不思議そうな顔をするおじいさんに、わたしはこれまでの経緯を話して聞かせる。


「……なるほどなるほど。薬師様の薬を受け取らないとは、無知は罪ですな。ひとつ、いただけますか」


 おじいさんはうんうんと頷いたあと、手を差し出してきた。


「えっ、いいんですか?」


「もちろんです。あなたの薬の効能は、私が身をもって体験済みですからな」


 冗談めかして言い、彼はわたしの手から薬を受け取ってくれる。


「おい、ローダリーのじーさん、その薬、怪しくないのか?」


「いくらタダだからって、何が入ってるかわかったもんじゃないよ。やめときなよ」


 直後、その様子を遠巻きに見ていた群衆から声が飛んでくる。


「何を言いますか。この方は国家公認工房の薬師様ですぞ。私の胸の薬も、彼女が作ってくれたのです」


 そんな人々に向け、おじいさんはぴしゃりと言い放った。


『国家公認工房』の単語を聞いた途端、彼らの顔色が明らかに変わる。


「え、国家公認工房の薬師様が、どうしてこんなところに?」


「でも、ローダリーさんが言うんなら、間違いないよ」


 顔を見合わせながら口々にそう言ったあと、彼らは一人、また一人とわたしたちのほうへ歩いてくる。


「その……さっきは怪しいなんて言って申し訳なかった。その薬、俺たちにも分けてもらえないだろうか」


「は、はいっ。どうぞ」


「わ、私にもください」


「俺にもくれないか。妻と子どもが苦しんでるんだ」


「た、たくさんありますから、落ち着いてください」


「そうだよー。エリンさんがいっぱい用意してきたから、並んで並んでー!」


「順番ですよー!」


 呆気にとられながら一連の流れを見守っていたわたしたちは、それから我に返ったように薬を配り始める。完全に人の流れが変わっていた。


 ……それを見て満足したのか、おじいさんはいつの間にかその姿を消していた。




 その後も皆で協力して、押し寄せる人々に薬を配る。


 薬を受け取った彼らは心底安心した様子で、何度もお礼を言って去っていく。


 その誰もが笑顔で、わたしも胸の中が温かくなっていた。


「……おいおい、何してくれちゃってるんだよ」


 そんな気持ちに水を注すような不機嫌な声が、群衆の中から聞こえてくる。


 続いて人波が割れ、一人の男性が姿を現す。


「人の工房の前で、タダで薬を配るなんてよ。営業妨害以外の何物でもないぞ」


 憎々しげに舌打ちをしながら言うのは、フランティオ工房の工房長だった。


 思えば、先程まで工房の前にあった列は完全に消えている。不審に思って工房から出てきたのだろう。


「えっと、あの、その」


 その怒気に満ちた声に気圧され、わたしはしどろもどろになってしまう。


「薬の需要に対して、明らかに供給が追いついていないと伺いまして。ノーハット伯爵様の指示で、不足分の薬を配っていたのですが」


 そんなわたしの前にクロエさんが滑るように割って入り、笑顔でそう言った。


「余計なことしやがって……薬はまだまだ作るんだよ。おかげで儲けが減っちまったじゃねーか」


「儲け……? おかしいですねー。確か、フランティオ工房にノーハット家からかなりの額の補助金が出ているはずですが。それこそ、薬材の購入費用を差し引いても余りあるほどの」


 わたしたちが調合作業をしている間に、食中毒事件の調査資料に目を通したのだろう。クロエさんがわざとらしくそう口にしていた。


「その補助金で売り上げを補い、薬は無料で配布する……そんな決まりになっていたはずですが」


「う、うるせぇ。工房経営は大変なんだよ。経費がかかるんだよ。経費が」


 痛いところを突かれたのか、彼は鼻息荒く言う。


 けれど、わたしたちだって王都では工房を経営している。そんな言葉では誤魔化されない。


「……つまり、この人は金の亡者ってことですね!」


 ここに来て、スフィアが決定的な一言を放っていた。だから、そんな言葉どこで覚えてくるの。


「こ、このガキ。大人に向かって……調子に乗るんじゃねぇ!」


 次の瞬間、彼は顔を真っ赤にし、拳を振り上げた。


「ス、スフィア!」


 わたしはとっさにスフィアに飛びつき、彼女を庇う。そして目をつぶり、やってくるであろう痛みに備える。


 ……けれど、その衝撃はいつになってもやってこなかった。


「はいはーい。子どもに手を上げるほうが大人気ないよー」


「い、いててて、何しやがる!?」


 続いて、そんな声がした。恐る恐る目を開けると、マイラさんが工房長の男性を地面に組み伏せていた。


「えへへー、たまには用心棒として仕事しないとねー」


 抱き合ったわたしとスフィアが目を丸くするのを見て、マイラさんはどこか誇らしげな顔をした。


「おじさん、ここで喋ってる暇があったら、お薬作ったらー? そのほうが、少しは街のためになると思うなー」


 工房長の男性を開放しながら、マイラさんは笑顔で言う。


「ちっ……」


 その時、周囲の人々からの視線に気づいたのか、彼は悪態をつきながら工房へと戻っていった。


「さて、残りの薬も配ってしまいましょう。皆さん、お騒がせしました」


 そんな彼の姿が見えなくなったあと、クロエさんが胸の前で手を叩き、満面の笑みで言う。


 それによって、それまでの微妙な空気が一気に取り払われた気がした。


 さすが商人さんだ……なんで考えつつ、わたしは薬の配布を再開したのだった。

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