第15話『薬師、弟子を守る』


「追われているんです! かくまってください!」


 いつか聞いたものと全く同じセリフを口にしながら、スフィアが半ば体当たりをするようにぶつかってきた。


「ふぎゃ!?」


 その衝撃に耐えきれず、わたしはその場に尻餅をつく。


「と、突然どうしたんですか。追われているって、どういう……」


「……ひゃあ!?」


 腰を押さえながら顔を上げた時、目の前にあったスフィアの体が宙に浮いた。


「やっと捕まえたぜ! おら、大人しくしろ!」


 見ると、スフィアの背後には二人の男性がいて、そのうちの一人が彼女の手を掴んで持ち上げていた。


「離してくださいー! 人違いですよー!」


「いくら着飾っても、その瞳と髪の色は誤魔化せねぇぞ!」


 じたばたと暴れるスフィアを持ち上げたまま、彼らはわたしに背を向ける。


「……あ、あのあの、待ってください」


「……あん?」


 たまらず声をかけると、二人は同時に振り返り、地べたに座り込むわたしを睨みつけてきた。


 その顔を見て、はと気づく。


 この二人、スフィアと初めて出会った時に裏路地にいた人たちだ。


「……なんだお前。よく見りゃ、あの時の女じゃねーか」


 そんな考えが頭をよぎったと同時に、彼らもわたしに気づいたらしい。


「エリン先生、助けてください!」


「先生だぁ? さては、お前が俺たちの商品を隠してやがったのか」


 続くスフィアの言葉から何かを悟ったのか、二人は語気を強める。


「しょ、商品……?」


「ああ。俺たちは奴隷商人だからな。このガキ……商品に逃げられて、困ってたんだよ」


 なおも暴れ続けるスフィアを見ながら、奴隷商人の一人が言う。


 もう諦めてくれたと思っていたけど、彼らはずっと機会をうかがっていたのかもしれない。


 なんにしても、このままだとスフィアが連れて行かれてしまう。誰か、誰か助けてくれそうな人は……!


 わたしは藁にもすがる思いで、周囲に視線を送る。


 けれど、行き交う人々は一瞬目を向けるだけで、皆足早に去っていく。


 ……駄目だ。ここは、わたしがなんとかするしかない。頑張れエリン。負けるなエリン。


「なんなら、あんたがうちの商品、買ってくれてもいいんだぞ? 安くしとくぜ?」


「……商品なんて言い方、しないでください。その子は、わたしの弟子ですよ」


 続いた言葉に、珍しく怒りが込み上げてきたわたしは、できる限り大きな声を出して立ち上がる。


「スフィアは、あなたたちの何倍も賢くて、いい子なんですから。この子の行く末を、薬師になる未来を、邪魔させません。わたしが、助けます」


 裏路地では彼らと会話すらできなかったけど、今はなぜか、すらすらと言葉が出てくる。


「はっ、言うことは立派だが、どうやって助けるつもりだ? 薬師の先生さんよ」


「まさか、俺たちに眠り薬でも飲ませるつもりか?」


「いえ、失敗薬を使います」


 そう口にするも、二人は変わらずせせら笑っている。隙だらけだ。


「……えい!」


 それを見て、わたしは懐に忍ばせていた薬の袋を彼らに向けて全力で叩きつける。


 力の限りぶつけられた衝撃で袋が破れ、中身が粉塵となって周囲に舞い散った。


「ぶわっ……なんだ!?」


「げほっ、げほげほ……!」


 それを吸い込んだ二人は激しくむせ込み、反射的にスフィアの手を離す。


「……エリン先生!」


 スフィアはその混乱に乗じて逃げ延び、わたしのもとへと駆け寄ってくる。


「……今の薬、私が調合に失敗したやつですよね? 先生、まだ持っていたんですか?」


「そ、そうです。何かに使えるとは思っていたんですが、こんなところで役に立つとは思いませんでした」


 飲むだけが薬じゃない……いまだ煙の中で苦しむ奴隷商人たちを見ながら、わたしはヒントをくれたクロエさんに心から感謝した。


「そ、それより早く逃げましょう。スフィア、走ってください」


「はい!」


 その直後に我に返り、二人して一目散に駆け出す。


「くそっ……待ちやがれ!」


 それに気づいた彼らも、ふらふらしながら追ってくる。


 わたしたちは市場の中を必死に走り、人混みに紛れようとするも……相手は大人の男性。子どもと運動不足の薬師の脚力では勝負にならず、どんどん距離が詰められていく。


「おら、もう少しだぜ!」


「逃げられると思うなよ!」


 だんだんと背後からの声が大きくなってきて、こうなったら体を張ってでもスフィアを逃してあげるべきか……なんて無謀なことを考えてしまう。


 ……その時、わたしの頭上を何かが飛び越えた。


「どっかーん!」


「どわあ!?」


 聞き覚えのある声に振り返ってみると、彼らに飛び込んでいったのはマイラさんだった。両手に装備した拳鍔けんつばを前方に構え、体当たりをお見舞いしたらしい。


「て、てめぇ、何しやがる!?」


「……お前たちこそ、うちの薬師様とその弟子に何をしている?」


 そんなマイラさんに続いて、前方からミラベルさんやクロエさんもやってくる。仲間たちの姿を見て、わたしは一気に肩の力が抜けた。


「なかなか戻ってこないから、迎えに来て正解だったねー。まさか、襲われてるとは思わなかったけど」


 マイラさんが跳ねるようにわたしの近くに移動し、あっけらかんと言う。


「それで、奴らは一体何者だ?」


「あの、この人たちがスフィアを狙っていた奴隷商人さんたちです」


「……なるほど。騎士団にでも突き出すか」


「ひっ……」


 わたしとスフィアを庇うように前に出たミラベルさんが睨みを利かせると、彼らはあからさまに縮こまった。


「奴隷商人が二人がかりで女子供を追いかけ回して、なんのつもりだ?」


 ミラベルさんは腰に手を当て、凛とした態度で彼らと対峙する。その背中はすごく頼もしい。


「いや、そのですね。おたくの薬師様が、うちの大事な商品を勝手に連れ出したんですよ。返してもらいたいんですがね」


 騎士団の名前が出たからか、あるいはミラベルさんの腰にある剣が気になったのか、奴隷商人のうちの一人がかしこまったように言う。


「そうか……ところでお前たち、この国では奴隷の売り買いが法律で禁じられていることは知っているか?」


「いやー、それは初耳ですねぇ……」


 白々しい口調で言ったあと、二人は大げさにかぶりを振ってみせる。


「この事実を国に報告すれば、お前たちは監獄行きだ。そこで提案だが、お前たちが見つけた少女は他人の空似だった……ということにしてもらえないか? そうすれば、この場は見逃してやろう」


「……つまり、そのガキを諦めろってことですかい? そうはいきませんねぇ」


「そうだぜ……報告される前に、口封じをすればいいだけじゃねぇか」


 そう言うが早いか、彼らはどこからかナイフを取り出す。


「……やれやれ。私としては好条件を出してやったつもりなんだがな」


 その様子を見たミラベルさんは剣を抜き放つ。すでにその剣身には魔力が宿っている気がした。


「見物されている皆さん、危ないですから離れてくださいねー!」


 その時、遠巻きに状況を見守っていた人々に、クロエさんが笑顔を見せながら言った。多少のざわめきが起こったあと、野次馬の輪が崩れていく。


「そこまで配慮してもらわなくとも、力加減は心得ている。まして子どもの前だ。血も流さずに、一瞬で終わらせるさ」


 そう口にした直後、ミラベルさんは跳躍。一瞬で奴隷商人たちの頭上へと移動する。


「なっ……」


 その動きに彼らは全くついていけず、口をあんぐりと開けたまま固まっていた。


 やがて空中で剣が振り下ろされると、その動作と連動するように無数の雷撃が降り注ぐ。


「ぎゃあああ!?」


「あがががが!?」


 上空からの一撃に、奴隷商人たちはなすすべなく。奇声を上げたあと、その場に倒れ込んで動かなくなった。


「……安心しろ。気絶させただけだぞ」


 剣を収めたミラベルさんは、クロエさんの背後で目を丸くするスフィアに優しげな声色でそう告げた。


「……さて、私はこいつらを騎士団に引き渡してくる。これ以上騒ぎが大きくなる前に、お前たちは先に工房に戻っていろ」


 続けてそう言うと、ミラベルさんは気絶した奴隷商人二人を引きずっていった。


 すごい力だ。先程の跳躍力といい、魔法で身体能力を強化しているのかな。


「ミラさんもああ言ってることだし、あたしたちも帰ろう?」


「そうですねー。スフィアちゃんも疲れたですよね? 今日は鹿肉が手に入ったので、シチューを作りますよー」


 何事もなかったかのようにマイラさんたちが言い、スフィアを連れ立って歩き出す。


 彼女たちが何も言わずにいてくれることに感謝しつつ、わたしも急いでその後ろに続いたのだった。


 ◇


 安堵感に包まれながら工房に戻ってくると、その前に見覚えのある馬車が停まっていた。


「あれって、ノーハット家の馬車じゃないですか?」


 それを見たクロエさんが不思議そうな顔をした直後、その客車の陰から、これまた見覚えのある人が飛び出してきた。ノーハット家の執事、エドヴィンさんだ。


「ああ、エリン様、お会いできてよかったです」


 駆け寄ってきた彼は、明らかに焦っていた。どうしたんだろう。


「イアン様が高熱を出されまして……どうか、力をお貸しください!」


 そして続いた言葉に、わたしは言葉を失った。

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