第9話『薬師、看板になる』


 ……あの歓迎会から数日が経過した。


 皆とは多少打ち解けた感はあるものの、人付き合いの苦手なわたしは食事以外の時間をほとんど調合室で過ごしていた。


 商品棚に並べる薬を作る必要があったという理由もあるけど、調合室のこの程よい暗さと狭さが本当に落ち着くのだ。


「おーい、帰ったぞ。皆、ちょっと表に出てくれ」


 今日も今日とて調合室に籠もっていると、外からミラベルさんの声がした。


 朝食の席で王宮に行くとは聞いていたけど、どうやら帰ってきたらしい。


「見ろ。正式な開業許可証だぞ」


 クロエさんやマイラさんと一緒に外に出てみると、ミラベルさんは満面の笑みを浮かべながら一枚の紙を見せてくる。


 そこには『ミランダ王国・薬師工房開業許可証』の文字があった。


「国からの開業許可も下りたし、明日には本格的に薬師やくし工房を開くぞ。各自、準備はできているな?」


「もちろんです! 販売価格も決めましたし、商品リストもできていますよ!」


 ミラベルさんの言葉にクロエさんが笑顔で反応した。わたしも店頭用の薬はある程度作り終えているし、問題はないと思う。


「ところでミラさん、後ろにあるのは何?」


 その時、マイラさんがミラベルさんの背後を覗き込みながら尋ねる。そこには台車があり、木の板が載っていた。


「おお、これか。これは工房の看板だよ。マイラ、設置を手伝ってくれ」


 ミラベルさんは嬉々として言うと、はしごを持ってきて看板を軒先へ吊るしていく。


「わー、素敵な看板ですね! これなら目を引くと思います!」


 それを見たクロエさんが声を弾ませる。確かに、なかなか立派な看板……あれ?


 取り付けられていくその看板を見上げた時、わたしは血の気が引く思いがした。


 ……そこには大きく『エリン工房』と書かれていたのだ。


「ちょ、ちょっと。あの、ミラベルさん、なんですかこれ」


 わたしはしどろもどろになりながらミラベルさんに詰め寄る。


「何って、我らが工房の看板だ。わかりやすくていいだろ」


「い、いやいや、ミラベル工房じゃないんですか。意味がわからないです。なんでわたしの名前が……」


「意味がわからないのはこっちだ。うちの工房の看板薬師はお前だろう」


「そ、そんなものになった覚えはありません。駄目です。交換してください。お願いします」


「悪いが、もう設置してしまった」


 そんなやり取りをしているうちに、看板の設置は終わってしまったよう。ミラベルさんはいたずらっぽくウインクをして、はしごを下りてきた。


「そんなことより、さっそく仕事をもらってきたぞ」


 わたしの訴えをさらりと流して、ミラベルさんは話を進める。


 ちょっと流さないで! すごく重要な部分なのに!


 心の中でそう叫ぶも、それを口にすることはできず。あたふたしているうちに、ミラベルさんは一枚のメモを取り出した。


「この看板を作ってくれた職人からの依頼で、腰痛の薬がほしいそうだ。できるだけ強い薬をご所望らしいが、エリン、作れるか?」


「だ、大丈夫です。作れます」


 ……言いたいことはたくさんあったけど、仕事と言われてわたしは冷静になる。


「エリン工房、最初の仕事だからな。気合を入れて頼むぞ」


 ミラベルさんはわたしの肩に手を置きながら真剣な顔で言った。


 そんな彼女と一瞬だけ視線を合わすと、わたしは頷いて、その依頼を引き受けたのだった。


 ……それから、わたしは調合室へと戻る。


 ちなみに、クロエさんたちはこれからお店の装飾を整えるらしい。


 わたしはその手のセンスは皆無なので、ここは薬の調合に集中する。


「できるだけ強い腰痛の薬……」


 調合室で薬材やくざいを用意しながら、考えを巡らせる。


 わざわざそんな要求をしてきたのだし、ここは店頭用に作った薬とは配合を変えてみよう。


 腰痛の薬はいわゆる温熱薬で、体を温める薬。必要薬材はパーチュカ草の根とサクナゲの大花、そしてスイートリーフだ。


 サクナゲの大花とスイートリーフはマイラさんにお店で買ってきてもらっているし、パーチュカ草の根は地下の薬材倉庫に保管されていたもので事足りる。


「……よし、ここはサクナゲの大花の分量を少し多くしてみよう」


 その分、渋みが強くなるけど、スイートリーフの分量を増やせば甘さで誤魔化せる。


「……さて、楽しい調合タイムとまいりましょう」


 頭の中で薬材の組み合わせをざっと決めてから、わたしは薬研やげんを手に取ったのだった。



 ……そしてその翌日。いよいよエリン工房は営業初日を迎えた。


 こまめに掃除した甲斐あって店内はピカピカで、棚には熱冷ましに頭痛薬、下痢止めといった薬が並び、お値段もお手頃だ。


「開店初日は客が大勢やってくるかもしれないからな。クロエだけじゃなく、マイラも接客できるようにしておけよ」


「りょーかいです!」


 エプロンを身につけたマイラさんが握りこぶしを作る。この人、本当に元気だなぁ。


「混雑ぶりによっては、最悪エリンにも接客をしてもらうことになるかもしれないな」


「こ、怖いこと言わないでください」


 わたしは反射的に調合室のカーテンを掴む。基本、わたしはお店には出ないと決めているのだ。


「ま、それは冗談だがな。それでは……エリン工房、開店だ!」


 やがて、そんなミラベルさんの宣言とともに店の扉が開け放たれた。


 外から差し込む光が、いつもに増して眩しく感じる。


 わたしの薬師としての新たな一歩が、いよいよ始まるのだ。



 ……しかし、それから一時間経っても二時間経っても、お客さんは誰一人としてやってこなかった。


 ……おかしい。わたしの新たな一歩、始まらない。


「……まさか、すでにハーランド工房からの妨害工作が……?」


「いや、それはないだろ。いくらなんでも手が早すぎる」


 窓の外を見ながら物騒なことを口にするクロエさんを、ミラベルさんがカウンターで頬杖をつきながら諭す。


「でも、お客さんが全く来ないのは変ですよ? 何か別の理由があるんですかね?」


 続いて開け放たれたままの扉に視線を送り、クロエさんは不思議そうな顔をした。


「クロエ、お前も商人志望ならわからないか?」


「あー……もしかして宣伝不足ですかね」


 一瞬だけ考える仕草をして、クロエさんは気づいたように言った。


「ご明察だ。この街に複数の薬師工房があったのはかなり昔の話だし、認知されていないのだろう。それならば、宣伝するしかないな」


「そうですねぇ……チラシでも配ります?」


「それが一番だな。今日の営業は諦めて、チラシを作ることにしよう。そして明日は大通りに出て、皆でチラシ配りだ」


 わたしやマイラさんそっちのけで話が進み、ミラベルさんはそそくさとお店の扉を閉めてしまう。


 ……うん? ちょっと待って。チラシ配り? 皆で?


「……あ、あの、お言葉ですが。ひっそりと営業を続けていれば、そのうち隠れた名店……とか呼ばれて人が集まるかもしれませんよ。地道な活動が実を結ぶかも」


 不穏な会話を耳にしたわたしは、おずおずとカーテンの間から顔を出し、ミラベルさんたちにそう意見してみる。


 大通りでチラシ配りとか、絶対に目立つし。それだけは嫌だった。


「いや、大々的に活動したほうが実を結ぶだろ」


「そうですよ! チラシ配り、いいと思いません? マイラもそう思いますよね?」


「うん! いい考えだよね!」


 必死の思いで主張してみたものの、いつの間にかマイラさんも乗り気になっていて、すでに多数決で負けていた。この流れはもう止められそうにない。


「全部で50枚ほど作ればいいだろう。紙は私が用意してやる」


「割引クーポンとかつけたら、お客さんも来てくれるかもしれませんね」


「それはいいな。開店セールをする手間が省ける。チラシと並行してクーポンも作ろう」


「どんなデザインにします? 私の案はですね……」


 クロエさんがカウンターに置かれたメモと羽ペンを手にすると、他の皆も彼女のそばへと集まっていく。


 そうなると自分だけ離れているわけにもいかなくなり、わたしもその輪に加わった。


「そうだ。どうせなら、目立つ服装がいいよねぇ。ミラさん、いい感じの衣装ないの?」


「店の奥のクローゼットに、なぜかメイド服が3着入っていたな。おそらく前の住民のものだろうが、手入れも行き届いていたので使えるぞ」


「おおー、メイド服! せっかくだし、三人で着ちゃう?」


 ……するとその時、再び不穏な会話が聞こえた。メイド服ですと?


「丈が短くて私は着れないが、クロエたちにはちょうどいいだろう」


「向こうのクローゼットの中ですか? ちょっと持ってきます!」


 親しげに話を続ける三人を後目に、わたしは静かにその場を離れることにした。ここにいてはまずい。


「……待てエリン、どこへ行く?」


「ひいっ」


 ゆっくりと背中を向けた直後、ミラベルさんに呼び止められた。


「え、えっと、ちょっとお風呂に入ってこようかなーと……」


「……ここの風呂は水しか出ないと、お前も知っているだろう。まさか自ら風邪をひいて、明日のチラシ配りをサボるつもりじゃないだろうな」


「うぐっ……」


 わたしの考えは、見事に見透かされていた。


「仮に熱が出ても、自前の薬を飲めばすぐに治るだろ。そんなにメイド服が嫌なのか?」


「メ、メイド服というか、人前に出ることというか……」


「エリンさん、そう言わずに! ほら、可愛いですよ!」


 視線を泳がせながら理由を口にしていると、クロエさんが戻ってきた。


 その手にあるのは、ヒラヒラのフリルがついたメイド服だった。


 人前で、あの服を着るの? 絶対無理だ。


「そんな死んだ魚のような目をするな。エリン、たまには割烹着以外の服も着てみろ。気分が変わるぞ」


「あ、あうあうあう……」


 半ば強制的に手渡されたメイド服を胸に抱きながら、わたしは途方に暮れたのだった。




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