第5話『薬師、新たな工房に入る』
「……あの、ミラベルさんは、
「うん?」
沈黙に耐えかねたわたしは、遠慮がちにミラベルさんに尋ねてみる。
「あっ、違ったらすみません。薬について、知っているようでしたので」
「ああ……昔、知識として少しかじったことがある程度だ。薬師免許も持っていないし、大したことはできない」
すると、そんな言葉が返ってきた。
どこか言いにくそうにしているし、あまり触れられたくない話題なのかもしれない。
「あ、そうですか……」
長年グレガノさんたちの顔色をうかがって生きてきたわたしは、この手の微妙な感情変化を敏感に読み取ってしまう。相手が言いたくないと察した以上、これ以上は質問できなかった。
……結局、その後は会話が途切れ、わたしは無言で土瓶をかき混ぜ続けたのだった。
やがて起きてきたマイラさんにお薬を飲んでもらう。
彼女は赤い顔のままわたしにお礼を言って、すぐに部屋へと戻っていった。
急いで作った薬だけど、きちんと飲んで一晩寝れば症状も良くなるはずだ。
「そ、それでは、わたしはこれで」
そんな彼女を見送ったあと、そろそろお役御免だろうと、わたしはそそくさと道具を片付け、ミラベルさんに一礼して扉へと向かう。
「ちょっと待て」
「ひっ」
扉に手をかけた時、ミラベルさんがわたしを呼び止める。
「薬師エリン、お前の腕前を見込んで頼みがある」
「た、頼みとは、なんでしょう……? わたしの腕前なんて、その辺にいるスライムと同じくらいで……」
「よくわからない例えをして謙遜するな。私たちはお前の腕前を高く買っている。うちの専属の薬師になるつもりはないか?」
「はい?」
おっかなびっくり振り返ってそう口にすると、思いもよらない言葉が返ってきた。
「クロエから聞いたかもしれないが、近いうちにここを薬師工房にしようと思っていてな。雇う予定だった薬師が逃げて途方に暮れていたが、エリンが入ってくれるのなら、こちらとしても助かる」
腰に手を当てて、店内を見渡しながら言う。
「で、でも、新しい工房を開くとハーランド工房に目をつけられて、潰されてしまいます。潰された工房、たくさん知っているので」
「あいつら、潰しに来るのか? はっはっは。上等じゃないか。なぁ、クロエ」
「そうですねー。あんなぼったくり工房、逆に私たちで潰しちゃいましょうよ」
そう言うクロエさんは笑顔だけど、声が笑っていなかった。
法外な値段で薬を買わされた上、あんな接客をされたら頭にくるのもわかるけど、真っ向勝負を仕掛けるつもりなのかな。
「なぁに、心配するな。エリンの調合技術があれば、ハーランド工房が相手でも負けはしないさ」
わたしが反応に困っていると、ミラベルさんがまるで心を読んだかのように言った。
「寝ているマイラは事後承諾でいいだろ。エリンは自らの病気を治してくれた恩人なわけだし、感謝こそすれ、拒むことはないだろ」
「そうですね!」
「そ、そうですかね……?」
ニコニコ顔で言うクロエさんに思わずツッコむも、彼女の耳には届かなかったよう。
「それに工房を追い出されたということは、エリンは今晩の宿にも困っているんじゃないか? ここなら部屋も余っているぞ?」
「え、それはまぁ……困ってはいますけど」
「なら決まりですね! 掃除も終えていますし、すぐに使えますよ!」
「ああ。即入居してもらって構わない。うちの薬師として働いてくれるのなら、家賃も不要だ」
「え、えっと。そのー、あのー」
……なんだかトントン拍子に事が進んでいく。
二人の気持ちはすごくありがたいのだけど、ひとつ気になることがあった。
「あ、あの、お気持ちはすごくありがたいんですが、ひとつだけ教えてください」
「いいだろう。何でも聞いてくれ」
「どうして、行きずりの私を雇ってまで、この街で薬師工房を開きたいんですか。その、潰されるかもしれないのに」
「そうだな……この街の現状が我慢ならなかった、というのが理由かな」
わたしの問いかけに、ミラベルさんは口元に手を当てて答えてくれる。
「薬というものは、皆に平等に与えられるべきものだろう? それを一部の人間が独占していてはいけないと思ったのさ」
予想外の答えに、わたしは目を見開いた。
多少薬の知識があるとは言っていたが、ミラベルさんは剣士のはずだ。それなのに、この人は実質ハーランド工房が支配するこの街の現状を変えようとしているのか。
「……さて、私の高貴な目的を知ったからには、是が非でも協力してもらうぞ」
ミラベルさんはニヤリと笑う。その笑顔に気圧されたわたしは頷くことしかできず、その瞬間、この工房への加入が決まったのだった。
「よしよし。これからよろしく頼むぞ。薬師エリン」
「こ、こちらこそ、よろしくお願いいたしまする……」
深々と頭を下げると、緊張で変な口調になった。
話が急転直下すぎて頭の整理が追いつかないけど、とりあえず野宿の必要はなくなったらしい……と、わたしは理解したのだった。
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