壊し屋~最後の砦~
maria159357
第一笑 【 大事なのはお気持ちですよ 】
壊し屋~最後の砦~
第一笑 【 大事なのはお気持ちですよ 】
登場人物
朝永 広太郎
外岡 祐介
中島 結花
岡野 友樹
城田 薫
泉 洋子
加藤 潤一郎
上妻 知奈津
本文
不可思議・・・それは知識の種である。 フランシス・ベーコン「学問の進歩について」
第一笑 【 大事なのはお気持ちですよ 】
廃墟のようなビルの隣に、立派な高層マンション。
道路わきで横たわるホームレスの前を、スーツを着こなしたサラリーマンが歩く。
この世界は実に面白く、退屈である。
安定や安全を望みつつも、一方で、変化を慮る。
信頼した相手に裏切られれば、それは恨みにも妬みにも殺意にも代わるほど、心というものは脆く拙い。
そんな息苦しい生活の中で、自分なりの楽しさを持って生きる男がいた。
二十代から三十代前半と思われるその男は、整っているわけでもなく汚らしいわけでもない、ちょっと癖のある髪型だった。
二重でキリッとした目は、笑うと細くやわらかくなる。
黒い鞄とワイシャツを着ながら、色んな場所へ行っているところを見ると、どこかの会社の営業として働いているようだ。
夕方、直帰で家へと帰るのかと思いきや、若者から年配の人までもが行きかう、ネットカフェへと歩みを進めた。
個室に籠ると、男はネットを介してこんな情報を流す。
《こんばんわー!!どうもどうも、今夜もやって参りました。太一郎でーっす!!さてさて、今夜も例の“壊し屋”についてのお話をしますよーー!!つい先週のことなんですけどね、僕、聞いたんですよ!壊し屋が、一人で子供を産んで、その子供をなんとかしてほしいって言ってきた女子高生に対して、子供を女子高生の家の前の道路に置いたんですって!!!それも、誰が親か分かる様に、遺伝子結果も付け加えて・・・・・・。女子高生は子供を産んだことがバレタだけじゃなく、子供の父親がなんと、実の父親だったことも近所にばれちゃったみたいなんですよー!怖いですねー!きっと、それなりのお金を支払っていれば、ちゃんと処理してもらえたでしょうに。・・・あ。もうこんな時間ですね!僕、これにて失礼いたしまーす!
壊し屋連絡先はこちら → 080-●●××-?❤△》
「ま、こんなもんかなー」
男が独り事をポツリと言うと、ピルルルルルルル、と携帯電話が鳴った。
メールであれば、その場で確認することも出来たのだが、生憎、鳴ったのは電話だったため、男はまだ三十分も経っていないネットカフェを出た。
携帯を見て、すでに切れてしまっている電話を開いて履歴を出す。
「また祐介か。あいつも暇人だねー」
履歴から電話をかけ直すと、二回目のコールですぐに相手の男が出た。
《広太郎かー?俺俺》
「あー、俺俺詐欺さんですかー?すみませんねー。僕も金銭的に今困ってるんですよ。逆に僕がお金貰いたいくらいですね。それに、去年から、病気がちだった妹がガンになりまして、治療代もかかるんですよ。ぐすっ・・・。ああ、明日までに残った治療代払わないと・・・。妹が・・・妹が・・・」
《・・・お前に妹はいないだろう。詐欺も吃驚、逆詐欺だな》
「で?何のようだ?」
極めた演技をパッと止めて、単調な声で答えると、相手の男はクツクツと笑った。
《仕事が入ったよ。今、結ちゃんと一緒にいるんだけど、広太郎も来るでしょ?》
「結花と?・・・俺、殺されそうだからパス。仕事の内容は?」
《早く来なさい。本当に出刃包丁で身体中刺すわよ》
「わーお。具体的な殺し方まで教えてくれるなんて、親切だね。結花ちゃーん。すぐに行くから、待っててねー」
ブチッと乱暴に電話を切られ、広太郎という男は、鞄から白衣を取り出し、ワイシャツの上に着た。
-朝永広太郎
きっとそれが男の本名だ。偽名だとしても、確かめる術はないし、誰もそれを本名だと思っている限り、誰も調べたりはしないだろう。
営業をしているときのニコニコ顔とは程遠く、広太郎は嘲笑していた。
「平凡な人生は大歓迎だけど、ある程度の刺激はないとな」
約束をした場所に着くと、広太郎はある一点を見つめる。
ラフなTシャツを着た、右分けサラサラ髪の毛をしている、一見優男と、その向かいにいるのは、ブルーのワイシャツとスラックスを着こなした細身の女性。
女性の方は、黒髪で肩辺りまであり、右目の下には泣きボクロがついているため色っぽい。
男が広太郎に気付くと、声を出すわけでも無く、ニッコリと笑って手を振る。
「やっと来たな。じゃ、此処座って。仕事内容なんだけど」
「二十分待ったわ。クソね。今日はここで夕飯食べるから、あんたが全部払いなさいよ」
男側の席に座ろうとした広太郎に、女性は睨みつけながら舌打ちし、足を組みかえてメニューを開いた。
「結ちゃん、そんな顔も可愛いよ」
男が女性にそう言うが、女性は虫けらを見る様な目で男を見、次いで足を組みかえながら、ついでに男の向う脛を蹴飛ばした。
悲鳴にならない悲鳴をあげていると、広太郎はさっさとコーヒーを頼んだ。
「祐介も結花も暇そうでなによりだ。で、今回の依頼主は?」
「ああ」
半泣き状態の“外岡祐介”は、メモ書きの紙を取り出した。
「えっと、岡野友樹、三十一の男。検事らしい。奥さんが浮気をしているから、その浮気の調査とともに証拠集めをして、二人を別れさせろって」
「“気持ち”は?」
「五百。どうする?」
「どうするって、相手が誰だろと、金が幾らだろうと、依頼を断ることはしねぇ」
「だろうね」
広太郎は、運ばれてきたコーヒーを一口呑むと、女性の方を見た。
“中島結花”を見てメニューを取りあげると、広太郎と見て睨む結花とは逆に、広太郎は口元に笑みを浮かべ、目の奥は笑わずにこう言った。
「だから結花。男の方を調べろ。祐輔はその奥さんをな。随時報告しねーと・・・」
二人に向かって歯を見せて笑う。
「襲っちゃうぜ☆」
簡単な内容を済ませると、広太郎はさっさと家に帰る準備を始めた。
「朝永、あんたはさっさと帰るわけ?あたしたちにだけ仕事押し付けて?」
「こわーい、結花ちゃん。俺は俺で色々やるから。会いたくなったらいつでも連絡してちょーだい」
「あんた、そんな性格だから友達も彼女もいないのね」
結花の言葉に、舌先をちろっと出して鼻歌を歌いながら去っていってしまった。
次の日から、結花は岡野祐樹を、祐介は妻の美紀の身辺調査を開始した。
「岡野さん、来週の裁判の資料ですが・・・」
真面目に働いている男、岡野は仕事熱心な検事であった。
結花は詳しいことを調べるために、面接を受けて岡野のオフィスの受付嬢になる事が出来た。
もとから受付の仕事をしており、広太郎以外の人の前では笑みを絶やさないためか、それほど履歴書の裏付けもされずに採用された。
実際は有り得ないのだろうが、そこはぬかりない。
調べられたとしても、そこはいつも広太郎が上手く細工をしているため、結花は堂々としていられた。
「じゃあ、今日はここまでにしようか」
夜八時になり、早いな、とは思いながらも、岡野は今日の仕事を終えたようだ。
結花も片づけをして帰ろうとしたとき、近づいてきた岡野に声をかけられた。
「中島くん、だったね。どうだい?今日は歓迎会、ということで、お酒でも飲みにいかないかい?」
「あ、でも、奥様はよろしいんですか?」
「ああ、いいんだ。最近ちょっとね。気晴らしに飲みたいんだ」
「あら、じゃあ私への歓迎会というのは?」
「ハハハ、いいじゃないか。理由はなんだって。さ、行こうか」
ちらっと岡野の左手の薬指を見てみると、キラリと光るものは何もついてはいなく、代わりにごつごつした指だけが目に入る。
浮気相手のことも知りたいところだが、初日からあまりがっつくものではない。
飲み屋に着くと、結花は一通りの人の並びを見、岡野が馬鹿そうに手を振って「こっちこっち」と言っている方へと向かう。
岡野の斜め前に座ると、岡野の隣にいる女性に目を向ける。
まだ若く、つやつやの髪の毛、結花よりも年下なのは確かだ。
「中島くんは何飲む?」
「私はカルアミルクを」
「可愛いのを飲むんだねー。ハハハハ!!」
数皿ずつ頼んだ枝豆やフライドポテト、唐揚げなどをつまみながらも、結花は岡野の隣の女性を観察する。
何もしていないような綺麗な指先、すらっとした足、つけまつげやアイラインによって大きくなった目、グロスを塗った唇。
あの女性が浮気の相手なのかと思っていると、正面に座っている男に声をかけられた。
「中島さんって、彼氏いるのー?」
「あまりにちゃらいから、一発ぶん殴ろうかと思ったわ」
「そんなおぞましいことは聞いてねえから。続き」
「で、その男、名前は忘れたけど。そいつの話では、岡野本人も浮気してるって。ま、相手は十中八九あの女で間違いないわね」
「女の勘ってやつ?ま、結花の勘が良いのは否定しねーけど。で、なんで祐介はまだ来て無いんだ?俺への挑戦状か?」
「そんなわけないでしょ」
二人で話をしていると、どこからか声が聞こえてきた。
それは広太郎の頭の上からのもので、結花の視線も明らかにそちらに向けられているが、何も言わない。
広太郎は結花の表情を目を細めて見たあと、首を動かして見上げる。
眼前にはニコニコと満面の笑みを浮かべている祐介がいて、広太郎ではなく、その前にいる結花に顔を向けている。
「俺より後に登場するとは、随分な根性だな」
「嫌だな。俺だって仕事してるんだから、しょうがないでしょ。ねえ結ちゃん?」
結花に同意を求める祐介だったが、結花は聞こえているのかどうなのか、コーヒーを啜っている。
眉をハの字に下げて笑う祐介は、広太郎の後ろか移動し、結花の隣に座ろうとしたが、結花は一ミリも動こうとしなかったため、仕方なく広太郎の隣に移動した。
ウェイトレスが来て注文を聞くと、広太郎が勝手にチャイティ―を頼んだ。
「そっちは?」
「奥さんの方は、旦那さんの浮気には気付いてるね。それにしても毎日同じことの繰り返しだよ。しかし、女性って言うのはすごいね。あんな刺激のない日々を送って・・・」
「わかった。ま、今後も続けてくれ」
祐介の長くなりそうな言葉を遮り、広太郎が席を立った。
「世の中なんて汚ねぇ大人が作ってんだ。俺みたいにピュアな人間がいねーとな」
「どこの誰がピュアなのよ」
「本当。よくあの口で言えるね」
運ばれてきたチャイティ―を飲むと、祐介は結花の正面に移動する。
明らかに嫌そうな顔をし、舌打ちまでした結花など気にもせず、祐介はニコニコ笑っていた。
広太郎は立ち去る時、祐介にメールをする。
ピピピピ、とメールが届いた音が聞こえてくると、祐介は結花の顔を見ながら携帯を取り出し、確認する。
―from 広太郎
お前は結花に嫌われる天才だな―
「これ、褒められてないよね」
メールの内容を見て独り事を言っていると、結花が徐に立ち上がったため、祐介は何とか止めようとする。
だが、結花は祐介を見下ろす様にし、勘定をスッと差し出した。
それを何も言えずに丁寧に受け取ってしまう祐介は、結花が優雅に去っていく後ろ姿を見るしかなかった。
すると、また誰かからかメールが届く。
―from 結ちゃん
あなたは私をイライラさせる天才ね―
「いや、これも褒められてないな」
二件の悲しいメールを、祐介は削除しようかとも考えたが、結花のほうのメールは貴重だと、保存するのであった。
そのころ、広太郎はネットカフェへと歩いていた。
個室に入って、気分はすでにニートかホームレスだが、一度パソコンを開いて目的のページを見つけると、気持ちは高ぶる。
カチカチとキーボードをいじると、広太郎はニヤリと笑う。
《こんにちは。私は先日、壊し屋さんにお世話になったものです。実は夫が浮気をしているのではないかと思いまして、浮気調査を依頼しました。気持ちとして十万円です。浮気が分かった時点で、別れを告げる心算でした。調査結果、浮気はしていないということでした。私達は別れることなく、今も一緒に暮らしています。しかし、この話には続きがあります。実は、夫も壊し屋さんに依頼していたのです。お金は私よりも多く支払っていたため、浮気を隠されたようです。夫が酔ったときに、話を聞きました。みなさん、依頼するときは、気持ちより多めが良いかと思います。》
「さてと、明日は仕事だし、さっさと帰るか」
広太郎が部屋から出て行こうとしたとき、広太郎のいる部屋のパソコンに、何処からかメールが届いた。
もう一度腰をおろし、パソコンに顔を向けてメールを開く。
《作り話も良いところね》
「どなたかなー?」
《殺すわ》
「あー。貴方でしたか」
メールの送り主がいる個室の方を見てみると、頭の上の方だけちょこんと見える。
広太郎は再びパソコンに視線を戻すと、指先を器用に動かして、楽しそうにメール内でのやりとりをする。
「最近の世の中は便利だね。嘘書いたってばれないし、良い広告になるよ。宣伝さえ出来れば俺は良いんだし」
《便利なのは認めるけど、元を辿ろうと思えば辿れるのよ、今の世の中。あんたが書きこんだってことも、いつかばれるわ》
「そうかな。俺はばれないように、足跡もしっかり消してるよ。それに」
《それに?》
「ばれたって、別に構わないよ」
そこまで送ると、広太郎はパソコンから離れた。
「美紀、飯」
「はい、あなた」
岡野は家に帰ると、妻の美紀に淡々と言葉を言う。
上着を預かって鞄も持つと、美紀はスリッパを鳴らせながら部屋に行って、その後台所に向かう。
温かくなった料理をテーブルの上へと運ぶと、岡野は無言で食べ始める。
だが、ほんの少しだけ食べると、残して席から立ち上がってしまった。
「今日も部屋に籠るから、入るなよ」
「はい」
折角作った料理は冷たくなり、ほぼ手つかずの状態でゴミ箱へと向かうのだった。
岡野が部屋に入ったあと、美紀はテーブルの上を綺麗に片づけて、隣の部屋へと移動する。
そこにあるノートパソコンを開くと、電源を入れてしばらく待ち、履歴からいつも自分が開いているページを開く。
そこを開いてしばらく待つと、美紀の表情は柔らかくなった。
すでに夜中で、窓の外にはほとんど灯りがないというのに、美紀の家には幾つもの灯りが点いていた。
少しして岡野の部屋から音が聞こえると、美紀は慌ててパソコンを閉める。
一番近くにあった本に手を伸ばすと、あたかもそれを読んでいたかのような格好になってみる。
「なんだ、まだ起きてたのか」
「ええ。この本、面白くて」
「そうか。俺は寝るぞ」
「はい」
岡野が風呂に入って寝室に行くと、ほんの数分で寝てしまった。
それを見届けると、美紀はもう一度パソコンを開き、不器用に何かを打ったあと、電源を切った。
仕事中の広太郎の携帯が鳴った。
「はい、お世話になっております。朝永です」
《お世話になってるって思ってくれてるんだね。安心したよ》
「切らせていただきますね」
《ごめんごめん》
「なんだ、仕事中に電話してくる馬鹿がどこにいるんだ」
《今奥さんを尾行してるんだけどさ、写真撮った方が良い?》
「当たり前だ。んで、結花とは連絡取り合ってるのか?んなわけないか」
《・・・うん。正解》
声のトーンが落ちたところで、広太郎は次の営業先に到着する。
一方的に携帯を切ると、ポケットにしまって玄関のインターホンを押す。
そのころ、美紀の後をつけている祐介は、浮気の証拠となる写真を何枚も撮影をしていた。
岡野よりも若い男と一緒に手を繋ぎ、岡野といるときとは違う、女性を全面に出した洋服を着ていた。
唇も艶やかで、はつらつとしている。
「奥さんの浮気現場ゲット」
それからも美紀の尾行を続けていると、食事だけでなく、ショッピングにも行き、途中、ホテルにも入ったところまで見てしまった。
夜になり、美紀は男に家まで送ってもらうと、手を振っていた。
美紀が家の中に入ったところまで見て、祐介はさっさと家に帰ろうと身体を反転させた。
「!!!???!??」
振り返ると、そこに突如現れた影は、祐介の頭を叩いた。
「なんで叩くの」
「なんとなくだ」
立っていた広太郎は、祐介のことなどおかまいなしに、何度も何度も頭をペシペシと叩き続けた。
「あー。すっきりした」
「ちょっと。仕事で溜まったストレスを俺で解消させないでよ」
「小さいことを気にするな。本当に小さい男だな」
「ほら」と言って差し出されたホットココアに感激し、それを御礼を言って受け取ろうとするが、受け取れなかった。
広太郎がひょいっと自分の方に戻したためだ。
「良いだろうって、見せびらかしただけだ」
「それ最低だと思うよ」
暖かそうにそれを飲み始めた広太郎を、恨めしそうに見ていると、広太郎はポケットをゴソゴソと漁り、缶コーヒーを取り出した。
祐介に向かってなげると、嬉しそうに受け取る。
「え?なんで冷たいの?」
「間違えてcoolの方を押したからだ」
温かい空気を吐いている広太郎の傍ら、冷たい凍える空気を吐く祐介。
「それにしても、なんで広太郎ここに?」
「人生を悟りに」
いい加減な答えが返ってきて、祐介は冷たいコーヒーを飲みながら、適当に応答した。
しばらくして、広太郎が何事もなかったように帰り始めるのを見て、祐介は思わず後を追ってしまう。
「ついてくるな」
「いいじゃん。結ちゃんとこにでも行くの?」
「いかねーよ。もう帰るんだ。祐介も早いとこ帰れよ。明日も休むわけにはいかないだろう」
「まあね」
街並の中を歩く人混みに紛れて行く広太郎を眺め、飲み干した缶を握ったまま、祐介も人混みの中に消えて行く。
そのころ、結花は一人格闘していた。
「中島さんさー、本当に美人だよねー。まじで彼氏いないのー?ねー、教えてよ―」
名前も忘れた男は、結花にしつこく迫ってきてくるが、岡野を監視するためにも、結花は自分の持ち場から離れるわけにはいかなかった。
それに、これくらいのことには慣れている。
「実は彼氏いるんです。すみません」
「えー!!!まじ!?写真見せてよ写真!!!」
こんな五月蠅い、しつこい、引き際も知らない男と出会った時のため、結花は常に所持している写真があった。
撮ったことは本人も知っているが、使われ方はきっと知られていないはずだ。
「この人です」
そこに映っているのは、珍しく真面目そうな表情をしている広太郎だった。
以前、祐介で行ってみたときには効き目はそれほどなかったのだが、広太郎の写真を見せると、意外と諦めてくれると気付いた。
なぜ真剣な顔をしていたのかと聞かれれば、目の前に生後二か月の仔犬を置いたところ、釘づけになったのだ。
ああ、この男は犬派だったか、と知った一枚でもある。
「へ、へえ。結構格好いいじゃん・・・・・。でもさ、仕事何してるの!?」
まだ諦めないこの男は、半分キレたような口調で結花に迫り続ける。
ふう、と息を吐くと、結花は携帯電話を取り出し、無言のまま電話帳を調べていき、その名前を押す。
数回鳴ると、相手が出る。
《なんだ結花》
結花の彼氏としてなぜか紹介されてしまった広太郎だが、そんなことは露知らず、電話に出た。
男に聞こえないように、結花は広太郎に言う。
「面倒な男がいるの。仕事はお金以上のことするから、ちょっとだけ追い払ってほしいの」
《あらまあ。結花も大変だな》
そう言って男に携帯を手渡すと、男は携帯と結花を交互に見たあと、結花の携帯をそっと取りあげる。
「もしもし」
《あー、結花の彼氏ですけど、お宅は?》
「えっと、俺は、中島さんの仕事の先輩です。あのっ!結花さんを・・・」
男は、結花が目の前にいるからか、強気に行こうと声を張り、低くして話そうとしたのだが、そう上手くはいかなかった。
《俺の結花に手ぇ出すんじゃねぇぞ》
「え」
聞こえてきた声は自分のものよりも遥かに低く、地よりもさらに地の底を這うような声で、耳の奥へと響いた。
《結花はしつこい男は嫌いだ。それから、ネチネチグチグチいう男も嫌いだ。いざってときに女の後ろに隠れる様な男、見栄ばっかり張る男、女の前だからって良いとこ見せようとする男、つまり、お前みたいな男が嫌いだ。諦めろ》
「ば、馬鹿にしやがって!!!!今ここにいたら、ぶっ飛ばしてるとこだ!!!」
「じゃあ、やってみろよ」
瞬間、男は背筋の凍るような思いだった。
いつの間に来ていたのか、背後に結花では無い誰かの気配を感じた。
そしてその気配から聞こえてきた声は、携帯から耳へと届いていたそれを似ているもので、男は恐る恐る振り返る。
仁王立ちでニヤリと笑う男は、確かにさっき写真でも見た男だった。
「ご、ごめんなさい!!!」
結花に携帯を返すと、男はあたふたと慌てながら帰って行った。
「遅いじゃない」
「助けに来てやったのに、それか?」
「私はまだこれから岡野のこと調べるから」
「それは御苦労なことだ」
結花はそのまま仕事場に残ったが、広太郎は用事が済むと、さっさと出て行く。
「結花の彼氏役は御免だな」
それからしばらく月日が経って、広太郎、結花、祐介の三人は喫茶店に集まった。
「成果はあったんだろうな」
「ああ、もちろんだよ。問題は・・・」
「どうやって壊すか、よね」
「そうだよ、結ちゃん!!!」
「近寄らないで」
大雑把な説明を結花と祐介にすると、広太郎は店員の女性に声をかけ、自分だけジンジャーエールを頼んだ。
結花と祐介で大体の予定を立てると、広太郎に確認しようとする。
「後はお前等に任せる」
「後はって、ほとんど俺達がやったんだけど」
「俺はな、営業してるから顔が広いんだよ。もし俺だってバレたら、大変なことになるだろうが」
「俺だって仕事してるし、結ちゃんだって」
「ずべこべ言うな」
はあ、とため息を吐くと、祐介と結花も飲み物を注文した。
結花は表情を変えずに足を組みかえると、乾燥してきた唇を指先で触り、リップを塗り直した。
その仕草を食い入る様に見ている祐介に、舌打ちをして顔を逸らす。
「それにしても、詐欺にならないの?」
「仕方ない。状況が状況なんだ。それに、喧嘩は両成敗って言うだろ」
「喧嘩とは違うわ」
「似たようなもんだろ」
祐介と結花もそれぞれ飲み物を注文すると、広太郎は席から立ち上がった。
「じゃ、頼んだぜ」
そう言って、一人で悠々と帰って行ってしまった広太郎を見る。
「自分勝手な人」
「そうだね。猫みたいに気まぐれで」
「猫は可愛いわ。あいつは憎たらしいのよ」
数日後。
結花はいつも通り仕事場に行き、岡野の前を通り過ぎた。
簡単に挨拶をすると更衣室に入り、制服に着替えると、モデルのような歩き方で所定の場所に腰を下ろす。
真面目に仕事をし、お昼に近づいてくる。
「中島くん、そろそろ休憩に入ってくれ」
「はい」
ランチを食べに行こうと同僚に誘われた結花だが、今日は行けないと断ると、すぐさま更衣室に戻り、ロッカーの中から鞄を取り出す。
そのまま携帯を取り出すと、ある番号にかけた。
結花から声を発する前に、電話の相手の方が先に話出したため、結花はとりあえず相手の息が切れるまで待つことにする。
「終わった?」
《う、うん。結ちゃんへの愛は語り尽くしたよ。今のところはね》
「ああ、そう。よかったわ。そっちはどうなの?」
《いつでもオッケーだよ》
お昼を取った風を装い、結花は再び席に戻った。
岡野の様子を窺っていると、岡野の携帯に誰かからか電話がかかってきたようで、岡野は携帯を確認する。
そこに表示された名前を見ると、岡野はそそくさと部屋から立ち去って行った。
「もしもし、岡野です」
《こちら壊し屋です。奥さんの浮気調査が終わりましたので、会って結果をお伝えしたいとお思うのですが》
「それは良かった。じゃあ、日程は・・・」
《今からそちらにお伺いしますので。それでは》
「おい!!ちょっと!!」
一方的にブツッと切られた電話にかけ直すが、相手はすでに電源を切ってしまったのか、出ることはなかった。
奥の自分の部屋でこっそりと話そうと、岡野は結花に声をかける。
「中島くん。これからお客さんが来るから、奥の私の部屋にお通ししてくれ」
「わかりました」
少しして、入口から男が入ってきた。
男と結花はほんの一瞬、目を合わせたが、すぐに互いに素知らぬふりをする。
男を奥の岡野の部屋へと案内をすると、結花は男にあるものをサッと手渡し、男はそれを受け取った。
岡野の部屋に入った男は、結花から受け取ったものを持ったまま岡野に声をかける。
「さあ、こちらへどうぞ」
「どうも」
岡野に誘導されて、大きなソファに腰を下ろすと、目の前にある小さめの黒いテーブルを眺める。
手に持っているソレを、岡野の目を盗んでテーブルの裏に取りつけた。
「それで、どうでした?やっぱり、浮気してましたか」
待ちきれんとばかりに、岡野は足を小刻みに動かしながら、男の顔を覗き込む。
男はニコリと良心的な笑みを見せると、持ってきた資料を開き、何も乗っていないテーブルの上に広げる。
「奥さんは、浮気されていました。また、浮気相手は近所の大学生でした。これが証拠の写真となります」
「不愉快だ!!」
写真を見せると、眉間に深いシワを作る。
「破局の件ですが」
「それはもういい。こうなったら、慰謝料を取って離婚してやる。いや、ありがとうございました。これは立派な証拠になりますよね」
岡野は嬉しそうに写真を男に見せると、男は適当に笑って「そうですね」と流した。
「いやあ、なんと御礼を言えば良いのか」
「ひとつ、提案があるのですが」
「なんです」
「今日はもう家に帰ると言うのはいかがです?きっと今頃、浮気の真っ最中。言い逃れは出来ないはずです」
多少は迷った岡野だが、すぐに男の話に乗った。
「それはいい。そうしよう」
「その前にひとつ、確認しておきたい事があるのですが」
「何かね」
男は岡野の耳にだけ聞こえるように、だがしっかりとした声で言う。
「あなたも、浮気されてますよね?会社の女生と」
「それは、今回の私の件には関係ないはずだが」
「把握しておきたいだけです。何かあったときのために」
渋々自分の浮気も認めた岡野だが、さっさと妻の浮気だけを暴きに行こうと、すぐにどこかに電話をしていた。
午後の予定をキャンセルしていたようで、男は胸弾ませた様子だ。
男と一緒に部屋から出てきた岡野は、結花に出かけてくる、とだけ伝えると、上着を羽織りながら去った。
岡野専属の運転手に家まで送る様に伝えれば、豪邸までは二十分ほどで到着した。
車の音で気付かれてはいけないと、家からは少し離れた場所に止めてもらい、そこからは男と二人で向かう事にした。
玄関のドアをそっと、泥棒のように開けて中の様子を窺う。
岡野は靴も脱いで部屋の中へと入っていく一方、男はまず玄関に男ものの靴が無いかを見ていた。
玄関入ってすぐの場所に、男物と思われる靴が一足、綺麗に並べられていた。
その横には岡野が脱ぎ捨てて行った靴が無残な姿で寝ており、男は自らの靴も脱ぐと、揃えて中へと上がった。
岡野の向かった先は大体分かっているため、二階に行って寝室がどこだろうと探した。
思ったとおり、岡野は二階あがって廊下を進んだその部屋の前に立ち、聞き耳を立てていた。
男がのんびりと到着したのを見て、すぐに手で来い来い、と手招きをしてきたため、男は急ぐ素振りを見せる。
そっと寝室のドアに耳を置くと、そこからは女性の声と男性の声が漏れてくる。
バーン、と我慢出来なかった岡野が部屋に入っていくと、中にいた男女はあっけにとられたように目を丸くしてこちらを見ていた。
「貴方!?なんで・・・!!!」
「お前えええええええええッッ!!!」
そこには、紛れも無く近所に住んでいる若い男と、何も来ていない状態で寝ている自分の妻の美紀がいたのだ。
男性の方も驚愕の表情をしており、岡野は美紀のところまで行き、思い切り頬を叩いた。
冷たく響いたその音にさえ、男はただ傍観していた。
「お前ってやつは、俺が稼いできてやってるのに、その間に他の男と寝てたのか!!」
「何よ!家に帰って来たって、ろくに話もしないじゃない!!!」
「生意気言うな!!!!」
このままヒートアップしそうな二人の間に、男が割って入った。
「まあまあ。ここでは何ですので、下に移動しましょうか。奥さんは着替えてきてください。それから君も。学生だからって、見逃せないから」
「あ、はい」
五分待たないくらいに、美紀と男性が二階から下りてきて、リビングにある椅子に腰かけた。
ロングのワンピースを簡単に羽織っただけの美紀は、不機嫌そうに足を組み、岡野と目を合わせようとしない。
「さて、始めましょう」
男は口の端をあげて笑うと、まずは岡野に向かって話し始めた。
「まず、奥さんである美紀さんの浮気はこれで明白となりました。最初は美紀さんと美紀さんの浮気相手を別れさせることが目的でしたが、今の貴方はそうではなく、離婚すると言う。それは良いですね?」
「ああ」
「わかりました。貴方方ご夫婦には、離婚届にサインをしていただきます。では続いて美紀さん」
ペラッと薄い紙を一枚、岡野と美紀の前に差し出す。
その紙を受け取って真っ先に名前を書き始めた岡野を睨むと、美紀は男に視線を戻し、棘棘しく言う。
「何よ」
「あなたも、岡野さんの浮気調査を依頼していましたね」
「何だと!?お前、何様のつもりだ!!!」
男の言葉に、岡野はまた顔を真っ赤にして怒りだした。
「おちついてください。美紀さん、岡野さんは浮気をしていました。これも明白です」
ピキッと音が出てきそうな形相になる岡野とは裏腹に、美紀は勝ち誇った表情へと変わり、笑いだした。
足を組みかえて髪の毛をかきあげると、岡野を笑顔で見る。
「あら、そう」
男は数枚の写真と、黒く四角いものをテーブルの上に置いた。
黒いものから聞こえてきたのは、岡野と浮気相手の女性の声で、内容も男と女のものであるのは、誰が聞いても明らかだった。
写真にも、岡野と女性がホテルに入るところや、二人で食事をしているところ、腕組をしているところ、キスをしているところなどが写っていた。
その写真を見ると、美紀は至極嬉しそうだ。
「よく写ってるわ。まあ、私もこの人とは別れるつもりだったし、離婚には応じるわ。けど、互いに慰謝料は無しよ。残念だけど。それで?私の方は、目的は離婚じゃないわよ?」
「承知しております。岡野さんの会社を潰すこと、でしたね」
「何をッ!!!???お前、何馬鹿なことを!!!」
余裕そうに鼻で笑う美紀に、男の力で殴りかかろうとした岡野を止めようともしない男は、子供同士の喧嘩を見ているように微笑んでいる。
「会社を潰すには、少しばかりお気持ちが足りませんでしたので、今回の岡野さんの浮気の現場写真、また音声を会社中に流しておきました。まあ、二度と会社には戻れないでしょうね」
「ちょっと。それじゃあ、話が違うわ」
「ついでに、美紀さん。御近所にも、あなたの浮気のことを流しておきました。掲示板にも、あなたがたのことは全て載せておきましたので」
仲が良いのか悪いのか、二人が息ぴったりに立ちあがり、男を睨みつける。
二人からの威圧的な視線をもろともせず、男はニコニコとした笑顔を続ける。
男の笑みが異様に苛立ちを覚えさせるものだったのか、岡野からも美紀からも殺気だったものを感じる。
だが、男はしれっとした態度で、話を続ける。
「今回、お二人は本当に息が合っておられました。依頼をしてこられただけではなく、気持ちの面でもご一緒の額が支払われました。よって、お二人の浮気を調査・結果報告は良いとして、会社を潰す、破局させる、といったことまでは出来かねます。この同時にきた二つの依頼に対処すべく、一方は会社から追い出す、一方は世間体を悪くする、という手段を取らせていただきました。結果として、お二人が別れようがこのまま続けようが、会社に居座ろうが近所に縋ろうが、どうでもよいのです。お二人のお気持ち通りの仕事をさせていただいただけですので、これで失礼します」
言いたいことだけを言って去って行こうとした男に、岡野が襲いかかろうとした。
くるり、と身体を反転させて岡野を避けると、男は岡野の身体を床にうつ伏せにさせ、背中に足を置く。
そして、先程までは笑っていた目は動かなくなり、口元だけが弧を描く。
「写真も何もかも、元はこちらの手にあります。訴えるなら訴えても構いません。そちらの方がこちらとしても都合が良い」
「同じ料金を支払ったなら、両方の依頼をちゃんと成立させなさいよ!!!こんな中途半端な仕事で、よくもそんなことをぬけぬけと!!!」
「世の中そんなに甘くねーんだよ」
急に変わった男の口調に、岡野と美紀だけではなく、美紀と一緒にいた男性までもが目を見開いていた。
「もっと良いことも教えてあげましょう。会社中に報告した岡野さんの浮気のことは、他の仲の良い会社や、大切な仕事先の会社にも回してさしあげました。そして奥さんの方は、ネットにはまっていたようでしたので、回線を通して全国の方々に、顔を載せて報告しておきました。これであなたたちは有名人です」
「貴様ああああ!!!!!!」
男に背中を踏みつけられながらも、岡野は叫ぶ。
「相手のことを苦しめたがっていたのだから、これで両成敗としましょう」
男が岡野の背中から足をどかせると、そのまま出口のほうへと向かって歩いて行ってしまった。
腕に力を入れて床に這いつくばりながら、なんとか男のもとへと近づき、足に絡みつこうとした。
だが、男の足を掴んだと思った瞬間、男の冷ややかな目が突き刺さる。
思わず力を抜くと、立ち上がれずにいる岡野を見て嘲笑いだし、小さく舌打ちをした。
岡野には聞こえないようにした心算なのか、それともわざと聞こえるようにしたのかは分からないが、岡野には確かに聞こえた。
「人に不幸を望み、自分は幸せを手に入れる・・・・・・?そんな都合良いことがあって堪るか。幸せを手に入れたいなら、相手の不幸を願うんじゃ無く、自らの手で掴み取る努力をするんだな」
男が去って行き、残された岡野たちは呆然としていた。
それから三日後のこと。
軽やかに街の中を歩いている男がいた。
スーツ姿は、何処から見ても立派な営業マンで、誰にでも見せる笑顔は輝いていて、見るからに良い人だ。
男の携帯が鳴ると、画面を確認せずに電話に出た。
「はい、営業の朝永です」
《なんて他人向けの声色なんだろうね、広太郎。思わず気持ち悪ささえ感じたよ》
「番号をお間違えになったようですね。番号を確認の上、改めておかけ直しください」
そう言って電話を切ろうとしたとき、相手の男は慌てた様子で声をかけた。
《切らないで切らないで。悪かったよ》
「仕事中にかけてくるなって言っただろうが」
《まあまあ。この前の仕事はちょっと簡単だったからね。今度もまた仕事入ったんだ。今から結ちゃんと待ち合わせしようと思ったんだけど、俺と二人だと・・・嫌だって・・・ぐす・・・。だから、広太郎も来てよ》
「仕事終わったらな」
ブツッと電話を切ると、男は口角をあげて笑い、また歩き出した。
「人間は、どれだけ生きてもダメなままだ。何を学んで何を見てきて何を伝えるべきか、知らずにただ朽ちて行くだけか」
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