第118話「トウゲン=シメイ、策を練る」

 ──その頃、壬境族穏健派じんきょうぞくおんけんはとりででは──




「やはりゼング王子の陣地からは、脱走兵だっそうへいが続出しているようですね」


 トウゲン=シメイは言った。


 ここは、壬境族じんきょうぞく穏健派おんけんはとりで

 その一室でトウゲンは、穏健派リーダーのハイロン=タイガと話をしていた。


「彼らがこのとりでに逃げ込んできている、と」

「攻撃かと思って兵を出したのだがな、向こうは武器を捨てて投降とうこうしている」


 ハイロンは白いひげをなでながら、


「ゼング王子の陣地では、なにやら動揺どうようが広がっているようだ」

「私も彼らから話を聞きました」


 トウゲンは優れた記憶力を持っている。

 脱走兵の表情も、態度も、はっきりと思い出せる。


 彼らはおびえていた。

 確信を持って言える。あれは演技ではなかった。


「彼らは言っていました。『ゼング王子にはもう、したがえない』『金翅幇きんしほうには藍河国あいかこくの動きが読めない。あいつらに価値はない』『動きが読まれているのはこちらの方だ。恐ろしい』と」

「それで兵士たちが、王子から離反りはんしはじめたのだな」


 ゼング=タイガの求心力きゅうしんりょくは3つある。

 血筋と、強さと、『藍河国あいかこくは滅ぶ』という予言だ。

 だから兵たちはゼング=タイガを信じ、藍河国を攻撃した。


 だが、ゼング=タイガは失敗を繰り返した。強さを示すことができなかった。

 彼が敗北したことで予言も信頼性を失った。

 あとに残るのは王の血筋による求心力だけだ。

 それだけでは、もはや人々をまとめあげることはできないのだろう。


「脱走兵のひとりは、こんな木簡もっかんを持っていたそうだ」


 ハイロンはトウゲンの前に、木の板を置いた。


「『暴君に従うよりも、穏健派とともに生きるべき』と書かれている。似たようなものが、兵たちの行く先々に設置されていたそうだ」

「これは効果的だ。藍河国には、たいした知恵者がいるものです」


 その知恵者に、トウゲンは心当たりがある。

 おそらくは彼で、間違いないだろう。


(やりますね。黄天芳こうてんほうどの)


 黄天芳はみずから穏健派の砦を訪ね、トウゲンたちと交流を行っている。

 藍河国の者で、壬境族の心理をもっとも理解しているのは彼だろう。


 その証拠に、檄文げきぶんには『穏健派とともに生きるべき』と書かれている。

 これは穏健派が脱走兵を受け入れると確信していなければ、書けない文章だ。


「ゼング王子の軍は崩壊ほうかいをはじめている。われらはどうするべきだろうか」


 姿勢を正して、ハイロンはトウゲンにたずねる。


「私は、次代の壬境族じんきょうぞくを支えるのは貴公だと考えている。ぜひ、意見を聞きたい」

「私はそんな柄じゃありません」

「妻のために放浪癖ほうろうへきおさえると決めたのだろう?」

「わかってますよ。姉さん……いえ、リーリンを苦労させるわけにはいかないですからね」

「ならば覚悟することだ。穏健派の副首領、トウゲン=シメイどの」

「……まいりましたね。本当に」


 トウゲンは頭をいた。


 まさか自分が、穏健派おんけんはの副首領にされるとは思っていなかった。


 シメイ氏族を歓迎するうたげで、ハイロンはとなりの席にトウゲンを座らせた。

 そこで彼は、トウゲンとリーリンの結婚けっこんを発表した。


 宴は最大の盛り上がりをみせた。

 さらにハイロンは、トウゲンを穏健派の副首領にすることを告げた。

 ハイロンには次の世代の壬境族じんきょうぞくを支える者になって欲しい、と宣言したのだ。


 大いに盛り上がった人々は、それをあっさりと受け入れてしまった。

 シメイ氏族の加入と、トウゲンとリーリンの婚礼。

 それはゼング=タイガに圧迫あっぱくされ続けてきた人々にとって、久々の嬉しい知らせだったのだろう。


 ハイロンはその雰囲気を利用して、トウゲンを高位につけてしまったのだ。


(こういう知恵では、ハイロンさまにはかないませんね)


 だが、引き受けたからには役目を果たす。

 できるだけ早く、平和的に、壬境族じんきょうぞく内の動乱どうらんを終わらせる。


(そうすれば私も、自由に旅ができるようになりますからね)


 黄天芳はトウゲンに『北臨ほくりんの町に来て欲しい』と言っていた。

 あの地にはトウゲンの見たこともないものや、聞いたことがないものがあるのだろう。


 それを見たい。

 たくさんの知識を持ち帰って、リーリンたちのために役立てたい。


 今のトウゲンは、そんなことを考えているのだった。


「ゼング王子の軍勢がくずれかけているなら、この機に乗じるべきでしょう」


 やがて、トウゲンは結論を出した。


「現在、兵士がゼング王子から離反りはんしています。ならば次は、兵士でない人々を、ゼング王子から離反りはんさせましょう」

「兵士ではない人々を?」

「ゼング王子の軍は国境近くに陣取じんどっています。それが可能なのは、まわりの村々が食料を供給しているからです。それを止めさせます」


 脱走兵は捕まらないように、バラバラになって逃げている。

 中には、国境近くの村へと逃げ込んだ者たちもいるだろう。


 村人たちにも、ゼング王子の軍の状態は伝わっているはずだ。


「国境近くの村々に書状を送ります。『このままゼング王子を支援するのは危険』『まずは戦を止めるべき』『王子は病気の王をかえりみることなく、戦を進めている』とね」

「……なるほど」

『一番効果的な文章は『このまま藍河国を攻撃し続ければ、いずれ手ひどい反撃を受ける』ですね。そこに『ゼング=タイガ王子を支援しつづけた村々は、藍河国の怒りを買う』と付け加えるのもいいでしょう」

「…………うむ。それは、効果的だと思うが……」

「性格の悪いやり方ですけどね」


 トウゲンは肩をすくめてみせた。


「ですが、ゼング王子は民の怒りを知るべきでしょう」

「確かにな。あの方は……人を見ていない」

「生まれつき最強だったあの方は、弱き民には興味がなかったのでしょうね」


 ゼング=タイガには、弱き者の気持ちがわからない。


 村々から食料と家畜かちくうばったのもそのためだ。

 働き手を兵士として、次々に徴用ちょうようしていったのもそうだ。


 彼は、食料や家族を奪われた民がどう思うかなど、想像もしなかったんだろう。


「あの方は人を見ていない。見ているのは予言が示す理想だ。いや……あの方が執着している人物が、ひとりだけいましたね」


 黄天芳こうてんほう

 ゼング=タイガの右腕を切り落とした人物。

 そして、トウゲン=シメイの友人。


 ゼング王子は、彼に執着しゅうちゃくしている。

 彼が戊紅族ぼこうぞくに兵を向けたのも、黄天芳に勝つためだったという話もあるほどだ。


(これから、ゼング王子はどうするでしょうか。落ち延びて再起さいきはかるか、それとも──)


 ひとりの武人として、敵との決着を望むか。

 それはトウゲンにもわからない。


「藍河国の砦に書状を送りましょう。我々の動きを伝えることで、連携が取れるように」

「うむ。それがいいだろう」

「念のため、私の私信ししん同封どうふうさせてもらいます」


 黄天芳を死なせたくない。

 ゼング=タイガが黄天芳を狙う可能性があるなら、警告すべきだろう。

 今のトウゲンにできるのは……それくらいだ。


「私が全軍を動かすような立場になれば、友を守れるのでしょうかね」

「おや、トウゲンどの。覚悟が決まったのか?」

「い、いえ、ただの独り言です。とにかく、作戦を進めましょう」


 そしてトウゲンとハイロンは書状を書き始めたのだった。




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 次回、第119話は、明日か明後日くらいに更新します。



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