長い手紙
伊藤祐真
神奈川県横浜市から福島県須賀川市への封書
消印:2019年4月6日
『拝啓 小日向ひとみ様
寒かった冬も終わり、だんだんと春らしい日が増えてきましたが、そちらはいかがお過ごしでしょうか。
なんてね。手書きの手紙なんて書いた事がないから、書き出しをネットで調べて、緊張しながらペンを動かしている。きっと今の私の姿が想像ついて、鼻で笑っているんでしょ?
でも、あなたの連絡先は消してしまった。あなたが今、地元にいると人伝てに聞いて、ご実家の住所だったらわかると思って、実家にある年賀状入れを母親に探してもらいました。
迷惑だったら、ごめんなさい。
きっと長い手紙になる。そして私からあなたに送る、最後の手紙になるでしょう。
高校を卒業してから、私達は何回顔を合わせたか、覚えていますか?
三回。三回だと、私は記憶しています。
一回目は最初のゴールデンウィーク。
あなたが、絵に描いたような五月病というかホームシックにかかって、東京ライフを謳歌していた私のアパートに突然やってきた時です。「ホームシックなら地元に戻ればいいのに」と私は笑いました。あなたは涙と鼻水でぐしゃぐしゃになったティッシュをゴミ箱に放りながら「櫻子に会いたかったんだもん」と言ってくれた事を、私は今でも夢に見ます。
高校この頃から、あなたの顔立ちが好きでした。
鼻筋は真っ直ぐ通っていて、唇は薄くても存在感があり、肌はお化粧なんかしなくても白く透き通っていました。そして、あなたの名前にもある、その大きな瞳。「きっと産まれてきた瞬間の第一印象で、事前に考えていた名前なんて吹き飛んでしまったんだろうな」なんて想像ができてしまうほどの引力が、あなたの瞳にはありました。
そんな大人びた綺麗な顔立ち。それがホームシックなんて言う、林間学校で泣いてしまう小学生みたいな可愛らしい理由でくちゃくちゃに崩れるんだと知った時、私は私の気持ちに気付いたのです。
私はあなたの事が、好きでした。
自覚したのがその時だっただけで、たぶん、高校の頃から、ずっと。
二回目にあったのは互いに社会人二年目の冬。
そう、あなたが二ヶ月もの間、私の家に転がり込んできたときの話です。
この時は大学一年生の時と私の心境も違いました。二年目も後半、目前には三年目を控えたこの時期、私は、気持ちが塞がっていくのを自覚していました。このままでは自分が、「会社員の自分」という全く知らない生物に殺されてしまう。そんな風に思っていた時、家に帰ると強制的に「プライベートの自分」に引き戻してもらえるのは、とてもありがたかったのです。
あなたはというとそんな私の思いも知らず、ただただ求人誌や漫画本をぺらぺらと捲っていましたね。あなたが私を頼ってくれている。それだけで、私は自分の人生に暖かな陽気を感じる事ができたのです。
それに、悔しいけど、もうあなたを好きと自覚した後の話です。あなたと毎日一緒に入れることがどれだけ嬉しいことか、想像できますか。
初めて二人で抱き合って眠った日。あの日は確か金曜日でした。
なにが憂鬱だったか忘れてしまいましたが(時期を考えると決算関係?)、とにかく翌週の月曜が来るのが怖くて怖くて、私は初めてあなたの前で泣いてしまいました。
うんと涙を溢す事で仕事への憂鬱が晴れていくのと同時に、「こんな姿を見せて引かれたらどうしよう」などと、当初とは違う焦りが心に浮かび始めたとき、あなたはそっと私を抱きしめて、なんて言ったか覚えてますか?
「欲求不満だったりする? 私、女も抱けるけど?」
このあまりに傲慢で、無神経で、それでいて期待を含ませる言葉に、私は耐えられなくなって吹き出してしまいました。なんで今、そんな事を言うの? って。
結局、その日はあなたに"抱かれる"ことはなかったわけだけど、あなたに提供していたソファベッドであなたと寄り添って眠りについたら、私の不安やトゲトゲとした心は、いとも簡単にどこかへ消え失せていました。
魔法のようだ。そんな風に恥ずかしげもなく思ったのを覚えています。
結局、その翌朝になって私はあなたに抱かれたわけですが、あの時、いくつかの疑問がありました。なぜ私が女性に抱かれたがっているとわかったのでしょう。そんなに欲求不満見えたか、あるいはあなたの事を物欲しそうな視線で追っていたでしょうか。だとしたら一生の不覚です。
それからの日々は、私の人生にとって忘れる事のできない日々でした。朝、目覚めるとあなたがコーヒーを入れてくれたり、のんびりとできる休みの日には横浜市街地まで出かけて大桟橋や赤レンガ倉庫を見て回りましたね。
この頃、特に印象に残っているのがあなたが急に献血に行こうといった日の事です。
あの頃の私たちは、地元の震災と自分の日常に板挟みになり、ボランティアに行く事も出来ず、関東でただ生活している事への薄い罪悪感が、胸に重しのようにのしかかっていました。最も、ふたりともそれを口にする事はありませんし、それを口にするとその重しがより重くなるのはわかりきっていました。
ですが、献血という簡単にできる社会貢献を提案してもらったのはとても救われました。実はあなたと離れてからもあの習慣は続けていて、先日二百回目の表彰までされたんですよ。
「波長が合うね」と少し口元を持ち上げるあなたの笑顔。そしてそんな風に言ってくれるあなたとの生活。私はそれが好きでした。
お肉が食べたい日、映画が観たい日、遠出はしたくないけどどうしても外には出なきゃ行けない気がする日。そして、求め合いたい夜。
私達は確かに波長が合っていたと、今でも確信できます。
結局あの生活は私の転勤というエンディングを迎えてしまいました。
今でもあなたに謝りたい。あなたを誘って転勤先に行けばよかったのではないかと、今でも後悔する時があります。
けど、あなたは自由な人だから、私がそんな申し出をしても断っていたでしょ?
とにかく、大学の時の一回目の再会も、社会人の時の二回目の再会も、あなたは急に私の生活に顔を出してきましたね。だから転勤で離れても、また「櫻子ぉ~」なんて言って会いに来てくれるのだと。勝手な、そして自信過剰な思い込みをしていたのだと思うのです。
最後に会えたのは地元、須賀川でした。
震災後、幸いにも一切の被害がなかった実家を両親があっさりと売り払ってしまったので、それ以来、私はあまり地元には帰らなくなっていました。
それにやはり思い出したくない記憶に上書きされてしまったという想いもありました。
だから須賀川での思い出はそっとしまい込もう。そして、生産が終わったお気に入りの香水みたいに、たまに取り出してはその頃の思い出に浸るだけでいいのだ。そう、そう思っていました。
そんな折りにあなたから「結婚式出てよ」という電話を受けたわけです。
あの夜の「女も抱けるけど?」と同じように、あなたの無神経さを呪いました。でもその電話にはあの夜にはあった期待なんかは含んでいません。だってあなたは永遠に誰かのものになってしまうわけでしょう?
きっと地元に帰ろうとしない私を神炊館神社の神様あたりが、罰とともに引き戻したのでしょう。
それでも数年ぶりに地元に帰ってよかった事の方が多かったです。友人にも会えたし、新しい観光資源を得た地元は活気があって、思い出したくない風景をさらに上書きしてくれました。
それに、なんと言っても、あなたが綺麗だった。それはもう、笑ってしまう位に。そんな綺麗な顔に見蕩れさせられたと思えば、照れ隠しで高砂から向けてくる変顔なんかは、一緒に暮らしていた時に私が気まぐれにカメラを向けた時にいつもしていたふざけ顔と変わらなかった。
その表情だけは、旦那さんに見せていなければいいななんて、わがままな事を思ったりしていました。
そんなはずはないのにね。
そんな三回の出来事。その三回が、あなたには思いもよらないほど、私の中で強く根付いているのです。
過去の失敗や忘れたい出来事を、真夜中に思い出しては「わーっ」って叫びだしたくなる事はない? 私はたくさんあるのだけど……(笑)
最近、その有効な対処法を教えてもらいました。「誰かに話す」とか「紙に書き出す」とかして、アウトプットすると良いんだって。
そうすると脳ミソが「これは外に出したから、覚えておかなくていいや」って判断するんだって。もちろん、すっかり忘れる事なんて出来ないんだろうけど、それでも無闇に思い出しては、深いため息をつくような回数は減る。そんな事を聞いたんです。
それに、すっかり忘れてしまうのなら、私は試さなかったでしょう。
そう、この手紙が、私にとってのそれなのです。
もちろん、嫌な思い出って訳じゃない。
かけがえのない、甘くて、胸焼けしそうな程の、大切な記憶です。
けど、仕事で上司に怒られている時とか、急に人肌恋しくなった夜とか、献血をしている時とか、ウェディングドレスとタキシードをテレビや雑誌で見かけた時とか、そういう日常のふとした瞬間にあなたの事を思い出すわけ。
その度に落ち込んだり、ドキドキしたり、後悔したり、恋人ほしいなって思ったり、やっぱりいいかなって思ったり。あなたはあの熊みたいな旦那さんと幸せにしているのかなと考えたり、今度はそれでため息をついてみたり。
そんな風にしている時間が、年々増えていて、さすがにちょっと困っていたの。
良い思い出も、度が過ぎると毒。
そんな時にこの方法を教えてもらって、試してみる事にした。
なんて迷惑で、なんてキモい話でしょうか。いやね、自分でもそう思うの。
紙に書き出せば良いのなら、この手紙はあなたに読んでもらう必要はないはずです。
むしろ、これをポストの投函口に差し込んで、封筒が指から離れたその瞬間から、それが後悔として残るような気がする。
でも、あなたなら笑って済ませてくれる気もするし、二ヶ月の家賃も食費ももらってないし、これくらいは許してね!笑
そう、家賃で思い出した! 住所見てよ!
私、あなたと離れるキッカケになった転勤の後、さらに神戸に転勤して(結婚式の時の芳名帳にはこの時の住所を書いたと思う)、もう一度横浜に戻ったの。
物件を探していたら、偶然あなたと暮らしていた時と同じ部屋が空いていたから、今はまた、あの部屋に住んでるの。すごくない!?
……まてよ? これもキモい? なんか未練がましい? そんなんじゃなくて「ねぇ聞いてよ」って話として書いただけ!
さて。堅苦しい文章が、適度なびっくりマークとかで和らいだところで、そろそろ筆を置こうかな。
最初の宣言通り、本当に長い手紙になった。なんか、本当に満足しちゃった。
ここまで読んでくれて、ありがとう。
どうか、身体に気をつけて。旦那さんと、お幸せに。
これできっと、すっきりと新しい道を歩めると思っている田村櫻子より』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます