「意味? 意味ですか?」

 質問されたリリアーヌは相手の意図がわからなかったのか、質問で返事をした。

「意味……そうですね……悪役令嬢とは」

 マノンは隣に立つリリアーヌに「余計なことは言わないように」と視線を送ったが、ジルベール王子に話しかけられたという事実で頭がいっぱいになっているリリアーヌは気づいている様子がない。

「マノン様のようにご自身の意見をはっきりと言葉にされる格好いい令嬢のことです!」

 かなり違う、とジルベール以外のその場にいた者たちは心の中で叫んだが、誰も訂正する勇気はなかった。

 ジルベールは『悪役令嬢』なるものがどのような存在かまったく知らなかったらしく、『悪役』という単語からは想像しなかったリリアーヌの回答に「そうか」と納得した様子で頷いた。

「そ、そういえばジルベール様は小説のような物語は読まない方でしたわね」

 マノンがこそっとレオに確認すると、レオも表情は変えず黙って頷く。

「リリアーヌ嬢も言葉の意味を取り違えているようですね。さきほどは友人関係にあるとお伺いしましたが」

「わたくしは友人だと思っています。リリアーヌはわたくしの弟子になったと自称しているのです。お互いの関係性について、意見の一致が必要だとおっしゃるの? お互いが友人同士であると認識していなければ、付き合うべきではないと?」

「いえ、そのようなことはございません」

 マノンとレオがこそこそと喋っていると、ジルベールが視線をマノンに向けた。

「マノン」

 落ち着いた低い声でジルベールが婚約者の名を呼ぶ。

「はい」

 すぐさまマノンはレオとの会話を打ち切った。

「面白い友人ができたようだな」

「えぇ。ジルベール様ならそうおっしゃっていただけると思っていましたわ」

 作り笑いを浮かべてマノンは答える。

 ひとまずリリアーヌは茶話会に同席することを許されたようだ、とマノンは判断した。

 侍従と侍女たちはマノンとリリアーヌに居間の窓際に置かれた椅子を勧めた。

 大きな円卓の周りを囲むように、椅子が三脚並んでいる。

 いつもは二脚しか用意されていないのだが、リリアーヌが悪役令嬢云々の説明をしている間に侍従が運んできてくれたようだ。

 茶器も三人分が用意された。

「トネール伯爵令嬢はレオ殿の兄君ピエリック殿と婚約されてますの」

 侍女が茶を配ってくれたので、まずはその香りを楽しみながらマノンは話し始めた。

 今日は紅茶のようだが、柘榴のような深みのある赤黒い茶が白い磁器に映えている。

 初めて飲む紅茶だ、と考えながら、マノンはほど良い温度の紅茶に口を付けた。

 ちらりと横目でリリアーヌの様子を確認すると、緊張した面持ちで紅茶を飲もうとしている。さきほどよりはすこしだけ落ち着いたようだが、今度は自分の『悪役令嬢の弟子』発言を恥じているのか顔を紅潮させていた。

「あぁ、ピエリック・フルミリエか。確かいまは近衛隊隊士だな」

 さらりとジルベールの口からピエリック・フルミリエの職名が出てきたことに、マノンは少々驚いた。いくらピエリック・フルミリエが自分の侍従の兄だからといって、侍従の家族構成すべてがジルベールの頭に入っているものではないはずだ。

「そうなんですか。それは存じ上げませんでしたわ」

 さすがジルベール様、とマノンが呟くと、ジルベールの口角がかすかに上がる。

「それで、トネール伯爵令嬢はなぜマノンの弟子になりたいと考えたのか聞かせて貰っても良いかな」

 リリアーヌの存在が気に入ったのか、珍しくジルベールが自分から積極的に話しかけた。

 これにはマノンだけではなく、侍従や侍女たちも驚いた。

 寡黙なジルベールは、自分から誰かに話しかけることがほとんどない。もちろん侍従や侍女に用事を頼むことはあるが、必要最低限の言葉しか発しない。

 婚約者であるマノンとも、ほとんど話はしない。

 茶話会で喋っているのはもっぱらマノンだし、話を聞くのが苦手というわけではないらしいジルベールは真面目に話を聞きながら相づちを打っているが、自分から質問して会話を盛り上げようとはしない。マノンの話に興味がないわけではないらしいが、積極性に欠けるところが大いにあった。

 そのジルベールが、初めて会ったリリアーヌに会話を振ったのだ。

 マノンと侍従と侍女たちにすれば、天変地異に近い出来事だった。

「弟子というのは言葉のあやですわ、ジルベール様」

 本気でリリアーヌが悪役令嬢の弟子だと思われてはかなわないとマノンは訂正したが、ジルベールは「ふうん」と軽く受け流した。

「マノン様はわたしの憧れです! 特に、ジルベール殿下と並んで歩かれるお姿が凜としていてとても麗しいのです! そして、ジルベール殿下に話しかけてくる他のご令嬢たちを手際よく排除し、ジルベール殿下をお守りする姿は拝見しているだけで眼福です!」

「なるほど」

「……なるほどって、なんですか、それ」

 思わずマノンはジルベールの相づちに茶々を入れたが、なぜか侍女たちはうんうんと力強く頷いて同意を示している。

「トネール伯爵令嬢は、マノンの素晴らしさを正しく認識できているのだな」

 腕組みをしたジルベールは、満足げに答えた。ただ、表情はほとんど変わっていない。

「はぁ?」

 マノンはまったく理解できないといった表情でジルベールとリリアーヌを交互に見遣る。

「マノンはよく周囲から誤解されていると常々思っていたところだ」

「誤解、ですか?」

「まず、貴女が私の交友関係に口を挟みすぎるとか」

 園遊会や舞踏会でジルベールに話しかけてくる令嬢たちを追い払ったことを示しているのだろう、とマノンは察した。

「貴女の態度は私に対して敬意がないとか」

 園遊会や舞踏会でマノンが率先してジルベールに踊りましょうだの休憩しましょうだのと言うことを示しているのだろう、とマノンは解釈した。

「貴女は自分だけ喋って私に喋らせないとか」

「わたくしとしては、いまのようにジルベール様が好きなだけ喋ってくださってかまわないのですよ?」

 ジルベールとの間に会話がないと周囲が心配するので、マノンがひたすら喋っているだけだ。別にジルベールの口を封じているわけではない。

「私は、貴女の話を聞くのが好きなんだ」

「――――――そうですか」

 だから侍従や侍女たちはマノンになんとか喋らせようとするのか、とマノンは納得した。

 ジルベールが自分の話を喜んで聞いていると知ったのは、いまが初めてだが、マノンは侍従と侍女たちの生暖かい視線を感じていささか恥ずかしくなった。

「トネール伯爵令嬢は、マノンが私の婚約者としてどれほど献身的に尽くしてくれているかを正確に理解してくれているようだ。ぜひ、トネール伯爵令嬢の目には私たちがどのように見えているのか、もっとたくさん話を聞かせて欲しい」

「なんでですか!? これ以上なにも聞かなくていいです!」

 思わずマノンは声を荒らげたが、一介の伯爵令嬢であるリリアーヌが王子の頼みを拒否できるわけがない。

 結局その後、リリアーヌは園遊会や舞踏会で見かけたジルベールとマノンのふたりがどのように見えているかという話を延々と饒舌に語った。

 おかげでマノンは紅茶と菓子をゆっくりと食することができたが、まったく味がわからなかったことは言う迄もない。

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