第30話 合意2
フィリップと元子の会見の少し前、囚われの和摩淨雲は拷問にかけられていた。
「いい加減はけ!はけば楽になれるぞ、お前はいったい何者なのか?」
ヨーロッパの王朝で長らく培われてきた、あらゆる拷問が和摩淨雲の体で試されていた。
拷問する側も手慣れた物で、死なない程度の手加減をしていた。だが、それとて通常の人間であれば、発狂してもおかしくない痛みと苦しさであったはずだが、淨雲は涼しい顔で臨んでいた。
その時だった。城郭の外で車のクラクションが鳴った。城郭の地下にある牢で淨雲はその音を聞き取った。常人にはとても聞き取れるような音量ではなかった。隣室の針が落ちる音を聞き取れるほど研ぎ澄まされた聴覚を手に入れた者にのみ可能な事だった。
「やれやれ、迎えが来たか」
そう言うとあくびを一つついた。
「私は無痛症でね。痛みを感じないんだよ。つまり拷問は効かない。そして痛みがないから無理な体位も難なくとれる」
淨雲はそういいつつ、関節を外し、難なく身を椅子に縛り付けていたロープから抜け出した。その淨雲に牢番は襲いかかったが、淨雲の敵ではなく、一発の当て身であえなく昏倒していた。
「助けに来るまでもなかったな」
悠々と城郭を抜け出した淨雲を迎えた真風はそうつぶやいた。
「そうでもないですよ。少なくとも肋骨2~3本は折れてますし、指の爪も全て剥がされました。入院コースですよ」
と、淨雲はけろっと返した。
十分後、淨雲脱走の報はオーブリオン家に伝えられることになる。
この直後にフィリップと元子の会談が行われたのである。
オーブリオン家の帰り道、元子は帯刀にフィリップからの申し入れをどう伝えようか考えあぐねていた。言われたことをそのまま素直に伝えるべきか、それとも元子の推測を入れて伝えるべきか、をである。
経営者である自分が知りたいのは会社の正しい実体である。嘘やごまかし、数字の目くらましをされた報告では会社の実情を把握することはできず、結果会社が進むべき道を誤ることになる。そういう点で見れば、ありのままを伝えるのが筋だった。
ただ能力の低い経営者には例え推測であっても道を示した方が良い場合もある。
正直なところ元子はまだ帯刀の力を信頼するまでに至っていなかった。誠実で仲間思いの人物であることはわかる。
だが人格と能力は別物である。特に前任の明石の能力が高かっただけに、より強く感じるのだった。結論としては、真風のいる前で三人で合議する、ということとした。
三人寄れば文殊の知恵、それである。
だが、帯刀の力不足は亡き明石の危惧していたことでもあった。そして黒葉真風というブレーンがつくことで、その弱点を補える事も想定していたことであった。
そこに、元子が加わる。それこそ、まさに三人寄れば文殊の知恵という発想は全く正しいと言えた。そして生前の明石の試みは着実に実を結びかけていたのである。
帯刀と元子に意見を求められた真風は熟考した。まず自分がこの問題に口を出して良いのか、というところからだった。真風とて諜報部隊員の生活を守ると言う点では経営者と言って良かったが、同じ経営者と言っても冷泉院財閥とは規模が違いすぎる。
加えて真風は現場の指揮官としての側面が強かった。どちらかと言えば帯刀に近い思考を持っていた。
そこで元子に対して、こと経営に関して意見を言うことなどできようはずがなかった。
だから言葉を選び、二人に比べ自分の方が秀でている点で意見できることだけを答えることにした。すなわち心理戦、である。
「今のお話だけでは言い切る自信はないのですが、私が思うに、オーブリオンの当主はあまり細かいことは気にしていないのではないでしょうか」
真風の言い方は慎重を期した。
「おそらく彼は、そして元子様も同じだと思いますが、下から上がってくる数字だけを見て経営状態を判断しているのではないでしょうか。であるならば、一人一人の兵の気持ちに気が回るはずがございませんし、命令の最下層がどのように実行されているかなど興味もないでしょう」
ここで一度言葉を切った。
「私たちは少なからず彼らのメンバーを殺していますし、私たちの仲間も死んでいます。兵の気持ちを考えれば迂闊に手を組むのはどうかと」
さらにここで間を置いた。
「敵は共通だと言うことですが、それが本当なのか確認する必要がありますし、仮に共同戦線を張ることになったとしても我々には兵器がありません。資金もないかもしれませんが、我々には準備をする時間もありませんね」
それ以上は言わなかった。ここから先の判断は真風がすることではない。できることではない。百目の指針は帯刀が、冷泉院財閥の経営は元子が決断することだった。
「私の部下、いえ仲間はあなた方の判断に従います。陰の仕事に従事せざるを得ず、日々生きることに精一杯、時には雇い主に裏切られることもあった私どもに常にいられる場所を提供してもらったことには感謝しかないないのです。私に言えるのはそこまでです」
その言葉を最後に真風は沈黙した。
帯刀は逡巡した。目先の必要な資金を得るか、未来を鑑み石切場の賢人とは手を組まないか、をである。だが、冷静に考えれば、さらに先を考えるならば、敵の強力さを考えるならば、そして新たに出現した問題を考えるならば、手を組むのは悪い策ではない。
いや、その選択しかないのではないか、と思われる。
熟慮のしどころだった。それは元子も同じだった。戦後の混乱を終えつつある時期とはいえ、未だ日本経済は安定せず、世界の大企業と張り合おうとすれば資金は潤沢にあるに越したことはなく、全てではないにしろ百目の運営資金を負担している冷泉院にとって、その資金が浮けば、財閥がどれだけ大きな事ができるか、社員に還元できるか計り知れなかった。ただし帯刀も元子も気がかりだったのは真風が指摘した、「兵の気持ち」の問題だった。
帯刀とて長崎で婚約者と両親を失い、米兵とともに戦うことには抵抗があった。
長である帯刀でさえこうである。つい最近まで殺しあいをしていた兵に今日から彼らは味方だ、などと言って受け入れられるかどうか。昨日の敵を今日の友とできるかどうか。
その決めかねる悩みに答えを出したのは元子だった。
「冷泉院財閥は株の売却は致しません。これは私のわがままです。昨日まで敵だった相手の軍門に降るのはやはりプライドが許しません」
帯刀は元子が冷静な判断をしているとは思わなかった。どう考えても企業としては株を譲り渡し、資金援助を受けた方が良いはずだった。しかしそれを断り自主独立の道を歩むという。なにより帯刀が気に入ったのはプライドが許さないという一言だった。
「よくわかった。オーブリオンとの資本提携の話は無しだ。ただし、軍事行動は別だ。
彼らと共に戦える点があれば手を結ぶ。それまでは休戦だ。それを合意案として提示する」
数日後再び帯刀、元子とオーブリオンとの会見は行われた。百目側からの提案をあらかじめ予想していたようにフィリップ・オーブリオンは何の反論もせず同意した。
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