第5話 赤き血染めのかけ流し

 風歌は笑みを浮かべながらも眉をひそめ、一つ足を引いた。


 「けど困ったな……これはちょっと、ピンチかも」


 風歌が持ち歩いている刀『泣鴉』は部屋に置いたまま。

 風呂場に武器を持ち込まないようにしているせいで、今の彼女は丸腰だ。

 対するブロンドの女忍……アイリーンは手裏剣に忍者刀を装備している。

 不利なのは明白だ。


 「さっき着物を買ったでしょ。あなたを相手したのは店員ではなく、『灯治衆』の忍よ。そこからずっと追跡させてもらったの。隙を見せるまでね」

 「げ、あのおばあちゃん忍だったの……」


 何処か裏切られたような気分でショックを受けるが、今はそんなことを考えている場合ではない。

 忍者刀を振り上げ、アイリーンが足を踏み込んだ。


 「わぁっ!?」


 滑りながら放たれた横薙ぎ一閃を、側方に転がって回避する。

 すぐ隣を刃物が通り抜けていく感覚に、風歌の肌は久々に命の危険を感じ取った。


 立ち上がろうとした所に手裏剣を放たれ、さらなる回避を強要されてしまう。

 追撃の刀を這うように避け、シャワールームへと走った。


 シャワールームは浴場の端。アイリーンは風歌を追い詰める形となる。

 

 加えて、アイリーンの背後に4つの影が降り立った。

 紫色の忍装束を纏った4人……『灯治衆』の女忍達である。


 「やっぱり一人じゃなかったか。一人じゃ何もできない忍らしい」

 「備えあればうれいなし、って言うでしょ? たとえ相手が丸腰の少女だろうと、予防線は怠らないのが忍なのよ」

 

 アイリーンが目を細めてそう言ったと同時に、計5方向から手裏剣が飛んできた。

 風歌はシャワールームの棚に置いてある風呂桶を掴んで素早く構え、飛んできた手裏剣を受け止める。

 鋭利な刃が5つ、軽快な音と共に木桶の底へ突き刺さった。


 風歌は風呂桶を持ったまま前へ飛び出し、一人の忍に接近する。

 滑りながら上半身を反らして、放たれた刀を回避しつつその手を掴んだ。


 忍が抵抗するよりも速い掌底を顔面に放ち、そのまま腹部に前蹴りをお見舞いする。

 後方へ吹き飛ぼうとした忍の体だったが、風歌の掴んでいた手首に食い止められゴキリと鈍い音が鳴った。

 

 「ぐうッ!?」


 手首を脱臼した忍から忍者刀を取り上げると、もう一度その腹部に足を押し込んでアイリーン達の所へ突き飛ばす。

 重傷の仲間を押し付けられてバランスを崩した忍の一人が顔を上げると、その額に手裏剣が突き刺さった。


 「あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"ァァッ……!!!」


 忍装束に身を包んでいてもはっきり分かるほど苦痛に顔を歪めた女忍が叫び、のたうち回る。


 「おぉ~! いいね、これ」


 風歌は風呂桶から引き抜いた手裏剣と忍者刀とを見比べながら、感心の声を上げた。

 僅かな間に2人の忍を仕留め、武器まで獲得した風歌のポテンシャルに動揺したアイリーン達は、僅かに後ずさりする。

 風歌はそこを見逃さなかった。


 「はあッ!」


 大きく足を踏み込み、忍者刀を二振り往復させて手裏剣を弾く。

 そのまま距離を詰め、忍の一人に下からの斬り上げを放った。

 忍が風歌の斬撃を受け止めると、その背後をアイリーンの刀が襲う。


 「もうっ!」


 風歌は鬱陶しそうに半身になって回避し、続くもう一人の刀を弾いた。

 息もつかせぬ3人の連携攻撃を、風歌は後ろに下がりながら捌いていく。


 忍の一人が放った攻撃を弾いた所で、風歌が反撃を開始した。

 姿勢を低くして忍の脇を潜り抜け、背後へ回り込む。

 

 危険を察知した忍は跳んでその場を離れようとするが、風歌は狙いすましたように弧を描くような斜め上への斬撃を放っていた。

 空中で脹脛ふくらはぎの肉が裂け、鮮血が雨のように撒き散らされる。


 「ぐう!?」


 バランスを崩して床へ落ちる忍など見向きもせず、風歌は次なる忍に襲いかかった。

 繰り出される嵐のような刀捌きは、忍が全力で防御しているにも関わらず易々やすやすと表皮を切り刻んでいく。


 刀を弾いた所で側頭部に蹴りを放ち、頭蓋を砕くような威力で吹き飛ばした。


 「だぁっ!」


 アイリーンが横一文字の斬撃を行うも、風歌は当然のように刀を立てて受け止める。

 だがアイリーンは、そうなることを予想していた。

 刀から手を離し、思い切り前へ足を踏み込む。


 姿勢を低くして潜り込み、脇を締めて両手を開き。

 風歌の腹部へ、掌底を放った。


 「がっ……!?」


 風歌の体はくの字に折れて後方へ吹き飛び、背後にあった浴場の入口に激突する。

 入口が硬質な破砕音を立てて爆砕しながら、静かな煙を撒き散らした。


 「はぁ、はぁ……」

 

 風歌は出てこない。

 もくもくと外へ出ていく浴場の湯気を睨みながら、アイリーンは一息をつく。

 だがその一息が終わった時、入口を睨んでいた彼女の表情は絶望へと変化した。


 「今のはちょっとびっくりしたな」


 入口へ吸い込まれていく湯気の流れに逆らって、風歌が堂々と姿を現したのである。

 攻撃を食らった腹部を軽く押さえてはいるものの、反対側の手にはいつの間にかコーヒー牛乳の瓶が握られており、彼女は呑気にそれを口にしていた。

 眉を少し下げながら、風歌は申し訳なさそうにえへへと笑う。


 「喉乾いちゃってさ。誰もいなかったし、取ってきたの」

 「化け物め……!」


 残ったのはアイリーン1人で、全力の一撃も大して通じなかった。

 武器を手にした風歌を止めることは、もはや不可能である。


 逃げるしかない。


 そう判断したアイリーンは、巻いていたタオルの陰から小さな球体を取り出した。

 そのまま地面へ叩きつけると、割れた球体から激しい煙が噴き出し始める。

 『煙玉』だ。


 煙に紛れた状態で、アイリーンは撤退すべく浴場の外囲いへと走り出す。

 だがそんな彼女の背中に、鋭い殺意が迫った。


 「ちっ!」


 直前で気付いたアイリーンは振り返って刀を構え、煙の中から飛んできた手裏剣を弾く。

 だがその行為こそが、彼女の命取りだった。


 姿勢を戻そうと踏み込んだ所で足が宙返りをし、視界が反転したのである。

 風歌はアイリーンに向かって瓶を投げただけでなく、続けて石鹸を滑らせていたのだ。

 バランスを崩したところに滑り込んできた石鹸を踏んでしまい、アイリーンは盛大に転倒してしまったのである。


 「くそっ……お"お"!?」


 急いで立ち上がろうとしたアイリーンの腹部に、風歌が刀を突き刺した。

 凄まじい勢いで溢れてくる血液が、彼女の心拍を物語っている。

 刀を引き抜くとさらに血が溢れ、アイリーンの体は完全に力を失って静かになった。

 アイリーンの体を包むタオルが赤く染まっていく様子を見た風歌は、軽くため息を吐く。


 「あーあ、すっかり湯冷めしちゃった。もう1回入り直そうかな?」


 風歌はそう言いながら忍達の死体を一瞥した後、再びシャワールームへと足を進めた。



 

 風歌はほかほかになった身体を浴衣で包み、髪を乾かしたあと自販機で夕飯のおにぎりと緑茶を買ってから自室に戻る。


「あっ!?」


 部屋内で起きていた異変に、彼女は即座に気が付いた。

 壁に立てかけてあった『泣鴉』が、無くなっていたのである。


 恐らく先の忍が侵入し、盗んでいったのだろう。


「マジか~……」


 残っているのは、浴場から持ち帰ってきた忍者刀と数枚の手裏剣のみ。

 この忍者刀は無銘ゆえ『泣鴉』に比べて圧倒的に使い勝手が劣る。

 だが、盗まれてしまったものは仕方がない。


 幸い着物は盗まれていなかったので良しとしよう。風歌は頷きながらそう自分に言い聞かせて胡坐あぐらをかき、夕食のおにぎりを食べ始めた。


 


 日はすっかり落ち、閉じたカーテンの隙間から三日月が覗いている。

 風歌は浴衣を揺らして窓際に立つと、カーテンを開けて外を見た。


 「おお~」


 窓の外に見えるのは、この旅館の裏側に造られた大きな庭園。

 青白い月明かりに照らされて、木々が静かにさざめいていた。

 池には錦鯉の夫婦が優雅な泳ぎを見せており、二匹ふたりだけの空間を満喫している。

 その様子を見た風歌は、頭を傾けて静かに微笑んだ。


 「ふふ、いいなぁ」

 

 ずっとこうして、のんびり過ごしていたい。


 そのためには愛刀を取り戻し、『六牙将』を倒さねば。


 「よーし、明日も頑張ろっと」


 脇を締めて拳を握り、風歌は元気にそう呟いた。






 朝が来た。

 布団の上でだらしなく寝ていた風歌は目を覚ますと、軽くはだけていた浴衣を直しつつ上半身を起き上がらせる。

 備え付けのデジタル時計を確認すると、よく寝た感覚だったにも関わらずまだ早いくらいの時間帯だった。


 「ん……」


 大きな伸びをした風歌はゆっくりと立ち上がり、昨日購入した着物を取り出す。

 適当に結んでいた腰紐を外して浴衣を脱ぎ、靴下を履いて長襦袢を纏い着物を着た。


 帯を締めて忍者刀を差し、汚れている橙の着物を箱に詰めて支度を完了する。

 部屋を後にし、誰もいない廊下を抜けて旅館の出口を通った。




 それまで清々しい色をしていた風歌の表情は、旅館の外で待っていた光景を見て一気に固くなる。

 旅館の前を通っている道路に、明らかに異質な存在が立っていたからだ。


 彩度の高い赤の日本甲冑を纏い、兜の下に鬼の仮面を装着している大男。

 同じく鎧を着た赤毛のばん馬にまたがっており、その手には彼の身長を越えるほど巨大な薙刀なぎなたが握られていた。


 旅館から姿を見せた風歌に気付くと、大男は馬に乗ったまま彼女へ声を掛ける。


 「ようやく現れたか。明け方より、待っておったぞ」


 その野太さと鋭さの混じった声を聞いた風歌の背中から、一気に冷や汗が滲み出た。

 風歌はこの男を知っている。

 巨大な薙刀を持ち、赤毛のばん馬に跨った甲冑姿の大男。


 「『薙ぎ赤鬼』……!!」


 そう。

 彼の名は『薙ぎ赤鬼』こと大関おおせき 重松しげまつ

 

 警察機関最高峰の戦力『六牙将』の一人である。

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