第47話 俺が次期男爵と呼ばれていた頃 2
彼女と別れた後、侯爵の部屋に出向き話し合って、気づけば数時間が経っていた。
神殿について聖女について、侯爵から聞き出せることは、今全部聞いておきたかった。情報を整理したい。それでわかったことは、全部ラビに伝えるつもりだった。
「もうこんな時間か……」
「すみません、話し込んでしまって」
「いや、構わない。また午後も来るといい」
さっき朝食を摂ったばかりなのに、もう昼の時間だ。
ラビと二人で部屋で食べようと思いながら離れへ歩いていると、声を掛けられた。
「ギルバート様」
「……何だ」
チャールズ。
思わずげんなりした。こいつの顔なんて見たくない。じっと睨み付けるようにこちらを見る男に、俺は苛々と舌打ちした。
「何の用だ。用件があるならさっさと言え。お前と話している暇はない」
「では単刀直入にお聞きします。……ギルバート様は、グレイス様に並々ならぬものを抱いていらっしゃるようですが」
「グレイスじゃない、ラビだ」
「失礼しました。ラビ様は聖女様であらせられます。これからは我々と神殿が、あの御方をお守りする。くれぐれも、身の程を弁えぬようなことはなさいませんよう」
喧嘩を売っているのか、こいつ。
侯爵と話している時もずっと、訝しそうに俺を見ていた。俺のことが心底気に食わないんだろう。それは正直初対面の時から感じていたが、ラビがグレイスの生まれ変わりだと判明してからはあからさまになった。
「使用人の分際で、俺に指図か? 偉いものだな」
「僕はただあの御方の身を案じているだけです」
「要らぬ世話だ。お前が仕えているのはシャーロット嬢ではなかったか? お前は彼女の世話だけしていれば――――」
「俺は、あの御方に生涯尽くすと決めています。まさか生まれ変わっておいでだったなど思いもしませんでしたが、そうとわかればこの命はラビ様のために使います。神官として、生涯あの御方の傍でお仕えする。シャーロット様に仕え続けるつもりは毛頭ございません。侯爵家を出て行くのも致し方のないことです」
傍に仕える? 聖女になったラビに?
神官になるには小難しい試験やら見習いの期間やらが必要だろう。この男が知らない訳はないだろうが……いや、ずっと聖女の力について嗅ぎ回っていたこいつのことだ、神官に関する勉強も習得済みか? 神官長にも顔が利くって可能性は充分ありうる。となると、俺よりずっと先をいっているということか。
「お前のようなストーカー気質は嫌われるだけだ。即刻身をひくことをお勧めする」
「身をひくのは貴方の方でしょう。一体何を考えておいでで? まさか、先程神殿についてあれこれ聞いていたのも、彼女を思いとどまらせようとしているのでは?」
「俺はラビの幸せを考えているだけだ」
「貴方の考えるそれが、本当に正しいとは限らない」
「それは貴様も同じだろうが」
不毛なやり取りに辟易した。こんなことをしている暇などないのに、くだらない。
それとも、こいつも焦っているのか? 俺はラビの一番近くにいた。彼女の全てを知っている訳じゃないが、少なくともこの屋敷に来てからのラビのことなら、多分誰よりもよく知っている。
そう思えば愉快な気分になった。俺よりずっと年上のこの男は、俺に嫉妬し焦っている。情けない、取るに足らない男じゃないか。
「お前、好いていたんだろう、グレイスを」
俺の言葉に、チャールズはピクリと眉を上げた。
図星か。だろうな。
「それこそ身の程を弁えたらどうだ。彼女を守ることもできなかったくせに、今更しゃしゃり出てくるな」
俺はそう言い捨て、離れへ向かった。
歩いて行くうち、愉快だった気分は徐々に消えていきやがて酷い苛立ちが残った。――――ガキはどっちだ。わざわざあいつの傷を抉る言動を取ってどうする。何の意味もない行為だ、馬鹿らしい。
だがどうしたって冷静でいられる訳もない。
こっちは3年、大人になるのを待って待って待ち続けて、毎日子ども扱い弟扱いされるのを耐えて耐えて耐えて3年、ようやく結婚のできる年齢になって、満を持して彼女に告白した。彼女も、まんざらでもないのではないかと、淡い期待も抱いた。
なのに、彼女は俺の手の届かない場所に行こうとしている。
こんな状況で冷静でいろと言う方が無理な話だろ。
ラビの部屋の前まで来て、俺は一つ呼吸を整えてから、扉をノックした。
「ラビ、俺だ。少し話したいことがある。いいか」
返事はない。
いないのか、それとも眠っているのか。もしかしたら図書室だろうか? 心を落ち着かせるために本を読んでいるとか? あり得る。
そう思って一旦図書室に向かったが、そこにも彼女はいない。何かおかしいと思って離れを隈なく――彼女の部屋以外は――探したが、どこにもいない。
胸騒ぎがした。
部屋で寝ているのかもしれない。そうも思ったが、どうしても嫌な予感は消えてくれない。
侯爵が刺されたばかりだ。何が起きるかわからない。
俺はもう一度ラビの部屋の前まで来て、荒々しく扉を叩いた。
「寝ているならすまん。ラビ! いるなら返事をしてくれ!!」
返事は、ない。ドアノブを回すと、鍵は掛かっていなかった。
「ラビ……?」
そこに彼女の姿はなかった。ただ窓が開いて、ひらひらとカーテンが揺らめいているだけ。
ラビはどこにもいなかった。
消えてしまった。この数時間の間に。
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