第19話 あたしが解放奴隷と呼ばれていた頃 16
病院中に激震が走った。
ほとんどの医者が昨晩のギルバートの容態を知っていたということもあって、急いで病室を訪れた医者たちは代わる代わる彼を診察し
『ほ、本当に、一晩で治ってしまったようで……あ、あり得ない。こんなことは……まずあり得ません』
誰もが驚愕、呆然としていた。
『か、完治の原因を探りましょう! これは今後の医療の発展のためにも――――』
『必要ない。役立たずの医者はさっさと消えろ』
『しかし――――』
『僕が消えろと言ったんだ。さっさと消えろ。何度も言わせるな』
医者に対して敵意剥き出しのギルバート君。
彼は呆然とする家族に向けても、冷ややかな視線を向けた。
『残念そうですね、父上、母上』
『………………』
『葬儀の準備までしてくださっていたというのに。参列者にはもう連絡したんですか? 僕が挨拶しましょうか? この通りすっかり治りました、と。皆様もその方が安心なさるのでは?』
男爵は何も言わず、黙って病室を出て行った。男爵夫人も、二人の兄もそれに続く。廊下で何か言い争うような声が聞こえてきたけれど、何を言っているかはわからなかった。
『ふん、あいつらの顔、最高だったな。どいつもこいつも馬鹿丸出しで。そんなに僕が生きているのが不都合か』
ギルバートはそう吐き捨てると、あたしに甘えるような柔らかな表情を向けた。
『腹が減った。林檎をくすねてきてくれ、ラビ』
――――――――
――――――――――――――――
病院は嫌いだと翌日には退院を決めてしまったギルバートは、ご機嫌で屋敷に戻った。――――もちろん、あの離れだ。
若干ショックだったのは、あたしの容姿について誰も何も反応しなかったこと。
皆ギルバートの全快振りには驚愕していたのに、あたしの髪色が薄くなったこととか目が青っぽくなったこととか顔かたちが若干変わったこととか、明らかにおかしいのに何も突っ込まない。
ギルバートの方に驚きすぎてあたしの変化にまで反応していられないのかもしれないけど、ちょっとくらい何か言ってくれてもいいんじゃない? 一応同僚だろ? もしかして皆あたしの顔ちゃんと見たことないとか? あたしってそんなに影薄かったのか?
「怪しまれなかったなら別にいいだろ」
「まあそうかもしれませんけど~」
「仲良い奴がいないんだな」
「ギルだってどうせいないでしょうが」
「煩い」
案外そんなに変わってないのかとも思ったけれど、鏡を見るとやっぱり明らかに変わっている。
どちらかと言うとグレイス・エイデン似の、見慣れない顔の女がこちらを見返してくる。
「はあ……ま、顔なんて別に何だって良いですけどね。髪も……染め直すのも面倒臭いし」
「その顔もなかなかいいと思うぞ? 人相の悪さが緩和された」
「あたしそんな人相悪かったですー?」
あたしはやれやれとベッドの上に座った。
あの日血で汚れたはずのシーツは、いつの間にか交換されている。綺麗なまっさらな新品のシーツは、つるつるしてて気持ちがいい。
誰もギルバートの生還を信じていなかっただろうに、ちゃんと交換されていたことは意外どころの話じゃなかった。
それとも、ギルバートがいなくなれば、ここは別の何かに使われる予定だったんだろうか? 来客滞在用とか。
「ギルはこれからどうするんです? この離れで暮らすんですか? それとも本邸にお戻りに?」
「ここがいい。メイドがわんさかいるような場所は騒がしいだろ。図書室もデカイし使い慣れているし、僕はここで暮らし続ける。……あの父親の近くにもいたくない」
「どうでしょ。あっちが一緒に暮らしたがるかもしれませんよ?」
あたしがそう言うと、ギルバートは小さく噴き出した。
「それはないだろ。また病気が再発するかもしれないと怯えているさ。僕の顔を見るのも嫌だろう」
「そうですかねえ……」
「そうに決まってる。お前もあいつの近くには寄るなよ。目をつけられてるだろ。……いや、お前の容姿にも結局何にも言わなかったし、もう忘れているかもしれないが……とにかくあいつには近づくな」
「……あたしは、ここにいてもいいんですかね?」
あたしの言葉に、ギルバートは目を丸くした。
「当たり前だろ。お前は僕の専属メイドだ」
「……ギルバートだって、元気になったらあたしをクビにしてやるー、とか言ってませんでした?」
「そんなこと言ったか? 覚えてない」
「言ったと思いますけどねえ……」
「お前は僕の専属メイドだ。この屋敷に出入りしていいのは、お前だけ。僕を世話していいのも、お前だけだ。わかったな」
驚いた。
どうやらギルバートは、他にメイドを一切増やさず、あたしに自分の世話及び屋敷の管理を任せて馬車馬の如く働かせるつもりらしい。とんだブラックご主人様である。
「それ、男爵様が許すかわかりませんよ?」
「あいつの許しなんて要らない。何も口出しできないくらい、僕があいつにとって利用価値のある存在になればいいだけの話だ。それで……」
ギルバートはすとん、とあたしの隣に座った。
それから、真っ直ぐな黄金色の瞳をあたしに向ける。
「それで、僕がお前を守ってやるから」
あまりに真っ直ぐな目に真っ直ぐな言葉だった。あたしはすぐに返せなかった。言葉に詰まって、視線を逸らした。
「どうした? ……なんだ? まさか照れてるのか?」
「はあ? な、何言ってんですか? あたしがギルみたいなお子ちゃまに照れる訳ないでしょ」
「だッ、誰がお子ちゃまだ! 二つ三つしか離れてないだろ! 多分!」
「あたしからしたら充分お子ちゃまですよ、お子ちゃま! 口説くならもっと大人になってからにしてくださいね~、お子ちゃまちゃん!」
あたしはそう言いながら、逃げるように部屋を出た。
鏡を見ると、顔が林檎みたいに真っ赤になっている。あたしはぎょっとして、何度も何度も冷たい水で顔を洗った。
その日から、あたしはギルバートの、正式で、専属の、ただ一人のメイドになった。
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