東京チェーンソー大虐殺

闇之一夜

 人生ボロボロだ。鼻も悪いし目も悪い。口はいつも口内炎だ。甘いものばかり狂ったように食べてきたから虫歯だらけ。


 十歳の少女の身で、もうあちこちが銀歯だった。おまけにストレスと低気圧で頭痛と、首から上は全滅。胃腸も悪く下痢ばかり、鬱で落ち込み、動かないから猫背、ダサくてカッコ悪いことこのうえない。運動不足で肩は骨がボキボキ、足は重くて走るとすぐ息切れ、だいたい走るなんて元気な奴がするもんだ。子供の頃からそう。高校に入っても変わらん。


 顔は知らん。どうせブスだろう。

 いや、中身が腐ってりゃ、器も腐る。そこそこだったとしても、この心じゃ、外見なんか人に見られたくない。心がにじみ出てるに違いない。ストレスで顔中に亀裂が走り、私の陰惨な死の願望が泉のようにあふれ出ている気がしてならない。

 ふさぎは殺意に変わる。畜生、みんな殺してやる。テレビに映る大惨事大好き。やれやれ、もっと殺しちまえ。幸せに笑う奴らから、とことん奪いつくしてしまえ。それでこっちに分け前が来る。ザマミロ! というスカ屁のような分け前が。




 私は須貝(すがい)曜(よう)、十六歳。ヨウなんてバカな名前つけやがって、なにも考えていない。親も弟も昔から能天気のお天気野郎だ。悲惨なのは私だけ。


 こんなことばかり言ってるが、別に不幸な生い立ちではない。虐待もされてない。もともと暗いだけ、陰気なだけ。

 ただひとつ分かっているのは、合わないことだ。この世と、この世界と、日本という国と、世間という普通の人々と、ことごとく合わない。ぜんぜん合わない。


 誰かが隣にいたとする。リラックスできない、落ち着かない。そのうち、ただでさえ弱い胃の中から罪悪感がぐるぐるわいて、一刻も早く逃げたい、逃げ出したい、と貧乏ゆすりになる。


 よく分かっている、知っているのは、私なんかをこの世が求めていないってことだ。いらないのだ。

 それでも、死ぬのが怖いから、この世さまのすそに、振り落とされて奈落に落ちまいと、必死にしがみつかせていただいてるだけ。


 なんで死ぬのが怖い? 

 死んだら消えるだけだから。そりゃ怖い。どうなるか分からない、だから死なないだけ。

 死んだら、この苦痛地獄から解放されて一気に楽になるんなら、とっくに喜んで死んでますよ、バカじゃあるまいし。こんな不適応の、はた迷惑の除け者の有害なバイキンだって、もののよしあしは分かるんだ。世界が最低だってことぐらいは、お見通しなんだ。そんなのは基本だ。誰だ、人生は素晴らしい、とか言ってるアホおは。チャップリン? お笑いじゃ、しょうがない。


 中学までは苛めも受けたが、この高校に入ると、一人で暗く黙ってこらえていても、放っておいてもらえた。教室の後ろの隅、窓際という特等席まで与えてくれて、神様も一時の休憩をくれるほどの慈悲があったか。


 今朝も、誰も話しかけないという身が震えるほどに痛くて甘い幸福を感じながら、この後ろの席で周りの喧騒をシャットアウトしながら、担任が来るのを待つ。

 そして、ここへ来る前にあった不思議なことを思い出す。


 背筋がぞっとした。





 髪型は最低限の手入れで済むよう、ボブである。こんなんでも、ムースをつけるようになったから、前よりは整っているが、中学までは、ぼさぼさのくしゃくしゃで毎朝登校し、教室でクラスの意地悪どもから嘲笑われては、挨拶がわりの蹴りを食らって耐えていた。


 それでも朝は頭痛あたりまえなので髪をやるのもウザく、パン一枚しか食えずに遅刻ぎりぎりで飛び出すが、今日は隣の弟がなんか言ってきたので、どうせ嫌になるから、聞こえる前にさっさとうちを出た。

 どうせなるのだ。被害妄想をなめんなよ。

 向かいのオバサンの笑顔のおはように会っても、「朝からウゼえ顔してんなこのガキとっとと行け」みたいな悪口に、瞬時に脳内変換するのだ。




 さて、こうしていつもより十五分以上早く出てしまい、早く着きたくないと思いながら畑道をてくてく行くと、電柱の上にそれを見て、ぎょっとなった。


 女だ。

 女が、あんなとこでなにしてんだ。



 髪の長い一人の女が、高い電柱のてっぺんに座っている。幽霊って感じはしない、見たことないけど。

 立ちすくむ私に向かい、その女が手を振った。おい、まさか。やめろ、なに考えてんだ。

 遠いから小さいが、その顔は、なにか笑っているように見えた。あっという間に、そいつは下へ飛んだ。

 どさっ。

 鈍い音がした。


 落ちたところへ近寄る。

 恐る恐る見て、凍りついた。


 空色の地味な服から投げ出された細長い足。頭からは乱れ放題の髪が四方に伸びて、下の赤茶けた大地に真っ赤な血がどくどく池のように広がっている。女は自らの血だまりにうつぶせに浸かっていた。全く動かない。

 どう見ても死んだ。飛び降り自殺だ。


 そういえば、この道はわりと使われてるはずなのに、今朝は誰も来ない。

 こんな日に限って。

 どうしていいか分からず、立ったまま固まって見ていると、いきなりだった。その、信じられない現象が起きたのは。


 女の血まみれの体から、なにかの形が、すうーっと空気のように出てきた。女の頭、肩、上半身、そして白い足。上から順番に現れたそれは、最後に茶色のローファーの靴の形が体から離れると、そのまま地上一メートルほどの空中に浮いて静止した。

 顔は今うつぶせで見えないから知らないが、服や体型から、それが、ここに寝ている女と同一だと分かった。

 こいつには、おそらく体重はない。むろん肉体もない、足の下にあるのだから。

 つまり、これは魂だ。この女が自殺して、その魂が、たったいま、体から抜け出たところなのだ。


 私は一気に背筋が凍りついた。

 つまり、ようするに、今見ているこれは――


 女の幽霊だ!


 逃げようとしたが、すくんで動けない。女がすうーっと寄ってくる。霊といっても、その外見は、よくアニメとかで視聴者にそうだと分かりやすくするために描いてあるような半透明ではなく、実在の人間と変わらないほど、映像のようにシャープではっきりしている。

 だが、やはりこの世のものでないせいか、人間のような厚みがまるで感じられない。見た目、ぺらぺらの写真が動いてるような気味悪さだった。


 顔は細おもてで、きりりとした鼻筋と、切れ長の目をしたすごい美人で、豊富な髪がふわふわとウェーブし、歳は二十代半ばくらいに見えた。その顔がにこにこと笑っているのが、また恐ろしかった。このままとり殺すつもりで寄ってくるとしか思えない。


 思わずしゃがみこみ、膝に顔を伏せて抱えた。

(来んな、あっち行け、あっち行けよぉ……! )

 臓がばくばくする私の、肩あたりに、ふわっ、と何かが触ったような気がした。

「ひいいいいっ――!」


 思わず顔をあげて叫びを漏らすと、女の声がした。

「ごめんなさい、びっくりさせたわね」

 やけに優しく、やわらかくてあたたかいトーンなんで、驚いた。

「でも、あなたをどうこうする気はないわよ。

 こっちを向いてくれないかしら?」


 恐る恐る見ると、その顔にまがまがしさはなく、ただのきれいで上品なお姉さんって感じで、少しは安堵した。

 でも、相手は人間じゃない。

 まだどきどきしている。


 すると彼女は綺麗な物腰で髪をかきあげ、気持ちよさそうに目を閉じた。うっとりしているようだった。

「ああー、なんて気分がいいのかしら! 生きていたときとはえらい違いだわ。なにもかもが嫌になって、もう地獄に落ちてもいい、と思って死んだのに、まさかこんなに楽になるなんて! ああ本当に、死んでよかったー!」

 自分を抱いて満足そうに言う女の幽霊を見て、私は恐怖感が薄れ、代わりにムカつきが戻ってきた。いや、霊でなくても幸せな奴を見るとムカつくのだが、いま見ているこいつには、特にイライラした。


 死んで楽になった――だと?


 アホか、それで救われたら誰も苦労せんわ。人類なんか、とっくにみんな自殺して滅亡してんだろ。お前なんか、そのうち悪霊にでもなって終わりだ。



 そう思ったのを見透かしたように、女は意味深に笑い、顔を近づけた。意思も感情もあって言葉も喋るくせに、なんの息も存在も感じられないから、気持ち悪い。

「うさんくさいと思ってるんでしょう? うふふふ、あなたも死んでみれば分かるわよ。いつも死にたがっている人の顔をしてるわ。

 大丈夫、痛いのは一瞬よ。すぐに楽になって、最高の幸福を得られるわ」

 ぞっとして身を引いた。


 冗談じゃない、確かにいつも苦しいし、死ねば楽だろうと何千回思ったか知れないけど、いざとなると嫌だ。思うのと、やるのとは別だ。

 それに、それが本当にイイなんて信じられない。

 こんな無残な死体を見ちまったら……!


「な、なに言ってんだよ! こっち来んなよ!」

「まあ、いきなり言われても、そう簡単に死ぬなんて、出来ないわよね。

 でも本当に楽なのよ。気持ちがいいの」

 遠い目でうっとり笑う女。

「頭がすっきりして、体は軽いし、もう、なんの悩みも、苦しみもないのよ。ああ、素晴らしいわ! 私、この楽しさを、あなたにも味わってもらいたいの」


 強引にさせようってんではないようだから、少しは落ち着いたが、ムカつきが引っ込んで、また怖さがもたげてきた。

 見るからにイカれて喋ってりゃ、バカと思ってまだ無視もできる。だが、きわめて落ち着いて、冷静に自分の感じてることを、淡々と説明してやがる。それが怖い。

(あ、こいつ、正しいのかも……!)

 思うや、たちまちぞっとして血が凍りついた。


 死んだら楽になれる。

 そんなこと、是が非でも認めてはいけない。

 そうしたら終わりだ……。


 そんな恐怖が、私の背中を押した。


「わ、悪いけど――」

 震える声でやっと誤魔化しの言葉をひりだす。

「い、急ぐんで――わたし、急ぐんで――」


 気がつくと狂ったように畑道を抜け、通学路を抜け、校門の中に飛び込んでいた。そのおかげか、途中であんだけダベったにもかかわらず、遅刻はまぬがれた。


 息を切らせ、席に倒れ、でも誰からもそのわけを聞かれないのは、本当にありがたい……。

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