第333話 番外編⑦『日向坂家ボウリング大会』


『隆之くん、明日ってなにか予定ある?』


 土曜日の夜。

 部屋で勉強をしていたところ、スマホがブルブルと震えたので見てみると、陽菜乃からの着信があった。


「いや、特には。やることないし勉強するかーって思ってたくらい」


 明確にどこ、というところまでは絞れていないけれど、高校卒業後の進路を大学受験に決めた。


 どこを受けたいと思っても問題ないように、とりあえず勉強をしているって感じだ。


 もし叶うなら、陽菜乃と同じ大学というのも俺としては嬉しいことなんだけど、そういう理由で進学先を選ぶのは良くないかな。


『えっと、勉強する予定があるところ申し訳ないんだけどね、もしよかったらちょっと付き合ってもらえないかな?』


 歯切れが悪いというか、どことなく申し訳無さそうな感じが拭い切れない。

 これまで陽菜乃から何度もデートに誘われたけれど、こういうアプローチは初めてだった。


「それは全然いいんだけど。どうかした?」


 いつもなら『隆之くん明日なにかある? なかったらデートしよ? 明日はね、デート日和なんだよ! ね! ね? いいでしょ?』くらい強引なんだけど。


 強引っていうか、楽しみという気持ちがテンションに乗って先に出てしまっているような。


 そういうところも可愛いと思う。


『う、ううん。なんにもないよ? えっと、それじゃあ明日うちに来てもらってもいいかな?』


「……日向坂家?」


 思わず、俺は眉をひそめた。



 *



 日向坂家を訪れるのは二度目だ。ハロウィンを入れれば三回目になるんだけど、あれはまあ、ノーカンだろう。


 前回は確か、二年生の冬なので今からもう半年くらい前のことになる。


 だから、普通に緊張する。


 家の前に到着したところで、俺はインターホンを押そうとしたけど陽菜乃に電話をかけることにした。インターホンはちょっとハードル高いですね。


『もしもし?』


「あ、家の前についたんだけど」


 と言うと、少しして玄関のドアが開かれる。

 そこから陽菜乃が顔を覗かせた。


「インターホン押してくれればよかったのに」


「いや、それはちょっと」


 今日の陽菜乃は休日スタイルなのか、いつもより少しラフさが目立つ格好をしていた。


 薄めのパーカーにショートパンツ。ハイソックスで脚を覆っていて、髪はポニーテールに纏めていた。なんだかスポーティな感じがする。


「それで、今日はどういう要件?」


「んーっとね」


 陽菜乃が何かを言おうとした、まさにそのときだ。陽菜乃の足元からぴょこと現れたななちゃんが俺の方にとてとてと駆け寄ってきた。


「おにーちゃん!」


 愛しのマイプリティエンジェルななちゃんである。ななちゃんは俺に勢いよく飛びついてきて、俺はそれを見事に受け止める。


 この勢いにも慣れたもんだぜ。

 

「ななちゃんは今日もかわいいねえ」


 俺が頭を撫でると、ななちゃんはうへへぇと表情を崩す。とろけるような笑顔にこっちまで幸せな気分になる。


 そんな感じで俺がななちゃんとじゃれていると、殺気ではないけれど何となく恐ろしい視線を感じた。


 陽菜乃だった。


「……」


 じとりとこちらを睨んでいる。

 そんな、ななちゃんに嫉妬されましても。


 ご機嫌を取ろうとするが、ななちゃんを適当に扱うなんてことはできない。


 どうしたものか、と悩んでいると。


「たーくん!」


 陽菜乃の後ろからさらにぴょこりと顔を覗かせる幼女がいた。その幼女もまた、とてとてと俺に駆け寄ってきた。


 彼女の名前は遠坂みう。

 陽菜乃のいとこに当たる。今年の春にイオンモールで迷子になっていた彼女を助けたら陽菜乃のいとこだったのだ。


 それから何度か顔を合わせることがあり、気づけば懐かれていた。

 陽菜乃がお守りを頼まれ、それに付き合うみたいな流れがあったのだ。


 陽菜乃が俺のことを『隆之くん』と呼ぶので、それを聞いてかみうちゃんは俺を『たーくん』と呼ぶようになったのだ。


「みうちゃん」


 ななちゃんが俺の前に抱きついているので、みうちゃんはてててと後ろに回って背中に飛び乗ってくる。


「おにーちゃんはななとあそぶの!」


「たーくんはみうとあそぶんだよ?」


 ななちゃんとみうちゃんが俺を挟んでやいのやいのと言い合う。それを見ている陽菜乃が無言の圧力を俺に飛ばしていた。


 そんなことしてないで助けてくれ、と思っているとついに陽菜乃が一歩前に出た。


「なな! みう!」


 こら! とでも言うような調子で陽菜乃が二人の名前を呼ぶ。それにより、ななちゃんとみうちゃんは言い合いを止めて陽菜乃に注目した。


「隆之くんは陽菜乃と遊ぶの!」


 ……参戦しないでよ。



 *



「志摩君ッ! 僕は君にだけは負けない!」


 俺は今、日向坂家から車を十五分ほど走らせたところにあるボウリング場に来ていた。


 黒のポロシャツにベージュのパンツ、それに加えてプロボウラーがつけてるようなグローブを装着した日向坂父、日向坂和重さんが俺を指差す。


「いや、そう言われましても」


 ちら、と後ろの方できゃっきゃと楽しそうにボウリングシューズを選ぶ陽菜乃と晴乃さんを見る。


 さすがは俺の彼女だ、ちゃんと彼氏のヘルプサインに気づいてくれる。


 しかし陽菜乃はにこりと笑うだけで助けてはくれなかった。いやそうじゃない、助けてくれ。


「もしこの勝負、僕が負けるようなことがあれば」


「はあ」


「陽菜乃は君の好きにするがいい」


 これはあれかな、娘さんを僕にくださいイベントかなにかですか?

 もちろん叶うことならば俺だってその未来に向かってほしいとは思っているけれど、さすがに気が早いのではなかろうか。俺たちまだ高校生だよ。


「ちなみに、和重さんが負けたらどうなる感じですか?」


「そんなことは万に一つも有り得ないが、そうだな、もしそんなことになったならペナルティとして、僕は日向坂家のカースト最下位に落ちようじゃあないかッ」


 知らんがな。


「あなたは既に最下位でしょ」


 晴乃さんが後ろからぐさりと刀をぶっ刺した。和重さんはぎゃふんとダメージを受けたものの、なんとか堪えて俺を睨んでくる。俺は何も言ってないのに。


「分かったッ! 僕が負けたら日向坂家を去ろうじゃないか! 二度と、あの家には立ち入らないッ! これでどうだァ!」


「いやさすがにそれは」


 罰が重たいよ。

 

「引っ込みがつかなくなってるだけだから放っておいてもだいじょうぶだよ」


 ボウリングシューズに履き替えた陽菜乃が笑いながら言ってくる。いや、俺が勝ったらあの人家出するんですけど?


 やる気の炎をメラメラと燃やす和重さんは先にレーンの方へと行ってしまう。曰く、「勝負はボール選びから既に始まっているんだよ」だそうだ。


「とりあえずシューズ履くか」


 陽菜乃の家に行って、わけが分からないまま車に乗せられ、わけが分からないままボウリング勝負をすることになった。


 なんという一日だ。


「がんばってね、隆之くん」


 ななちゃんとみうちゃんを連れた晴乃さんは和重さんを追ってレーンの方へと行ってしまい、残った陽菜乃が俺の隣に座る。


「そりゃ以前に比べたらボウリングも経験したけどさ。頑張っても勝てるかどうか。あと、勝ったら勝ったで問題だし」


「でも、勝ったらわたしを好きにできるんだよ? 親公認だから、なんでもできちゃうね」


 俺の肩に触れながら、陽菜乃がそんなことを言う。それどういうふうに捉えられるか分かって言ってるのかな。


 いや、分かって言ってるか。

 日向坂陽菜乃とは、そういう女の子だった。


「……まあ、やるだけやってみるよ」



 *



 隣り合わせた二つのレーンを使って日向坂家ボウリング大会は開かれていた。


 部門は二つ。


 一つはチーム対抗部門。

 これには陽菜乃、晴乃さん、ななちゃん、みうちゃんが参加している。

 陽菜乃とみうちゃん、晴乃さんとななちゃんがチームを組んで投げている。投げているのは主に幼女二人で、大人二人はそれをサポートしていて、きゃっきゃきゃっきゃととにかく楽しそう。


 もう一つはタイマン部門。

 参加者は俺と和重さん。マジのガチの真剣勝負。俺が勝てば陽菜乃を好きにできると同時に和重さんが家出してしまう。

 殺伐とした空気の中でお送りしております。


 俺は友達がいなかったことが原因でボウリングはほぼ未経験だった。

 文化祭の打ち上げで遊んだのがほぼ初と言っていい。あのときは全然上手くできなかった。


 けど。


 あれから何度かボウリングをする機会に恵まれた。友達がいるというのは実に素晴らしい。


 だから、以前に比べればピンは倒せるようになっている。


 けど和重さんは地域のボウリング大会に出場し、好成績を残すほどの腕を持っている。


 なので俺に勝ちの目はないだろうと内心では思っていたんだけど。


 カコン、と。


 和重さんの投げた玉はガター寸前のところで一ピンだけを倒した。

 俺のイメージではもっとバコンバコンとストライクを取るものだと思っていたけど。


 現在、五投目を終え、スコアは俺が『68』で和重さんはなんと『71』。僅差過ぎる。


「あの人、プレッシャーに弱いのよ」


 晴乃さんがおかしそうに言う。

 

「なんで自分を追い込んだんだ……」


 俺はストライクやスペアを取るには至っていないけど、なんとかガターは避けている。

 対する和重さんはストライクやスペアを時折出すが、ダメなときはガターが出たりする。


 そんな感じでスコアが良い感じに拮抗していた。


「やるね、志摩君」


「いや、まあ、はは」


 俺がやるんじゃなくて、あなたがやれてないだけですよ、なんて言えやしない。

 俺はただ乾いた笑いを浮かべるだけだった。


「けれどね、このままでは終わらないよ。僕はね、こう見えて尻上がりに調子を伸ばすタイプなんだよ」


「はあ」


 あまり信じていなかった俺だったけど、本当にそうだったのか和重さんは後半にスコアを伸ばした。

 和重さんにとって、いや俺にとってもだけど、一つ予想外だったのは神様が俺の味方をし始めたことだ。


 幸運が重なり、俺のスコアも中々に伸びた。


 最終回。

 スコアはほぼ同じ。

 静まり返る中、和重さんがボールを投げる。勢いよくピンを弾き、見事なストライクを叩き出した。


「さあ、君の番だよ。ここまでやるとは思わなかったけれど、僕のスコアを抜くにはストライクを二回連続で出す必要がある。まぐれでは到底不可能なことさ」


 せいぜい頑張るといい、と言い笑いながら席に戻る和重さんと代わって俺がレーンに立つ。

 隣の四人は一ゲーム目を終えたのか、俺たちの勝負を観戦していた。


「隆之くんがんばれー」


「ファイトよ、志摩くん」


「おにーちゃん、がんばえー」


「たーくん、がんばえー」


「なんで志摩君のときは声援があるんだッ!?」


 日向坂家女性陣の声援を背中に受けながら、俺はふうと息を吐き、ボールを投げた。


 ここでストライクが出せないと俺の負けは確定する。


 が。


 ガコンガコン、とピンは見事にすべて倒れた。ストライクである。どうやら神様は相当なエンターテイナーらしい。


「ぐぬぬ」


 悔しそうに歯を食いしばりながら和重さんが俺を睨んでいる。その原因は、ストライクだけじゃないんだろうな。


 日向坂家の皆様はもう少しお父様に優しくしてあげてほしい。

 

「……ふう」


 二投目。

 ここまで来たら、とは思う。


 深呼吸をして呼吸を整え、俺は動き出す。

 そして、ピンに向けてボールを放った。



 *



「さて、晩ご飯はなにを食べようか?」


 ボウリングを終え、車に乗り込んだ和重さんはやけに上機嫌だった。助手席には晴乃さん、その後ろにはチャイルドシートに着席したななちゃんとみうちゃん、最後列に俺と陽菜乃が乗り込んでいる。


「お寿司かな? ハンバーグでもいいかな? みんなはなにがいいー?」


「あなたは日向坂家を出ていくから一緒にご飯食べないでしょ?」


「許しておくれよ!!!!!!」


 勝負の結果は神様の気まぐれにより俺の勝ちで幕を閉じた。

 和重さんは悔しそうにしていたのも束の間、明るい調子で『楽しい勝負だったね、次はみんなでやろうか?』と言い出した。まるで何事もなかったように。


 俺としては別に構わなかったけど、女性陣が『いやその前に言うことあるでしょ』『なになかったことにしてるのよ』と和重さんを責めた。

 もちろん、冗談なのは見て取れたけれど、和重さんが家族カースト最下位ということには納得した。


 運転席と助手席で楽しそうに話し合う日向坂夫婦。さっきから静かなところを見ると、幼女二人は疲れておねんねしているようだ。


「今日、迷惑じゃなかった?」


 一番後ろ。

 和重さんと晴乃さんには聞こえないようにか、ひそひそとボリュームを絞って話しかけてきた。


「迷惑とかはなかったよ。まあ、誘ってくれたときに詳細があればもっと良かったけどね」


「そう言うと、隆之くん来ないかなって思って」


「まあ」


 家族と関わるのが嫌とかではなくて、普通に気を遣うし家族のお出掛けなら俺はいない方がいいだろうと思って断ることはあったかもしれないな。


「おとうさんもおかあさんも、ななも、みんな隆之くんに会いたがってたから」


「和重さんも?」


「うん。あんなこと言ってるけど、隆之くんのこと気に入ってるんだ。だから、もし良かったらこれからもたまーにでいいから付き合ってくれたら嬉しいかも」


 そうなのか。

 まあ、こういう機会に参加させてくれているから嫌われてはいないだろうとは思っていたけど。

 そう言われると無下にはできないな。


「たまにならね。ななちゃんにも会いたいし」


 最近はみうちゃんもいるしね。

 俺、幼女のこと好きすぎるな……。


「隆之くん、ななのことばっかり」


 陽菜乃がむすりと頬を膨らませる。

 

「拗ねないでよ。一番は陽菜乃だから」


「ほんとに?」


「ホントに」


「じゃあ証明して?」


「どうやって」


「ななにはしないことをして」


 言って、陽菜乃は唇をこちらに向けて目をつむる。言いたいことは分かるけど、さすがにそれはやんちゃすぎる。

 両親目の前にいるんだぞ。


「それはまた今度ね。さすがにここでは恥ずかしい」


「……別にいいのに。親公認なんだから」


 とは言いながらも、諦めてはくれたらしい。

 確かに和重さんはそんなこと言ってたけど、実際好きにしたら絶対怒ってくるんだろうなあ。


 こんなところでキスなんてできないので、俺は陽菜乃の手に自分の手を重ねた。

 指と指を絡めると、陽菜乃も同じようにして手を握ってくる。


「これも、ななちゃんにはしないことだから」


「うん。今日のところは、これで我慢してあげよう」


 大変だったし、疲れたけれど。


 こういうのも、たまにはいいのかもしれないな。


 そんなことを思った。

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