第315話 聖なる日の誓い⑥


 どうやら彼女は早起きをしたにも関わらず朝ご飯を食べてこなかったらしい。


 こんなこと本人には面と向かって言えないけれど、陽菜乃はよくお腹を空かせているイメージがある。


 食べることが好きで、食欲に対してはとにかく素直だと俺は思っている。

 いや、食欲が先行しているだけで彼女はきっと自分の欲求に対しては素直なんだと思う。ただそれを見せていないだけで。


 例えば、彼女はよく眠る。

 早寝早起きを実行しているかは分からないけれど、比較的早い時間に布団に入っている。


 いつだったか、たわいのない会話の中で『買い物に行くと、ついつい予定のなかったものまで買っちゃうんだよね』と困ったような表情を作って言っていたことがある。

 だからきっと、物欲もそこそこ高いのではないだろうか。


 これに関しては極力考えないようにしているけれど、性欲に関してももしかしたら……いや、これ以上はやっぱり考えないことにしよう。


 話が逸れたけれど、つまりは食欲に対して素直な彼女が朝ご飯を好き好んで抜くとは思えないということだ。


 その部分がとにかく気になったわけではないんだけど、食料調達の暇つぶし程度に俺は尋ねてみた。


「朝は忙しかったのか?」


 もちろん。

 今日の彼女のおしゃれ具合から察するに結構手間暇かけたんだろうなというのは伺えるけれど、それにしても朝食を食べる時間はなかったのだろうか。


「ううん、まあ、忙しかったわけではないんだけどね。今日着てくる服を考えてたら時間がかかっちゃったんだ」


「今日はいつにも増して可愛く仕上がってるから時間がかかったのも無理はないか」


 いつも彼女は可愛い。

 付き合ってからも、付き合う前だって、日向坂陽菜乃のことを可愛くないと思ったことは一度だってないくらい。


 けれど、今日はその中でも特に気合いが入っているのが伺えた。俺がこの日を特別に思っているように、陽菜乃も同じように思ってくれているのが伝わってきて嬉しく感じた。


「昨日のうちにこれかなーっていうのは何着か準備してたんだけどね。朝起きたら、そのどれもが違うように思えて振り出しに戻っちゃったんだ」


「そんなことあるんだ」


 まず前日のうちに翌日の服装を準備しておくという発想が俺にはなかった。

 梨子も言っていたけれど、前準備というのは本当に大事らしい。


「昨日はこれは完璧なチョイスだ、これ以上なんて絶対にないって思ってたんだけど、朝起きたらなんか違うなあってなったの」


 言ってから、陽菜乃は何がおかしかったのかくすくすと嬉しそうに笑みをこぼした。

 その仕草に俺ははてと首を傾げる。


「迷いに迷ったおかげで、隆之くんとお揃いになれたわけだから、今朝のわたしの直感は正しかったんだなって思って」


「結果的にはそうなるのか」


 遊園地には幾つかご飯を食べる場所があった。

 一つはフードコートだ。ショッピングモールにあるような規模ではないけれど、それでも何種類かのお店があって好きなものを食べることができる。


 二つ目はそこら辺にある屋台。焼きそばや唐揚げ、クレープと種類は様々で場所も様々。なにより厄介なのはどこに何があるのか園内マップに書かれていないことだ。


 三つ目は普通にごはん屋さんがあった。俺はあまり遊園地には行かないので他がどうかは分からないけれど、普通のお店が園内にあるというのは珍しいような気がする。


 その三つを上げて、どこに行こうかと相談した結果、フードコートへ向かうことにした。

 俺と陽菜乃の空腹具合に差があることから、各々好きに食べれたほうがいいだろうと考えたからだ。


 園内にはハンバーガーショップがあったので、食べる量を選べるという意味ではそっちでもよかったんだけど、せっかくだしという陽菜乃の意見に従った。


 お昼時には少し早い時間だからか、フードコートの中は混んでいなかった。

 人が多い中で食事を取るのはあまり好きじゃないので、結果的にはこの選択は功を奏したと言える。


 それぞれ注文のために一度散る。

 ラーメンやチャーハンといった中華系が視界に入る。その辺を嫌う男子は世の中にいないのではないだろうかと思うくらいには、俺も好きなんだけど空腹具合的にそういう気分にはならなかった。


 うどんやそばはそもそも自ら進んで食べるほどではないので候補からは除外する。


 考えながら、ゆっくりとフードコートの中を一周した結果、俺はたこ焼きを一舟頼むことにした。


 フードコートといえば注文したらブザーの鳴る機械を渡されるイメージだけど、たこ焼きはすぐに提供できるからか、店の前で待たされた。


 パッパとたこ焼きを転がして舟皿に盛り付けていく手際の良さはさすがの一言に尽きた。


 我が家でも極稀にたこ焼きが夕食のメニューとして出てくることがあり、その際に興味本位で俺が作るターンがあったりするのであのくるくるも経験済みだけど、あそこまでスムーズにはできない。


 詳しい年齢は分からないけど、俺とそこまで差がないように思えるくらいには若い女性だった。

 たこ焼きってハチマキ巻いた元気なおじさんが作るイメージがあるからそこも含めて驚かされた。


 仕事として携われば、当然だけど上達するんだな。


 そういや結局、アルバイトというものを経験せずに今年が終わろうとしている。

 来年は受験なり就職なりが控えているからアルバイトを始める時期としては適していない。


 けど、せっかくだし一度くらいは経験しておいてもいいかもしれないな。


 なんてことを考えながら、ぼうっとその女性店員の手元を見ていたんだけど。


「隆之くんが女の人をじっと見つめてる」


 いつの間にやら俺の背後を取っていた陽菜乃に勘違いされてしまった。

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