よもつへグイ
彼岸花
廃村
「おー、これは良いねー」
リュックサックを背負った若い女が、はしゃぐように声を上げた。
着ている衣服は長袖長ズボン。厚くて柄一つない生地で出来たそれは、到底お洒落とは言えないデザインだ。十月も半ばを迎え、寒くなってきた気候では居心地の良い格好だが……町中を出歩くには、若い女性としては些か似合わないかも知れない。
しかし此処、木々が鬱蒼と茂る山奥であれば正しい格好だ。
彼女――――宮部由美はとある山を一人で登っていた。山と言ってもワイドショーなどで紹介される、綺麗で安全な場所ではない。道はろくに整備されておらず、ぼうぼうに茂る草で塞がれている有り様。登山客の代わりにいるのは、ぴーぴー喧しい野鳥や大きな虫ばかり。人の手が入っていない樹木や草が自由に枝葉を伸ばし、人間の柔肌を撫でて傷付けてくる。
豊かな大自然と言えば聞こえは良いが、言い換えれば人間お断りの領域だ。邪魔な草を掻き分け、纏わり付く蚊やハエを払い、罠のように横たわる根を跨がねば先に進めない。
こんなところにヒラヒラとしたお洒落服で踏み込めば、野性味溢れる植物により布も肌も切り裂かれてしまうだろう。分厚い作業着染みた服でなければ、入り口から百メートル進んだところで引き返す羽目となる。
冒険家でなければ無理、とまでは言わないが、一般人が遊びで立ち入るのは推奨されない山だ。いくらしっかりした服装だとしても、軽い気持ちで踏み入る場所ではない。この危険な山に何故由美は立ち入ったのか? 理由はその手に持った一眼レフのカメラで、とあるモノを撮影するため。
そのモノとは、由美の目の前にある廃屋。
より正確に言うなら、幾つもの廃屋が残る山奥の廃村だ。
「凄いなぁ。廃村になったの、もう八十年以上前なのに、家の形がまだ残ってるなんて」
パシャリパシャリとカメラで撮影しながら、廃屋が建ち並ぶ領域へと由美は足を踏み入れる。その足取りは軽く、彼女が自らの意思で、喜々としながら進んでいる事が窺い知れるだろう。
それもその筈。由美の趣味は、廃村巡りなのだから。
高校時代にオカルト好きの友達に連れられてとある廃村を訪れた事をきっかけに、由美は廃村巡りにハマってしまった。大学時代は暇を見付けては散策に出向き、二十代後半の社会人となった今でも長期休暇が取れたら必ず何処かに出掛けている。
ちなみに由美をこの道に導いた友達は既に引退済み。誘っても来やしないので、今では由美一人で廃村を巡っている。
そして由美が特に好む廃村は、何かしらの『曰く』がある場所だった。水子を封じ込めた箱が社に置かれている、身長八尺の女が目撃された、森を彷徨う背広姿の怪異が現れた等々……高校時代から友人に負けず劣らずのオカルト好きだったが、大人になった今でも変わっていない。
今回由美が訪れたこの廃村は、八十年以上前に村人が一夜にして全員消えたと伝えられている。当時の村は住人が二十人ほど暮らしていて、これは少ないと言えば少ないが、ちょっとやそっとの事でいなくなるような人数ではない。更に土砂崩れなどの災害が起きた形跡はなく、人為的と思われる破壊が何ヶ所かで見られた。
当然事件性が疑われ、住人の行方を追うべく警察の捜査が行われた……と言いたいが、当時は第二次大戦の末期。物資も人員も足りず、本土にどかどかと爆弾を落とされている情勢で、ほんの二十人の行方を調べている余力なんて残っていない。捜査は後回しにされた。村人の親族が外に殆どいなかった事もあり、敗戦後の米国の占領や復興など、ドタバタで事件は忘れ去られ、今でも真相は謎に包まれているという。
山に入る事自体は禁じられていないが、地質が向いていない、希少な野生生物(昆虫やら野草の類だ)が生息している事もあって、開発や登山道整備は進んでいない。山に入るのは物好きな登山マニアか、由美のようなオカルト好きが年に数人ぐらい。しかしその少数の人間も、数年に一度行方不明者が出るという噂がある。あくまで噂で、真偽は不明だが。
そんな謎多き廃村を見て回ろうというのが、此度由美がここを訪れた目的である。勿論訪れたのは最もおどろおどろしい景色が楽しめる真夜中……ではなく太陽が燦々と輝く真昼。廃村巡りというのは老朽化した建物が並ぶ領域に、意図的に近付く危険な行いである。暗い時に足を踏み入れるなど言語道断。危険な場所に行くのだからこそ『安全管理』が欠かせない。それに、暗いと写真撮影に支障があるというのも好ましくない。
廃村巡りは安全に。それが由美のモットーである。
……とても褒められない趣味なのだから友達と同じように止めれば良いのに、という理性からの警告が由美の頭の中に響く。それが出来たらいい歳をした大人がこんな場所には来ていない、と心の中で反論した。
「さて、村の奥はどうなってるかなー」
由美はカメラを構えながら、廃村の奥に軽やかな足取りで進む。
廃村、と一言でいっても、その光景は場所によって様々だ。
人がいなくなってから時間が経っていない、或いは誰かしらの管理が行われている場合、建物はかなり綺麗な状態を保っている事が多い。逆に人の管理が全くない、或いは修繕されないまま長い時間が経てば、建物は崩れ、周囲は自然に飲み込まれてしまう。
この村は八十年間、ろくに人の手が入らなかった場所。さぞや建物は劣化が激しく、自然に還った状態だろう――――と由美は思っていたのだが。
「(……なんだこりゃ)」
歩きながら、由美は違和感を覚える。
まず、村の中に生えている木が極めて少ない。村の周りは森だというのに、此処だけはちょっとした草地のようになっている。
日本の樹木、例えばクヌギなどであれば十年で木材に使えるまで育つと言われている。ましてや八十年もあれば、あちこちから飛んできた種が芽吹き、大木へと育つだろう。ちょっとした雑木林が出来る筈だ。
一体どうしてこの村は、雑木林に飲み込まれていないのか?
……違和感がこれだけなら、単にこの地が木の生育に適さない(水はけだとか土が酸性だとか)だけとも考えられる。由美もそこまで気にはしなかっただろう。
しかし、他にも奇妙な点が見られた。
「……ほんと、保存状態が良いなぁ」
目の前にある古びた一軒家。それをパシャパシャと撮影しながら、由美は独りごちる。
撮影した木造家屋は玄関部分が潰れるように崩れていて、中に入る事は出来ない。窓ガラスが割れているため、そこから窓の施錠は外せるだろうが……黒く変色した柱にはキノコが生え、表面が軒並み剥がれて中身が露出している。ちょっとした刺激で簡単に崩れてしまうだろう。無理に中へと押し入れば、『行方不明者』が一人生じる事は容易に想像出来た。
家として使えたものではない。しかし外観だけで言えば、家だと認識出来る程度には形が残っている。
三十年も放置されたなら、木造家屋など潰れてしまうものだ。それを思えば、八十年経っても家の形を保っているのは奇妙を通り越して異様である。一軒だけなら偶然という線もあるが、何軒も見られれば何か理由があると考えるのが自然。誰かがひっそり管理しているのか、はたまた何かオカルト的な力が働いているのか……好奇心が刺激される。
また、村の中を通る『道』も奇妙だ。
道と言っても獣道のような、地面を踏み固めただけのもの。しっかりと舗装されている訳ではない。
とはいえ力強く生える草を掻き分けるよりは遥かに楽で、ついついその道を通ってしまう。人間都合が良いものには違和感を覚えないもので、由美も最初は大して気にしなかったが……冷静に考えてみるとやはり奇妙である。
「(普通は全部草に覆われているもんなんだけどなー)」
コンクリートで舗装されていない、けれども草が生えていない『道』はどうして出来るのか。それは獣や人が頻繁に通り、地面を踏み固めていくからだ。硬過ぎる地面では芽吹いた種が根を伸ばせず、小さな新芽は踏まれ折れてしまう。そうして植物が『根絶やし』にされた結果が通りやすい道である。
何十年と踏み固められた地面は、ほんの数年で柔らかくなるものではない。しかしながら大自然は常に変化していくもの。踏まれなければ小さいながらも草は芽吹き、ほんの少し根を張って地面を耕す。ミミズやモグラなど土壌生物が通り、雨が浸透し、固められた土は解れていく。十年経てば流石に柔らかくなるだろう。少し柔らかくなれば一気に植物が生え、道は緑で埋め尽くされる筈だ。
コンクリート舗装されているなら兎も角、土を踏み固めただけのものが八十年も残るとは思えない。しかし現に土の道はある。イノシシでも頻繁に通っているのだろうか?
何か、おかしい。
疑問が次々と湧き出す。しかしこれらの謎は、まだ『偶然』や『自然』で片付けられる。
「……畑?」
だが、『畑』は自然に出来るものではない。
畑と称したが、町中で見られるちゃんとしたものではない。作物を植えている畝は曲がりくねっているし、生えている作物も小さな雑草(恐らく山菜の類)のようなものばかり。しかし同じ種類の植物が一列に並んでいる光景は、どう見ても人の手が加えられている。
先の『道』と合わせて考えると、誰かが頻繁にこの辺りを訪れているのだろうか。
曰く付きの廃村に、それも頻繁に立ち寄る人間などいるのか? あり得ないとは言わないが……大抵は神社などの施設管理のためだろう。山菜を育てる畑を維持するため、定期的に廃村に訪れるというのは考え難い。
この廃村は、何かおかしい。
警戒心の強い者であれば、ここで怪しさを感じて廃村から立ち去るだろう。だが由美は違った。数々の違和感は不気味さへと繋がり、その不気味さが恐怖心を掻き立てる。
オカルト好きから廃村巡りという趣味に発展した由美にとって、恐怖心は非日常を引き立てるスパイスに過ぎない。
「……ふへへ。なんかワクワクしてきたなー、っあ、どべっ!?」
楽しさから浮足立って、草むらの中に隠れていた木の根に躓き転んでしまうぐらい、由美は廃村の魅力に取り憑かれていた。
「いったぁ……」
起き上がり、地面に着いた手を叩いて泥を落とす。少し傷は付いたものの、血は出ていない。草が生い茂っていた事で、地面が湿っていたのだろう。
痛みでへこたれるほど由美は幼くないが、浮かれていた気持ちは少し落ち着いた。一旦大きく息を吐いてから立ち上がり、今度はちゃんとした歩みで廃村の更なる奥地へと進む。
奇妙で不気味な物を幾つも撮影。好奇心の赴くまま、村中を散策する。とはいえ好奇心は何時までも続くものではない。どれだけ不気味だろうと、何度も見ていれば慣れてくるものだ。由美も徐々に好奇心が薄れ、気持ちは落ち着いてくる。
そんな彼女の意識を再び惹き付けたのは、村の中心にある井戸だった。
「おー……こりゃ中々
感想を独りごちながら、由美は井戸に歩み寄る。
井戸は石を円形に積み上げた、如何にも昔の井戸らしい形をしたもの。ただし積み上げた石は並べ方が雑で、遠目で見ると井戸自体ちょっと傾いている。大きな地震があれば、呆気なく崩れてしまうだろう。
八十年間晒された雨風や地震により、形が崩れてしまったのか。しかしその壊れ方が時代を感じさせ、廃村という場所もあってか不気味さを引き立てる。如何にも何か ― 髪の長い女の幽霊とか ― が出てきそうだ。
「どれどれ……」
興味本位で中を覗き込んでみる。万が一にも落ちないよう、しゃがんで、老朽化した井戸には捕まらないようにしておく。
……井戸は相当深いようで、中が暗くてよく見えない。
試しにそこらに落ちていた石を拾い、中に落としてみる。二秒と経たないうちにカツンッと乾いた音が鳴った。ざっと十メートル以上の深さがあるのだろうか。この山には川などもないので、深く掘らないと水が出ないのかも知れない。尤も乾いた音が鳴ったという事は、今では枯れているようだが。
万が一にもこの井戸に落ちたら、恐らく普通に転落死だ。仮に生きていても自力で這い上がる事も出来ず、登山客のいないこの山では誰かが見付けてくれる可能性も皆無。餓死するまで出られないだろう。
「……と思いきや、中に足場があるわね」
よく見れば井戸の内側に、石で作った足場らしき出っ張りが等間隔で並んでいる。メンテナンス時にはこれを使って降りるのだろうか。
これを使えば登り降り出来そうだが、足場は小さなもののため、慣れていなければ簡単に踏み外してしまいそうである。落ちれば乾いた地面に真っ逆さま。お世辞にも安全なものではない。八十年前の代物とはいえ、もう少し『近代化』出来なかったのかとも思う。
……あまり夢中になって覗いていると、うっかり落ちてしまいそうだ。そう思って由美は後ろに下がる。
「とりあえず、写真は撮っておこ」
程良く距離を取ってから、井戸の写真を一枚撮影。それからじっくりと遠目から眺める。今にも何か出てきそうな、不気味さに背筋がぶるりと震えた。
雰囲気を楽しんでいた由美だったが、ふと、その気持ちが薄れる。
奇妙な音が聞こえてきたがために。
「……何? 虫?」
耳に聞こえてきた音に、由美は眉を顰めながらぼやく。
そう、最初は虫の音だと思った。ただしスズムシやコオロギのような、綺麗なものではない。例えるならば這いずるような、鈍く薄気味悪い音色だ。しかし虫の這う音なんて、余程近付かなければ聞こえないだろう。
この音は一体何処から聞こえてくるのか? 無意識に音の『発信源』を探ろうと、由美は辺りを見渡す。彼女の人並には優れている聴覚は、その位置を正確に捉える。
今まで覗いていた、井戸の方だと。
「……………」
そこに、何かいるのだろうか?
胸の奥から沸き立つ疑問と好奇心。それに突き動かされるように、足は前へと踏み出す――――
「いやいやいや、止めとこう。うん」
寸前に、由美は力強く後退りした。
由美はオカルト好きだが、オカルトを信じている訳ではない。幽霊の話は好きだが、本物の幽霊を見たらきっと腰を抜かす。そんな程度の趣味だ。
あの井戸の中に幽霊やらなんやらがいるとは思わない。いるとしたら、間抜けにも落っこちたタヌキとかに違いない。覗いたところで助けられるものではないし……『もしも』を考えると、覗き込む勇気は湧かなかった。
「……うん、自分の身を守るのが最優先」
息を整え、冷静に判断。深入りするのは止めようと考える。
そして逃げるようにその場を後にして、忘れるように再び廃墟巡りを始めるのだった。
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