第2話 皇太子~超絶美形。しかし根暗でボッチ好き

 ラムセスの計らいのお陰で、ライラの周りをブンブン飛んでいた小うるさい雌蜂どもは、すっかり大人しくなっていた。

 そもそも、ライラを攻撃してくるのは一部の姫達だけである。

 自分にある程度自信があり、野心を持っている者たちは、ライラなどは鼻にもかけず自分を売り込む事に邁進していた。

 残りは、貴族娘としては変わり種のライラにも、王族との縁にも興味がなく、ただ食って飲んて適当に喋って帰る娘たちである。

 多数派は勿論、自信も野心も持ち合わせた者達だ。


 自信と野心の塊である彼女達は今、餌に集まる蟻の如く、盛んに第四王子カエムワセトに群がっていた。

 これでは、とてもじゃないが近づけない。

 もう一人の餌(皇太子)はどこだ。

 ライラは会場を見渡した。

 だが、どこにも見当たらない。


 ――あの××め。逃げたな。


 ライラは軍隊仕込みの罵倒語とともに心中で舌打ちした。

 仕方がないので今は主人の元に行く事を諦め、少しでも落ち着ける場所を求めてバルコニーに出る事にする。


 バルコニーに出た途端、熱気であふれかえっていた空気が、幾分爽やかなものに変わった。


 手すりにもたれかかり、新鮮な夜気をすう、と吸い込む。

 少し、気分が良くなった。

 

 香油より砂の匂いの方がいい。

 美味しい料理より、質素でも気の置けない仲間と囲む食卓がいい。

 綺麗なだけで破れやすくて歩きにくいドレスより、丈夫で動きやすいいつものチュニックがいい。

 偽りの笑顔で辛辣な言葉ばかり並べ立てて来る連中よりも、気に入らなければゲンコツを振りかざして来るヤツらの方がいい。


 料理も照明も消え去って、こんな宴会お開きになればいいのに、とライラは思った。

 

 そうしたら自分の主に群がっている姫様達も帰らざるをえない。


 そうだ。とっとと帰ってしまえ。


 ライラは小さく呻くと、手すりにゴツンと額をぶつけた。


 ライラは別に、姫達がカエムワセトに群がること自体が面白くないのではなかった。――と、自分では信じている。

 だから、菓子に集まる蟻の如くカエムワセトに群がる姫君たちの邪魔立てをするつもりは毛頭ない。――と、自分では思っている。

 むしろ、彼女達がカエムワセトに想いを寄せアプローチをしているのであれば、ゆっくり話ができるように場をセテッィングしてもいいと思うくらいだ。――仕方なくではあるだろうが。

 そして、もしカエムワセトがその中の誰かを気に入り、妻に迎えたあかつきには、ライラは喜んでその姫君にも忠誠を誓うだろう。―――――――多分。


 だが、今、カエムワセトに猫なで声で話しかけている多くの姫君達の真の目的は、カエムワセトその人ではなく、皇太子のアメンヘルケプシェフなのだ。

 それが、ライラには無性に腹立たしかった。

 

 客観的に見て、アメンヘルケプシェフは美男である。顔の造形はファラオである父親譲りで、猛禽類を連想させる鋭さと美しさがある。

 たるみなど微塵も感させない頬から顎にかけてのラインと、完璧な角度で目尻へと流れる目の輪郭。高い鷲鼻と、緊張感のある薄い唇。そこに、ネフェルタリから受け継いだ艶やかな黒髪と緑色の瞳を入れれば、皇太子の完成である。加えて、隆々すぎない引き締まった長身は、どんな衣装でも見事に着こなしてしまう。アメンヘルケプシェフを目の当たりにすれば、誰もが『麗人』と賞賛するだろう。しかも父親より常識人ときている。

 性格も悪くなく、文武両道に秀で、現在はファラオの補佐につき将来は有望。貴族の姫達としては、何としても手に入れたい超最高物件に違いない。

 だが、そんなスーパーマンな皇太子にも、欠点はあった。孤独を好み、苦手ではないにせよ無駄な人付き合いを敬遠する傾向があるのだ。特に、華やかな女性達に囲まれるのは嫌いらしい。話しかければ笑顔で応対してもらえるが、実は鼻にもかけられていないのだと、聡い姫達はちゃんと気付いている。

 言ってはなんだが、顔面がファラオと瓜二つでなければ、ネフェルタリは不義を疑われたかもしれない。それくらい、中身が親父と正反対なのだ。

 とにかく、皇太子は、よほど気に入った姫としか付き合わない事で有名だった。


 というわけで、多くの姫君とアメンヘルケプシェフの間には、ギザのピラミッドより高い壁がある。その壁を乗り越えるための足がかりとしていつも利用されるのが、カエムワセトだった。


 兄弟たちの中でも皇太子と最も仲が良いと言われているカエムワセトは、穏やかで人好きのする人物である。つまり、計算高い姫君達の踏み台には最適というわけだ。カエムワセトもそれを承知した上で、ご丁寧に姫君達の相手をしているものだから、忠臣のライラとしては余計に面白くない。


――根暗の長男がなんぼのもんよ! 殿下のほうが、ずっと聡明で優しくて素敵じゃないの! どいつもこいつも目が腐り落ちてるわね!


 ライラは心の中で皇太子をこきおろし、権力欲に塗れたミーハーな姫君達を罵倒した。


 カエムワセトはラムセスには似ておらず、その相貌は母親のイシスネフェルトを彷彿とさせる。

 丸みを帯びた顔の輪郭と、深い茶色の瞳は視線を合わせる者の心を落ち着かせる力があった。

 声色も棘がなく温かだ。

 カエムワセトの容姿は、心優しく思慮深い彼の人格が、そのまま形を成したようだった。

 悪巧みをしている者の中には聡さを感じて慄く者もいるが、大抵の人間はカエムワセトを前にすると、誰もが緊張を解く。

 

 ラムセスやアメンヘルケプシェフが鷲や鷹などの猛禽類に似ているなら、カエムワセトは鹿や馬に例えられるとライラは思う。鹿や馬の、近づく者を怯えさせない悠々としたその姿と、知的で温かな瞳は、カエムワセトそのものだった。


 ライラは嫌な事があった時は黙々と弓を射って、落ち込んだ時は厩舎に行って馬に触るのが習慣だった。馬にブラシをかけ、優しい瞳を覗きこみ、その温かい体を撫でていると、不思議と心が和むのだ。

 

 計算高く腹黒い幾人かの娘たちのお陰で、今も馬に触れたい気分である。だが、始まったばかりの宴を抜けるのはカエムワセトやラムセスの手前、流石に気が引けた。

 かといって中に入る気も起きない。臭すぎるのである。


――せっかくの香油も混合臭になると最悪ね。どいつもこいつも、頭にでっかい塊のせくさって!


 これは、ライラの完全な八つ当たりである。

 

 女たちが頭に載せている香油の固まりが放つ強い香りは、ライラの居るバルコニーまで漂ってきている。普段香油など使わないライラにとっては、ただの悪臭でしかなかった。


「トイレ掃除してる方がよっぽどマシだわ」


 うな垂れて口にした言葉は、偶然にもアーデスが想定した選択枝と合致していた。


「中に入らないのか?」


 声をかけられ振り返ると、先程は会場のどこを探してもいなかったアメンヘルケプシェフが、バルコニーに出てきていた。

 根暗なだけが欠点な彼は、今日も見事な美男ぶりである。


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