砂漠の賢者外伝1 ライラの憂鬱

みかみ

第1話 ビントアナト~ファザコンで妖艶で高飛車な側室

 こちらは古代エジプト新王国時代、ラムセス二世治世下にある新都ぺル・ラムセスの王宮である。

 夕日がナイルデルタ地帯の西側に浮かび、空を赤く染めている。

 空が夕日に染まりだすと、繁華街に軒先を並べる商人たちはぼちぼちと店を畳み始め、娼館や酒場は灯りの準備を始める。ナイル川に小舟を浮かべる漁師たちは、今日の収穫が入ったカゴを担ぎながら家路につく。


 その夕焼け空より赤い髪をした一人の乙女が、城の一角に与えられた自室の出窓から下の様子を眺めていた。

 眼下に広がる中央庭園では、今夜の宴に招かれた華やかな貴賓達が集まりつつあった。男女問わず金や奇石が施された貴金属を身につけた招待客達のその装いは、男性は荘厳で、女性は熱帯魚のように華やかである。


 エジプト軍セト師団弓兵隊小隊長ライラは、寝台に広げた自分の衣装をちらりと振り返って見ると、面白くなさそうにため息をついた。そしてまた、正面に向き直り窓辺にもたれかかる。


「行きたくないなー」


 ふてくされたような顔で、ひとりごちた。

 今夜ライラは、眼下の来賓客同様、ラムセス二世主催の宴に呼ばれていた。



 夕日が沈み、建物の輪郭が暗がりに溶け始めた頃。午後からアーデスに剣の手ほどきを受けていたジェトとカカルは、武器庫の前で腰をかけのんびりと談笑していた。

 魔物戦を終え、カエムワセトの従者になった元盗賊の二人は、アーデスに時間の余裕がある時は今日のように剣や槍や体術等の闘い方を学ぶようになった。

 王族に仕えるのだからいつ何時でも主の為に闘えるようにしておけ、というライラの指示もあったからである。ちなみに、弓の使い方はアーデスではなくライラからスパルタ教育を受けている。


「ライラは血筋だけで言えば、かなり高貴だぞ。何しろファラオと遠縁だからな」


 ライラとも王家とも付き合いの長い傭兵アーデスは新参者の二人に、主たる臣下達の出自や血縁関係などを説明していた。

 無限に出て来る罵倒と共に自分達をしごき倒し、時には踏みつけにまでにしてくる赤毛の弓兵小隊長が、実は大貴族のお姫様だった事を知ったジェトとカカルはショックのあまり硬直する。


「なんだ。お前ら知らなかったのかよ。有名な話だぜ」


 城勤めを始めて既に二カ月になるというのに、情報に疎い二人をアーデスは笑った。


「ライラの親父さんはメンフィスで宮廷医の任についてるんだが、ラムセスの祖父とライラの祖母が兄妹なんだよ。ライラの優れた戦闘力や赤毛はおそらく、現王家の血筋だな」


 それから背の高さもか、とアーデスは思いだしたように追加した。


 ラムセス二世は一八三㎝と、当時のエジプト人の中では抜きんでて身長が高い。その父親であるセティ一世も、大柄だった事で有名である。

 ライラの母親は、ライラを産んですぐに亡くなったということだった。

 一人娘だったライラが軍人になると宣言した時には父親は大層驚いたが、反対はしなかったらしい。そこは流石、軍人王の家系であるとジェトとカカルは納得した。


「あいつがお姫さんかよ……」


「人は見かけによらないんすねー」


 ライラは二人が思い描く貴族の姫君のイメージには爪の先ほども合致しない。何となく信じられない思いで、二人は感想を口にした。


「くだらん話してないで、さっさと帰りなさい」


 後ろから聞こえた声に身の毛のよだつ思いをしたジェトは、びくりと身体を震わせ、「わあっ! すいません!!」と殆ど反射的に謝罪した。

 誰でも無い、ライラの声である。

 ここ二月あまりの訓練で、ジェトの恐怖心は、すっかりライラに支配されていた。

 しかし、後ろを振り返った二人は、声は確かに聞きおぼえがあるのに姿は見覚えのない女の登場で、仲良く揃って首を傾げることになる。


「「……誰?」」


 ライラはアイシャドウに縁取られた目をスッと細くすると、失礼な新米二人を睨んだ。


「その反応は称賛ととるべきなのかしら。それとも侮辱ととるべきなのかしら?」


 その刺々しい口調で目の前の女性がライラだと確信したカカルが、わお!と目を輝かせる。


「ライラさん、凄くキレイっすよ」


 身を乗り出して、ライラの変身ぶりを褒め称えた。素直なカカルに、ライラも「ありがと」と笑顔を返す。


 黒いドレスと豊かな赤毛のコントラストの美しさもさることながら、やはりライラを最も魅力的に映しているのはその完璧なボディラインだった。普段のシンプルなチュニックでさえ目立つその理想的な曲線美は、女性の美しさをひき立てるドレスのシルエットで、更に魅惑的に仕上がっている。


「いつもながら見事なお姫さんぶりじゃねえか」


 口には出さないが、しょっちゅうライラを遠目で見ながら『着飾りゃ高官をたらしこんで悠々自適の生活をおくれるのになあ。もったいねえ』とお節介な事を考えているアーデスは、今まさに高官を余裕でたらしこめる装いをしているライラに心からの讃辞を送った。


 褒められているにもかかわらず、ライラは憮然と腕を組んだ。腕を組んだ事で、その豊満な胸がより一層強調される。

 三十路の独身と十六歳のお年頃の少年の視線が、思わずそこに注がれてしまうのは致し方のない事である。


「好きでこんな格好してんじゃないんだから。宴なんて面倒くさいだけよ」


 幸いにも自分の胸に向けられた数秒間の熱い視線に気付かなかったライラは、フンと鼻を鳴らして、口紅で鮮やかに彩られた小ぶりの唇をひん曲げた。


 ライラの言葉に、カカルがどんぐり眼を瞬く。


「なんで? 宴会はご馳走いっぱいでるんでしょー? 羨ましいっす」


「なるほどね。居残ってるのはそれが目的なワケ」


 夕方を過ぎても家路につかず珍しく残業しているようなので何かあったのだろうかと来てみたら、夕飯目的だと知れ、ライラは呆れてため息をついた。

 余談だが、ジェトとカカルはカエムワセトから、王宮にほど近い場所に宿舎を一軒支給されており、そこに二人で住んでいる。


「そこまで意地汚くねえっつーの。さっきまでアーデスに剣を教えてもらってたんだよ」


 卑しんぼ扱いされたジェトは、ムッとしてライラに口答えした。


 いつものライラならここで、生意気な態度をとった制裁としてゲンコツの一発でも飛ばしてくるのだが、今日返って来たのは「あそ」という気の抜けた返事だけだった。

 しかも、次にライラが口にした言葉には、ジェトも思わず自分の耳を疑ってしまう。


「食欲があるのは健康の証なんだから、別にいいじゃない。抜けれそうなら、適当に見繕って持ってきてあげるわ」


 へ? と拍子抜けしているジェトと残る二人に、ライラはひらりと手をふると、「じゃ」と赤毛とドレスの裾をひるがえして行ってしまった。 


「おう。王子達によろしくな」


 廊下の奥へ小さくなっていくライラの背中に、アーデスが声をかけた。再びライラが『はいはい』の意味で、ヒラヒラと後ろ手に手をふって答えた。


「なんか、今日のライラさん優しいすね」


「ていうか、完全に別人だろ」


 十分な距離までライラが離れてから、ジェトとカカルは各々感想を口にする。本人が耳にしたら足早で戻ってきて二・三発は殴られそうな発言である。

 言ってから、二人は念のため廊下の向こうを確認した。

 ライラは戻ってきていない。


「お前らにメシを運ぶのは、会場を抜ける口実なのさ」


 剣の刃零れ具合を確認しながら、アーデスが二人に説明する。


「王族貴族が集まる宴はあいつにとって、気取ってて憂鬱な場所でしかないんだろうよ」


 自分よりも大柄な男達をねじ伏せたり、滑走する戦車から一つ残らず的を射落とす事には喜びを感じるが、着飾りその美しい肢体を見せびらかす事には未だ楽しみを見出せないライラである。

 もしトイレ掃除か宴会かの二択を与えられたら、ライラは迷わずトイレ掃除を選んだだろう。それくらい、ライラは宴会が苦手である。


「で、元気がねえってわけか」


「毎日が宴会ならいいのに……」


 ライラには申し訳ないが、ジェトとカカルにとっては、先程のように元気をなくしているくらいで丁度いい。殴られないし夕食代も浮くし、いいことづくめである。


「そりゃ無理だろ」


 アーデスは笑った。

 今日は、ファラオに息子が産まれたとかで開かれる誕生祝いである。

 もう何十回目だろうか。

 あとは、ちらりと聞いた話だが、成長した王子達の為の出会いの場となれば、という目論見も有るらしい。

 その王子たちというのは、やはり皇太子やカエムワセトあたりのことであろう。第2王子と第5王子はテーベに派遣されていてめったに戻ってこないし、第6王子以下は出会いを求めるには少々若すぎる。


――集めるだけ無駄だと思うがなあ。


 アーデスは、器量は良い割に浮いた話にはてんで縁がなさそうな年頃の王子二人を思い浮かべた。


 皇太子アメンヘルケプシェフは、はっちゃけたオヤジに振り回されて日々疲れきっているし、カエムワセトは恋愛よりも古代遺跡に夢中で、公務も多い。女性関係に関しては、二人は父王の間逆を突き進んでいた。恐らく、父親の女好きが反面教師として働いているのだろう。もしくはただ単に、父親の様子を見ているだけで、お腹いっぱい、なのかもしれない。

 だが、招待されている貴族の姫様達にとっては、そんな事情はどうでもよいことである。宴会をきっかけにご縁ができたら万々歳だ。


―― 今日は特に姫さん達が集まってるって話だしな。可哀想なこった。今夜は受難だな。


 心服している主と同じ宴に出席できるというのに、心底面白くなさそうにしていた同僚の顔を思い出す。

 一緒に行ってやれたらいいが、貴族以上の人間しか入場を許されない場に、傭兵のアーデスが足を踏み入れる事は未来永劫ないだろう。アーデス自身、入りたい、とも思っていないが。


 ――チクチクした攻撃は俺も苦手なんだよな。問答無用で殴られた方がまだスッとするぜ。


 アーデスもライラ同様、貴族たちが使う敵意をうっすら隠したような話し方が苦手だった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る