剣導水
maria159357
第1話学ぶべき過去と、学ばざるべき未来
剣導水(きどうすい)
学ぶべき過去と、学ばざるべき未来
登場人物
信 しん
和樹 かずき
亜緋人 あひと
李 りー
死神 しにがみ
拓巳 たくみ
みりあ
エド
鳴海 なるみ
賢者は、生きられるだけ生きるのではなく、生きなければいけないだけ生きる。
モモンテーニュ
第一盗【学ぶべき過去と、学ばざるべき未来】
貧しい世界で生きているからこそ、そこから見えてくる時代背景がある。
生きるために必要なものが、愛であるなんて、そんな綺麗事、一体誰が口にしたのだろうか。
最低限、お金は必要なものなのに、だ。
お金が無ければ、食料も手に入らず、なにも買う事など出来るわけも無く、それはつまり、“死”を意味するも同然なのだ。
“愛”など、所詮、目には見えぬものであって、それは最低限必要なものでは無く、お金がある程度ある者が、口に出来る“余裕”だとも考えられる。
落としてしまえば、辺りの砂に紛れて分からなくなってしまう。
バランスの悪い世界にいる今、どうやってバランスを保ち続けていけるというのだろう。
そして、バランスが崩れた時、人はどうなるのだろうか・・・。
とある場所、歴史に名も遺すほど由緒正しき家柄があった。
その名は“凰鼎夷家”である。
何百年、何千年と続くこの家には、数十年前に第一子を授かることが出来、さらに男子であったことからも、後継者が出来たと喜ばれた。
その後ももう一人男子が産まれ、何の問題も無く国を統一するはずであった・・・。
「信様が王位を放棄したそうだ!!」
「なんだったんだ!あのスピーチは!?一体どういうことなんだ?国王からの報告はないのか!?」
凰鼎夷家の御支族、第一子である“凰鼎夷 信”は、つい先ほど行われた王位継承の式典にて、放棄すると言い放ったのだ。
そしてそのまま煙のように消えてしまい、家来たちが総出で探したものの、結局見つからなったそうだ。
国王でもある信の父親と、その妻である母親は大層悲しんだそうだ。
―某所
「おい和樹、あんまり銃ぶっ放すんじゃねぇぞ」
「分かってる」
「じゃあ、行くぞ」
闇にまぎれて三人の影が、無駄に広い敷地の中へと入って行った。
「亜緋人、見つかるなよ」
「それはお前だろ、信」
信と呼ばれた男は、紫の髪が綺麗に整えられている。
和樹という男は、少しはねた長い髪の毛は黒と緑が混ざっており、首筋には三日月が背中合わせになったような痣を持っていた。
亜緋人はオレンジの髪をしており、左頬に絆創膏、右耳には同じ形のピアスが二つついていた。
みなそれぞれ目立つ風貌をしている。
とある豪邸に忍び込み、ちょっとした盗みをしている最中なのだ。
「よし。これくらいにしとくか」
そう言って、信たちは窓から外へと脱出する。
「よくもまあ、こんなに金持ってるな」
亜緋人が感心したように呟くと、そのお金で食料を買い、つまみ食いをしながら歩いていた。
しばらく歩いていると、和樹が目を細め、何かに気付いた。
「おい、人がいるぞ」
「え?」
余程距離があるのか、和樹の視力がとても良いのか、信たちには見えなかった。
しかし、しばらく歩くと、確かにそこには村があり、人々が暮らしていた。
「すっげえな、和樹」
「ほえー。めっちゃ目ぇいいな」
信と亜緋人で感心していると、村の人々がずらずら並んで何処かへ向かっていた。
何処に行くのだろうと、興味本位で着いて行くと、そこは教会だった。
そこの神父様はなぜか神同等、いや、神以上に崇められていた。
異様な光景ではあるが。きっとこの村ではそういう宗教なのかもしれないと、三人は遠巻きから眺めていた。
神父は信たちに気付くと、みなが立ち去ったあと、中に入れてくれた。
「ようこそ。旅のお方でしたか」
「ええ、たまたま通りかかりまして」
「ここはアタ―シャ村といいます。ゆっくりしていってください」
「ここって美人な女とかいる?」
亜緋人の言葉に、思わず信は亜緋人の足を踏みつけた。
ニコニコと笑ったままだが、その表情からは想像出来ないほど強く踏んでいる。
「それにしても、神父様が祀られるというか、ここまで神のように扱われているのは、不思議な風習ですね」
ふと、信がなんとなく聞いてみた。
「ええ、まあ。他に縋るものがないのでしょうな」
とりあえず信達は、その日はその村に泊まらせてもらうことになった。
とはいっても、野宿なのだが。
火を焚いて、身体を暖めながらも周りの様子をなんとなく見ていた。
夜にも人の出入りがあり、教会は常に賑やかな感じだ。
「どうした?そんなに気になるのか?」
亜緋人が、ずっと教会の方を見ていた信に声をかける。
すでに寝袋に入って寝ている和樹を横に、信はなにかが気になるようで、ずっと教会を眺めている。
「?おい、信?」
「ああ、いや。なんか、違和感が」
「違和感?」
その時は、信にも分からなかった。
何に対して違和感を覚えたのかも、何に対して気になっているのかも。
翌日、朝から教会に人が出入りしているのを見て、亜緋人が呟く。
「よくやるなー。他人に縋ってどうしたいんだかな」
「偉いというか。律儀というかな」
まだもぞもぞと寝袋から出ることなく、顔だけ出して話しをしている。
眠気が残るまま、目を細めている信が横に目をやると、和樹は目さえ開けていなかった。
「信」
「んー?」
「今日はどうする?まだ金もあるし、綺麗で可愛い女でも買って」
「却下」
「なんでだよ」
全否定してきた信の返事に、亜緋人は口を尖らせて拗ねる。
そして、寝袋のまま信のほうにゴロゴロと転がって突進してきた。
「おおおおおおお!?怖い怖い!こっち来んなよ!」
「はははは!天罰じゃあ!」
何が楽しいのか、亜緋人から逃げるように、信も同じようにゴロゴロ転がっていった。
まるで芋虫のような格好のまま、二人は追いかけっこを続けていた。
「うお!」
すると、突然、土が柔らかいものになり、信も亜緋人も身体が少し埋まってしまった。
そのまま何とか脱出を試みるが、なかなかうまく抜け出せないままでいた。
「亜緋人のせいだぞ!なんとかしろ!」
「えー、俺のせい?こっちに逃げてきたのは信だろ?俺はお前のケツじゃなくて、女のケツしか追わない主義だってば」
「馬鹿しか言わねえな、お前は」
傍から見れば、とても気持ち悪い映像。
「どっちも馬鹿だ」
声にならない声で身体をねじらせていると、そこにやってきた救世主。
「和樹!助けてくれ!出られねえんだ!」
「・・・はあ。寝袋からまず出ればいいだろうが」
「あ、そっか」
仕方なく信たちを助けると、亜緋人が回りを見て何かに気付いた。
「あり?」
「どうした?」
「ここって、墓地か?」
冗談を、と思った信だが、確かに、良く見てみるとそこは墓地のようだ。
十字架が綺麗に並べられている。
となると、今自分達のいる場所の下には死体があるのかと、勢いよく身体をどかす。
だが、埋められているにしては、あまりに頼り無い場所だ。
「これ、掘られた痕じゃねえ?」
ふと、亜緋人が指差した方には、ぽっかりと棺桶が入るくらいの穴があった。
十字架の数に比べると、あまりにもスカスカな空間だ。
「埋めた人間を掘り起こした?んなことあるかよ」
「けどよ、無い話じゃあないだろ?」
「なくはないけど」
「どうかなさいましたか?」
「うおおおお!」
突如として現れた四人目の声に、信と亜緋人は和樹の後ろに隠れる。
そこに立っていたのは神父だった。
「なんだ、あんたか」
信は思い切って神父に聞いてみると、渋い顔をしながらも、答えてくれた。
「実は、場所を移動させたのです」
「移動?」
「ええ。ここの土は大変柔らかく、土砂崩れを起こして、下の町へと落ちてしまうことがあるのです。そこで棺桶が流れては大変だということで、教会の地下室へと移したのです」
「ああ、なるほどね」
「良かったら、ご覧になりますか?」
「良かったら、の使い方合ってる?それ」
和樹の後ろに隠れたまま、信と亜緋人は神父と会話を続ける。
そして、神父の後を着いて行く間も、和樹の背中から離れることはなかった。
地下室というイメージは大方みな一律だろうが、それにしても暗くジメジメしていて、蝋燭の灯りがこんなにも頼もしく思えるとは。
螺旋階段は幅が狭く、信たちは和樹を先頭にして一列に並ぶしかなかった。
地下室に辿りつくと、そこは今までの狭さが嘘のようにだだっ広い場所になっていた。
「わー、涼しいってか寒い」
「こちらになります」
神父が蝋燭を灯した場所には、幾つもの死体が並べられていた。
積み重なった死体は、いつ崩れるかも分からないほどの高さだ。
「これ、全部村人だった人ですか?」
「ええ、そう言われております」
「すっげ。なんか色々漂ってそう」
「・・・・・・」
しばらく眺めてから、三人は再び階段を上り、教会内部へと戻ってきた。
「では、私はこれで」
そう言って神父が去っていったあと、信は教会のパイプオルガン近くに椅子に座った。
足を組み、指を顎に当てて何かを考えていた。
「なんだ?なんか気になったのか?」
「うーん」
暗かったから、確実にとは言えないが、確かにそこに見えたのだ。
一つだけ、別の場所に祀られている死体を。
しかもまだ骨格が小さいことから、子供だったのかもしれない。
「もう一回行こう」
「俺パス」
即答で信の言葉を拒否した亜緋人だったが、首根っこを和樹に掴まれた。
そして猫のようにそのまま地下室へ繋がる階段に放り出される。
「いやいや、まずくね?てか、見張りは必要だろ?俺やるから。大丈夫。逃げないから。多分」
「そのあやふやな言葉を信じろっていう方が無理だろ。良いから行くぞ。ちょっと確かめるだけだ」
教会の端っこにあった、きっと何かあったときのための懐中電灯を手に持つと、信はすいすい歩いて行く。
地下室に着くと、亜緋人は階段近くの壁に背中をくっつけた。
和樹は灯りなど気にせず、骸骨たちをじーっと見ていた。
そして信は、気になっていた場所へと向かうと、それをマジマジと眺める。
「(やっぱりこれだけ別だ。それに、名前までつけてる・・・。み、ミルク?)」
きっと生前の名だろうが、名がつけたままになっているのはこの身体だけだ。
もしかしたら、最近死んだもので、これだけまだ積まれていないだけなのか。
「んー」
「なあ、もう戻った方がいいって。俺達怒られるぜ?」
「そのために亜緋人はいるんだろ?」
「え?俺って怒られ担当だったっけ?」
懐中電灯をもっと奥まで照らすと、その身体の下に、すり鉢のようなものがあるのが見えた。
「なんだ、これ?」
「触んねえ方がいいって」
後ろから亜緋人が止めに入るが、信はそれを手前に引き寄せると、目を見開いた。
「・・・これ」
小さなすり鉢の中には、白い骨が砕かれた痕が残っていた。
さらにいうと、鉢の中にはピンク色の液体が少しへばりついていて、臭いを嗅いだだけで、それは血だと分かる。
「なんでこんなものが?」
「信!誰か来るぞ!」
ぴちゃ、ぴちゃ・・・。
足音と共に、人影も見える。
「今宵も私と一緒になる儀式を始めよう」
人影はゆっくりと名のある身体に手を伸ばすと、骨を折ってすり鉢に置いた。
蝋燭の火だけを頼りに、人影は骨をゴリゴリと音を出して砕いて行く。
時間をかけて砕き終えると、胸の内ポケットから何かと取り出し、それをすり鉢の中に混ぜた。
「ミルク、早く君と一つになりたいよ」
「ああ、どうして君はこんなにも私を狂わせるのだろうね」
「愛しているよ、ずっと、ずっとね」
人影は、砕いた骨をぐいっと飲みこんだ。
「げっ」
「!?誰だ?」
隠れていた信たちだったが、人影の光景に我慢できなくなり、亜緋人が声を出してしまった。
パッと人影に灯りを灯すと、眩しそうに腕で顔の前を隠す。
「あなた、何をしているんですか?神父様?」
「・・・・・・」
神父は特に焦る様子もなく、ゆっくりと腕を下ろした。
「まだお帰りになっていなかったのですか」
「自分が何をしているか、分かってるんですか」
「何がいけないのですか?」
神父の表情は、至って平然としていた。
「そのミルクと名が書かれた人物は、誰なんですか?どうしてこんなことをしているんですか?」
「・・・ああ、この子は」
こちらが三人もいて圧倒的に有利なのにも関わらず、神父から発せられる空気は、それをも覆すほどの狂気に満ちていた。
神父はすでに骨となっている身体に近づくと、愛おしそうに唇をつけた。
「私が殺したのです」
「!?」
「忘れもしません。ミルクと出会ったのは、もう二十五年も前のことです」
以前から教会で神父をしていた男は、村にやってきた一人の少女と出会った。
それが、ミルクだった。
ミルクは消極的な子だが、とても可愛らしく、風に靡く髪は美しかった。
最初は、兄妹、もしくは親子のような感情だと思っていた。
だが、それは違っていた。
「私は、ミルクに恋をしていた。だが、まだ幼かったミルクは、私を受け入れてくれるはずがなかった」
神父はミルクを教会に呼び、祈りをするという名目で二人きりになった。
そして、ミルクに襲いかかった。
当然、ミルクは抵抗をしたが、男の力に敵うはずがない。
「私はミルクを愛し、殺した。この手で。私はミルクとひとつになりたかっただけなんだ」
「だから骨を砕いて食べた?その子の生き血を抜いたものと混ぜて飲んだ?」
「信?何を言って・・・」
「そう。私はミルクの全てが欲しかった。だから、骨も。血も。そして肉も。この口にして、誰にも渡さなかったのだ」
「ちっ。こいつ狂ってるぜ」
亜緋人は吐き気を押さえるように、口元を手で覆う。
だが、一つおかしな点もあった。
目の前の神父は四十代に見える。
それなのに、二十五年前となると、十五歳ということになる。
果たして、十はいっていたであろうミルクが、五離れただけの男を、そこまで拒むだろうか。
いや、世の中には生理的に無理という言葉があるのだから、全くないとは言えないが。
「・・・まさかあんた」
かく、かく、と玩具のように動きだした神父に、信たちは思わずその場から逃げる。
階段を駆け上りながら、亜緋人が信に聞く。
「おい!どういうこったよ!」
「話は後だ!和樹!来てるか!?」
「・・・ああ。物凄い形相で追ってきてる」
「冷静に言うの止めてくれる!?」
一番後ろにいる和樹が、追ってくる神父に向かって銃を撃つが、威嚇射撃程度だ。
教会に着くと、信たちは神父から距離を取って息を整える。
「はあ、はあ」
「もう、追いかけっこは終わりですか」
「はあ、はあ、ああ。新鮮な酸素が欲しかっただけだからな」
和樹が銃を構えるが、神父は全く気にしていないというか、恐怖も何も感じていない。
亜緋人に関しては、もう意気消沈。
「そんな物騒なもの、ここには似合いません。下ろしていただけませんか」
「物騒なのはお互い様だ。死人野郎に言われたかないな」
「死人?誰が?」
和樹の言葉に、亜緋人が尋ねる。
和樹の視線の先には、今もっとも近づきたくない相手、神父しかいない。
だが、神父は生きている。というか、ちゃんと動いている。
「何言ってんだ?和樹」
「馬鹿が」
「俺?え?俺が馬鹿?」
ちょっとだけ顔を引き攣らせながら、亜緋人は和樹を睨む。
懐中電灯の明かりを消すと、信は腰に下げていた刀を抜く。
「こいつ、生きてる臭いしない」
「和樹くん、犬並みの鼻だね」
至って冷静に話す和樹の横で、信は困ったように笑いながら返事をする。
二人の様子を見て、神父は少し俯き、肩を震わせ始めた。
「ふふ・・・ふはは・・・ふははははははははははは!」
「あ、笑った」
いきなり神父が笑いだし、亜緋人が遠巻きから一人、それを見ていた。
すると、神父の身体が徐々に腐っていき、鼻がもげそうな臭いを発する。
骨も肉も見えだし、体内からは虫もうじゃうじゃと出てきた。
かくん、かくん、と神父の動きは奇妙さを増し、和樹が銃で左足を狙って撃つ。
「おいおいおいおい。マジかよ」
「・・・・・・」
確実に足に当たったのにも関わらず、神父は平然と歩いてくる。
撃った張本人は無表情のままだが、近くにいた信は思わず身構える。
「亜緋人、援護しろよ?」
「あいあいさー」
亜緋人は武器を持っていない。
というのも、亜緋人は武道派のため、接近戦では心強い。
だが、きっとあんな腐った、虫が溢れ出してくるような身体に、触れたくないのだ。
そんな亜緋人に援護など務まるのかと聞かれれば、難しいだろう。
「恨むなよ?神父様」
そう言って、信はぐっと足に力を込めて踏み出し、神父に向かって剣を振るった。
「!?」
まるでからくり人形のように動いていた神父だが、ぐるんっ、と身体を捻った。
それは、人間と言うにはあまりにも軟らかな動きで、骨がないかのようだ。
「気持ち悪っっっ!!!」
それを見て、誰よりも反応したのは、一番離れているはずの亜緋人だった。
神父の目玉はただれ落ち、それでも信と和樹に向かって歩いてくる。
「・・・キリがないな」
「?どうするんだ、和樹?」
「・・・・・・撃つ」
そう言うと、和樹は近づいてくる神父に向けてまた銃を構える。
そして、今度は神父の額を撃ち抜いた。
「げっ」
眉間に穴を開けた神父だが、それでもまだこちらに向かって歩いてくる。
信はいよいよ一歩後ずさろうとしたとき、神父の身体は宙を舞った。
「なんだ!?」
「何何何何!?」
「・・・・・・」
きりきりと音を立てて飛んだ神父を見上げ、信たちはみな顔を上げる。
すると、神父の身体を受け取った人影があった。
「おやまあ、ボロボロになっちゃったな」
金のはねた髪をし、額に何かマークがついている、肩の出るちょっとセクシーな格好をしている男。
そしてその男の隣には、真っ黒の短い髪をしている男と、茶色のふんわりとした、耳の隠れるくらいの髪の男がいた。
金の髪の男は、神父の身体を茶色の髪の男と黒髪の男に手渡す。
ちらっと、金の髪の男がこちらを見てきた。
「で、君たちは誰だい?」
ふわっと髪を靡かせながら、男は信たちを見下ろし、笑う。
「お前たちこそ、何者だ?その男は、なんだ?」
刀を腰にしまいながら、信は尋ねる。
首を少しだけ傾げながら、男は至極楽しそうに微笑んだ。
「そうだね。まずは俺たちが名乗るべきかな?」
そう言うと、男たちは信たちの前に下りたってきた。
白い肌には似合う綺麗な目をしている男は、宙に浮いたまま口を開く。
「俺は李。よろしくね。あいつらは死神と拓巳」
「死神って名前なの?」
不気味な神父がいなくなったからか、亜緋人は信たちの後ろに来ていた。
ひょこっと顔を出して聞くと、李はケラケラと笑いだす。
「本当の名前知らないんだよねー。だから適当につけたんだ」
視線だけを上の二人に向けると、まるで機械か玩具を扱う様にして、神父の身体を縫い合わせ、中身を詰めて行く。
見ているだけで吐き気がする作業を、死神と拓巳は淡々とこなしている。
「気になる?」
「え?」
視線と李に戻すと、李はにっこりと笑ったままだ。
心を読まれているわけではなく、信がわかりやすい表情をしていたのだろうが、なんとも気味悪い。
李との距離を保ちながら、信は移動する。
「あれはね、カラクリだよ」
「カラクリ?人間だったんだろ?」
「勿論。彼が女の子を殺しちゃった話は聞いた?」
「ああ」
「自分の手で愛する人を殺した彼は、酷く落ち込んでいてね。そこで、俺はこう持ちかけたんだ」
くるっと、李は信たちに背を向け、教会にある十字架を仰ぐ。
「君の身体をくれるなら、心はそのままに、あの子とひとつになれる方法を教えてあげるよ、ってね」
何を言っているのか分からず、信も亜緋人も、眉間にシワを寄せる。
和樹だけはいつものように平然としているが。
「死神は彼の命を絶たせ、拓巳は彼の身体を繕った。ああ、彼自身が望んだことだからね?俺達はそれを手伝っただけ」
「身体を操って何をしようとしたんだ?彼がもう死んだなら、ちゃんと葬るべきだ」
「いいじゃない、別に。彼は神に仕えるよりも、自分が長く生きることよりも、彼女と一緒になることを選んだんだから。それは彼の意思であって、彼の人生だよ」
「彼のことを信用している人達は、これを知ったらどう思うか・・・」
「君、もしかして言う心算なの?」
「そうした方が良い」
「ふーん」
信と李の会話に、和樹も銃をしまって腕組をしている。
背を向けていた李は、首だけをこちらに向けたかと思うと、今度は一気に信に近寄った。
あまりの速さに、信は見動きひとつ取ることが出来なかった。
信の近くにいた亜緋人が、李の首もとに肘を当てようとしたが、避けられてしまった。
「君、わかってないね」
「は?」
一瞬だけ、李の目つきが変わった。
すとん、と李の後ろに、死神と拓巳が下りてきて、その手には直った神父がいた。
だが、まだ意識がないようで、ぐでんとしている。
「それとも、他人の人生に口出し出来るほど、偉い生き方でもしてきたのかな?」
「何が言いたい?」
李の言葉に、珍しく苛立った様子の信を、亜緋人が宥めようとする。
「この村の奴らにとって大事なのは、この神父の存在じゃないってことだよ」
「?」
「つまり、奴らは“神父”という、自分たちよりも神に近い存在によって、自分達が守られるのだと思い込んでるだけ。実際そうだよね?この神父がまだ生きていたとして、誰を助けられるっていうんだい?」
「だからそれは」
「生きているか死んでいるかは問題じゃないんだよ。ただ、そこにいるだけで、彼の存在意義は発生しているんだからね。もしも俺達からこの身体を奪い、土の下に埋めてやろうなんて考えてるなら、それはこの村の人達の生きる希望を埋めるってことだからね。そこは理解してもらえる?」
「そういうことじゃ」
「もう止めよう。なんだか、君と話すの面倒になってきちゃった」
「なっ」
「だって、君は結局、どうするの?」
「え?」
李は、拓巳の手から神父を奪うと、その身体を信の方に向かって投げた。
思わず受け止めてしまった、もう腐ったその身体は、腐敗臭さえする。
「もし彼がここからいなくなったら、この村の人達はどうする?これから何に縋って生きる?何と祈る?彼はもう神以上に崇められているんだよ?そういうことまで考えて、君がそれでもと言うなら、まあ、仕方ないかな、とは思うけどね」
触った感じからすると、神父の身体は完全に死んでいる。
だが、李が言うには、そこに意識を取りこむと、まるで違った生き物になるという。
そこの概念や思想というのは良く分からないが、信は正直、悩んでいた。
先程までは強めに言っていたが、いざとなると、自分がしようとしていることが、果たして本当に正しいことなのか。
しかし、それでも決してあってはならない。
死者への愚弄とも思える行為だが、それは神父自身が望んだことだという。
何が正義だとか、悪だとか、完全に割り切ることなんて出来なかった。
「君が決めていいよ」
教会に、李の声が響いた。
「彼を殺すか、生かすか」
すでに死んでいる神父に対し、おかしな質問だとも思ったが、事実、彼は生かされているのだ。
こんな身体になっても、誰かの支えとなるならば、このまま李の言うとおり、生かしておくべきなのか。
「見定めさせてもらうよ」
という言葉だけを残し、李たちは姿を消してしまった。
「信」
考え込んでしまっていたが、はっ、とすると、亜緋人と和樹が信の前にいた。
信は二人の顔をしばらく見れずにいると、最初に口を開いたのは亜緋人だった。
「信、この村のことは、この村の連中に任せたほうが良い。俺達は部外者だ。この屍が村の連中にとって何より大事なら、そのままでもいいんじゃねぇか?信が抱え込むようなことじゃねえよ」
「・・・・・・」
亜緋人の言葉に、信はぐっと唇を噛みしめる。
「わかってる。俺には関係ないことだって。けど、このままにしておくことが最善なのか、それとも、現実を見せた方が良いのか、わからない」
「信・・・」
最初に会ったときに、神父はとても穏やかで優しそうだった。
きっとこの村のみんなに好かれているんだろうと、すぐに分かるほど。
けれど、実際には存在していない彼は、この世界に留まるべきなのか否か。
すると、今度は和樹が話す。
「お前のやりたいようにすればいい」
「和樹」
「お前がどんな答えを出しても、俺はそれを受け入れる」
「・・・・・・」
「おい和樹、俺より格好良いこと言うの止めてくんない?俺の出番が少なかっただけじゃなく、最後に決めようとしてたのに、それさえ掻き消されちゃたまんねって」
ぽん、と和樹の肩に手を置くと、その手を簡単に振り落とされてしまった。
意地になった亜緋人は、さらに和樹の髪をいじり、懸命に三つ編しようとしたが、銃を向けられたため、大人しく手を放した。
「・・・よし」
「お?決まった?」
「ああ」
翌日になって、信達は教会に訪れてきた村人にこう言った。
「神父様は、急な御病気で亡くなりました」
始めは信じようとしない人がほとんどだったが、両手を合わせ棺桶で寝ている神父を見せると、みな大層悲しんだ。
泣き崩れ、神さえ恨み、村人は三日三晩悲しみに暮れた。
その後、神父の葬式が行われ、遺体は焼かれた。
骨を拾うと、信たちは地下室に遺骨の入った木箱を置く。
「安らかに」
神父が愛した少女の隣に置くと、地下室にある全ての蝋燭に火を灯し、冥福を祈る。
村から出ようとすると、村のあちこちで神父の死から立ち直れない人を見かける。
「・・・・・・」
活気のあった村のはずが、とても暗く、生気さえ感じられないほどに。
「信、行くぞ」
「・・・ん」
亜緋人に呼ばれ、信は村を後にする。
村から二キロほど歩いたところにある小さな森で、また彼らと出会った。
「・・・・・・」
「そんなに睨まないでくれる?」
「お前たちがあんなことしなければ、村は変わってたはずだ」
目の前の李たちは、そんな信の言葉に鼻で笑ってみせる。
「それはお互い様だね」
「なにを」
「俺から言わせれば、君の方こそ、あんなことしなければ、誰も悲しまずに済んだんだよ?」
「・・・・・・」
「彼は生きている間に見出せなかったものを、死んでから手に入れることが出来たんだ。君は自分の正義を貫いたつもりかもしれないけど、この世にある正義なんて不確かなものだ。君にとって、何よりも正しい正義だとしても、他人からみるとそうでないものの方が多い」
「わかってる」
「なら結構」
「お前達は・・・」
立ち去ろうとした李たちに、信は追いかけるようにして声を出す。
死神と拓巳は顔を少しだけ後ろに向けたが、李だけは背を向けたまま。
だが、きっと笑っているのだろう。
「お前達は、どうしてあんなことを?」
あんなこと、というのは、きっと神父にしたことだろう。
何か意味があってのことなのか、意味などなかったのか。
聞いてもどうしようもないことは分かっていたが、それでも信は聞きたかった。
李は背を向けたまま、顔を上げて大笑いした。
それはとても楽しそうで、けれどどこか歪んでいて。
「どうして?理由があった方が良いのかな?」
「?」
「理由なんかないよ?ただそこに、彼がいたから。それだけだよ」
「お前!」
信が腰から刀を抜こうとすると、死神と拓巳が鎌と銃を信に向けた。
それと同時に、和樹も銃を構える。
「運命の出逢いとでもいうのかな?」
「運命の出逢い?」
ここでようやく、今まで背を向けたままだった李が、信の方に身体ごと向ける。
「何の目的もないんだよ。俺達がしていることはね。ただ、運命に導かれるまま、俺達のことを必要としてる人を手助けしてるだけなんだから」
「ふざけたことを」
「まあ、そうカリカリしないでよ。凰鼎夷信くん」
「!?」
信は、一瞬、呼吸の仕方がわからなくなった。
名前だけなら、和樹や亜緋人に呼ばれているから、知られていても不思議ではない。
だが、凰鼎夷という名を知っているのは、どういうことだろうか。
調べるにしても、そう簡単にはわからないはずなのだが。
「何の真似だ?」
やっと動いた口は、そう言っていた。
「何の真似?別に?言ったでしょ?目的もなにもないんだって。ただ知りたかった。それだけ。ね?」
にっこり、それはもう本当ににっこりと笑うと、李は手をひらひらさせた。
「じゃ、俺達はもう行くよ。きっとまた会えると思うから。そのときまた話をしよう」
強い風が吹いてきて、信たちは思わず目を瞑ってしまった。
だが、次に目を開けたときには、すでに李たちはいなかった。
「信」
亜緋人に何回か呼ばれ、信は和樹と亜緋人の方を見る。
「行くぞ」
「李」
「なに?」
「あの男、知ってるの?」
信たちの前から姿を消し、離れた場所から信たちのことを見ている。
肩を出したまま、金の髪の男は、口角を決して下げること無くいる。
「以前、何処かで見た顔だと思ってね。ちょっと知り合いに聞いてみただけ」
「知り合い?」
拓巳が尋ねると、李は一瞬表情を硬め、またすぐに笑顔に戻る。
「そう。俺がまだ純粋で穢れを何一つ知らなかった頃に会った、唯一の理解者でもあった人だよ。まあ、今は君たちがいるからね。理解してるのかは別として」
またいつものようにケラケラと声を出して笑いだした李は、死神と拓巳に背を向けて、移動し始めた。
李の後を追って行く二人は、一瞬変化した李の表情を見逃さなかった。
それを口に出して言うことはしないが。
「あ、それよりも」
「ん?」
ルンルンと鼻歌まで唄っていた李が、突然ぴたりと動きを止めた。
死神と拓巳も同時に止まると、李が首だけを後ろに向けてきた。
「二人とも、結構血の臭いするから、身体洗いに行こうか」
にっこりと言った李の言葉に、拓巳は思わず自分の身体をくんくんと嗅いだ。
そこまで臭う気はしないが、李は気になるようで、温泉のある場所を目指すことになった。
確かに、先程神父の身体をいじったから、その時にでも臭いが染み付いてしまったのだろう。
「この辺に温泉なんてあったっけ?」
死神―、と、李は名指しで聞くが、死神は「知らない」とだけ答えた。
「拓巳―」
呑気な李の声が聞こえたかと思うと、いきなり拓巳の前に李の顔が現れた。
「ぼーっとしないの。早く行くよ?」
にこりと微笑んだあと、李は拓巳の頬を無意味に抓った。
「愉しみは多い方が良いよね」
「信、今俺達は何処に向かってるんだ?」
信たちは、地図を持っていなかった。
お金があるうちに地図のひとつでも買っておけば良かったのだが、どうやら、その時は無くてもいいだろうと思っていたようだ。
「多分、西」
「いやいや、方角じゃなくて。てか、西じゃなくね?太陽があっちになるから・・・」
適当に答えた信は、亜緋人のことなど無視して、とにかく真っ直ぐ進む。
だからと言って、本能的に方角がわかるとか、そういうことではない。
どちらかというと、方向音痴だ。
仮に迷子になったとしても、和樹も亜緋人もいるからなんとかなるだろう。
そんな安易な考えだったのだ。
「今日はもうダメだな。日も暮れるし。この辺で野宿でもするか」
「野宿ったって、寝袋、あの村に置いてきちまったぞ」
「・・・・・・よし。かまくらを作ろう」
「雪降ってねぇよ」
「よし。どこか宿を探そう」
「宿もねぇし金もねぇよ」
「じゃあどうすんだよ。亜緋人、お前なぁ、否定するばっかりじゃ人生は前に進めないんだからな」
「信って意外と計画性ってもんがないんだな。あの村で食料なり金品なり、貰ってくりゃあ良かったんだよ」
「じゃあ亜緋人が貰ってくれば良かっただろ。あんまり活躍してなかったし」
「それ言っちゃう?さすがの俺でも凹むよ?」
「勝手に凹んでろ。てか、あれ?和樹、何してんの?」
「火をおこす準備」
信と亜緋人が無能な言い争いをしている間に、和樹は一人着々と焚火をする準備をしていた。
原始的な火のつけかたをすると時間がかかってしまうが、いたしかたない。
「俺マッチある」
「なんで」
「あの教会、蝋燭使ってたろ?だからだと思うけど、マッチ落ちてたから拾ってポケット入れてそのままだった。てへ」
「・・・てへ、はなんか癪に障るけど、まいいや」
マッチを使ってなんとか火をおこせると、今度はお腹が空いてきた。
ぎゅるるるる、とまるでハーモニーのように鳴り響く。
「なんか落ちてねーかな」
「ウサギとか狸とか?」
「捕まえたところで、喰える?その前に捌ける?」
「・・・・・・」
亜緋人の言葉に、静まり返った。
結局その日、三人は何も食べることが出来なかった。
「よし。早く村でも町でも見つけて、まずは何か喰おう」
珍しく、同じ目標を持った三人は、足早にその場を後にした。
「イヴ、大丈夫?」
「うん!アダム、先に上って!」
「怪我しないようにね。もう少し頑張れば、木の実が一杯とれるから」
「うん!」
ただそこにある現実が、果てしなく残酷。
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