第27話


「ケルヴィ、様」

彼を真っ直ぐに見る。

「お久しぶりですね」


「そうだな」

明らかに敵意をもって身構えている。


悔しさや恨み、怒り、憎しみ、そんな感情があった気がする。

でも今はどの感情もない。


カバンから装置を取り出した。


「これは、私がヴェールランドで開発した通信装置です」

小さな装置を、丁寧に組み立てる。

「使用電圧は、たった15ボルト。プラチナ線も、最小限しか使っていません」


装置が完成する。

スイッチを入れ、まず受信機を一番近くにいた記者に手渡し、送信機をケルヴィ手渡した。

「どうぞ」


「何がどうぞだ? 何をしろと言うんだ」

「すごい!」

記者が感嘆の声が上げる。

「ここから、ケルヴィ氏の言葉が聞こえるぞ!」


本来は国際錬金協会で発表するものだった。

先んじて発表することになってしまったけれど、研究がお披露目される瞬間の喜びは。


「噂では聞いていたが、ここまではっきりと音を伝えられるとは」

「理論的には100km先にも届くらしい」

「これで世界は大きく変わるぞ!」


何にも代えがたい。


「錬金って、素敵だよね」

私は、ケルヴィを見た。

「素敵だと? あいかわらずの脳内お花畑だな。国運がかかっているんだぞ」

「そうだね、確かにそう。私が素敵なお花畑にいられるのは、他の人のおかげ」

私の言葉に、いつもの調子を取り戻したのか、不敵に笑う。

「そうだ。お前の功績は俺がいたからなんだ。今ならまだ間に合う。戻ってこい」


「ケルヴィ、50ボルトではなく、なぜ15ボルトで十分なのか。なぜプラチナ線を使うのか分かる?」

彼は答えられない。

今いる研究所の仲間たちなら、即答できるだろう。


「電気通信において重要なのは、信号の明瞭さだから。高い電圧は、むしろノイズの原因になる」

記者たちが熱心にメモを取る様子が見える。

そういえば、ケルヴィがメモを取る姿を見たことがない。


「プラチナ線を使うのは、電気抵抗が安定しているから。でも、全体に使う必要はありません。重要な接点だけで十分」


ふと、エミリアと目が合った。

彼女は、唇を噛んで俯いていた。


「違う!」

ケルヴィが叫ぶ。

「すべて、この女のウソだ! 俺をおとしいれようとしている!」


「女?」

また別の記者が食いつく。

「『この女』ですか? 研究者に対して?」

「いや、それは...」

「先ほどから気になっていたのですが」

女性記者が鋭く追及する。

「あなたは、マリ嬢を研究者として見ていないのでは?」


「女に…女に研究なんて…」

「今、なんと?」

会場が静まり返る。


「女に研究なんてできるはずがない!」

静まり返った会場の中で、ケルヴィの声だけが響いた。

「だから、俺が指導してやったんだ! それなのに、恩を仇で返して...」

それでもケルヴィは止まらない。

もうその姿を見るのも恥ずかしくなった。


「もうやめて!」

鋭い声が響いた。

エミリアだった。

彼女は震えながら、立ち上がった。


「もう…たくさん」

「エミリア?」

「あなたはもう終わりよ! 私も! 分かるでしょ!」

彼女の目から、涙が溢れる。


「黙れ!」

ケルヴィが、エミリアに詰め寄る。

だが、その瞬間—

「おやめなさい」

キュリー様が、ケルヴィの前に立ちはだかった。


「女性に手を上げるおつもりですか?」

ケルヴィが、たじろぐ。

「これ以上、醜態しゅうたいさらすのはおやめなさい」


その言葉に、ケルヴィは崩れ落ちた。

文字通り、膝から崩れ落ちた。

すべてを失った男が、そこにいた。


重い沈黙を破ったのは、国際錬金術協会の審査官の女性だった。

「もう、十分でしょう」

彼女は立ち上がり、厳かに告げた。

「ケルヴィ・ユーディラス氏の申し立ては、根拠を欠くと判断します」

司会の高官も、重々しく頷く。

「ヴェールランド政府としても、この申し立てを却下します」

拍手が起きた。

私はホッとして、へたりこんだ。


すべてが、終わった。

長い24時間だった。


いや、まだ一つ残っている。

私は、崩れ落ちたケルヴィに近づいた。


「ケルヴィ」

彼が、ゆっくりと顔を上げる。

涙で濡れた、みじめな顔。


「なぜだ...」

彼が呟く。

「なぜ、お前は俺を選ばなかった…」


なぜそんな問いが今さらできるのか。

正気を疑ったが、

「錬金術を選んだからです」

私は静かに答えた。


「錬金術…そんなものが、俺より大事なのか」

「はい」

迷いなく答える。


「錬金術は、私の人生そのもの。誰のためにも、諦められません」

ケルヴィの目に、理解できないという色が浮かぶ。

きっと、一生理解できないだろう。


でも、それでいい。

人にはそれぞれ、大切なものがある。

私にとっては、それが錬金術だった。

ただ、それだけのこと。


「でも」

私は続けた。

「今からでも、遅くありません」

ケルヴィが、驚いたように目を見開く。


「本当の錬金術を、一から学んでみませんか? 誰にでも、門は開かれています」

「お前に、あわれられる筋合すじあいは」

「憐れみではありません」

私は、心から言った。


「もったいないと思うんです。せっかくの人生なのに」

「………」

ケルヴィは、答えなかった。

ただ、立ち上がり、よろよろと会場を去っていった。

エミリアは、もう彼を見ていなかった。

彼女もまた、自分の道を選んだのだろう。


顔を上げると、キュリー様が何やら記者たちに向けて話をしていた。

「約束いたします。我が国がほこる錬金が、国を豊かにし、人々を豊かにする。我々の未来は、明るい!」

会場に拍手が起こった。


私はそっと降壇しようと立ち上がった。


キュリー様がこちらに向き、手を差し向ける。

「その最大の功労者たる、マリ・ラ・ジョリオ女史に大きな拍手を!」


最初は、ぽつりぽつりと。

やがて、それは大きなうねりとなった。

記者たちが、政府高官たちが、審査官たちが。

みんなが立ち上がり、拍手を送ってくれた。


私は、深く頭を下げた。

涙が、止まらなかった。


認められたような気がした。

私の研究が、私の生き方が、私自身が。


顔を上げると、キュリー様と目が合った。

彼は、誰よりも大きな拍手を送ってくれていた。


私は、もう一度深く頭を下げた。

支えてくれた、すべての人に。

信じてくれた、すべての人に。

そして、これからも共に歩んでいく、すべての人に。

感謝を込めて。


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