第2話綺麗事と綺麗なこと





インヴィジブル・ファング

綺麗事と綺麗なこと






  人生はそれを感ずる人間にとっては悲劇であり、考える人間にとっては喜劇である。


ラ・ブリュイエール






































































            第二牙 【 綺麗事と綺麗な事 】








































  「・・・・・・あ?」


  朝友也が目を覚ますと、早朝に光からメールが入っていることに気付く。


  とりあえずメールの中身を確認してみると、『今日休む』、『都賀崎も休む』と、単調にも程がある内容が書かれていた。


  返事をしようかと迷った友也だが、あまり係わらない方が、自分にとってもシャルル達にとってもいいと判断し、そのまま携帯を閉じた。


  カーテンを開ければ眩しい灯りが目を刺激し、思わず目を瞑る。


  いつものように学校に向かえば、光の席も侑馬の席もガランとしていて、女生徒達は侑馬が休みだと知ると、見舞いに行くだの、見舞いには何を持って行こうだのと、大騒ぎをしていた。


  突っかかってくる相手がいないからか、その日、友也の周りは静かなものだった。


  「なんかなぁ・・・。」


  何度も光の携帯に連絡を入れてはみるものの、かけ直して来ないどころか、留守電にすらしていないため、メッセージを入れることすら出来ない。


  先日、シャルルが言っていた内容からも、きっと自分との連絡さえも、最低限に済ませる心算なんだろう。


  侑馬の携帯にもかけてやろうと考えた友也だが、侑馬の携帯番号を知らない事も、今ここで、この日初めて発覚する。


  携帯の蓋をパカパカ掌の中で遊んでいるうちに、前の席の友人に『五月蠅い』と注意を受けた。


  授業中もずっと窓の外を眺めていると、先生から注意を何度かされたが、何を言われても今の友也の耳には入らなかった。


  調子が狂う日になりかけた友也だが、学校帰りに、ふと何かの気配を感じ取った。


  勢いよく後ろを振り返ってみると、そこには、今日はいないはずの侑馬が立っており、朧気に友也の前から消えていった。


  「待ッ・・・!!!」


  後を追って行こうと思い、走り出そうとした友也だったが、何かが足に纏わりついてきて、その場より先に進む事が出来なかった。


  舌打ちをしながら自分の足下を見てみると、真っ黒い猫が小さくニャーと鳴いた。


  「・・・・・・。もしかして、えーっと・・・・・・モルダウ?あれ?それは川の名前か?モルダン・・・あ、これだ。モルダンか!?」


  「ニャー。」


  返事を言うように鳴いたモルダンと思われる猫は、友也から離れてさっさと歩き始めてしまったため、友也はそれの後につく。


  いつものように侑馬の城に行くのかと思ったら、あっという間に自分の家に着いてしまった。


  ?を頭に出してモルダンを見ると、モルダンは友也の顔を数秒見つめ、その後は何の未練も無く何処かへと行ってしまった。


  塀の上を登り、狭い道を通って、友也が着いて来れないように、スルスルと抜けていく。


  「?なんだ?今のは?」


  携帯を取り出して光に連絡を入れてみるが、電源が入っていないのか、友也のいる世界からでは電波が届かないのか、通じることはなかった。


  「・・・俺は除け者か。」








  「ニャー。」


  「モルダン!良かったー!無事だったのね!!!」


  友也を家までちゃんと送り届けたモルダンは、侑馬の城、というよりもシャルルの城に辿りつくと、ミシェルの許に歩み寄った。


  無事に帰ってきたモルダンを抱きしめようとしたミシェルだが、モルダンはミシェルに近づいてすぐに方向転換し、シャルルの方へと近づいていった。


  足を組んで頬杖をつき、目を瞑っているシャルルの足下に擦り寄ると、そこで丸くなる。


  恨めしそうにシャルルを睨みつけるミシェルだが、モルダンが視線を上げてシャルルと何か会話をしていることに気付き、大人しく光の隣に腰を下ろす。


  はぁ、とため息を吐くと、シャルルはモルダンを抱いて自分の膝の上に乗せ、頭を撫でた。


  「シャルル。モルダン、なんて?」


  「・・・あの馬鹿の前に、またミラーが現れたようだ。」


  「石黒は別に馬鹿ではないだろ?多分。」


  シャルルの言う、“あの馬鹿”とは誰なのだろうと頭を捻っていたミシェルの隣で、なんとなく察知できた光が答える。


  すると、モルダンの頭を撫でながら、シャルルが冷たい視線を光に向ける。


  「“あの馬鹿”で通じるとは、ヴェアルもそう思っていたということだな。これだから友情とは儚く脆いものなんだ。」


  ウッ、と喉をつまらせた光を他所に、シャルルはジキルとハイドを呼んだ。


  膝にいるモルダンを下ろすと、シャルルはスッと立ち上がり、マントをバサッと煽ったかと思うと、そのまま窓際まで飛んでいった。


  ふと窓の外を見てみると、見事なほどに真ん丸くなっている月が見えた。


  途端、光は自分の身体が変化し始めていくのを感じ取り、急いで抑えようとするが、そんな光をさらにシャルルは止める。


  「シャルル!ヴェアルが!!」


  苦しむ光を心配するミシェルが、光に近寄って身体に触れようとするが、シャルルによって阻止されてしまう。


  「何すんのよ!?苦しんでるじゃない!!」


  「見れば分かる。それに、このくらいのこと耐えられなければ、こいつは狼男として失格だ。」


  「そりゃ・・・そうだけど・・・。」


  「分かったら、早くあいつらのとこに行くぞ。」


  「へ!?は!?どこ?」


  未だ苦しんでいる光を運ぶようにミシェルに伝えると、シャルルは身軽に空へと浮かんでしまった。


  「ちょっとおぉぉぉッ!?女の子に力仕事やらせるってどういうこと!?無理!悪いけど、ヴェアル運ぶの無理!!」


  「遠慮するな。丁重に運んでも適当に運んでもいい。」


  「遠慮じゃなくて拒否してんのよ!!!」


  魔法でとある布を出すと、その布で光を包み込んだミシェルは、杖で布に命令をする。


  「お願い~浮いて~浮いて~ってか浮け。」


  念力のようにフワッと浮いた光の身体を、集中力が途切れないうちに運ぼうとシャルルの後をついていくミシェル。


  スイスイ飛んでいくシャルルを見て、思わず光ごと投げつけてやろうかと思ったのは、言うまでもない。


  箒に跨りながら光を運ぶのは容易ではないが、なんとか頑張っていると、ガサッと草陰から物音が聞こえてきた。


  「ミシェル。ヴェアルを落とせ。」


  「は???」


  「早くしろ。」


  それほど高くは無いとはいえ、地上から五メートル以上は高いこの場所から落とせば、光がどうなるか、容易に想像できる。


  布に包んだまま落とさずにいると、ジキルとハイドがミシェルに近づきながら羽根をばたつかせたため、慌てて払おうとしたミシェルの集中力はそこで途切れた。


  それはつまり、光が地面に向かって落ちていったことを示す。


  急いでミシェルも下に向かって飛んでいこうとしたが、腕をシャルルに掴まれ、光が落ちていくのを見るしかなかった。


  地面に叩きつかれる前に、光に向けて、強い風が吹いてきた。


  その風の勢いや雰囲気に覚えのあったミシェルは、魔法で壁を作り、なんとか衝撃をまともに受ける事から逃れた。


  「ヴェアル!」


  「・・・。」


  耳が痛くなるような音と風に耐えているミシェルに対し、シャルルは至って平然と、落ちていく光を見ていた。


  落ちる!ミシェルは思わず目を瞑りながら背けたが、大きな何かが落ちたような音が、一向に聞こえてこない。


  そーっと目を開けてみると、いきなり手首をシャルルに掴まれ、少し離れた場所まで連れて来られた。


  「ヴェアルは!?」


  「・・・あそこだ。」


  相変わらず冷めた目つきをしたシャルルが、クイッと顎で方向を示すと、そこにいたのは先程までの人間の姿をした光ではなく、獣と化したヴェアルであった。


  元から高めの身長ではあったが、さらに高く二メートルに達しているかいないかほどになっているヴェアルの身体は、確かにオオカミのように毛が生えている。


  筋力の上がった手足を生かし、物陰から攻撃をしてきた男、ファウストの肩腕に噛みついていた。


  それに対抗するかのように、ファウストもヴェアルの腕に噛みつこうとしたが、それにいち早く気付いたヴェアルは後方へジャンプする。


  ファウストが大きく口を開けてヴェアルに向かい遠吠えをすると、ヴェアルは瞬時に着地し、脚力を生かしてファウストの懐に入り込む。


  肩腕をファウストの首にぶつけると、ファウストは背中から木にぶつかった。


  シャルルに腕を掴まれていたミシェルは、その様子を口を開けながら見ていると、隣から喉を鳴らして笑う声が聞こえてきた。


  「?シャルル?」


  目はそれほど笑ってはいないが、口角を上げて笑っているため牙がちらっと見えるように笑うシャルルは、至極楽しそうだ。


  「面白い見世物が見れそうだな。」








  「・・・見れそうだが、俺達は先に進むぞ。」


  「え!?そうなの?ヴェアルの応援するんじゃないの?」


  「するか。ここで待っていても、俺達まで攻撃喰らうだけだ。それに、今のヴェアルなら平気だろう。ストラシスさえいれば大丈夫だ。ヴェアルもなかなか単純な奴だからな。」


  他に誰がいるのだろうと考えた結果、いつもシャルルやヴェアルといる友也であろうと結論に至ったミシェルは、仕方なくシャルルの言うとおりに動く。


  だが、二人を遮る様にして水の壁が突然現れた。


  「ギャッ!!!」


  「・・・せめてもっと可愛い悲鳴をあげろ。」


  以前にも見た水の道が出来上がると、素早い動きでその中を駆け巡ってくる、ミシェルとは体系的な魅力が違う女性。


  ミシェルに攻撃してくるかと思いきや、ミシェルは素通りしてシャルルの目の前で止まる。


  「シャルル!」


  ヒレを器用に動かしてその場に留まり、シャルルの顔を見つめながら、妖艶に口元を歪める。


  「近くで見ると、一層綺麗な顔立ちしてるのね?グラドム=シャルル四世さん?」


  「貴様は近くで見るとシワだらけだな。反吐が出る。」


  「言うじゃない・・・?」


  カッと目を見開いたシレ―ヌの爪は通常の数倍もの長さに変わり、その爪をシャルルの爪に突きつける。


  微動だにしないシャルルは、一回ゆっくりと瞬きをすると、シレ―ヌは背後に殺気を感じ取り、急いで水の通路から逃げた。


  「危ないわよ?お譲さん?」


  通路から今度はミシェルの背後へと回り、ミシェルの首を軽く締めつける。


  「みんなを返してよ!!ババア!」


  「ババア?」


  癇に障ったのか、ピタリと動きを止めたシレ―ヌは、ミシェルの首を解放する。


  急いでその場から離れたミシェルはシャルルの背中に隠れると、シャルルは欠伸をしながら木の枝に腰掛け始めた。


  「おい。」


  「何?」


  「お前じゃない。人魚の方だ。」


  「・・・ババア・・・?この私がババア?どうして?まだピチピチの私が?まだ二十代の私がババア扱い?え?耳に水でも入ったのかしら?」


  ぶつぶつと独り言を言って、ミシェルに言われた言葉をなんとか冷静に除去する作業に取りかかっているシレ―ヌに、シャルルは今決してかけてはいけない言葉をかけた。


  「そこのババア。ミラーはどこにいるんだ。」


  「・・・。」


  実際に聞こえはしないのだが、プツッ、とシレ―ヌの中の何かがキレた感覚に襲われると、シレ―ヌの肌は真っ青になり、薄気味悪い笑みを浮かべた。


  次の瞬間、耳にではなく、脳に直接届くような悲鳴、奇声、もしくは嬌声と言うのだろうか、頭がガンガンするほどの声が鳴りだした。


  「馬鹿ァァァァァァッ!!!!なんで怒らせるのよー!!!」


  「最初に言ったのはお前だ。はぁ、これじゃ、ミラーの居所は聞き出せないな。」


  肌が青くなったシレ―ヌはミシェルに攻撃をしかけると、なんとかミシェルは逃げ惑い、その間にシャルルは更に遠くの枝に避難する。


  「俺は行くぞ。女の相手は女のお前しかいないからな。」


  「え?マジ?ちょっと!!!!」


  マントを広げて空に飛ぼうとしたシャルルだったが、聴覚で感じ取った僅かな音に気付き、すぐさま方向転換する。


  近くの木の幹に膝を曲げて両足をつけると、そのまま更に方向を変える。


  「背後から攻撃するとは、貴様もなかなかゲスだな。」


  太い幹に手をあてて身体を安定させつつ、危険を察知したジキルとハイドがシャルルの肩に止まると、シャルルは力を抜いてストン、と枝の上に腰かけた。


  足を組んでその人物を見下すと、赤く染まった目がぼんやりと妖しく光る。


  「・・・相変わらず何も喋らない奴だ。まぁいい。ミラー。」


  シャルルの姿をしているミラーは、口を閉ざしたままシャルルを見上げる。


  悠長に喋っているシャルルの隣では、ヴェアルはファウストと力勝負を始めており、さらにもっと近くでは、ミシェルが泣き泣きシレ―ヌと戦ってる状況にも係わらず、シャルルは至って平然とミラーに話しかける。


  「俺からありがたい提案がある。ここで一気に戦うというのは、利口な選択とは思えない。それに、お前たちの魔女狩りの目的は俺だろう?目的を果たしたのなら、俺とだけ戦えば良い話のはずだ。ヴェアルやミシェルがこの場にいなかったら、三人を相手にしなければいけなかったのだからな。」


  「それは違うわよ?シャルル?」


  いきなり会話に、というよりも、シャルルの独り事に入ってきたシレ―ヌは、水の通路を通ってミラーの許に近づき、前髪をかきあげた。


  「確かに、私達の目的は貴方だったわ。でもね?貴方だけを倒しても意味が無いことに気付いたのよ。」


  艶っぽい唇を揺らして話すシレ―ヌに、ミシェルは杖で頭を一撃すると、一目散にシャルルの座っている木の陰に隠れた。


  イライラ気味のシレ―ヌだが、頬を引き攣らせながらも何とか笑顔を保ち、再び髪を直しながらシャルルに話をする。


  「貴方の周りも崩していかないと、完璧な私達の世界が来ないのよ。人間達と仲良くすることは、私たちに対する愚弄よ?それは貴方自身も知っているはず。あの人間も殺して、やっと自由な世界になるの。」


  特に興味無さそうに欠伸をするシャルルだが、ニッと口元を歪めると、ミラー達に向かって言葉を放つ。


  「勝手にしろ。俺は俺の生きたいように生き、生きたい場所で生きる。それが人間の世界だろうが、お前達の仕切る世界だろうが、俺にとって住み易ければなんでもいい。」


  「そうね。利害も一致しなければ目的も何もかも違うんですもの。でも、貴方側についている魔女達が生き残ることは、後々私達の害となることになるから、魔女達は予定通り火炙りになるだろうし、貴方達もここでくたばって終わりよ?それで一件落着なんじゃない?」


  すでに話を半分以上聞いていなかったシャルルは適当に欠伸をすると、ミシェルに視線で何かを訴え、足を組み直す。


  ミシェルが杖を構えてシレ―ヌに攻撃を仕掛けようとした時、近くから物凄く大きな音を立てて何かが飛んできた。


  すぐにバリアを張ったミシェルは、モルダンを抱きかかえて木の陰に隠れる。


  木の上の方から見下す様に状況をいち早く把握したシャルルは、自分に向かって強気発言をしたシレ―ヌに対し、言葉を返す。


  「ああ。確かにあの様子じゃ、くたばるだろうな。くたばるのはヴェアルじゃなく、ファウストの方だろうがな。」


  ミシェルの方へ飛んできたのは、意識を失いそうなほどフラフラしているファウストの身体で、飛んできた方向に立っているのは、満月を背にしている黒い影だった。


  長く伸びた髪の毛は夜風に揺れ、口元からは牙を出していて、人間離れした筋肉をもった足はがっしりとしているが、確かにヴェアルだ。


  首をコキコキ鳴らしてファウストに近づき、ファウストの首を片手で掴んで身体ごと持ち上げる。


  「ファウスト!しっかりなさい!!」


  「うッ・・・。」


  喉から出て来ない声をなんとかしぼりだそうとしているようだが、声を出そうとすると、さらに強く掴まれてしまうため余計に苦しくなる。


  自分の首を掴むヴェアルの腕を掴み、鋭く尖った爪で食いこむように強く握ってみるが、ヴェアルの腕には掠り傷程度の痛みしか与えられない。


  その二人の圧倒的な力の差を見て、シャルルはニヤッと口元に弧を描くと、頬杖をつきながら独り事を言う。


  「満月の夜だけは、あいつを敵には回したくないものだな。」








  鈍い音と同時に、大地へと崩れ落ちたファウストの身体は、力無くただ横たわっている。


  急いで水の通路を作ってファウストに近づくシレ―ヌだったが、足の骨が折られていることに気付くと、あまり動かさないように気をつけて、小さく声をかけていく。


  「ファウスト!?ファウスト!!起きなさい!」


  ガサッと物音がしたため振り向くと、シャルルの格好から、誰の姿かは分からないが別人になったミラーが歩み寄ってきた。


  「ミラー!私が敵を討つわ!!」


  一人張り切ってミシェルを睨んだシレ―ヌだが、その肩を掴んで止めたミラーは首を軽く横に振った。


  再起不能となったファウストを抱えると、ミラーは一度シャルルを見て、すぐに踵を返して帰っていく。


  その後を着いていくシレ―ヌも、シャルルたちを睨みつけながらも、ファウストを心配そうに見つけながら帰って行った。


  「さてと・・・・・・。」


  残されたシャルルは、未だ暴走しそうなヴェアルをどうしようかと見下ろしていた。


  指をパチン、と鳴らすと影の方からストラシスが飛んできて、ヴェアルの周りをぐるぐる旋回していると、催眠が解けたようにヴェアルから光へと姿を戻し始めた。


  目をパチクリさせたかと思うと、急に激しく痛みだした関節に気付き、蹲った。


  「ヴェアル!?大丈夫??」


  「ああ。・・・えっと、なんかよく分からないけど、俺の役目は終わった感じか?」


  「うん!ヴェアルすっごく強かったよ!!」


  子供のようにはしゃぐミシェルの首根っこを掴んだシャルルは、片手で簡単に腕を九十度横に移動させて手を離した。


  その拍子にお尻から地面に落ちたミシェルは、お尻を撫でながらシャルルを睨む。


  「・・・帰るぞ。」


  「あいよ。」


  サッサッと歩き始めてしまったシャルルの背中を眺めているミシェルは、そっと光に近づき、コソッと小声で話しかける。


  「ねぎらいの言葉、無かったね。」


  「・・・まぁ、あれがシャルルなんだよ。」


  「ふーん。」


  一人納得のいっていないミシェルだが、大人しく光を支えながらシャルルの後を追って行く。


  シャルルの城に無事に着くと、光を椅子に座らせて、ミシェルは救急箱を取りに自分の部屋へとかけあがっていく。


  蝋燭が灯されていく中、シャルルは椅子にドカッと座り足を組むと、欠伸をする。


  ダダダと慌ただしくかけ下りてきたミシェルは、消毒液やら包帯やらを取り出して、光の腕や足にぐるぐると巻いていく。


  「・・・ミシェル。それじゃあヴェアルが包帯人間になってしまうぞ。」


  「いーのよ。動けないようにするんだから。」


  ミシェルなりの治療が終了すると、シャルルは重い口を開いた。


  「ヴェアル、明日午前中だけ学校に行って保健室にでも行くといい。どうせあいつらはこっちには来れ無いから、早退して午後帰ればいいだろう。」


  「ああ、そうだな。石黒には連絡しておくか?」


  「・・・なぜ一々連絡する必要がある?」


  「いや・・・別に。なんか悪いな。」


  夜明けまで少し時間があることを確認すると、シャルルはいつものように棺桶を用意し、その中に入って眠りにつく。


  ミシェルも自分の部屋に戻り、光は動けないため、座った状態でうとうととし始めた。


  ジキルとハイドを始め、ストラシスやモルダン、ハンヌもそれぞれの寝床に向かって眠りにつくと、シャルルの城は一気に静かになった。








  翌日、侑馬と光は学校へと向かって歩いていた。


  侑馬の登場に気付いた女生徒達が次々に群がってきて、黄色い声を出してくるが、寝不足気味の侑馬はそれでもニッコリと笑って挨拶をする。


  「おはようございます。心配してくれてありがとうございます。」


  腹の中ではきっとそんなこと微塵も思っていないのだろうが、思っていないからこそ演技が完璧に出来るのか、侑馬は笑顔を崩すことなく返事をしていく。


  それを横目で見ている光だったが、学校に行ってすぐに保健室に向かうと、先生に傷を見せる。


  こんな怪我どこでしてきたのかと聞かれたが何とか上手く誤魔化すと、保健室から足早に立ち去っていく。


  保健室を出てすぐの曲がり角に侑馬は立っていて、壁に背をくっつけて腕組をしていた。


  「お。待っててくれたのか。」


  「早く帰りますよ?先生にはもう話をつけておきましたから、御心配なく。」


  「そりゃどうも。」


  人間とは違うからか、傷は昨日よりずっと良くなっていて、まだ若干の痛みは残っているもののそれほどではなかった。


  二人がもう下校しようと下駄箱に向かうと、丁度知った顔に会った。


  「あ。」


  「「・・・あ。」」


  侑馬と光の顔をみるなり不機嫌な表情になったのは、しばらくの間は会わないだろうと思っていた友也だ。


  上履きに履き替えると二人の方にズカズカ近寄ってきて、侑馬の胸倉を掴みあげる。


  「石黒君。暴力はいけませんよ?」


  「で?」


  「何がですか?」


  「あいつらとはどうなった?」


  いくら部外者とは分かっていても、少しでも係わってしまったことが気にならないという方がおかしいだろう。


  友也に胸倉を掴まれたままでも侑馬はニッコリ笑い続け、声色も変えずに答えた。


  「とにかく、石黒君は日常を楽しんでください。」


  「・・・。」


  しばらく侑馬を睨んでいた友也だが、深いため息を一回吐くと、諦めて胸倉から手を離し、教室の方へと歩いていった。


  光は心配そうにその後ろ姿を眺めていたが、侑馬はなんの未練も無くスタスタと家路へ向かう。


  「いいのか?あんな態度とって。」


  「早く帰りますよ。」


  夜までゆっくり城で休もうと考えている侑馬は、森の中に入るなりすぐにシャルルへと姿を変え、空中を飛んで先に帰ってしまった。


  一人ゆっくり歩いている光のもとにはストラシスが飛んできて、肩に止まる。


  侑馬と友也はどうにか仲良く出来ないものか、いや、仲は良いのかもしれないが、どうも侑馬は人と距離を置く傾向があるため、そこが問題なのか・・・。


  悶々と答えに辿りつかない問いを自問自答しているうちに、城へと辿りついてしまった。


  「ミシェル、シャルルは?」


  「寝てる~。」


  モルダンのブラッシングをしているミシェルの近くにある棺桶を見ると、その中にシャルルがいることが分かり、光も借りている部屋へと戻って行った。








  一方、教室へと一人向かった友也は、相変わらず何も教えてはくれない侑馬にイライラを隠せないでいた。


  鞄を持った手では無い方の手をポケットに突っ込みながら、廊下の真ん中を下を向いた状態で歩いている。


  それだけならばまだしも、友也はすれ違う人全員にガンを付けているような視線で歩いているため、自然と友也の前には道が現れ、邪魔するものは何ひとつ無かった。


  侑馬のことを知りたがる女生徒達が友也の許に行こうとするが、一歩が出せない。


  自分の席に着くと、今度は乱暴に鞄を机の上に叩きつけ、椅子にお尻からぶつかるような勢いで座る。


  風に靡く自分の髪にさえ苛立ち、友也は前髪を押さえた。


  何も考えずに窓の外を眺めれば、優雅に舞う鳥達にも睨みを利かせ、楽しそうに談笑するクラスメイトにも目で文句を言う。


  自分でも呆れるほど情緒不安定であることを、自嘲することで誤魔化そうとするも、空虚な景色にはため息しか出ない。


  机に顔をうつ伏せにしたまま居眠りしているうちに、空は赤く染まり、教室には友也と数人の生徒しか残っていないことに気付く。


  本日一度も開けていない鞄をまた手に持つと、友也は首を回しながら教室を出た。


  階段を下りて下駄箱で靴を履き替え、活動していない気だるげな身体をゆっくり動かしていると、校門の陰に一人の姿。


  「!!都賀崎・・・?」


  うんともすんとも言わない侑馬は、無表情のまま道を進んで行ってしまう。


  友也はそれを追いかけていくが、侑馬は歩いているはずなのに、軽めに走っている友也よりもスピードが速い。


  なんとか追いついて侑馬の肩に手を乗せると、侑馬を自分の方に向かせた。


  「おい!てめぇ・・・いつまでそうやって俺に何も話さねぇつもりだ!!!ちょっとくらい教えてくれてもいいだろうが・・・・・・!!!?」


  瞬間、後ろの方から重く鈍い音が聞こえてきたかと思うと、友也は自分の後頭部がクラクラする感覚に襲われる。


  倒れる瞬間友也が目にしたのは、未だに顔をピクリとも動かさない侑馬と、暗くなっていく自分の視界だった。








  「シャルル。もう夜になるぞ。」


  「・・・ん。」


  ぐっすりと寝ていたのだろう、光がシャルルを起こしに棺桶を開けてみると、なんとも幼い顔つきで規則正しい呼吸を繰り返すシャルルがいた。


  徐々に眉間にシワが寄って行ったかと思うと、目を細めて起きた。


  「ミシェルももう準備出来てるって。」


  「そうか。」


  ゆっくり上半身を起こすと、ボサボサな髪の毛をガシガシとかき、生欠伸をする。


  棺桶からのっそりと全身を出すと、近くで箒を持って“いざ戦闘!”といった様子のミシェルが目に入る。


  肩にはハンヌ、足下にはモルダンを引き連れたミシェルの表情は、いつになく真剣だ。


  光もストラシスと一緒に準備をしていたが、シャルルは数回瞬きをすると、細めていた目をさらに細めて、怪訝そうに問いかける。


  「ヴェアル・・・。お前、満月でも無いのに戦闘力になるとでも思っているのか?」


  「・・・・・・え。」


  当然のように自分も戦いに参戦するようだろうと思っていた光は、ポカンと口を開けたままシャルルを見る。


  「いやぁ・・・。けどさ、あっちも三人で来るだろうし、俺も行った方がいいのかな~・・・なんて・・・ハハハ・・・。」


  「今のお前は役に立たない。大人しく此処で待っていろ。」


  「えー!!!ヴェアルも一緒がいい!シャルルと二人なんて、何されるか分かったもんじゃないわ!!」


  黙っていればよかったものを、三人で行くものだと思っていたのは光だけではなくミシェルも同じで、ついつい口出しをしてしまった。


  「・・・。ミシェル、お前一人で逝って来てもいいんだが。」


  「い・・・逝ってくるって・・・!!字が違うでしょう!?あ!モルダン!シャルルに近づいちゃダメよ!こっち来なさい!」


  ミシェルの声が聞こえているのかいないのか、モルダンはシャルルへと近づいていくが、ジキルとハイドによって前を遮られてしまった。


  小さく威嚇してみるが、シャルルたちからしてみるととても可愛いものだった。


  その傍らでシュン、と項垂れている光に気付いたシャルルは呆れたようにため息を吐くと、マントをバサッと広げて、一瞬で光の前に到達する。


  「着いてくるのは勝手だが、死んでも知らんぞ。」


  「・・お、おう!」


  そう言うと、颯爽と空に飛び立ってしまったシャルルの後を追おうとする光とミシェル。


  ミシェルの箒に二人で跨り、定員オーバーしているにも関わらずなんとか安定している箒を励まし続けた。


  「あ・・・。」


  「?どうした、ミシェル?」


  急に元気の無くなったミシェルに気付いた光が声をかけるが、ミシェルは顔色を悪くしていくだけで何も答えない。


  ミシェルの視線の先に何があるのだろうと思い、光も後を追ってみる。


  するとそこには、何かしらの拷問を受けたのであろう、大勢の魔女たちが血だらけになって一列に並んでいる姿があった。


  魔力を封じられてしまっては何もできないのをいいことに、ミラー達によって酷い事をされたに違いない。


  「とんだドSだな。」


  「シャルル・・・。」


  いつの間にか、光とミシェルの背後から同じ光景を見ていたシャルルでさえも、虫の居所が悪い様な、そんな顔つきをしていた。


  数百人にも及ぶ魔女達が並んでいく中、何か微妙な違和感を覚えた光が目を凝らすと、そこには此処にはいないはずの友也の姿があった。


  「!!シャルル!あれ!」


  「なんだ。」


  いきなり興奮したように指をさしながたシャルルの名を呼ぶと、面倒臭そうな返事が返ってきた。


  同じように驚くだろうと思った光だが、それは見当違いであった。


  「・・・ああ。やはりな。あいつはとんだ馬鹿だ。」


  「・・・え?それだけか?“なんでこんなところに!?”とか、“早く助けよう!”とか、そんな言葉は出ないのか?」


  仲良しではなかったとはいえ、巻き込まないようにしてきたクラスメイトが捕まっているのだから、もう少し怒りとか驚愕の感情を出してもいいものだ。


  そんな光の想いとは裏腹に、シャルルは前髪を優雅にかきわけながらため息を吐く。


  「あいつの事だ。きっと頭に血が上ってミラーに近づき、思惑通り人質にされたんだろう。だから俺は単細胞な奴が好きではないのだ。だいたい、なんでミラーの変装した俺と俺自身の区別もつかない?」


  「いや、それは難しいんじゃねぇの?」


  「俺はあんなに目つきは悪くない。それに口数少ない草食男子でも無い。饒舌で闇をも吸い込むような瞳を持った男だ。あんなニセモノと間違われるなど、虫唾が走る。」


  「・・・饒舌っていうか、口やかましい・・・。」


  「何か言ったか。」


  「いや、別に。」


  魔女たちを整列させているシレ―ヌと、明らかに傷を負い一人でもまともに歩けていないファウストが、ゆっくりと視線を上げてシャルル達と目が合うと、口元を歪めた。


  すでにシャルル達が到着していることがバレテいると知ると、シャルルは木の枝に腰かけた。


  ミシェルも徐々に高度を下げていき、光と一緒に下りて遠くから冷酷な現実を見つめている。


  「これはこれは、やっとキャストが揃ったわね。」


  バッと勢いよく振り返ってみると、水の通路を通って背後から現れたシレ―ヌが、心臓を抉るような笑顔で迎えてきた。


  熱い視線をシャルルの方に向けると、今度はミシェルの方へ顔を向け、牙を見せて挑発してくる。


  「みんなを返してよ!」


  「返してほしかったら、私を倒すしかないわね。まあ、まだ鼻水垂らしたお譲ちゃんじゃ、私には到底敵わないでしょうけど?」


  フフフ、と妖艶な笑い方をするシレ―ヌだったが、ふと回りを取り囲む空気が一変したことに気付いた。


  最初はシャルルの殺気か何かだと思っていたシレ―ヌはシャルルへと視線を送る。


  だが、当の本人は欠伸をしていて、殺気どころか殺気を感じさせない能天気な空気を醸し出していた。


  急に首元にひんやりとした感覚がくると、思ったよりも低音の声が聞こえてきた。


  「あんたこそ、私に勝てると思ってんの?」


  「・・・あら?口調も顔つきも極悪人のようよ?」


  身体の半分以上を覆っていた水をミシェルにかけたシレ―ヌがミシェルの姿を探すが、それよりも先に自分の身体に異変を感じた。


  先程までは半泣き状態であった女の子の表情は、今やその目つきだけで人一人なら簡単に殺せるほどの殺気を纏っていた。


  身体の震えは“恐怖”から来ているのか、それとも“武者震い”なのか。


  シレ―ヌはミシェルの視線の動きや呼吸などを事細かに観察していき、攻撃をしかけるタイミングを待つ。


  「最近の子はキレると手に負えないって・・・。本当みたいね。」








  「なぁシャルル。」


  「なんだ。」


  「ミシェルが殺気出してっから、ハンヌもモルダンも避難してるな。」


  「ああ。そうだな。」


  「無事な場所に避難出来てよかったな。」


  「ああ。そうだな。」


  「でもなんか府に落ちないよな。」


  「俺もだ。」


  「なんで俺のとこじゃなくて、絶対にシャルルの方に行くんだ?」


  「知るか。」


  シャルルと光はのんびりとお喋りをしている。


  いつもと様子の違うミシェルにいち早く気付いたカラスのハンヌ、黒ネコのモルダンは、なぜか、なぜかシャルルの許へと逃げてきたのだ。


  ハンヌはシャルルの近くの枝に止まり、モルダンはすでに定位置のように膝に乗っている。


  それを、少し離れた場所から見ているジキルとハイドは、今にもハンヌとモルダンに飛びかかりそうだ。


  「でもあんなミシェル初めて見たな。やっぱり怒ってんのかな?」


  「・・・違うな。」


  「じゃあ何だ?」


  モルダンの毛並を確かめるかのようにゆっくりと丁寧に撫でていくシャルルは、少しだけ黙り込んでしまった。


  観察するように見ていると、今度は徐に口を開く。


  「あいつは今、何も考えてはいない。」


  「は?」


  いや、怒っているだろう、とシャルルに言おうと光が口を開いたが、その前にシャルルがまた話し始めたため、上下の唇をくっつけた。


  「感情に流されては負ける。魔女など、魔法は特にそういったものの影響を受けやすい。あいつはそれを知ってか知らずか、自分をコントロールしてるんだ。」


  成程、と感心してしまった光がもう一度ミシェルに目を戻すと、すでにミシェルもシレ―ヌもそこにはいなかった。


  何処に行ったのだろうと辺りをキョロキョロしていると、いきなり自分の目の前に水柱が立ち、そこを凄まじいスピードでシレ―ヌが駆け抜けていった。


  それを追うようにしてミシェルも天に向かい、水の中に杖を入れて何か呪文を唱える。


  すると水の中のシレ―ヌが何かに顔を歪め、折角上がった水の柱の中を、今度はまた同じくらいのスピードで落ちていく。


  「神経を麻痺させたな。」


  「え。」


  シャルルの一言に頬を引き攣らせていると、目の前の水柱が消え、遊園地のジェットコースターのように水の通路が次々に現れた。


  シレ―ヌは通路を自由に泳ぎ、水を自在に操って自分の道を作っていく。


  「お譲ちゃん?貴方にはこんな能力がある?」


  「まあ、遊泳速度は敵わなくても、泳ぐぐらいは出来るだろうな。」


  なぜか冷静な返しをしたのはシャルルで、それがシレ―ヌの耳に聞こえないよう、光が必死にシャルルの口元を押さえていた。


  新たに作って水の通路からミシェルの背後に回ったシレ―ヌは、ミシェルの首を掴みあげ、思いっきり地面へと投げつける。


  「!!危ない!」


  苦しそうに咳払いをしているミシェルを助けようと、光がシャルルの隣から地面目掛けて飛ぼうとするが、シャルルに止められてしまった。


  「シャルル!?」


  「・・・平気だ。」


  「平気って・・・!あんな高さから落ちたら!」


  「・・・ヴェアル、お前は魔女を何だと思っている?」


  ボンッ、と大きな音が聞こえてきたかと思うと、ミシェルが杖を地面に向けていて、ミシェルが落下したのは地面ではなく、大きなフカフカ綿であることが分かった。


  ホッと安心した光に、シャルルはモルダンを抱き上げて目を合わせながら言う。


  「あれくらいの危機を回避出来なければ、魔女として名乗れないだろう。」


  何が嬉しいのか、シャルルの顔をじーっと見て“ニャー”と小さく鳴くモルダン。


  そんなモルダンをまた自分の膝に乗せて、今度は耳を触ったり尻尾を触って遊び始めたシャルルは、ミシェルの戦いなど興味がないようだ。


  再びミシェルに視線を戻すと、ミシェルがシレ―ヌの作った水の通路を分解していくところだった。


  水が防水のように弾かれていき、シレ―ヌは分解速度と同じか少し遅いくらいの速さで、新たな通路を作っていく。


  「これじゃキリが無いな。」


  心配そうにミシェルを応援している光がポツリと呟くと、隣でモルダンと戯れているシャルルが唐突にこう言う。


  「人魚姫ってのは、最期泡になるんだったな。」


  「は?人魚姫?・・・ああ、そうだな。泡になって消えるんだな。それがどうした?」


  「だが通常、泡には成り得ない。」


  「え?どうしてだ?」


  分からないことを素直に聞いてくる光に、シャルルは長い足を見せびらかす様にして組むと、月を背にして牙と赤い目を光らせる。


  「では、魚は死んだらみな泡になるのか。」


  「ならないだろ?俺ししゃも好きだぜ。」


  「嗜好の話はどうでもいい。つまり、そういうことだ。死んでも原型が残る。それが世の中の常識であってそうあるべきものだ。泡になるなど所詮物語の中の、読み手側の同情を誘う作り物にすぎない。」


  ふむふむと聞いていた光だが、さっきまで話していたのはシレ―ヌの能力の話であって、人魚の話ではない。


  どこをどう聞き間違えたのだろうとシャルルを見ると、またやる気の無い顔つきに戻っていた。


  「で?」


  「で?とは?」


  「それが何なんだ?」


  「・・・特に何も無い。思い出しただけだ。」


  今までの会話は無駄だったと瞬時に思った光だが、決してそんなことを口に出したりはしない。


  目の前で繰り広げられている、いつもとは違うミシェルの戦いに目を奪われていると、ふと、先程魔女達に紛れていたとある知り合いのことを思い出す。


  「あ。」


  視線をミシェルからそちらに向ければ、やはりそこには見間違えるはずのない知り合いがいた。


  「シャルル、シャルル。」


  「なんだ。」


  「友也、助けに行かなくていいのか?」


  「自業自得だ。今回はあいつが勝手に巻き込まれたんだ。なぜ俺がわざわざ助けねばならない?そんなに言うならお前が行けばいい。」


  モルダンの背中を撫でながら、涼しげな表情でそう言ったシャルルに、光は少なからず苛立つ。


  再び口を開き、シャルルに文句を言ってやろうかと思った光だが、急に耳に響いた嬌声によって、反射的に眉を顰める。


  「何だ?この声ッ・・・!!」


  聴覚を伝って脳へ届いたその声は、ミシェルのものでないことは分かった。


  両耳を押さえながらミシェルの方を見ると、シレ―ヌは角を生やし顔色も真っ青になった怪物のように変わっていた。


  鋭く尖った牙を見せつけるように口を開き、喉から腹から出るだけの声を発している。


  単なる耳障りな声とはまた違い、自我を保てなければ、簡単に意識を持っていかれそうなほど、綺麗な声・・・のはずだ。


  綺麗な声のはずだが、心臓を鷲掴みされている感覚に陥り、本能が“聴くな”と訴える。


  「耳がッ・・・!!痛ぇ・・・。」


  徐々に視界が白く染まっていき、貧血に似た症状が現れ始める。


  意識を手放しそうになったとき、ズボンの上から何か鋭いものに引っ掻かれた。


  別の痛みが襲ってきたかと思うと、視界はすぐに元に戻り、一番初めに目に飛び込んできたのは、シャルルの膝に乗っているモルダンだった。


  「モルダンに感謝しろ。」


  「え?あ、ああ。」


  何がどうなっているのか分からずに首を傾げていると、シャルルがため息交じりに簡単に説明をしてくれる。


  「お前は今あの女に意識を持っていかれるところだったんだ。だが、あの手の攻撃は別の刺激を与えればいい。だから、モルダンに引っ掻かせた。」


  「引っ掻かせたって・・・。シャルルもか?」


  「俺があんなものに自分の意識を渡すものか。ジキルとハイドに超音波で刺激を与えてもらっていた。まぁ、耳線代わりになったんだろうな。」


  「へぇ・・・。(よく分からないけど。)」








  「どーお?私の美しい声は?思わず気絶しそうだったでしょう?」


  「・・・ッ!本当に・・・ね。下手くそ過ぎて。」


  「・・・口の減らないガキね。」


  少し乱れた呼吸を整えているミシェルの背後に回り、シレ―ヌはその角でミシェルの身体を宙へ浮かせた。


  魔法ですぐ対処しようとしたミシェルだが、まだ自分の身に起きていることに着いて来れていない身体と脳では、虚しく空を見るだけとなってしまった。


  そのままミシェルの身体をガシッと掴むと、シレ―ヌはニヤッと笑って牙を首に突き立てる。


  朦朧とする意識の中、ミシェルは杖でシレ―ヌの額を突くが、鈍った力はほとんど意味を成さない。


  そのままミシェルに噛みつこうとしたシレーヌだが、それは叶わなかった。


  「ミシェル、お前、以前『私だって立派な大人の魔女になったの!』と豪語していたくせに、そのザマか。勝てないようならいますぐに引け。俺がこいつの相手をする。」


  「え。もしかして今シャルル、ミシェルの真似したのか?え?え?似てたような似てないような・・・。点数で言うと四十五点くらいが妥当だと俺は思う。」


  「ヴェアル、今はそういう話はいい。それにせめて五十は行っただろう。」


  シレ―ヌの牙を、その辺に落ちていた太めの枝で挟みながらヴェアルと会話を続けていたシャルルだが、バキッという音で視線をシレ―ヌに戻す。


  男性の腕ほどあった枝は、シレ―ヌの牙と顎の威力によって真っ二つに破壊されてしまっていた。


  「なんとまぁ・・・。そんなんじゃ、男は寄って来ないぞ。」


  「フフフ・・・。良いのよ。力付くで手に入れるから。」


  「そうか。」


  シャルルがミシェルの前に立っていたことで、シレ―ヌからはミシェルの姿が見えなくなっていた。


  気配だけを感じ取っていたシレ―ヌにとって、次の瞬間、自分の身体に来る衝撃を予測することは不可能だった。


  「ぐッ・・・はッ・・・!?」


  「悪いが、こいつも力付くのところがあってな。魔女のくせに魔法は下手で、しかも大の愛猫家ときたものだ。」


  気付いたときには、すでにシレ―ヌのお腹にはミシェルの杖による攻撃がされており、横腹を綺麗に貫通していた。


  シャルルがモルダンを連れてきて・・・正確にいうと、モルダンが勝手にシャルルに着いてきたおかげで、ミシェルのスイッチも入ったようだ。


  「うちの可愛いモルダンを危険に晒さないでよ!シャルル!」


  「・・・俺か。」


  「当たり前でしょ!?ハンヌも最近逃亡壁があるから、ちゃんと見張っててよね!!モルダンがいなくなったら、私もうシャルルの城にいられない!」


  「いるな。さっさと出ていけ。いつまで居座る気なんだ。」


  「だって・・・モルダンがあまりにもシャルルに懐いちゃってるから・・・。猫って気紛れでしょ?家に帰っても、シャルルのところに家でしちゃいそうで・・・。」


  「・・・その辺でいいかしら?」


  緊張感の無い会話が続いたかと思うと、今度はシレ―ヌが脇腹を押さえながら話しかけてきた。


  「いいわよ!私、あんたを絶対倒す!そしてモルダンをシャルルから引き離す!」


  「勝手になさい。」


  気合いを入れたミシェルは、一気に杖を突きつけて何かの呪文を唱える。


  すると、シレ―ヌの周りの水が蒸発を始め、シレ―ヌは陸に上がった魚のように居場所を失ってしまう。


  だが、すぐに近くの池から水を操り、自分の場所に再び水を纏わせる。


  「鰓呼吸なんてしないのよ?」


  「・・・!知ってるわよ!」


  いつものミシェルに戻ったのはいいが、感情に流されてはいけないと思った光が口を開いたが、目の前にシャルルのマントが覆いかぶさった。


  「!ワッ・・・。」


  「ああ。悪いな。」


  悪びれた様子も無くシャルルは枝に腰掛け、優雅に足を組んだ。


  モルダンをミシェルの目の届くように膝に乗せながら撫でていると、ミシェルは歯を見せながらシャルルを威嚇する。


  「・・・威嚇する相手、違うだろ。」


  池の水を全て自分の周りに持ってきたシレ―ヌが、小さな水の水滴を作り宙に浮かせると、ミシェルを見て不敵に笑う。


  攻撃してくるのが分かると、ミシェルも視線をモルダンからシレ―ヌに仕方なく移す。


  水鉄砲よりも威力のあるその水滴は、ミシェルの身体目掛けて飛んでくるが、風を出して水滴をシレ―ヌに弾き返す。


  「痛ッ・・・!」


  跳ね返ってきた水滴は、シレ―ヌの尾びれの部分に辺り、鱗が数枚剥がれおちてしまった。


  「う・・・鱗・・・。」


  自分の剥がれた鱗を拾い、シレ―ヌはわなわなと身体を震わせていると、勢いよくミシェルを睨みつけた。


  そして素早くミシェルの前に泳いでくると、ミシェルの頬をグーで殴りつける。


  「??!!?」


  突然のことに何が起きたのか理解できていないミシェルは、ただ茫然と立っている。


  一部始終を見ていたシャルルと光は、思いもよらない攻撃に一瞬目を見開いてはいたが、冷静に驚いていた。


  「すげー・・・。」


  「バイオレンスな女だ。女がバイオレンスなのか?」


  「私の鱗・・・どうしてくれんのよ!?ミラー様が綺麗だって言ってくれたのよー!!!?」


  「え?え?ゴメン!でも、魚も調理するときは鱗取るよね?」


  「・・・・・・。ファウスト!」


  「なんだ~?」


  突如、怪我人のファウストの名を大声で叫ぶと、遠くの方からダルそうな声が返ってきた。


  「魔女たち、始末してちょうだい。」


  「あいよ。」


  「ちょ・・・ちょっと待ってよ!!!」


  自分の家族や友人がいる、鎖に繋がれた魔法の使えなくなった魔女たち。


  シレ―ヌは何の躊躇も無く、ミシェルの仲間を殺す様にとファウストに指示すれば、ファウストもまともに動けないため、簡単に了承する。


  慌てふためくミシェルは、杖を棍棒に変えるとシレ―ヌの後頭部目掛けて思いっきり叩きつける。


  バランスを失いながらも、ミシェルのことを睨みつけたシレ―ヌはミシェルを魔女たちの捕まっている方向へと投げ飛ばした。


  「・・・ついでに、そいつも。」








  魔女が捕まっている檻の鍵が開き、誰から見せしめに始末しようかとファウストが考えていると、空から何か大きめの物体が落ちてきた。


  「~~!?ああ・・・こいつか。」


  落ちてきたのがミシェルだと分かると、ミシェルの首根っこを掴み、右側の口角だけをそれはそれは高くまで運び、少し離れた場所に放り投げた。


  「何よ!早くみんなを解放しなさいよ!!」


  「あ~・・・うるせぇ女だな・・・。その口、糸と針で縫ってやりてぇくらいだ。」


  「やってみなさいよ!馬鹿!」


  冷たい風がひゅう・・・と吹いたかと思うと、ミシェルの足下に、見覚えの無い何が書かれているのかわからない魔法陣が出てきた。


  「?な・・・に?コレ・・・。」


  「いやなに。譲ちゃんにも、ただの人間になってもらうだけだ。心配すんな。痛くはねぇから。」


  ファウストの言っていることが瞬時に理解出来たミシェルは、すぐに逃げようとしたが、ビリビリと身体を何かに縛りつけられ、その場に倒れこむ。


  身体中に電気が走っているかのような感覚に、ミシェルは思うように自分の身体も動かせない。


  顔を横に傾ければ、そこに勢いよく何か木製のものが土に食い込んだ。


  目線だけ何とか上げてみれば、それは十字架で、今からここで自分が磔にでもされるのかと、容易に想像出来た。


  「いいか!てめぇら良く聞けよ!今からこの女を火炙りにする!!それは、てめぇらが“魔女”として産まれてきちまったからだ!もし・・・俺達の作る世界に手を貸すっていう奴がいるなら、今のうちに言っておけ!だが、お前はもう駄目だぜ?譲ちゃん?シャルルの野郎なんかについちまったばっかりに・・・こんな若くして死ぬなんてな・・・。ハハハハハハハハ!!!!!!」


  思い通りに動かない身体を無理矢理起こそうとすれば、ファウストに背中を強く踏まれ、元の体勢に戻される。


  その間、器用にもファウストは何かの作業を行っていて、しばらくするとミシェルの身体は自然と宙に浮いた。


  それはファウストに抱えられたからだと知ると、すぐにミシェルの身体はファウストと向かい合う形になる。


  手首と両足を強く縛られると、足下にある灯油がまかれた枝が目についた。


  「魔女は魔女らしく、な。何だっけ?ジャンヌ・ダルクだったっけか?魔女だと言われた人間の女は。まぁ、可哀そうだとは思うがな。魔女として産まれてきた定めだ。諦めろ。」


  ゆっくり目を閉じれば、鼻にツンとくる臭いとともに、足先が徐々に熱くなってくるのを感じる。


  「おい!しっかりしろ!!!」


  「???」


  耳に届いた声は、聞き覚えのある様な、無い様な・・・。


  どこから聞こえてきたのかとミシェルが首を左右に動かして探していると、魔女たちのいる檻の中に、一人だけ異彩を放っているのが見えた。


  ミシェルの事を覚えているのか、覚えていなくても単に呼んだのかは知らないが、今のミシェルにとって、その声はとても力強いものだった。


  「お前、名前忘れたけど、都賀崎のとこの奴だよな!?なんで殺されんだ??!逃げろって!くそっ!!なんで俺が檻に入ってんだよ!!!」


  「そりゃお前がミラーに掴まったからだ。」


  友也の叫びに冷静に突っ込みを入れたファウストは、小さかった炎を大きくすべく、どんどん酸素を取り込ませる。


  ついにはミシェルの足を包むように炎が立っているのを見ると、満足そうに笑ってミラーの方へと視線を移す。


  侑馬の格好をしたミラーは、無表情でミシェルの事を見ている。


  「ミラー様!じき、決着がつきますわね?」


  嬉しそうに跳ねるように泳いできたシレ―ヌは、一目散にミラーの許に行き、ミラーの周りをぐるぐると泳ぎ出す。


  それでもじっとして何も言わないミラーに対し、シレ―ヌはただ頬を染める。


  じっと数秒間見つけた後、今度は魔女たちの方に顔を向けて、高らかにこう述べる。


  「良く見ておきなさい!これが、私達に従わなかった者の末路よ!!!」


  足の感覚が無くなる・・・。


  そうミシェルは思い、走馬灯のように思い出から後悔から色々なことが脳内を駆け巡っていると、真っ直ぐに伸びていた身体に柔軟さが戻った気がした。


  目を開くと、目の前にあったのは、ファウストの薄気味悪い笑みではなく、シャルルの呆れた表情だった。


  「???え?あれ?」


  宙に浮いている感覚を覚え、今自分がおかれた状況を確認してみると、シャルルに俗に言う“お姫様抱っこ”をされていたのだ。


  頭の中で、なぜ自分がシャルルにお姫様抱っこをされているのかを理解出来ていないミシェルは、ただただ茫然とし、口を開けてぽかんとしている。


  シャルルは何も言わずに、ミシェルが磔にされていた場所とは真逆の方へと舞い降りると、そこに待機していた光にミシェルを投げつける。


  「おい、ミシェル。礼を言え。見た目以上に重くて俺の腕が悲鳴をあげていた。」


  「助けてくれた瞬間はヒーローかと思ったけどやっぱりシャルルには悪役がお似合いですね。ありがとう。」


  「面倒だが助けてやったんだ。恩を仇で返すな。俺の役に立て。」


  バサッとマントを広げると、シャルルは挑発的な笑みをミラー達に向ける。


  「さて。なぜ貴様が俺を敵視しているのか、とりあえず聞いてやろう。姿形が良いからとか、性格が良いからとか、そういう僻みなら聞かないがな。」


  「ハハハハ!んなわけねぇだろぉが!!!ミラーがてめぇを嫌っているのはなー!!!・・・。嫌ってるのは・・・。価値観の違い?」


  「何処かの夫婦の離婚の理由じゃないんだから。覚えてないの?私から言うわ。ミラー様が貴方を嫌いなのは・・・!!・・・嫌い・・・え?小さなすれ違いが繰り返されて大きなすれ違いになったから・・・?」


  ミラーの理想にここまで着いてきたシレ―ヌとファウストだが、なぜミラーがシャルルを敵として見なしているのかと聞かれれば、“自分たちの世界をつくるために邪魔だから”としか言えない。


  詳しいことは何も話さないため、何も知らないのだ。


  「み、ミラー様からどうぞ。」


  ゆっくりと視線を移動させてシャルルと目を合わせると、互いに口を噤む。


  「・・・・・・。」


  「・・・・・・。」


  「何か言え。」


  「・・・・・・。」


  「本当に何も話さないんだな。」


  「・・・・・・。」


  「一人暮らしの奴も、あまり喋らないと本当に声が出なくなるらしいな。」


  「・・・・・・。」


  「しかし、ドッペルゲンガーとは良く言ったものだ。実に良く似てはいるが、俺としてはもう少し愛想がいいつもりでいる。」


  「・・・・・・。」


  「・・・はぁ。」


  一人で話す事に疲れたのか、それともミラーが全く話さない事に呆れているのか、シャルルは数回にわたり、深いため息を吐いた。


  弱いながらも確実に身体を冷やす冷たい風が、シャルルとミラーの髪を撫でていく。


  「・・・小さい頃、会ったな。」


  「・・・・・・。」


  思いがけないシャルルの言葉に、口と目が開いたままになってしまったのは、光だけではないようだ。


  ミラーの隣で妖艶に笑っていたシレ―ヌやファウストでさえも、ぽかんと何とも頼り無い表情で固まってしまっている。


  当の本人はというと、今尚小さく、そして規則正しく呼吸を繰り返しているだけだ。


  うんともすんとも言わないミラーに対し、シャルルは話しかけているのか独り事なのか、思い出話を始めた。


  「お前は当時から、“自分”というものを持っていなかった。」








  「貴方、ミシェルの知り合いなの?」


  「え?」


  牢屋の中では、見知らぬ友也がミシェルの顔見知りだと分かると、次々に質問をしていた。


  この緊迫した状況下で何を言っているんだと、最初こそは思っていた友也だが、話をしているうちに徐々に打ち解けてしまったらしい。


  ミシェルとはどういう関係だとか、なぜこの世界にいるのかとか、友也のいる世界の話を聞かせて欲しいと、子供から大人まで目を輝かせて聞いてくる。


  断るに断れず、友也も悪い気分では無いため、答えていく。


  いや、だが、実際にそういう状況ではないのだ。


  「でもまぁ、都賀崎は実際・・・って、あの子ピンチじゃねぇか!あんたらとそんな悠長なこと話している時間ねぇと思うんだけど。」


  「死ぬのは怖いわ。でも、シャルルさんが来てくれたから。」


  「都賀崎・・・?あいつそんなに強いのか?」


  動物にだけ好かれると思っていたのは勘違いだったのかと、侑馬にしてもシャルルにしても、人にも好かれているのだと、初めて知った友也であった。


  「まあ、強いわよね?私達の世界じゃ有名だもの。もちろんヴェアルも強いわよ?けど、ヴェアルは優しすぎるから・・・。」


  「ああ。都賀崎は血も涙も無いってやつか。納得だな。」


  ふんふんと、腕組をして目を瞑り、友也はコクコクと首を上下に深く数回動かしている。


  ごちゃごちゃしている牢屋の中で、みなが一様に友也の方に身体を向け始めたため、友也は魔女たちの中心に立つ形となってしまった。


  「貴方はどうしてここに?」


  「え?いや、俺もよく分かんねぇんだけど・・・。都賀崎だ!って思ってついて行って、気付いたら捕まってたんだ。」


  「じゃあきっと、ミラーがシャルル様に姿を変えていたのね。」


  「見た目以上に素直な方なのね」と、馬鹿にされているのか、少しだけ褒められているのか、それさえも友也は理解出来ないでいた。


  ただ、自分のいる場所とは確かに違う場所であり、世界であることしかわからない。


  「ねぇねぇ。お兄ちゃんは、シャルルたんと仲良しなの?」


  「は?」


  突然、自分の腰ほども無い背丈の女の子にそう言われ、友也は思わず眉を顰めた。


  「仲良し・・・?仲良くはねぇと思うけど・・・。」


  「じゃあ、シャルルたんの事嫌いなの?」


  「嫌い・・・?あれ?日本語ってこんなに難しかったんだっけ?」


  どう答えるべきか、小さい子にも分かる様に説明するにはどうしたらよいのか、今まで使ったことの無いくらい、フルに頭を回転させてみる。


  そんな友也の様子を見て、その子の母親と思われる女性が口を開く。


  「こら。お兄さんを困らせるんじゃないの。」


  「えー!だってー!!」


  駄々をこねる子供に対し、友也は思い立ったように言葉を発した。


  「そうだ!“腐れ縁”ってやつだ!これだな!」


  「くさ?くさいの?」


  「臭くはねぇよ・・・。まぁ、悪縁なんだけどな。でも縁は縁だ。切っても切っても切れねぇんだ。腐ってるから、余計に切りづれぇ。そんな縁だ。」


  「ふーん?よく分かんない!」


  「そうだな。お前にはまだ分かんねぇかもな!」


  友也がなぜか魔女たちと仲を深めている、そんな傍らで、シャルルは話を続けていた。


  「祖父によく言われていた事がある。『敵を知り、味方も知れ。』とな。それで一度だけ、貴様との接触を計ったことがある。貴様が覚えているかは分からんがな。だが、そこで見たものは何一つ、“ミラー”ではなく、“誰かの姿をした誰か”だった。ようするに、貴様はその血筋を受け継いでしまったばかりに、自分を作り出せなくだってしまった。常に誰かの真似事ばかりを繰り返していた貴様だからこそ、そこまで完璧に他人になり済ますことが出来る。ま、話さないのは問題だがな。というより、貴様は確か“話せない”、だったか?」


  最後のシャルルの言葉を聞いた途端、ピクリと若干だが眉毛を動かしたミラーに気付いたのは、きっとシャルルだけだろう。


  今まで表情一つ変えず、瞬きすらほとんどしなかったミラーのその反応は、シャルルにとっては喜ばしく、勝ち誇ったように口を三日月にする。


  「話せないのなら仕方あるまい。貴様は自分の口から自分の言葉で自分の考えや感情を伝える事すら出来ない、そんな不完全で未完成な生き物ということだからな。それとも、本当に話せるのに、自分というものを出すのが怖いのか。貴様の両隣にいるそいつらに嫌われるのが怖いのか。」


  さらに続けて、ミラーに対して棘のついた言葉を並べていくシャルルだったが、何か近くでバサバサと大きな物音が聞こえた為、話を中断する。


  ゆっくりと音の聞こえた方向へと視線だけを送れば、そこにはいつも自分の傍にいたジキルとハイドが捕まっている姿があった。


  足を固定されたジキルとハイドは、バサバサと何とか抵抗を試みていはいるものの、どうにもならない。


  そのジキルとハイドの足を縛りあげているのは、力自慢のファウストであった。


  口元は笑っているが、頬はピクピクと痙攣のように小刻みに振るえており、先程のシャルルの言葉に苛立っているのだと推測できる。


  一方的に言葉を投げつけてくシャルルに対しても苛立ちか、何も言い返さないミラーに対しても苛立ちか・・・・・・。


  どちらにせよ、ジキルとハイドを吊るし上げた状態で、挑発するようにシャルルに笑いかける。


  「黙って聞いてりゃあ好き勝手言いやがって・・・!!!どいつもこいつもが、てめぇみてぇに言いたいこと言えるわけじゃあねぇんだよ!我儘に生きてるくせしやがって、魔女達も狼男達も、なんでてめぇを英雄扱いすんだよ!!!俺はお前が大ッッッッッッッッッ嫌ェなんだよ!!!!」


  「そうか。奇遇だな。俺も貴様が好きではない。意外と気が合うのかもな。」


  「!!!てめぇッ・・・!!」


  飄々とした台詞を返してくるシャルルに、怒りが頂点に達したファウストは、ジキルとハイドを、先程ミシェルを火炙りにするために作った火の近くへと運んでいく。


  ファウストの動きに合わせ、シレ―ヌも牢屋に入っている魔女と友也を始末するため、牢屋の前に、牢屋よりも二回りほど大きい水の滴を作る。


  魔女や友也が危ないから、というよりも、ジキルとハイドが丸焼きにされてしまうそうなのを見て、シャルルは深いため息を一度だけする。


  「・・・はぁ・・・。」


  ゆっくりとした動作で、手を額に当てると、そのまま前髪をかき上げ、その流れで後頭部の髪の毛を少しワシワシとかき乱す。


  眉間にシワを寄せたかと思うと、呆れた笑顔でファウストとシレ―ヌにこう言った。


  「こうしよう。貴様等は俺が気に食わない。そうだな?ならば、気が済むまで俺を殴るなり煮るなり焼くなり好きにしていい。その代わり、ジキルとハイドは返してもらおう。どうだ?悪い条件ではないだろう?」


  「おいシャルル!そんなこと・・・!!」


  ミシェルの看病をしていた光だが、シャルルの言葉にストップをかける。


  だが、シャルルはちらっと視線だけを光の方へ送り、数秒ですぐに視線を元に戻してしまった。


  シャルルの提案に、ファウストとシレ―ヌは互いの顔を見合わせて何か考えているようだったが、ニヤリと口元を歪めると、提案を承諾した。


  ジキルとハイドを近くの木に括りつけると、ファウストはシャルルの前に立ちはだかる。


  それに続くようにして、シレ―ヌも折角作った水を宙に浮かせたままにし、シャルルのところまで水の通路を作り泳いでくる。


  「いい心がけだな。じゃ、遠慮なく行かせてもらうぜ?」


  「フフフ・・・。今更泣いて命乞いしたって、遅いわよ?」


  「安心しろ。貴様等ごときにやられるタマじゃない。」


  シャルルが言い終わるのが早いか、同時くらいに、ファウストが拳をつくりながら思いっきりシャルルの頬を殴り飛ばした。


  足下がぐらついたシャルルに、もう一発ファウストは拳を入れる。


  上半身はまるで操り人形のように、倒れたくれても倒れられないマリオネットのように。


  口の端から、舌を切ったのだろうか、血が少しずつ出てきて、シャルルの白い肌を瞬く間に赤く染めていく。


  通常の人の何倍もの力を持っているファウストによって、シャルルの顔には徐々に紫色に腫れあがった痣が出来始める。


  さらに、シレ―ヌが人の顔サイズの水滴を作り始めると、それをシャルルにかける。


  かけているだけなら良かったのだが、呼吸を乱す様にシャルルの顔に直接水滴を作り、シャルルが意識を失いそうになる手前で酸素を吸わせる。


  だが、何をしようとシャルルは倒れない。


  ファウストはさらにお腹、背中、脇腹など、殴れるところを次々に躊躇なく殴っていく。


  「ハハハハ!!!!良い気味だな!!!あのシャルルともあろう男が、今!俺の目の前で!!俺の攻撃を無抵抗で受けてやがる!!!」


  「随分と大人しくなるのね?無口な男って好きよ?フフフ・・・。」


  「・・・・・・。」


  ファウストとシレ―ヌからの攻撃を、無感情に受け続けているシャルルの姿を、ミラーはじっと見ていた。


  ―小さい頃、会ったな。


  先程シャルルの口から出てきた言葉を思い出しながら、ミラーは自分の海馬からもその当時の記憶だと思われるものを取り出してみる。


  そして、それはシャルルも同じであった。








  ―何年か前。十何年か前。いや、何十年か前かもしれない。


  とある城の一室、すでに埃を被っている豪華な椅子やら机やらがある中で、椅子を向かい合わせにして座っている人影が二つ。


  一つは椅子に見合った背丈をしており、男性と思われる声色、髪型、ガタイをしている。


  もう一つは、椅子からちょこんと出ている足の長さからして子供、そしてまだ女の子のような高い声をしてはいるものの、男であろう。


  部屋の中に浮かぶのは一本の蝋燭の灯りと、二人の顔に二つ並んだ赤い丸。


  「シャルル。お前はこれから“グラドム・シャルル四世”として名乗ることを許す。」


  「ありがたき幸せ。」


  「よいか。この名を継ぐということは、いずれはお前も世継を作っていくということだ。まあ、その話はまだお前には早いな。」


  「子孫を残すということですね。」


  「・・・。そうだ。だがその前に、もっとこの世界の不均衡を知る必要がある。よって、今から“闇”を見に行く。」


  「闇?」


  話を終えると、成人の男性は椅子からスッと立ち上がり、扉の方へと歩んでいく。


  小さな男の子、すなわち後にシャルルと呼ばれることになる男の子は、椅子からジャンプするように下りると、男性の後ろをちょこちょこと追いかけていく。


  薄暗い廊下を渡り階段を下りると、重く冷たい音を響かせる扉を開き外へ出る。


  「どちらへ?」


  「いいから黙って着いて来なさい。」


  大人の歩幅についていくことでやっとのシャルルが、息を軽く切らせながら問いかけてみるが、あっさり答えられ、距離を縮めることも出来ずに時間だけが過ぎていく。


  どれだけの時間が過ぎた頃だろうか、ふと男が足を止めた。


  「?どうされたのですか?」


  「・・・良く見てごらん。」


  男はそう言いながらゆっくりと膝を曲げると、目線の高さをシャルルに合わせ、腕と人差し指を伸ばしてある方向を示す。


  腕から指先、そのもっと先へと視線を送ると、そこには今まで会った事の無い部族たちがいた。


  「あれは・・・。」


  自分の父親の書斎にあった本棚から勝手に持ち出した読んだ本の中身を思い出し、目の前にいる者との比較を始めた。


  「コカトリスにエインガナ、ブラック・ドックにアーヴァンクに死神・・・それからチョンチョンにデュラハン、クラ―ケンとガルム、人魚もいますね。・・・あれが何で闇なんですか?人間たちからしてみれば、私たちも闇同然の生き物だと思いますけど。」


  「彼らは、人間達に“死”を与える事が出来る。」


  「・・・。一応私たちも出来ますが。」


  ぽつりと反論をしてみるものの、細かい事をグチグチ言うと色々と面倒になるのを知っているシャルルは、男をちらっと見る。


  「私達のような気高き血筋を持つ高等な種族と、彼らのように気品の無い下等な種族、一緒にするんじゃない。」


  「・・・すみません。」


  普段は新鮮な動物の死体からの血を得て命を繋いでいるためか、男のヴァンパイアに対する考え方と、シャルルのそれは多少違うようだ。


  バシャン、と音がしたかと思うと、数人の人魚たちが水の中に一気に潜って行ってしまった。


  「今から人間を喰いに行くんだろう。セイレーンにしろローレライにしろ、メロウもハルフゥも私には違いが無い様に思うがな。あ、シャルル。あそこを見てみなさい。」


  ふと男の言うとおりに視線を移せば、そこには本では見たことの無い存在があった。


  その存在が現れると、死神以外の闇たちがそれと距離を取り始め、死神でさえも警戒心を強めているのが分かった。


  隣にいる男に目線だけを移して見ると、男は平然とした様子でその存在を観察している。


  同じように、シャルルも眠たそうに目を細めながら、その何か分からない存在の観察をしている、というよりは何なのか調べるために見ている。


  この闇の中でさえも煙たがられているというのは、一体どれほどの存在なのだろうかと、シャルルがじっと見ていると、男がいきなり踵を返し始めた。


  「帰るぞ。」


  「え。でも・・・。」


  「行くぞ。そしてこれ以上奥へ行ってもいけないし、ここには一人で決して来るな。分かったな。」


  有無言わせぬ男の口調に、シャルルは大人しく口を閉ざして首を縦に一回動かした。


  帰ろうとシャルルも闇に背を向けたが、解決していないものが気になって一度だけそっと振り返ってみた。


  だが、すでにそこに先程の存在はいなかった。


  「・・・?」








  城に帰ってからも、シャルルは気になって本を漁って読んではみたが、どこにも酷似した記述は見つけられなかった。


  本を閉じて一階に下りると、蝋燭がぼんやりと揺らめいている中に男の姿は無かった。


  椅子に腰かけると、テーブルの上に一人分のご飯が用意されていることに気付き、フォークとナイフを手に持った。


  レアの肉を大きめに切り分け口へと運ぶと、片頬が破裂するくらいに膨らむ。


  その美味しさを堪能していると、バサバサと羽音を立てながら、まだ小さい産まれたばかりの蝙蝠が飛んできた。


  「なんだ。ノエルにミカエル。お前達の御主人は何処に行ったんだ?」


  ノエルとミカエルというのは、ジキルとハイドの先祖の蝙蝠であり、男が飼っていて、男に仕えている蝙蝠のようだ。


  つまり、男はシャルルの先祖らしい。


  ノエルとミカエルは何かをシャルルに訴えるように超音波を発すると、シャルルはそれに集中して言葉を受け取る。


  「そうか。分かった。」


  食事を終えたシャルルが部屋に戻ろうとすると、ノエルとミカエルはまた何処かへと夜空に紛れて消えて行ってしまった。


  それを見送ると、シャルルは階段を上ってた足を止め、再び下に向かって歩き始めた。


  ゆっくりと重い扉を開けると、昼間男と行ったあの場所へと歩を進めていく。


  昼間よりも早くその場所に着くと、大抵の闇の存在たちは自由にお酒を呑んだり死の舞踏をして愉しんでいるようだった。


  しかし、シャルルの目的である“あの存在”の姿を見つける事は出来ず、行くなと言われた気もするが、記憶にないことにしようと決めたシャルル。


  「はあ。」


  体力的に疲労が出てきたためか、深いため息が自然と次々に出てきてしまう。


  もう諦めて帰り、男に直接聞いた方が早いだろうかと思ったが、きっとあの様子では教えてくれそうにないと判断し、もう少しだけ歩いてみようと思って一歩踏み出した時、何かの気配を感じた。


  昼間にも感じたその気配の正体を確信すると、シャルルは足早にその方へと向かう。


  太い幹を持つ木の陰に隠れるようにしてこっそり奥を見てみると、そこには確かに昼間とは異なる姿をしている存在がいた。


  「いた。」


  ズンズンと無遠慮にその存在に近づいていくと、相手もシャルルに気付いたのか、首から上をシャルルの方へと向けてきた。


  「お前、何者だ?なぜ昼間と姿が違うんだ?」


  「・・・・・・。」


  「黙っていないで何とか言え。」


  「・・・・・・。」


  何も答えないその存在に、ムスッとしたように頬を膨らませたシャルルは、目を赤く染めて牙を見せる。


  シャルルがヴァンパイアだと分かったからか、その存在は目で何かを訴えてきた。


  だが、シャルルは生憎他人の考えていることを読みとる能力は低く、コミュニケーションも他の人と比べると劣るだろう。


  何か言おうとしていることは分かっているのだが、それが何なのか分からない。


  「声を出して言葉を発しろ。でなければ何も分からない。」


  それでも何も話さないどころか、口を開こうとさえしない相手だったが、何を思ったのか蜃気楼のように姿が一瞬歪んだかと思うと、シャルルの姿へと変わっていた。


  「・・・。俺?・・・まさかお前、ドッペルゲンガ―か?」


  「・・・・・・。」


  肯定も否定もせずに、相手はシャルルの姿から先程ともまた異なる姿へと変えると、黙って霧の中へと行ってしまった。


  シャルルは何か確認出来た満足感でいっぱいになり、誇らしげに城に向かって歩いていった。


  再び本を取り出すと、“ドッペルゲンガ―”の章を興味津津に読み始め、猛勉強を始めてしまうが、そこに男が入ってきた。


  「シャルル。ちょっと来なさい。」


  「・・・はい。」


  話の内容が容易に理解出来たシャルルが階段を下りていくと、そこには数センチにも及ぶ紙の束が置いてあった。


  椅子にちょこんと座ると、男が口を開いた。


  「お前も此処に署名しなさい。」


  「?署名?」


  思っていた内容とは違う事に安堵を示しながらも、目の前にいきなり出された書類に目を通して見る。


  「・・・の・・・に・する・・・・?」


  「“闇”の“異端者”に“対”する“撲滅署名運動”だ。いいから、そこに名前を書くだけでいい。」


  まだ難しい漢字は読めない為、中身の内容もよく理解出来ないまま、署名と書かれた欄に名前を書こうと羽根付きの万年筆を手に持つ。


  Gを書き始めようとしたが、一旦万年筆をテーブルの上に置く。


  「どうした。」


  「・・・撲滅ということは、簡単に言うと殺すという解釈でいいのですか?」


  「そうだ。それがどうした?」


  「そこまでする必要があるのかと・・・。異端な存在であるのは私たちも同じはずです。人間からしてみれば、人間以外のもの全て異端となりますから。しかし、私たちと闇の者は共存することで上手く生き延びてきたと聞きます。」


  「言っただろう。この世界は“不均衡”だと。もっとよい世界にするには、“均衡”に直す必要があるのだ。分かるな?」


  「理解しかねます。」


  はっきりと男に自分の意見を言うシャルルに、男は明らかに不機嫌な表情を浮かべ、眉間にシワを寄せてシャルルを睨みつける。


  だが、シャルルはそれに臆することなく、男をじっと見ている。


  数分ずっと互いの様子を見ていたが、男が先に諦めたようで、署名などの資料を全て持って城を出ていった。


  「・・・最近の大人は忙しいな。」








  それから数日経ったころ、シャルルの許に来客が現れた。


  「シャルル―!今日も本読んでるのか?ちょっと人間たちの世界に行ってみねぇ?」


  元気にケラケラ笑いながらやってきたのは、狼男として、通常であれば恐れられる存在であるヴェアルであった。


  すでに何処かで遊んできたのであろう、洋服を泥まみれにしてシャルルの城に勝手に入ってきた。


  「・・・ヴェアル。人の家に土足で了承なしに入るとは良い度胸だな。いつも言っているだろう。俺のとこに来る時には清潔な服装で来るようにと。学習能力が無いのか?それともわかっていてワザとやっているのか?そもそも、人間の世界に子供だけで勝手には行けないだろう。」


  「相変わらずウルセ―んだな。友達俺しかいねーだろ。」


  「失礼な奴だな。お前の可愛がっているストラシスに納豆を巻きつけてやろうか。」


  「止めろ!悪かった!俺が悪かった!でもな、ストラシスどんどんでかくなってんだ。まだ二歳だけど、もっと可愛くなっていくんだろうな~・・・・・・。」


  ぽやん、とストラシスの事を思い出しているのだろうか、明後日の方を向いてしまっているヴェアルに対し、シャルルは一旦止めていた本読みを再開する。


  シャルルの先祖でもある男はたまに帰ってくるものの、毎日来るわけではなく、シャルルはほとんど一人で時間を過ごしていた。


  だが、今日は邪魔が入ってきてしまった。


  足を組みながら本を読んでいると、バッといきなり読んでいた本をヴェアルに奪われ、反射的に険しい表情をヴェアルに向けた。


  「そうカッカすんなって。な?ちょっとだけ行こうぜ!!俺、人間の世界の行き方知ってんだ!それに、シャルルだって行ってみたいって言ってただろ?」


  「・・・・・・。仕方ない。お前の保護者として付き合ってやろう。」


  「素直じゃねーな。行きたいって言えば良いのに。」


  「ああ。ちょうど今納豆を食べようと思っていたんだった。」


  「俺の付き添いしてくれるのか!なんか悪いな!!」


  なんだかんだ言い合いをしながらも、シャルルとヴェアルは人間の世界の入り口と言われている場所まで、誰にも見られず無事に着く事が出来た。


  意外と自分の城から近いことを知り、シャルルは少し驚きを見せる。


  そして、ヴェアルは目の前を手で何か探る様にして進むと、ゆらっと身体が歪み始め、シャルルの前から消えてしまった。


  「????」


  ワケが分からないシャルルだったが、同じように進んでいくと、一瞬身体に強い衝撃を感じたかと思うと、見たことの無い世界が広がっていた。


  「な?な?来れただろ?」


  「・・・ああ。」


  空を見上げれば自分たちの世界同様に夜で、三日月が綺麗に出ているのが見えた。


  そして、もとから人間のような姿をしてはいたが、ヴェアルがより人間らしく見えたため、自分の姿も確認してみる。


  マントが無くなっており、赤い目も牙も出ていないことを知ると、子供ながらに好奇心が満ち溢れてくる。


  だが、何の知識も無く出歩くのは良くないと、今までの経験が警報を流す。


  「何処行ってみる?とりあえず、適当に歩いてみるか?」


  「・・・いや、色々行ってみたいのは山々だが、今日は帰る。」


  「えええええええええ!!!???折角来たのにか!?何か手土産とか・・・。」


  「ヴェアル。碌に調べもせずに未知の土地に足を踏み入れるものじゃない。もしこっちの世界で何か問題を起こしたらどうする?こっちの世界では俺達はやはり子供として扱われるのか?それとも大人と見なされるのか?物を手に入れるのはどうするんだ?言葉は通じるのか?色々調べておく必要があるとは思わないか?」


  「・・・・・・そうですね。」


  言葉の圧力と気迫、説得力に負けたヴェアルは、トボトボと元来た道を引き返し、シャルルもその後をついていく。


  迎えに来たストラシスの頭を撫でながらシャルルに別れを告げると、自分の家へと帰っていく。


  城へ戻ったシャルルは、勿論本が沢山ある書斎へと足を運び入れ、何か人間の世界について書かれているものが無いかを探す。


  数時間後にやっと見つかった本を読み始めると、朝になってもまた夜になっても、集中して読み続けていた。


  「成程な。」


  ようやく読み終えた分厚い本を本棚に戻すと、シャルルは先日のドッペルゲンガ―のことをふと思い出した。


  「・・・・・・。」


  あの時の署名の事も気になり、シャルルはあの場所へと再び足を向かわせていた。


  もしかしたら、すでにあの場にいた存在たちは、もうあの場所にはいないかもしれないと、そんな予感を覚えながらも、とにかく行ってみるしかなかった。


  そして予感通り、そこにはもう何の姿も見つけることは出来なかった。


  何処かに姿をくらましただけなのだろうか、それともあの署名通り皆存在自体を消されてしまったのだろうか。


  そこまでは今の自分では知ることは出来ないと、シャルルは諦めて城へ戻った。


  城へ戻って自分の部屋に行こうとした時、珍しく男が帰ってきていて、ノエルとミカエルを連れて食事中だった。


  「帰っていらしたんですか。」


  「ああ。・・・シャルル、お前は何処に行っていた?」


  「ちょっと散歩です。」


  腹の中を探り合うように話をすれば、男は布巾で口元を拭きながらシャルルにゆっくりと話をしだした。


  「闇の者たちは、出来る限り一掃した。ただし、当然逃げた者もいた。此処の近くにも潜んでいるかもしれん。あまり一人で出歩くんじゃないぞ。」


  「わかりました。」


  一瞬目を見開いてしまったがバレタだろうかと、シャルルは内心ドキドキしていたが、男は途中の食事をそのままに、ノエルとミカエルと一緒に夜空に飛んでいった。


  男から聞かされた衝撃的な報告に、シャルルは多少の喪失感と虚無感に襲われる。


  のろのろと身体を動かして椅子に腰かけると、しばらく床の隅にびっしりついている埃を眺めていた。


  男の残していった食事に目を向けると、無意識に手を伸ばし思いっきり横に払ったため、食事が床に散らばってしまった。


  そんなことも気にせず、シャルルは再び視線を埃に向ける。


  「・・・・・・。」


  どれほど時間が経ったのか、シャルル本人には分かるわけもなく、ただ朝と夜が何度も訪れたのは覚えている。


  そして、その日を境に、男が帰ってくることは無かった。








  ―死亡連絡


  それが届いたのは、シャルルがもう大人になってから数年経ったある日の事。


  男は、人間との共存を求めて調査を続けていたのだが、それに反対する闇の生き残り達に掴まったそうだ。


  心臓を杭で何度も何度も打たれながらも、最期まで人間との共存を訴えていたという。


  自分の許に届いた死亡連絡の通知を一通り読むと、シャルルは片手間にぐしゃりと握りしめ、適当に投げ捨てた。


  「これがあんたのいう“均衡”ってやつか。」


  誰かに聞かせるわけでもなく、シャルルは椅子に腰かけて足を組み、火が灯ってゆらゆら揺れている蝋燭を見つける。


  「ジキル、ハイド。」


  バサバサと翼を懸命に動かしてシャルルの許にやってきた二つの影は、シャルルに近寄ってきてじっとしている。


  「俺は俺のやりたいようにするぞ。いいな。最後まで俺についてこい。」


  そう言ってシャルルが椅子から立ち上がると、ジキルとハイドも後を追うようにして再び飛び始めた。


  向かった先はヴェアルの家だった。


  「ヴェアル。明日から人間の学校とやらに通う事にした。お前も一緒に行くぞ。」


  「ああそう。・・・え?は?なんで?学校?何それ?何で一緒?え?明日?」


  「人間のことは理解した。いいな。明日からだ。忘れるな。」


  「おい!シャルル!?」


  一方的に用事だけを伝えると、シャルルはさっさと城へ戻り、昼間に活動するためにゆっくり眠れるはずのない夜に寝ることにした。


  あまり眠れないまま朝を迎えると、シャルルは調達しておいた制服に着替え始めるが、どうもいつも着ていたものと肌触りが違う為か、しっくりこない。


  さらに、ネクタイというものをつけるが、調べておいた資料を横に置きながら挑戦してみても、なかなか上手くいかない。


  結局、ネクタイはせずに学校に行ってみれば、特に気にされる事は無かった。


  「都賀崎侑馬と言います。よろしくお願いします。」


  「お、大柴・・・光です。」


  なんとかヴェアルと同じクラスにしてもらう事が出来たが、実名とは異なる名前で呼ばれたとき、反応するのが難しいと知った。


  そして、ここで石黒友也という男と出会う事になるが、侑馬というキャラクターを作りあげているうちに、シャルルは以前会ったドッペルゲンガ―の気持ちが多少分かる様になった。


  「シャルル、なんでそんな口調なんだ?違和感あんだけど・・・。」


  「仕方ないでしょう?こういうのを、“優等生”といって、先生からも生徒からも信頼される良い立場を得られるんだそうですよ。」


  「・・・へー。」


  勉強には興味があったためか、成績も常に上位を獲得できるほどの実力を持つ事となり、さらに注目される存在となってしまった。


  それから今に至るー・・・








  ―現在


  「ハハハハハハハ!無抵抗の奴を殴ってもつまらねぇが、こんな機会滅多にねぇからな!!!ミラー!これからどうする?八つ裂きにでもするか?」


  「窒息にしましょうよ。苦しんでいる歪んだ表情、私ダイスキ。」


  痛覚さえも麻痺してきたのか、痛みを感じなくなってきたシャルルに、ファウストとシレ―ヌは、光とミシェルに攻撃されたことも含めた苛立ちをシャルルにぶつける。


  優越感に浸っている二人は、さらにシャルルをいたぶる方法は無いかと考えていた。


  「煮えたぎる鍋の中に入れましょうか?うーん・・・迷っちゃうわ!!!良い男ほど、殺し方が沢山見つかるわ!!」


  「お前、性格最悪だな・・・。ま、俺だったら気が済むまで殴り続けるけどな!!」


  何が愉しいのか分からないが、二人にとってはその会話はとても楽しいものらしく、高らかに笑い、シャルルをニヤニヤしてみていた。


  その一方、ミラーは特に何の感情も無くその様子を見ているだけだった。


  筋肉を最大限にまで発達させると、ファウストはシャルルのお腹と顔を何度も殴り続け、それでもぐらつく程度のシャルルに、最後にもう一発頬を殴った。


  なぜかファウストの方が息を切らせていて、シャルルは口をモゴモゴしたかと思うと、ペッと血を吐きだした。


  「この野郎ッ・・・!!!」


  「フフッ。そう焦っちゃダメよ、ファウスト。・・・それにしても、本当に綺麗な顔立ちしてるわね?水も滴る良い男だわ。」


  尾びれを動かしてシャルルに近づくと、シレ―ヌはシャルルの顎を人差し指で支え、自分と目線を合わせる。


  「本当に食べちゃいたい。」


  ペロッと舌で妖艶に唇を舐めるシレ―ヌだが、シャルルは興味無さそうに目を細めたまま何も喋らない。


  痺れを切らしたシレ―ヌはシャルルの眼球を狙って爪を突き立てる。


  ギリギリのところで留まったが、通常であればだれもが反射的に目を瞑ってしまうだろうが、シャルルは至って平然と爪の先を見ている。


  「待てシレ―ヌ。そいつは俺が仕留める。」


  「私よ。この赤い綺麗な瞳も輝く髪の毛も、私のものにするの。」


  「それは俺がヤッてからでもいいだろうが。」


  再びどちらかがシャルルの息の根を止めるかという議論に入った時、今まで何も言葉を発せずにいたシャルルが、ため息を吐いた。


  「飽きない奴らだな。」


  「ああ!?」


  シレ―ヌを引きはがし、今度はファウストがシャルルの胸倉を掴みあげるが、それでもシャルルは言葉を続ける。


  「滑稽とはこのことだな。目の前のことばかりに気を取られていて、他の事にまで気が回らなくなる。非効率的なうえに無駄な時間だった。」


  「何言ってやがる!?てめぇは今から俺の手で心臓抉りだしてやるから安心して死ね!!」


  「それは丁重に断らせてもらおう。俺は貴様らほど暇ではない。それに長生きする予定は無いが、ヴァンパイアの血を途切れさせるわけにはいかないからな。もっと言うなら、俺は貴様らに負けない。そんなに弱くないからな。」


  「このッ・・・!!!」


  いきなり余裕を出し始めたシャルルに怒りが沸騰したファウストが、掴んでいる胸倉にさらに力を込めた。


  拳を作り、同時に筋肉にも力を込めると、一気にシャルルの顔面目掛けて殴りかかった。


  だが、ファウストの攻撃は空振りに終わり、しっかり掴んでいたはずのシャルルの姿は無く、ヒュッと風を切った音が聞こえてきただけだった。


  「上よ!!」


  シレ―ヌの声が聞こえてきて、すぐさま上を見てみると、シャルルがマントを靡かせながら宙に浮いているのが視界に映った。


  ジャンプして攻撃しようと足の筋肉に力を込めるが、その前に声が降ってきた。


  「遅い。」


  「なッ!?」


  地面を蹴ろうとしたその瞬間、空から重力に逆らわずに落ちてきたシャルルがファウストの脳天をかかと落としした。


  ぐらついたファウストの下に回り込むと、今度は下から一発拳を入れる。


  その時、シャルルの口元が歪み牙が見て、さらには獲物を見つけた様に赤い目が光っていたことは、ファウストにしか分からない。


  体勢を直す暇も与えず、若干足が地面から離れたところで、今度はファウストの背中に回り込んで蹴り込む。


  シャルルが攻撃するととても軽い動作にしか見えないのだが、がたいの良いファウストが数メートル飛ばされるくらいなのだから、半端ではない威力だ。


  シャルル自身の表情もとても優雅なためか、余計にその威力は受けた当人にしか分からない。


  そのあまりの威力に、ファウストは数メートル飛ばされただけでなく、頭が木の幹にめり込んでしまった。


  動かなくなったファウストを見て、シレ―ヌは水の通路を通って魔女達のところへ行こうと試みる。


  だが、自分の周りの水が蒸発されていくのに気付き、急いで水を補給していく。


  しかしそれでも蒸発するスピードの方が勝っているため、シレ―ヌは陸に上がった魚のように地面に座り込んでしまった。


  「あら。これで終わりのつもり?」


  「強気な発言だな。可愛げのない女だ。」


  コツコツとシレ―ヌに近づいていくシャルルの後ろには、今までシレ―ヌの身体を纏っていた水が沢山あった。


  自分に寄ってくるシャルルの後ろの水を確認すると、シレ―ヌは自分の顔を隠す様に下を向き、ニヤリと笑った。


  ガバッと顔をあげるとシャルルに向けて人差し指を突きつける。


  「たかが吸血鬼が!!!窒息して死ぬがいいわ!!!」


  ヒュンッと小さな水滴となって落ちていた水達が集まり、シャルルの顔を覆えるくらいにまで大きくなると、シャルル目掛けて飛んできた。


  それでも、後頭部に目でもついているのだろうか、シャルルはひょいっと首を軽く傾けて水を避けた。


  虚しく再び地面に落ちて土に吸収されてしまった水を眺めていると、シレ―ヌに影がさした。


  ゆっくり顔をあげると、そこには今までは綺麗だとすら思えたシャルルの赤い目が、嫌に不気味に感じた。


  「ひぃッ・・・!!ま、魔女達の上には・・・!!私の作った水があるのよ!?私が意識を手放せば、あの水は牢屋を囲み覆い、魔女達もあの人間も窒息して死ぬわ!!」


  「・・・・・・。」


  最後のチャンスだと、シレ―ヌは必死になって半ば命乞いを始めるが、シャルルの表情は歪むどころかますます悪魔の如く笑みを作る。


  口をわなわな震わせていると、シャルルから死の宣告にも似た言葉を聞く。


  「なら、意識を手放さない程度にその尾びれを切り落とせばいいのか?」


  切られた時の想像をしたのか、シレ―ヌは肩をビクッと動かし、腕の力だけでシャルルとの距離を広げた。


  「それに、見ろ。」


  くいっと顎である方向を示された為、シレ―ヌはシャルルの様子を窺いながら見てみると、そこには光とミシェルによって解放された魔女達の姿があった。


  「シャルル!こっちはみんな救出したぞ!」


  「・・・というわけだ。さて。三枚下ろしにしてやろうか。」


  「!!この・・・!!!」


  残り少なくなってきた水をかき集め尖った氷にすると、シレ―ヌはシャルルの足下を狙って氷のナイフを振り下ろした。


  カンッと高い音が耳に響くと、折れた氷が地面に突き刺さっているのが視界の隅の方で確認でき、続いてシャルルに片手で首を掴まれる。


  呼吸が難しくなってきたこの状況で、シレ―ヌは涙を流しながら死を覚悟する。


  だが、身体を貫く衝撃が来ることも、尾びれが切られる感覚に襲われる事もなかった。


  ドサッと乱暴に地面に落とされると、シレ―ヌは自分の身体が無事なのか、何か無くなっているものは無いかを確認し始める。


  「・・??どういうつもり?なんで殺さないのよ!!!!」


  「・・・なんだ。殺してほしかったのか。」


  メキメキと今度は大きな音が聞こえてきたかと思うと、木の幹に突っ込んだファウストの身体を、光が取り出しているところだった。


  「俺は貴様らを殺しに来たわけじゃない。そんなに死にたいなら勝手に俺の目の届かないところで息絶えろ。」


  シレ―ヌを一睨みすると、今度はミラーへと視線を移す。


  鼻で自嘲気味に笑うシャルルは、前髪を艶やかにかきあげると赤く揺らめく瞳にさらに意思を強める。


  闇に浮かぶ不気味な赤黒い瞳に、光までもが思わず息を呑む。


  「人間との共存にせよ、俺達の共存にせよ、自己中心的な思想や意見を貫こうとするならば、貴様等は間違いなく、何処にも受け入れられることなど無いだろう。他人と平和に過ごそうと思うのなら、根本的な部分からの改善が望ましい。それが他の種族とならば尚更だ。」


  このシャルルの言葉に、今までで一番目を見開いて睨みつけてきたシレ―ヌは自分の唇を噛みしめたため、僅かながらも血が滲み出た。


  「最初に私たちとの共存を拒んだのは、あんたの種族でしょう!?私達は必死に人間についての知識を得て、あんたたちがいう“均衡的な世界”にしがみ付こうとしたの・・・!!!それなのにッ・・・!!!」


  「そうだ。」


  シレ―ヌの言葉の後に続いてく口を開いたのは、光になんとか身体を出してもらったファウストであった。


  自分の首が繋がっていることを確認するように、手で首筋を何度の摩りながら、シレ―ヌとシャルルの方に視線を送る。


  そのファウストの目は、シレ―ヌほどではないものの、やはり強く鋭く深く棘のように突き刺さる恨みや憎しみを持った、とても冷たいものだ。


  特に表情を変えることなく会話を聞いているミラーは、ゆっくり瞬きをする。


  尻をついたまま片足だけ膝を曲げ、そこに肘を置いたファウストが、腹の底から出した低い声でシャルルを非難する。


  「てめぇらヴァンパイアが、俺達を下等な種族だなんだの言って切り離しやがったんだ!人間にとっちゃ、俺たちもてめぇらも変わらねぇってのに、綺麗事ばっかりぬかしやがって・・・!!!!最初に俺達を裏切って殺しに来たのはそっちだろうが!今の俺達を非難する権利、てめぇにはこれっぽっちも無ぇんだよ!!!!」


  「そうよ!あの時の襲撃で、生き残ったのはほんの一握り・・・。私達だって、この血を絶やすわけにはいかないの!」


  二人からの言葉を黙って聞いていたシャルルだが、目を細めて二人を一瞥すると、浅くため息を吐いて呆れたように口を開く。


  「それは俺のせいではない。恨まれても迷惑だ。」


  「なッ・・・!!!?」


  「こいつ・・!!」


  「確かに、貴様等を粗末しようとしたのは俺の祖父だ。それは認めよう。だが、それに直接俺は係わっていないし、当時まだ十にも満たない俺が、貴様等を始末するという計画を止められるわけないだろう。」


  シレ―ヌとファウストの気持ちを少しも配慮しない、全く反省の色の見えないシャルルの言葉と表情に、二人は自分の唇を強く噛みしめる。


  自然と拳にも力が入るが、シャルルに敵わないと頭が理解してしまっているため、動かない。


  悔しくても力では敵わず、言い切れない恨みがあっても言葉では伝えきれず、上昇する心拍数を止めることも出来ない。


  あまりの非情さに涙も流れないと思っている二人に、シャルルは先程とは別の言葉を発する。


  「悪かったとは思っている。こちらが一方的に貴様等を切り捨て、見放し、絶滅寸前まで追い込んだ。自分達が生き残るためにしたことであって、世界平和だ均衡だ子孫繁栄だなんだの言い訳をしたところで、貴様等の恨みは変わらないだろう。」


  「ああ・・!!そうだ!だから、てめぇのじーさんが殺されたときは、正直スカッとしたぜ!!やっと死んだかってなァ!?」


  「だが、やはり貴様等のやっていることは同情しかねる。」


  「・・・ああ?」


  非を認めたにも係わらず、簡単に謝っただけで終わりにしてしまったシャルルに、ファウストはピクッと肩眉を潜ませて表情を曇らせた。


  「俺と正々堂々戦うことも出来ない奴に、俺を非難する資格は無い。」








  「おいおい。都賀崎の野郎が悪いんじゃねぇか!謝ればいいだろ?」


  魔女達と一緒に解放された友也が、ミシェルや光たちと共にシャルルたちの会話を聞いた感想を述べると、光は苦笑いを返してきた。


  詳しい事は頭には入ってきていないが、なんとなく、喧嘩で言うとシャルルが先に手を出したのだと解釈したためか、友也は腕組をしながらブツブツとシャルルには聞こえない音量で文句を言い続ける。


  そんな中、今までシレ―ヌとファウストを見ていたシャルルが、ミラーへと視線を軽く向ける。


  「仕返しもいいところだ。俺はやり返そうなどと思っていないからいいものの、こんなこと繰り返していけばいつまで経っても終わらないことくらい分かってるはずだ。貴様はそこまで馬鹿じゃないだろう。興味無さそうに高みの見物しているのもそこまでだ。いい加減出てこい。」


  「・・・・・・。」


  しばらくの間沈黙に纏われていた空気だったが、それを破ったのは今まで一言も発しなかったミラーであった。


  声を出したわけではないが、立ち上がるという動作を行ったため、足下に落ちていた小枝を踏み、それで音が出たのだ。


  小さくパキッと鳴っただけだが、それだけでも沈黙を破るのには十分な音だった。


  シミラーがャルルと距離を置いて立ち止まると同時に、シャルルが再び話を始める。


  「貴様は声を出さないんじゃない。出ない。そうだったな。」


  確かめるようにシャルルがミラーに訊ねるが、当然ミラーからは返事が来ることは無かった。


  その代わり、ずっと一緒にいたにも関わらず事情を知らないでいたファウストとシレ―ヌが反応を示した。


  「声が出ない・・・!?どういうことだよ!!ミラー!?」


  「なんだ。貴様等はそれも知らずにこいつといたのか。」


  単に声を出さないでいただけだと思い込んできた二人にとって、いや、その場にいたシャルルとミラー当人以外は、皆一様に驚いた表情を浮かべている。


  弱い風が吹くと、シャルルの銀色の髪の毛は微かに揺れ蠢いた。


  前髪の隙間から見える赤い目は、不気味というよりも幻想的で、黒いマントは静かに靡いた。


  「ドッペルゲンガ―は生まれてすぐに声帯が切除される。それは、ドッペルゲンガ―という存在は、“死”を告知するためだけにあるものだからだそうだ。生まれながらに声が出ないわけではない。稀に声を出せる者もいるようだが、そこは未だ解明されてはいない。・・・それに。」


  一旦呼吸を整えるように息を吸い込むと、シャルルはミラーを怪訝そうに見つめながら話の続きをする。


  「それに、俺が頭を下げたのは、後にも先にも貴様だけだ。なのに恨まれる理由が分からん。」


  シャルルがそう告げると、あたりはしーん、と一気に静まり返った。


  「・・・・・・。ミシェル。俺、空耳が聞こえた。」


  「私もよ、ヴェアル。」


  「シレ―ヌ、今あいつは何て言った?」


  「・・・私が確認したいくらいよ。」


  皆、自分の耳だけがおかしくなったのかと疑っていたが、どうやら聞こえてきた言葉は確かのようだ。


  “頭を下げた”、確かにシャルルはそう言ったのだ。


  だが、何から何をどうやって誰に確認すれば良いのか分からずにあたふたしていると、シャルルは説明するようにミラーに対して話しかける。


  「祖父が死んで、俺は貴様等のことを調べた。生き残りがいることは知っていたから、何処にいるのか、何の種属が生き残っているのか・・・。そして、貴様等がいる場所をつきとめ、貴様に頭を下げて謝罪したはずだ。“祖父の罪を赦してほしい”と。貴様はその時首を縦に振った。それなのに、今更恨みがぶり返してきたのか?そこを説明願おう。ああ、勿論、貴様は話せないから、何か特殊な方法での会話を成立させなければいけないが。」


  「・・・・・・。」


  「・・・はぁ。」


  やはりどうやっても会話は出来ないのかと諦めかけたシャルルに、聞き覚えのある、あっても思い出したくは無い声が聞こえてきた。


  「何言ってんだ?都賀崎。そいつ話してるじゃねーか。」


  「・・・。何を言っている・・・?その言葉はそのままお前に返そう。お前こそ何を言っている。」


  「いや、だから、そいつ話してるじゃねーか。俺聞こえんだけど・・・。・・・え?俺が可笑しいのか?俺が普通なのか?大柴は聞こえるか?」


  どうみても口を動かしてはいないミラーを見た後、光は正直に聞こえていないことを友也に伝えれば、友也は目を大きく見開き、ミラーをじっと見つめた。


  周りの反応からしても、聞こえているのは友也だけのようだ。


  「・・・あれ?さっきまでは聞こえなかったんだけどな・・・。これこそ空耳か・・・?」


  「友也!」


  「はい!」


  いきなり名前を呼ばれた為、友也は背筋をビシッと伸ばして声を張る様に答えた。


  「あいつの声が聞こえるんだな?」


  「え?ああ。多分・・・。」


  「・・・そうか。人間の聴覚は脆く弱いが、逆に言えば非常に敏感とも言える・・・。それで聞こえるのかもしれんな・・・。」


  ブツブツと自分の顎に手を添えて何か話しているシャルルの顔を覗き込むようにすると、いきなり顔面を掌で掴まれ、地面にドサッと落とされる。


  何をするんだと文句を言おうと口を開いたが、シャルルの鋭い目つきに思わず言葉を呑む。


  ニヤリと笑ってくれたほうが友也の気持ちは楽だったのだが、あまりにも真面目な顔つきで話しかけてくるシャルルを、睨み返す様に小さく眉を顰めた。


  「お前はラッキーだ。俺が助けてやった恩を、今返す時が来たのだからな。」


  「は?恩?」


  「友也、通訳をしろ。あいつの声が聞こえたらそれをそのまま一言も一文字も間違えず略さず勝手な解釈を入れずに俺に伝えろ。いいな。」


  じんじんと痛むお尻を摩りながら首を一回だけ楯に動かすと、友也は重たい腰をため息と同時に浮かし、ミラーの方を見やる。


  ―シャルルが頭を下げに来たのは、少し寒くなってきた秋だ。


  「・・・・・・。え、何。回想シーンの説明とかもするの?俺が?」


  「いいから的確に正確に素早くやれ。」


  助かったジキルとハイドに両サイドをガードされているシャルルは、立っているのが疲れたのか、人の腰あたりまでの大きさのある石に腰かけていた。


  足を組んで頬杖をついているその姿は、人に物を頼んでいる姿ではない。


  頭の中でぼやけては消えるその声を、友也は必死に、今偉そうに座って欠伸までしているシャルルのために聞こうとしている。


  ミラーの言葉を反芻していくと、自然と内容が理解出来ることに気付いた今日この頃。


  ―裏切り拒んだのは、こちらも同じだ。








  ―何年くらいか前。


  「これはこれはグラドム殿ではないか。今宵は何用かな?」


  「その前に、これは何の真似かね。人間との共存、それが君達にとってもどれだけ必要不可欠なことか、分かっているだろう?」


  暗闇の中、大きく揺れる蝋燭の火と共に大勢の影・・・。


  一つの影の周りには多くの影で囲まれていて、中心の影に向かって何かを向けているのを、もう一つの影が向かい合うようにして見ている。


  大勢に囲まれ銃を向けられているシャルルの祖父と、それを見ているのは数年前の殺戮から逃れた者の代表者のようだ。


  二人の間にある丸い透明のテーブルの上には、何かの契約書が置かれている。


  「この契約書には、君達が人間には手を出さないという内容も書かれている。それなのに、なぜ君たちは人間を襲った。ワケを聞かせてもらおう。事によっては、君たちを今度こそ抹殺しなければならなくなる。」


  「たかが紙きれ一枚に、そんな効力があるとは到底思えんがね?」


  「そんな事を言っているから、君たちは人間と共存が出来なんだ。」


  徐々に増えていく銃を持った男たちに囲まれながらも、シャルルの祖父は威厳を保っている。


  そして代表者が自分の懐に腕を忍ばせると、そこから周りの男たちが持っているものと同じ、黒光りした鉄製のものを取り出した。


  冷たく光それをシャルルの祖父に向けながら、冷え切った笑顔でこう告げた。


  「綺麗事は聞き飽きたよ、シャルル殿。私達が目指しているのは人間との共存では無く、“私たちだけの世界の創設”だ。人間との共存など、人間を騙す為の糸口でしかない。いや、しかし残念だ。こうも分かち合えないものなのだね。」


  「・・・全くだ。同じ事を思っていた。」


  「ククク・・・・ハーハッハッハッハッハ!!!!!!」


  男が高らかに笑い始めると、シャルルの祖父の周りにいる男たちが一斉に祖父の身体を掴みだした。


  「この私を、消す心算か。」


  「そんな怖い顔しないでいただきたい。貴方の言葉を借りるなら、“均衡と平和のため”。さて、この辺でティータイムは終わりとしよう。シャルル殿を磔上まで案内してさし上げなさい。」


  夜な夜な薄暗い道を着いていけば、そこには大きな十字架が掲げられており、さらには太陽を象った置物まで用意されていた。


  カンカンと遠くから聞こえる教会の鐘の音が、処刑の時刻を知らせる。


  ヒタ・・・ヒタ・・・と不気味に歩いてきたのは大きな鎌を持った死神で、真っ黒な布に全身を纏わせ、頭にもフードを被ったまま、シャルルの祖父に近づいていく。


  そんな死神に、祖父は至って冷静に話かける。


  「死神はなぜフードを被ったままだと思う。」


  それに対して何も答えない死神だったが、シャルルの祖父は独り事のように会話を続けていく。


  「ある本に寄ると“恋をしないため”、また別の本には“涙を隠す為”とあった。だが、私はもう一つあると思う。」


  死神が大きな鎌を振りあげれば、処刑を見に来ていた、全滅を免れた種族達が歓声を上げ始める。


  「死神は忌み嫌われても、寿命が来ればその者が逝くのを見届けなければいけない。そのとき、相手を見て気持ちが揺らいではいけないから・・・。私はそう思っている。君も、大変な血を受け継いでしまったようだね。だが、揺らいではいけない。その手を止めてもいけない。私の首を落とすと一度決めたのなら、迷わずに斬り落しなさい。」


  ゆっくりと祖父の首にまで近づいた鎌はまた一度少しだけ離れ、一息ついたところで再び思い切り振りおろされた。


  冷たい風が吹く秋の或る夜、一人の男の命が途絶えた。


  三日月を背景に、同じように弧を描いた鎌には男のものと思われる血液が付着し、酸化によって徐々に黒く染まっていった。


  まるで錆びた鉄のように・・・・・・。










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