第2話相続の冥府






死者請負人

相続の冥府




 思考は、地獄を天国にもし、天国を地獄にもすることができる。


           ジョン・ミルトン




































 第二幕【相続の冥府】




























 一代で会社を立ち上げた女社長も、もう御歳98になろうとしていた。


 社員数だけで言えば、それなりに大企業かもしれないが、苦労をしたことがない娘たちも孫たちも、当然のように会社で働いている。


 とはいえ、仕事など碌にできない、頭でっかち。


 「どうしたものかしらね・・・」


 まだ頭も身体もしっかりしている女社長は、早いところ仕事の出来る人間に、今の椅子を渡してさっさと隠居生活を送りたいと思っていた。


 だからといって、仕事が出来ない娘たちを社長にするわけにもいかず、悩んでいた。


 「社長、そろそろ会議のお時間です」


 「あら、そうだったわね。待ってね」


 もともと、洋服が好きな女の子だった。


 昔からデザイナーになるのが夢で、もう何百枚、何千枚と描いてきたかも分からない。


 しかし、実家は貧しい仕立屋で、そこまで繁盛もしていなかったため、大学さえ出してもらうことが出来なかった。


 勉強なら何処でも出来ると、仕立屋を手伝いながらも、絵を描き続けた。


 そんなある日、たまたま店に来た男性が、床に落ちていたデザインの絵を見て感激し、今の女社長をこの道に連れてきてくれた。


 大学に行くお金がないと言うと援助してくれて、会社を立ち上げると言ったときも、応援してくれた。


 その男性は、いわずもがな女社長の夫となる人なのだが、不運なことに、海外に出張中、乱闘に巻き込まれて亡くなってしまった。


 「ふう、疲れたわ」


 ようやく一日の仕事が終わり、家に帰ってゆっくり出来ると思ったのだが、家に帰ると、数台の車が並んでいた。


 何事だろうと中に入ると、そこでは娘たちが男を連れて勝手にホームパーティーを開いていた。


 「あなたたち、いい加減にしなさい。何時だと思ってるの」


 「いいじゃない。これからが楽しいんだから」


 「ママは早く寝れば?」


 こんな具合に、言う事さえ聞かない。


 首を横に振りながら、ゆっくりと身体を横にして、僅かに聞こえてくる声や音を遮断し、眠りにつく。








 翌日、会社に行って少し経った頃、秘書が入ってきた。


 「あの、社長」


 「どうかしたの?」


 「それが、御面会したいと仰ってる方がみえているんですが」


 「面会?何か予定あったかしら?」


 「いえ、アポイントも取っていないようでしたので、お断りしたのですが、どうしてもと仰って・・・」


 「まあいいわ。時間あるし。入れて頂戴」


 「はい、かしこまりました」


 それからすぐ、コンコンとノックが聞こえてきた。


 「どうぞ」


 中へ入るよう促せば、秘書の後ろから見知らぬ若い爽やかそうな青年が入ってきた。


 上下黒のスーツに黒の短髪、黒の鞄を持っていた。


 秘書が部屋から出て行くと、青年はドアの前に立ったまま、ニコニコとしていた。


 「こちらへおかけになって」


 「失礼します」


 椅子に座ってもらうと、秘書が入ってきて、2人の前に紅茶を出した。


 一礼してまた出て行くと、女社長は紅茶を一口飲む。


 「それで、何か御用かしら?それとも、モデルの子たちのマネージャーさんとか?」


 「いえ、私、こういう者です」


 そう言って名刺を渡されたのは良いが、何と読むか分からなかった。


 すぐに青年ははにかみながら言う。


 「うじみね、と申します」


 「ああ、氏海音さん、と読むんですね。あまりに珍しい名字だから。それで?」


 何をしに来たのか聞くと、氏海音は鞄から一枚の紙を取り出した。


 それを女社長に見せながら、説明を始める。


 「私、死者請負人、という仕事をしておりまして、そのご説明をさせていただいてもよろしいですか?」


 「死者請負人、ですって?なんだか物騒な仕事ねぇ」


 「そんなことはありません。死というのは、誰にでも訪れるものです。そこで、生前にご契約をしていただくと、ご契約様の死後、私がその約束事を全うさせていただく、といった内容になっております」


 「契約って、なんなの?」


 「難しいことではありません。例えば、お客様でしたら、次期社長への仕事の引き継ぎや、もし消してほしいデータなどがありましたら、その消去など。とにかく、ご契約される方が自らの死後、やってほしいことを契約内容として出していただければ、確実に遂行致します」


 「・・・死後、やってほしいこと」


 「ええ。もし今迷っているようでしたら、後日、連絡していただければ、ご契約に参りますので、ご安心ください」


 氏海音は紅茶を口に含むと、幸せそうに微笑む。


 女社長が紙と睨めっこしている間、氏海音は笑顔のまま待っていた。


 少ししてふう、とため息を吐いた女社長が、氏海音に話し始めた。


 「私には娘がいるんだけど、これがどうも我儘でお譲さま気質で。私も困っているの。次期社長も当然自分たちのどちらかがなるものだと思っているみたいなんだけど、私としては別の方になってもらいたいの。でも、娘たちが路頭に迷うかと思うと、それもそれで、どうしたらいいのか・・・」


 「なぜ娘さんたちはこの会社に?」


 「あんな調子だから、就職活動もまともにしてなかったの。それで、仕方なくこの会社に入れたのよ。なのに、社長の娘だからって好き勝手やってて」


 「それは、困りましたね」


 「でしょう?私ももう、いつ逝ってもおかしくないのよ。なのに、いつまで経ってもダメ。こんなことなら、もっと早く会社から出してしまえば良かったわ」


 「社長が楽だと思っている方も多いですが、全従業員と、その家族の生活を守らなければいけませんからね」


 「ええ。誰よりも自分が我慢しなくちゃいけないときもあるのに、あの子たちったら、我慢を知らないの」


 それからしばらく、女社長の愚痴は続いた。


 その間も、氏海音は頷いたり相槌を打ったりと、笑みを絶やすこと無く、この口の動きが止まるまで聞き続けていた。


 「あら、ごめんなさい。つい喋りすぎちゃったわ」


 「ご安心ください。今お聞きしたことは、決して他言しませんので」


 「はあ・・・。そうね、是非、契約させていただける?」


 「はい、もちろんです。ありがとうございます」








 「では、こちらのご契約内容で、ご希望通り、遂行させていただきます」


 「よろしくお願いします」


 頭を下げる女社長に、同じように頭を下げると、氏海音は綺麗な歩き方で去って行った。


 その後、思っていたよりも早く女社長は老衰で亡くなっているところを、娘たちによって発見された。


 葬式や告別式を終わらせると、会社はてんやわんやとしていた。


 それもそのはずだ。


 社長が亡くなって、次の社長は誰だという話なのだが、副社長を担っていたのは、娘たちではない。


 副社長が社長になると思っている社員が多いのが当然なのだが、それを赦さないでいるのは娘たちだった。


 「母親が社長をしていたんだから、私達が社長になるのが当然でしょ?」


 「いえ、しかし」


 「副社長はまた副社長でいいじゃない。どうして社長になりたがるのよ。私たちのママが作った会社よ?」


 社長の椅子を巡って、言い争いが起きてしまったのだが、その時、秘書が部屋に入ってきて、こんなことを言った。


 「あの、お取り込みのところ、すみませんが・・・」


 「なによ」


 「社長から遺言を預かっていると仰る方が、今いらっしゃっているのですが」


 「はあ?弁護士ってこと?」


 「いえ、私にもよく分からないのですが、確かに社長直筆のサインと印鑑が押してありまして」


 その場にいる全員が首を傾げたが、社長直々の遺言書があるのなら、それに従った方が良いだろうという結論に至った。


 どんな奴が来るのだろうと思って待っていると、そこへ入ってきた男はなんとも言えずまだ若い感じで、この重苦しい濁った空気に似合わない爽やかな青年だった。


 「初めまして。私、前社長に頼まれまして、遺言を届けに参りました、氏海音と申します」


 「なんでもいいわ。早く遺言書を読んで頂戴。どうせ、私達のどちらかが社長になるようにって書いてあるでしょうけど」


 男、氏海音は椅子に座ると、白い手袋をして鞄から封書を取り出し、その中からまた別の紙を出した。


 「では、読ませていただきます」


 ごくり、と唾を飲み込む音が聞こえてきたような、聞こえていないようだ。


 「一代で築き上げてきた大切な会社です。その社長になるということは、とても大変なことです。そもそも、この会社を作りあげた経緯は」


 「ちょっと!そんなの読まなくて良いから、さっさと社長のところ読んでよ!!」


 「そうよ!身の上話なんて興味ないわ」


 「・・・そうですか。それでは少々飛ばさせていただきまして・・・」


 数枚読み飛ばすと、氏海音は再び口を開く。


 「私の跡を継いで、会社の社長になってもらうのは、他でもありません。私の実の娘、長女の真実です」


 「やった!!やっぱりね!!ほらみなさい!」


 「そして次女の真衣には、その補助をしてもらいます」


 「ふふ。当然よ」


 娘たち以外の社員たちは、みな一様に険しい顔をし始める。


 愕然としているのは、決して、社長になれなかったからではなく、仕事のことなど何も知らないこの娘たちが、社長という立場になるということだ。


 きっとこのことをみなに報せれば、辞めると言いだす者がほとんどだろう。


 泣くなった社長に恩義はあるが、この娘たちを変えることなど出来ないだろうし、この会社が躍進するとも思えない。


 一方、娘たちは喜びに満ち、早速社長の椅子に座って高笑いをする。


 「まだ、続きがございます」


 「はあ?続き?」


 「早く読みなさいよ」


 「では・・・。真実、真衣、言っておきますが、この会社の経営は順調ではありません。傾き崩れることだって、充分に有り得ます」


 「はあ!?何よそれ・・・」


 「お静かに。2人はきっと、会社が繁盛していて、私が他の社長さんのように稼いでいると思っていたかもしれませんが、決して、そのようなことはありません。自分のことは最低限まで削って、私のもとで働いてくれている従業員の皆さまを路頭に迷わせまいと、必死でやってきたのです」


 娘たちは知らなかったかもしれないが、この会社は決して、余裕ある暮らしが出来るような経営状態ではなかった。


 それでも娘たちが自由に出来ていたのは、それだけ、親でもある女社長が見えないところでやりくりをしてきたからだ。


 それを知らずに好き勝手生活してきた娘たちは、先程の表情から一変、目を丸くし、口をぽかんとあけていた。


 副社長はもちろん、女社長の身近にいた者たちは、少なからずそのことを知っていたようで、唇を噛みしめながら、氏海音が読みあげる言葉を、ただ聞いていた。


 「真実、真衣、これだけは言っておきます。決して、社長を辞めるなどと言ってはいけませんよ」


 「な、何言ってるのよ・・・。こんな、いつ潰れるか分からない会社なら、いらないわよ!!!」


 「逃げるなど、私が赦しません」


 「あんた、何様のつもりよ!!!」


 「・・・いえ、書かれているものを読ませていただいているだけですので。続けてよろしいですか?」


 「お願いします」


 氏海音の問いかけに、副社長の男が答えた。


 氏海音は静かに頷くと、再び遺言に目を向け、読み始める。


 「社長になるのだから、決して、傲慢になってはいけません。決して、有頂天になってはいけません。決して、気遣いをおろそかにしてはいけません。あなたたちは2人そろってもまだまだ一人前には程遠いので、周りにいる優秀な私の部下たちに、助けを乞いなさい。大丈夫。みなさん、とても優しくて頼りになる方たちです。きっと、助けてくれることでしょう。ですから、その方たちを守るのが、社長としての務めなのです。しっかり仕事に励みなさい。そしてしっかり学びなさい。しっかり反省し、しっかり生きなさい。いいですか、真実、真衣。最後の最後まで、残ったのがあなたたち2人になったとしても、会社を守りなさい。それが出来て初めて、あなたたちは立派な大人になったと言えるでしょう。みなさまの声をちゃんと聞いて、受け入れ、やってみなさい。少なくとも、今よりは悪くなりません。会社を生かすも殺すも、あなたたち次第です。頑張って・・・。追伸、副社長の田辺さん、秘書の森中さん、それから全従業員の皆さま、至らない娘たちですが、どうか、手助けをお願い致します。ですがもし、どうしても辞めたいという方がいれば、無理に引き留めなくても結構です。その方の人生です。でも、私は信じています。みなさまがこの会社でひとつになり、今よりずっと、良い会社にしてくれることを。どうか、よろしくお願いいたします。宮前真子。・・・以上になります」


 し、ん・・・と誰一人として、言葉を発しなかった。


 取り乱していた娘たちでさえ、額に手を置いて泣きそうな表情をしている。


 最初に声を出したのは、副社長の男だった。


 「社長・・・!!!」


 すると、次々にその場にいた従業員が崩れ落ち、泣き始めた。


 つられてなのか、それとも心からそういう気持ちになったのか、娘たちも顔を覆って泣き崩れて行く。


 その中でただ一人、冷静にしている男、氏海音は、遺言を綺麗に折り畳みながらもとの封書に戻すと、テーブルの上に置いた。


 「これほどまでに愛されている方は、幸せだったでしょうね。しかし、貴重な時間をこのように泣くことで終えてしまって良いのでしょうか。この悲しみを負ととらえるか、それとも、宮前真子様から与えられたチャンスと捉えるかは、貴方方に委ねます」


 氏海音は立ち上がってドアの方まで歩いて行くと、何かを思い出したのか、「ああ」と言ってテーブルにもう1枚、手紙とは別のものをそこに置いた。


 「こちらは、宮前様が大切に持っていたものです。この部屋に飾ってほしいと言われましたので、こちらに置かせていただきます」


 そこに映っているのは、宮前真子をはじめとする、従業員たちと一緒に映っている、たった1枚の集合写真。


 氏海音はドアを開けて一歩足を外へ出すと、呟いた。


 「この度は、心より、ご冥福をお祈り申し上げます」


 閉じられた部屋の中は、一瞬にして活気に満ち溢れることとなったようだが、それはもう、氏海音には関係ないことだ。


 彼はまた、戸を叩くだけ。




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