事件の終わり、そして

 



 そしてその場に残されたのは。


 やれやれという顔で鼻を鳴らすセリアンと、その背にまたがったままぽかんと口を開いたままの私。


 先ほどの荒々しい表情が嘘のように、いつものようにつぶらな目を輝かせて無邪気な顔でこちらを見つめるオーレリー。 


 そして――。


 目の前にあるその大きな背中に、ふと気恥ずかしくなり視線を下に向けた私は。

 この時あることに気がついたのです。


 その瞬間、叫びだしそうになりました。


「……っ!!」


 それをぐっとこらえ慌てて口を覆った私は、絶望感で一杯になりました。

 だって、すっかり忘れていたのです。自分が今、どんな格好をしているのかを。


 慌てて体を両手で隠そうとするも、そんなことで下着姿がごまかせるはずもなく。


 赤面しながらふと前を見れば、一瞬ジルベルト様と目があいました。


 真っ赤な顔で固まる私を不思議そうな顔で見つめ、そして視線を下に落としたジルベルト様は。


「こっ! ここここ、……これを着るといいっ!!」


 ジルベルト様はぐりん、と音がしそうな勢いでそっぽを向くと、はおっていたマントを私に差し出しました。


「あ……ありがとうございます。お借りします……」


 消え入りそうな声で手渡されたマントを体に巻き付けるも、そこからふわりとジルベルト様の香りが立ち上って。


「ふあっ……!」


 今度はその香りに悶絶している私は、どこからみても挙動不審に違いありません。


 いくら緊急事態だったから仕方ないとはいえ、こんな姿をジルベルト様にさらしてしまったことも。

 ジルベルト様の香りに包まれて、つい胸がときめいてしまったことも。


 はじめて知る気持ちに戸惑いながら。

 顔から火が出そうな恥ずかしさに、身を縮こませるしかない私なのでした。





 ◇◇◇

 


 その後、ひとまず屋敷へと戻ることになった私たちは馬車に揺られていました。


 ぱかっぱかっぱかっぱかっ……。


 小気味いい蹄の音と車輪の音が、静かな馬車の中に響きます。

 

 ゴトゴトゴト……。


 ゆったりと穏やかに流れる時間に、誘拐され恐ろしい目にあったことが嘘のように感じられます。


 目の前にはジルベルト様がいて、足元にはぐっすりと眠りについているオーレリーが丸くなり、外にはセリアンもいてくれます。そのことに心から安堵し、ようやく心と身体の緊張がふわりと解けていくようで。



 けれど今は、別の緊張感に包まれていました。


 ふとジルベルト様と視線が合います。


「……」

「……」


 ぎこちなく微笑みあい、また視線を外します。

 さっきから何度となく同じ行動を繰り返している私たちは、このなんともいえない緊張感になすすべもなく。


 だって、この馬車の中にいるのは私とジルベルト様のふたりきり。

 家族以外の男性と同じ馬車に乗り込んだこともなければ、ジルベルト様とこうしてふたりきりになったこともないのです。


 もちろん一応は夫婦なのですから、ふたりきりでも何の問題もありません。むしろ夫婦が別々の馬車で屋敷に帰るなど、その方が奇異に写るのでしょうが。

 ですがなんといっても私たちは、形だけの夫婦なのです。


 となれば、緊張するなというほうが無理な話で――。

 

「すまない。馬車をもう一台用意してくればよかったのだが、そこまで思いいたらず……申し訳ない。その……怖がらないでいてくれると嬉しいんだが」


 沈黙に耐えかねてか、ジルベルト様が口を開きました。


「とんでもありません。助けにきてくださっただけで充分です。私のためにお手数をおかけして申し訳ありませんでした……」

「今回の件は、アリシア王女と間違われてのことなのだから、あなたのせいではない。……本当に、あいつらにひどいことは……?」


 ジルベルト様の視線が、意味ありげに下着姿の私にちらと注がれたのをみて、何を懸念されているのかを察して慌てて首を振ります。


「あっ……えっと、この格好は別に何かそういうことをされたとかではなくて。その……男たちから逃げ出すために命綱を作ったりするために服を利用しただけなんです。ですから……その」

「そうか……、ならば良かった。本当に良かった……」


 その表情には心からの安堵が見え、それが少しくすぐったくも感じられて。


「にしても、あの酒蔵の中の仕掛けなどは本当に君が全部……? 樽もなかなかの重さがあったはずだが……」

「ええ、まぁ。こう見えて、力には自信がありますので……あのくらいは。それに早く逃げ出さなければと必死でしたし」

「そうか……。うん、やっぱり君はすごい人だな」


 にわかには信じられないといった表情を浮かべてはいましたが、一応は納得してくれたようです。

 喜んでいいのか悲しむべきなのかは、別として。


「……この度は、ご心配やご迷惑をおかけしてすみませんでした。まさか人生で二度も誘拐されるなんて、私も思わず……。妻として役に立つどころか、ジルベルト様のお仕事の邪魔をしてばかりで、本当に申し訳なく思っています……」


 申し訳なさからしょげかえり、私はうつむきました。

 けれどそんな私に、ジルベルト様は。


「君が悪いんじゃない。これはすべて、私の慢心のせいだ。あなたに絶対に平穏で安全な暮らしを約束すると誓ったのに……本当に申し訳ない。心から謝罪する。今後は屋敷の警護を厳重に固め、今まで以上に安全な暮らしを約束すると誓う」


 ジルベルト様はそう言うと、私をじっと見つめました。

 その目に浮かぶ真摯な思いと優しげな表情が嬉しく、幸せな気持ちが胸をかけ巡ります。


「でもまさか、セリアンとオーレリーまで一緒だったとは思いませんでした。もしかしてあの子たちが男たちの匂いを……?」


 いくらあの子たちとは言えども、まさかこんなところまで私を助けにきてくれるなんて思いませんでした。本当に頼もしいボディガードです。


「ああ。君を追いかける気満々だったからな。ボディガードというのは本当だな。ずっと君の身を案じていたよ」

「そうでしたか……。本当にこの子たちには、感謝しかありません。昔からいつもそうなんです」


 足元で丸くなり、気持ちよさそうに寝息を立てるオーレリーの背をそっと撫でてやります。


「あっ、もちろんジルベルト様にも心から感謝しています。声を聞いた時には本当にほっとして、嬉しくて……」


 あの瞬間の気持ちを、どう言葉にすれば伝わるのでしょう。

 月光の中、セリアンとオーレリーとを従えたジルベルト様の姿を見たあの時の気持ちを。




 そしてふと。

 私は、伝えたくなったのです。


 この胸をかけ巡るあたたかな思いを、ジルベルト様に。



 私の中に生まれた、はじめて知ったこの思いを――。





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