本とハーブのお返しに
その日の朝、起きたての鼻腔にふわりと爽やかな香りを感じて目を覚ますと。
そこにあったのは、可憐な花を咲かせたハーブたちでした。
「おはよう、ラナ。どうしたの? これ」
「旦那様が奥様にって、朝早くに起き出してお庭で摘んでこられたんですよ」
「ジルベルト様が?」
そういえば少し前に、ジルベルト様に手紙でどんな花が好きかとたずねられたことがあったような。
その問いに、薔薇などの豪華で華やかな花よりもハーブや野草などの素朴な花のほうが好きだ、と答えたのですが。
「愛人志願の女性たちを撃退してくれた、そのお礼だそうですよ。生まれてはじめて屋敷で安眠できたって、大層喜んでおいでだそうで」
「へ、へぇ……。生まれてはじめて」
毎日激務でいらっしゃるのに、しっかり安眠できない状態でよく今まで生きてこられましたね。ジルベルト様。
これまでの苦労が目に浮かぶようで、心から同情します。
「あんな旦那様ははじめて見ました。ウキウキと嬉しそうに摘んでいらして、遠くからでもその浮かれっぷりがありありと伝わってきましたもの」
「相当ぐっすり眠れたのが嬉しかったのね……。お気の毒に」
「……それだけじゃない気もしますけど」
こちらをちらっと見たラナの目が、なんだか意味ありげに生温くなった気がします。
「純粋に、奥様がいてくださることが嬉しいんじゃないかと思うんですよね。時々セリアンやオーレリーに奥様のことをおたずねになったりもしてますし。きっと気になって仕方ないんですよ」
「セリアンたちに私のことを? あの子たちと仲良くなってくれたのなら嬉しいけど……。でも私、ジルベルト様に別に何もしていないわよ?」
「……」
なぜでしょう。
ラナが残念そうな顔で私を見るのは。
「まぁそれより、奥様。今日は一日雨模様みたいですし、のんびり本でも読んで過ごされてはいかがですか? ここのところ奥様、大活躍でしたもの。さそお疲れでしょう」
ラナにそう言われて窓の外に目を向ければ、今にも雨が降り出しそうなどんよりとした灰色の雲が広がっています。
それに、慣れない生活と続々と押しかけてくる来客、それに加えて愛人志願の女性たちの対処で疲れていないと言えば嘘になります。
「あとで、図書室に香りのいいお茶ととっておきのお菓子もお運びしますね」
さすがはラナです。
確か図書室には座り心地の良さそうなソファもあったはず。本を片手においしいお茶を飲み、疲れたらうとうとなんて最高の骨休めです。
「では、いってらっしゃいませ。奥様」
こうして笑顔のラナに見送られ、私はさっそく図書室へとはじめて足を踏み入れたのでした。
書庫をのぞいた瞬間、思わず視界に飛び込んできた光景に目を見張りました。
「なんてたくさんの本……! しかも、難しそうな本ばっかり! これは図書室というより、図書館ね……」
図書室へ足を踏み入れるのは、今日がはじめてです。
ぐるりと設置された天井まで届く本棚には、圧倒されるほどたくさんの本が収納されていました。そのどれもが専門的な立派な本ばかり。
ジルベルト様には理解できるのでしょうが、私にはさっぱりです。
これまでここをお使いになるのはジルベルト様一人だったのですから、当然といえば当然ですが。
「何か読めそうなものはございましたか? 奥様」
お茶とお菓子がのったトレイを手にしたラナが、心配そうにたずねます。
「ここは長らく旦那様しかお使いになりませんでしたからね……。女性が好まれるような読み物は、恐らく一冊もないかと。もしおもしろそうなものがなければ、図書室で過ごすのはやめておかれますか?」
ラナが申し訳なさそうに答えます。
この屋敷に私がお嫁にくると決まってから、旦那様の指示で玄関からお庭まですべて私が居心地の良いように整え直したそうなのですが、なぜか書庫だけは手つかずだったらしく。きっとそこまで考えが至らなかったのでしょう。
「ふふっ。いいのよ。普段ジルベルト様がどんな本で勉強なさっているのか少しのぞけるみたいで、これはこれで楽しいわ」
どんな顔をしてこの本をお読みになっているのかと思うと、なんだかおもしろい気もします。きっと眉間に皺を寄せて、ちょっぴり近寄りがたい顔をして読んでいるに違いありません。
くすくすと笑いながら、ずらりと並んだ小難しそうな本の中から比較的薄い本を抜き出し。
それを手にお目当てのソファにゆったりと体を沈めた私でしたが、案の定内容はさっぱりで。
けれどおいしいお茶とお菓子でお腹も満たされ、静かでゆったりとした時間に気がつけばウトウトと。
久しぶりにのんびりと心地よいひとときを味わったのでした。
そして、それから数日がたち。
良い香りを漂わせるハーブが飾られたその横に、見慣れない本が何冊か置かれていることに気が付きました。
「……動物飼育の本? こっちはハーブや山菜について研究した専門書? 一体なぜこんなものが、ここに?」
首を傾げる私に、ラナが教えてくれました。
昨夜遅くに、ジルベルト様が私にと持ってきてくださったのだと。しかも驚いたことに、王宮内にある書庫から持出禁止のはずの貴重な蔵書を、わざわざ私のために特別に許可をとってくださったらしく。
「奥様の好まれるような本がないってシュバルトが進言したら、旦那様が慌ててすぐ借りに行かれたらしいです。すぐに奥様が読まれそうなものを図書室に取り揃えるから待って欲しいって、そうおっしゃってました」
「別にあのままでも良かったのに……。お仕事の邪魔をしちゃったかしら……」
「気になさることありませんよ。絶対嬉々としてご用意されるに決まってますから」
ラナはくすくすと笑いをこぼしながら、なんだかとても楽しげです。
そして私も気がつけばついにこにこと笑っていました。
だって、ジルベルト様が忙しいお仕事の合間を縫って一体どんな顔をしてこれらの本を探してくださったのかと思うと、嬉しいやらなんだかくすぐったいやらで。
「さっそく、お礼の手紙を書かなくちゃね」
最近、なんだかジルベルト様との距離がぐっと近づいた気がします。
もちろん物理的な意味での距離は、東と西できれいに離れたままですけど。あくまで、精神的な意味で。
お手紙にしてもそうです。
最初の頃はそれこそ清々しいくらいの業務連絡のみでしたが、最近ではそれに加えてちょっとした挨拶とか言葉などがさりげなく書き添えられていたりして。多少は、お手紙らしくなったというか。
きっとジルベルト様は、私を心配してあれやこれやと良くしてくださるのでしょう。その気持ちがとても嬉しくて。
だから、ふと思いついたのです。
お礼がてら、何か感謝の印に贈るというのはどうかと。
秘密を分け合う同士として、日頃の感謝と親愛の情を込めて――。
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