第7会話 折り畳み傘ってどこで買ったらいいか分かんなくないですか
高野はぼんやりと精気の抜けた目で口を開く。
「安住さん」
こうやって話しかけられると、デスクを挟んで向こうにいる安住は、同じく精気の抜けた目でこう聞き返すのだ。
「なんだ、終わったか?」
「まあ終わるわけないんですけどもね」
「芸人みたいな口調だなー」
「それじゃあ今日もやっていこうと思うんですけれどもね」
「何を?」
「そりゃあ漫才に決まってるじゃないですか」
「まさか、漫才なんてやらないよ。わざわざそんなことしなくても仕事が、満載、だからな」
深夜のオフィスは今日も静かである。
パソコンのファイル解凍が終わった頃、高野の口がまた開く。
「安住さん」
「なんだ」
「折り畳み傘って持ってます?」
「うん、あるけど」
安住は窓の方を見た。窓ガラスはまっさらなままで、向こう側の暗闇を映し出している。
「僕この前壊しちゃって、新しいの買おうと思うんですよ」
「ああ、うん」
「安住さんのってどこで買いました?」
「買った場所か……」
安住は自分のカバンをちらと見る。その中にあるのは何の変哲もない黒の折り畳み傘で、何か強い思い入れがあって購入したということもない。雨がくればそれに応じて開いているが、何年前に買ったのかも、どこで買ったのかもその一切を覚えていなかった。
「覚えてないなあ、その辺で適当に買ったかな」
「そうですよね。そうなんです」
「何?」
「いやそれがですね、僕も覚えてないんですよ」
摩訶不思議な現象ですよとでも言いたげな高野だったが、安住は意に介さない。
「そうかい」
「ええ、そうなんです。実は折り畳み傘ってどこで買ったか誰も覚えてないんですよ」
そんなことは無いだろと思ったが、実際覚えていなかった安住にとって反論は難しかった。
「まあ、意外とそうかもな」
「はい。まあそれはそれとして」
高野は話題を切り変える。
「折り畳み傘ってどこで買ったらいいか分かんなくないですか?」
「ん~」
安住は作業を止め、そのままデスクの上で手を組んだ。
たしかに、どこで買うのが最適か? と問われた時、納得のいく答えを今すぐに出すのは難しいかもしれない。
「一理あるな」
「ですよね」
「まあ、でも普通にネットで買ったらいいんじゃないの」
「いや~それも楽でいいんですけどね、でもやっぱり現物見れないのってちょっと嫌じゃないですか。この前調べたんですけど、めちゃくちゃサクラ多かったんですよ傘」
「へえ」
インターネット上では、サイト利用者と悪徳業者との戦いが日夜いたる所で勃発している。
届くまで現物の状態を確認できない点は、ネットショッピングが抱える一つの未解決問題である。
「不良品で返品とかもめんどくさいし、そうなると最初から店で買った方がいいじゃないですか」
「まあなあ」
「……でも! ここが問題なんです!」
「おう」
高野は満を持して言い放った。
「どこで買えばええねんっていう話なんですよ」
「いや別にその辺で買ったらいいだろ……。コンビニとかでも」
「まあ確かにそうなんですけども、ただやっぱり折り畳み傘ってそこそこ頻繁に使うじゃないですか。ってなると、ちょ~っとはこだわりたい」
「それは分かるけど、こだわる部分あんの?」
「骨が多いほうがいいですね。ニシンみたいに」
「ニシンか」
安住はよくわからなかった。
「それでニシンの形の傘を探しに、街の傘屋さんに行こう! って思ったんですけど、傘専門でやってる傘屋さんなんて知らなくて、それでどこ行きゃええねんってなった次第」
「傘屋さんねえ……。そうだな、たしかにパッと聞かれてあそこにあるよ~って答えられないな」
「路頭に迷った流浪人の拙者を助けてほしい次第で候」
「刀探しに行く武士みたいだな」
「折り畳みの刀ですけどねー」
そんな話をしていると、横やりが入る。
「なんの話をしているで候?」
唐突な女性の声に、冷や水を浴びたように心臓が跳ね上がる。安住と高野が慌てて入口の方を見ると、そこにいたのは……
「なんだ恋淵さんか……」
「ビックリしましたよ」
オフィスの照明に照らされ、凹凸のついた影が壁に浮かび上がる。
その影をゆらゆらと揺らしながら、恋淵はいつもの席に座った。
「いつもすいません、驚かせて」
「いえいえ、いいところに来てくれましたで候。恋淵殿、いい折り畳み傘を売っている場所を知らないですか候」
そう聞かれた恋淵は安住の方を見る。
「なんでこんな口調で候?」
「分からないで候」
「はあ。で、何でしたっけ高野さん、傘?」
「そうです。折り畳み傘を買おうって話になったんですけど、ネットじゃなくお店で買うとしたらどこで買うのがベターなのかなっていう」
「傘売り場ですか……」
恋淵は顎に人差し指を当てる。
「ここが一番いい! っていう所って無いなあと思いまして、それでここは何卒恋淵さんの知恵をお貸しいただきたく……、つきましては恋淵さんの折り畳み傘を買った場所などがあれば参考程度に……」
「私折り畳み傘は持ってないんですよね」
「グ」
「それにどこで買っても同じような気がします」
高野はデスクに倒れこみ、動かなくなった。
それを慰めるような形で、安住が口を開く。
「高野、折り畳み傘を手に入れるいい方法があるぞ」
高野は首から上だけ甦る。
「なんですか?」
「聞きたいか?」
「はい」
「誰かからプレゼントしてもらえばいい」
「カーーーー……」
高野は再びデスクの中に沈んでいった。
「人から貰えば思い入れとか付加価値とかそういうもんがつくだろ。そうしたらコンビニの折り畳み傘でもプライスレスだ」
「そんなプレゼントくれる人がいたら苦労しないんですよ~……」
高野はもう一度起き上がり、人差し指をピンと立てる。
「ていうか、そもそも折り畳み傘って必要なのかって話ですよ」
「だいぶ根本から覆しに来たな」
「折り畳み傘なんて持ってても、結局欲しい時に無いんですよ」
「何だ急に」
「お二人も経験ないですか? 例えば駅とか建物で、いざ外に出ようとしたら、うわ雨降ってるよサイアク~今日ウチ折り畳み傘忘れたしマジサイアク~、みたいな」
「ありますね。折り畳み傘は元々持ってないですが」
「無い人ほとんどいねえと思うけどな」
「ほら! 折り畳み傘を持ってる時は雨が降らないし、持ってない時に限って雨が降るものなんですゥ~。だから意味ないんですゥ~」
「もうヤケクソ状態だな。ごめんね恋淵さん、夜中にこんな話して」
「いえいえ、楽しいですよ」
高野の論理飛躍に安住はあきれたが、それに対し恋淵の表情はにこやかである。
「あとお前はなんでそんなギャルみたい口調なの」
「ギャルは折り畳み傘持たないからです」
「偏見が過ぎるだろ……」
高野の理論展開は留まるところを知らない。
「それに、まだあります」
「まだ何かあんの」
「ありますとも。傘を持ってない時に限って雨が降っている……、これは誰しもがあること。一般にはそう考えられています」
高野は親指と人差し指を立て、くるっと左右に回した。
「でも実際は違います。逆なんです」
「逆?」
「ええ、逆なんです。傘を持ってないと雨が降るのではなく、傘を持ってると雨が降らないんです」
「……ん?」
安住も恋淵も首を前に伸ばし、眉を下げる表情をしている。
「折り畳み傘には不思議な力があってですね。カバンに入れているだけで、空から雨雲を散らす力をもたらしてくれるんです」
「だんだん胡散臭い話になってきたなあ」
「普段空が晴れているのは、その周辺地域の人たちの過半数がカバンに折り畳み傘を携帯し ているからなんです。逆に雨が降っている時は過半数が傘を持っていない。我々は傘を持っていない時に限って雨が降ると勘違いしていましたが、ね」
恋淵がそれに乗っかっていく。
「なるほど。雨に降られるのは、天気のタイミングが悪いわけではなく、私たちが折り畳み傘を持っていないことがそもそもの原因だと」
「その通りです。本来、折り畳み傘は雨よけのお守りだった、というわけなんですよ」
安住は思わず口を挟んだ。
「お前変な宗教とかやってないだろうな」
「やってないですよ。冗談です冗談」
「まあでも高野さんの言うのってよくありますよね。マーフィーの法則?」
「……なんでしたっけそれ」
高野は首を傾げる。
「ん~と、よく例として挙げられるのは、パンにバターを塗ってる時に手が滑ってパンを落としたら、必ずバターの面が下になって落ちちゃうみたいな」
「お~なるほど?」
「あとはそうですね……、白い服を着てるときに限ってコーヒーをこぼすとか、予定があって時間が無い時に限って電車が遅延するとか」
「あ、あれだ! 遅刻しそうな時に限って向かい風が強いやつ!」
「そんな感じです。簡単に言うと、物事が大体悪い方向に傾く、みたいなユーモアですね」
「そうだそうだ。……で、何の話でしたっけ」
高野は安住の方を見る。
「えー……、だからお前が言いたいのは、傘を持ってない時に限って雨が降るんじゃなくて、傘を持つことによって雨が降らなくなるんだから、むしろマーフィーとは逆なんじゃないか」
「そうだそういう話だった。そう、安住さんの言うとおり逆マーフィーってことですよ」
「なんか頭痛くなってきたわ」
「画面の見過ぎじゃないですか?」
「お前さあ……」
安住はため息をつきながらパンパンと手を叩き、周りの物を片付ける。
「ハイ、終わり終わり! なんかもうよく分からなくなってきかたらこの話は終わりー。ハイハイ、そろそろ帰るぞー」
「それで結局、僕はどこに折り畳み傘買いに行ったらいいんですかね」
「テキトーにデパートでもどこでも買いに行きゃいいだろ。あれだな。ある種どこでも買えるからこそ、どこで買ってもいいのが折り畳み傘の良さなんじゃないか、うん」
高野は起き上がる。
「まあそうなんですけどね~。さっさと買いに行けよっていう……、あ~なんか今日はいつにも増して疲れたな」
パソコンの電源が消えると、高野は立ち上がって大きく伸びをした。
「お前のせいだろうが」
安住は恋淵の方に向き直る。
「恋淵さんももう帰る?」
「はい」
「よし、じゃあ帰ろう。帰るぞー」
やいのやいのと言いながら、3人はオフィスを出た。
階段をしとしとと降り、通用口から出ようとした3人は口々にこう言った。
「げっ」
「あらー」
「話をすれば、って感じですね」
空からは細々とした雨粒が黒い地面にしきりに降り注いでおり、暗夜と交わり肌寒さを感じさせる。
恋淵は首を伸ばし、空の方を見た。
「予報だと30%だったんですけどね」
「さっきまで降ってなかったのになあ……。傘持ってないよね」
安住が二人の方を見ると、高野と恋淵は首を横に振った。
「あらまあ。どうしようかなあ」
「ほら、やっぱり僕の言った通りじゃないですか。1対2で傘持ってない派閥の勝利ですよ。それを見計らった天の神様が今、雨を降らせてるんです」
「お前が持っとけば雨降んなかったんじゃないの……」
「んじゃ僕は走って帰ります」
高野はそう言いながら屈伸し、返事も聞かぬまま、お先でーすと走り去っていった。
「……今日はテンション高かったなあいつ」
「雨の日に暴れる猫みたいでしたね」
恋淵は口元に手を当てて、ふふと笑った。
「恋淵さんの家は……、向こうの方だよね?」
以前の会話によると、徒歩圏内だが、お互いの家は反対方向だったと安住は記憶していた。
「ですね。どうしましょう」
「じゃあこれ、使っていいよ」
安住はカバンから黒い折り畳み傘を差し出す。それを恋淵は右手を前に出して拒否する。
「いや、悪いですよそんな。安住さんの分は?」
「いやいいのいいの、俺上に傘置きっぱなしにしてるやつあるから」
「本当ですか?」
「うん、だからほら」
安住がもう一度差し出すと、恋淵はそれを受け取った。
「それなら、分かりました。お借りします」
「うん、それじゃあ俺は取りに戻るから。お疲れ様」
「……はい、ありがとうございました。お疲れ様です」
恋淵はぺことお辞儀をし、傘を広げる。
安住は階段を上り、再びオフィスの中へと戻っていった。
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