龍神様との結婚

春月みま

第1話 選ばれし花嫁

 人間と神が共生する時代。

 文明が発達し便利の世となった人間界の遠く離れた場所に龍神を初めとする神が住まう天界があった。

 遥か大昔、日本に旱魃かんばつが起こり何日も雨が降らず日照りの気候が続き深刻な食料不足が続いた。

 中には命を落とす人々も現れ甚大な被害を受けた。

 しかしそこに突如として天界から龍神が降り立ち恵みの雨を降らせた。

 そのおかげで農作物が再び育ち食糧難から脱却することが出来た。

 人々は天候を司る龍神を崇め、人間界に加護を授けてほしいと願った。

 龍神はその願いを受け入れ人間界を守ってきた。

 より天界と人間界の繋がりを強固とする為、天界に住む神達は人間から花嫁を選ぶ。

 神達は運命の花嫁が映ると言われている水鏡を使い、伴侶を決める。

 選ばれた花嫁は旦那様となる神に一生愛され、幸せになると言われている。

 人間の女性にとって花嫁に選ばれることは名誉なことで憧れの存在だった。


 光が満ちる天界に神秘的な雰囲気を纏った宮殿がある。

 宮殿の中の儀式場で白色の着物を着た男性が水鏡に映る女性を見てぽつりと呟く。

 「やっと君に会えるよ、撫子」


 東京に一際異彩を放ちながら構える屋敷がある。

 名家、鈴代家。

 大いなる権力を持つ鈴代家は何年もの間、東京にある名家の中で最高位に君臨していた。

 元々鈴代家は一般的な家柄だったが大昔に事業で成功し一気に名家に上り詰めた。

 権力を持つたび徐々に強気な姿勢になっていき反抗してくる者は全て返り討ちにし、ひれ伏せさせてきた。

 鈴代家には二人の令嬢がいる。

 しかしその内の一人は令嬢としてではなく、使用人として働いていた。

 「撫子っ!!」

耳の鼓膜に響くような声で怒鳴られ呼ばれた少女はビクリと肩を震わす。

 ドタバタと足音を立てながら近づいてきた中年の女性が平手打ちをし、その衝撃に少女は後ろに倒れた。

 鬼のような顔をして見下ろしているのは叔母の玲子。

 「どうして頼んでおいたことをまだやっていないの!」

 「申し訳ありません……」

 少女はよろめきながらも起き上がった。

 叩かれた頬からはまだビリビリと痛さが伝わりうっすらと涙が溜まる。

 泣き言を言えばきっとまた叩かれるだろう。

 我慢をして痛さを堪える。

 「早くやりなさいっ!」

 「はい、ただいま……」

 小走りでその場を離れる少女、鈴代撫子は戸籍上は娘でありながらも叔母達から虐げられていた。

 その理由は撫子の母親を玲子が恨んでいたから。

 撫子の父親である柊と玲子は政略結婚をするはずだった。

 政略結婚が決まる前から玲子は柊に想いを寄せていたが柊は結婚を望んでいなかった。

 それは玲子の妹の杏子と愛し合っていたから。

 二人は婚儀の前に駆け落ちをしてその後、撫子が生まれた。

 数年前に両親を亡くして以降、親戚である鈴代家の養子になった。

 しかし待ち受けていたのは想像を絶する生活だった。

 身に纏う使用人用の着物は古びており、食事は質素で少量、家事も全て行う。

 鈴代家には使用人も多く働いているが誰一人として撫子を助けず見て見ぬふりをしていた。

 玲子の夫、鈴代家当主の京之介も撫子に一切目もくれず仕事漬けの日々を送っていた。

 中学の卒業間近に両親を亡くし高校には進学せず使用人として働いていた。

 自由な時間も無く、朝も必ず叔母達の起床前に起きて仕事をする。

 玲子から叩かれた後、撫子は冷たい水で絞った雑巾で床を拭きながらため息を吐く。

 (逃げることは許されない。早くお父さんとお母さんの元へ逝けるよう祈りながら息をするだけ)

 何度同じことを考えただろう。

 あかぎれだらけの手をぎゅっと握りしめる。

 鈴代家に来た時から笑顔というものを忘れてしまった。

 自分にはもう楽しさ、嬉しさの感情は無い。

 そんなものを表情に出してしまえばまた叔母達に虐められる。

 「ちょっと何手を止めているの?」

 冷たい声に心臓がどきりとした。

 顔を上げるとそこには義姉の真紀が立っていた。

 撫子とは違い、家族からも愛され何不自由なく暮らしている。

「休んでないで早くやりなさい!」

「きゃっ!」

置いてあったバケツの水をかけられ撫子は全身ずぶ濡れになる。

 まだこの時期は肌寒い。

 一気に体が冷える感覚がした。

 髪からポタポタと雫が垂れる。

「ふふっ!いい気味!それが終わったら外の掃除をしなさい!」

 真紀は可笑しそうに口を押さえて笑う。

 嘲笑うように撫子を見下すと身に纏っている美しく真っ白なワンピースを翻しながらその場を後にした。

 何度も冷たい言葉を言われているが慣れることは無い。

 きっとこの先も反論することも無く、受け入れるだけ。

 そう言い聞かせながら撫子は涙を堪え手を動かすのだった。

 その後、庭の掃除をしていると塀の方から小声で話しかけられる。

 「撫子……!」

 ふと振り返ると塀のすき間から幼なじみである清瀬崇明が立っているのが分かった。

 撫子はキョロキョロと周囲を見て誰もいないことを確認すると崇明に近づく。

「どうしたの?崇明お兄ちゃん」

「最近、顔見てなかったから心配で。玄関から使用人に聞いても会わせてくれないし」

 崇明は撫子より五つ年上で撫子の両親が亡くなる前まではよく一緒に遊んでいた。

 撫子が鈴代家の養子になってからは、こうして塀越しにしか会えていなかった。

 崇明が正面から会いたいと言っても叔母達は撫子には会わせないようにしていた。

「何か嫌なことされたりしていないか?」

心配そうに見つめる崇明。

 崇明だけは変わらず撫子に寄り添ってくれていた。

 それが救いで唯一この時間だけが安心できていた。

 だが撫子は甘えることはせず余計な心配をさせまいと首を横に振った。

「私は大丈夫だよ。ありがとう」

笑顔を見せるが崇明には撫子が辛い思いをしているのが分かっていた。

 ただ自分が何を言ってもどうしようもすることが出来ない。

 そんな事実に歯がゆくなる。

「崇明お兄ちゃんはどう?」

撫子が気遣うように視線を向ける。

「ああ……。仕事は大変だけどやりがいがあるよ」

 崇明の家は会社を経営している。

 鈴代家に次ぐ名家で次期社長に就任する崇明はそのための勉強で忙しそうだった。

「そっか。無理して体壊さないようにね」

「それお前が言う台詞か~?」

「ふふっ」

他愛のない会話に今だけ心が楽になった。

 すると少し間を置いて崇明が意を決したように口を開く。

「あのさ……。撫子、次の誕生日で十九歳だろう?」

「うん、そうだけど……」

不思議そうに見つめる撫子に崇明は頬を赤らめさせながらぐっと拳を握る。

 ずっと秘めていた想いを言葉にして伝えたいと決心を固めた。

「俺とけっこ……」

「撫子!こちらへ来なさい!」

話の途中で屋敷から撫子を呼ぶ声が聞こえる。

 やっと言えるタイミングだったのに邪魔が入ってしまったと崇明は肩を落とした。

「あっ、私行かないと……!話の途中なのにごめんねっ」

箒を持ち急いで屋敷へ戻る撫子。

 そんな想い人を見つめながら崇明は一言呟いた。

「もし撫子が俺との結婚を承諾してくれたらこの家から助けてあげられるんだが……」

その言葉は本人には聞こえず強く吹いた風に掻き消された。


 数日後、撫子は叔母達に呼び出されていた。

 きっとまたいつもの家事などの用件だろうと思いながら声をかける。

「失礼致します」

和室の襖をゆっくり開けると中には玲子と真紀が座っていた。

 二人の顔をちらりと見ると何やらニヤニヤと企んでいるような顔をしている。

(何だろう……)

家事を頼むだけならこんな表情はしない。

 撫子は怯えながら二人の正面に座ると玲子が話を切り出す。

「貴女、今度の誕生日で十九歳よね?」

「は、はい」

(どうしてこの人達が私の誕生日を覚えているのだろう)

撫子が頷くのを確認すると嘲笑うような視線を向ける玲子。

「その日に貴女の結婚が決まったから」

 (結婚……!?)

撫子は想像してこなかった言葉に絶句する。

 撫子には恋仲や婚約者などはいない。

 ということは初めて会った人と結婚をするということだ。

 驚きに声すら出ない。

「お相手は地主の方。最近、離縁したらしくて寂しいらしいの。だからお相手なさってあげて」

真紀もクスクスと手を口で押さえながら話す。

 何か面白いものでも見たかのように。

「お相手も貴方もお一人様同士。本当、お似合いだわ」

撫子は頭が真っ白になった。

 いつかは素敵な結婚をしてみたいとそんな夢を見たことはあった。

 でも実際は勝手に決められた結婚。

(私をこの家から追い出すため?)

色々な思いが頭を巡ったが、この二人を前に拒否をすることは許されない。

 嫌だなんて反論や異論を言ったら何をされるか分からない。

 撫子は両手を畳に置き、頭を下げた。

「かしこまりました」

震える声を聞き、玲子と真紀は満足そうな顔をすると部屋から撫子を追い出した。

 その日から婚儀の準備をしながら家事も行っていた。

 今日も庭の掃除をしていると崇明が来た。

「おい……!撫子」

ぼんやりとしていた撫子は信頼を寄せる崇明に声をかけられても駆け寄る元気も無く、静かに近づいた。

 崇明は疲弊している撫子の顔を見ると驚いた。

「撫子、顔色悪いぞ。大丈夫か?」

撫子はそう言われるまで気づかなかった。

 忙しくて鏡を見る余裕なんて無く、体調が悪くても休むわけにはいかないのでずっと働いていた。

 撫子はか細い声で答える。

「私は大丈夫……。あっ、そうだ……」 

自分に良くしてくれている崇明には話しとかないといけない。

「私、結婚することになったから……」

「えっ!?」

崇明は目を見開いている。

 塀に手をつき、僅かなすき間からこちらへ来そうな勢いだ。

「だっ、誰と!?」

「私より年上の地主様、…」

「なっ……!撫子はそれでいいのかよ!」

崇明は声を震わせながら問う。

今からでも気持ちが変わってほしいと願うように。

しかしその願いも虚しく、目の前の少女は頷いた。

「うん……。私に断る権利なんてないし……。それに以外と良い人かも」

無理して笑う撫子に崇明は悲しくなった。

 先日失敗した求婚をしようと今度は躊躇わず口を開く。

「撫子、俺と……」

「撫子、庭の掃除が終わったのならこちらへ来なさい!」

また屋敷から撫子を呼ぶ声が聞こえる。

あちらからは崇明はちょうど見えていないようだ。

撫子はホッとする。

もし話をしているのがバレたら自分だけでなく、崇明にも何かするだろう。

 ぱっと一瞬、崇明を見る。

「崇明お兄ちゃん、今までありがとう。元気でね」

涙を堪え今作れる精一杯の笑顔を見せて撫子は屋敷に向かって走り出す。

 後ろから何度も撫子を呼ぶ声が聞こえたが振り返ることはなかった。


 婚儀当日。

 撫子は鏡の前で自分の白無垢姿を見る。

 もし結婚相手が想い人だったら浮かれるはずなのに鏡に映るのは憂いに帯びている自分。

 相手の地主一家や招待客は撫子が日頃から虐げられているのを知らない。

 そのことがバレないように叔母達は上等な白無垢を用意したのだ。

(相手はどのような人なのだろう。鈴代家に居た頃より少しでも良い生活になるだろうか)

これからの人生がどうか幸せであって欲しいと願ってしまう。

 そんなことを考えていると襖の外から玲子が声をかける。

「撫子、準備が出来たのならさっさと来なさい」

他の招待客に聞こえないように普段より声は小さかったが冷たいのは変わらない。

「はい、すぐ参ります……」

撫子は悲しさを押し殺しながら踵を返して襖に手をかけた。


 廊下を歩いていると叔母達が招待客と楽しそうに会話をしている声が聞こえた。

「ご令嬢が結婚なんて誠にめでたいですな」

「ありがとうございます。私もとっても幸せですわ」

「妹が家から出て行ってしまうのは寂しいですが、離れていてもあの子を思っていますわ」

嘘だ。

 撫子は叔母達が演技をしているのがすぐに分かった。

 俯いてしまいそうになるが鈴代家の恥にならないように顔を上げる。

 間もなく婚儀が始まった。

 初めて殿方の顔を見る。

 中年くらいのふくよかな男性がニヤニヤとしながら撫子を見ていてその様子にゾッとしたが平静を装い、男性の隣に立つ。

 式が始まろうとしたとき。

 会場の外から騒がしい声が聞こえた。

 招待客も何事かとざわめきだし玲子は使用人に対して静かにそして僅かに怒りを滲ませながら問う。

「何の騒ぎ……!?」

「たっ、ただいま確認して参ります!」

使用人が慌てた様子で襖を開けようとしたとき、外からパシッと開けられる。

入ってきた男性にその場にいた全員が息を飲む。

そこにはとても美しい男性が立っていた。

窓から差し込む光に照らされ輝く銀髪に陶器のような肌、藍色の瞳のすらっとした男性。

人間離れした容姿に会場に居た人全て圧倒される。

ふと玲子が我に返ると、その男性に向かって口を開く。

「貴方一体どちら様!?勝手に入ってきて騒がしいですわよ!」

その言葉に男性はギロリと玲子を睨む。

玲子が怯み、後ろに一歩下がったのを見て男性は撫子へ近づく。

すると地主の男性が銀髪の男性に怒鳴った。

「この娘に近づくな!私の妻になる娘だぞ!」

もの凄い口調で怒鳴る様子を見て撫子は恐怖を覚える。

こんな人と生涯を共にするのかと絶望で心が支配された。

怒鳴られてもなお足を止めない銀髪の男性。

怒りの沸点に達したのか地主の男性は殴りかかろうとした。

(危ない……!)

撫子が思わず目を瞑ったが聞こえたのはパシッとした軽い音だけ。

 恐る恐る目を開けると地主の拳は銀髪の男性の手のひらによって軽々と受け止められていた。

「なっ……!」

地主は小刻みに体を震わせている。

 すると銀髪の男性は強く手を振り払うと、その勢いで地主は尻餅をつく。

 撫子が呆気にとられていると銀髪の男性はそっと撫子を引き寄せた。

 (えっ……!)

 突然のことに驚いていると銀髪の男性が会場に居る全ての人に聞こえるような大きい声で話す。

 「撫子は俺の花嫁になる」

 (えっ!?花嫁……!?)

 この人とは初めて会ったし知らない人だ。

 何故名前も知っているのだろう。

 撫子の頭は疑問でいっぱいだった。

 どうなっているのかパニックになっていると急に体が浮遊感を覚えた。

 「きゃっ!」

 銀髪の男性は撫子をお姫様抱っこした。

 すぐ近くにある男性の瞳には戸惑いを隠せない撫子が映っていた。

 「会いたかったよ、撫子」

 男性はとびきり優しい笑顔を撫子に向ける。

 その甘い笑顔に心臓を高鳴らせていると、それまで黙っていた玲子が口を開く。

 「貴方誰よ!婚儀の邪魔をしないで!」

 式が滅茶苦茶になったことの怒りで招待客が居ることも忘れてしまっているのか普段の玲子に戻る。

 しっかりと力強い腕で抱き止めている男性は先程の笑顔とは打って変わり冷たい視線を玲子に送る。

 「俺の名前は桜河。龍神だ」

 その言葉に会場に居た全員が目を丸くする。

 龍神は強大な力を持ち天候を司る存在。

 皆、噂で聞いたことがあるが実際に龍神を見るのは初めてだ。

 龍神が撫子を花嫁をとして迎えにきたということは水鏡によって選ばれたということだとその場の全員が理解した。

 その内の一人が慌てたようにその場にひれ伏した。

 それに続いて一人また一人と頭を垂れる。

 玲子と真紀、地主以外ひれ伏す形となった。

 「龍神って……!何で撫子が花嫁に選ばれるの!?」

 地球を守護する龍神。

 天界に住まう神達に選ばれた花嫁は憧れの存在。

 絶大な力を所有する龍神の花嫁になる撫子はきっと幸せになるだろう。

 名誉、財力、権力、全て手に入るのだから。

 真紀の話を無視し、桜河と名乗った男性は撫子に話しかける。

 「行こう、撫子」

 すると突然、桜河と撫子の周りに風が巻き起こった。

 「きゃ!何……!?」

 撫子は思わず目を瞑り、桜河にぎゅっとしがみ付く。

 玲子や真紀、招待客も強い風に腕を顔の前に出し耐えた。

 暫くすると式場から2人は消えていたのだった。

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