第18話 忍び寄る影

 翌朝、朝食を取ってから私達はいつも通りの日常を過ごす。ミルアムちゃんは研究室に籠り、私はリトラちゃんを剣術道場に送る。

 気持ちいい朝の空気を吸いながら、家のドアを閉めると数人の男が近づいてきた。

 黒いメガネをかけてコートを着た怪しげな男を中心として、周囲には黒マントを羽織った人間が四人。男が片手を上げてアピールすると、握手を求めてきた。


「初めまして。私、ズドック工業の者です」

「ズドック工業?」

「おや、ご存じないのですか? この国では一、二を争う魔道具制作の工場なのですが……」

「そうなんだ。それでズドック工業の人が何の用?」


 男が意外そうな顔をしている。この様子だと、本当に有名な組織なのかもしれない。

 だけどすごく残念なことに、男の周りにいる黒マントが微妙に立ちはだかって私を牽制していた。

 単なる護衛にしては殺気が漏れすぎだし、こんな小娘に普通はそこまで警戒しないはず。つまりこの人達はそういう人達だとよくわかる。


「実はこの町で配達の方々が乗っている乗り物を目にしましてね。聞けば、この家にあの魔道具を作った方がいるようですね。ぜひ製作者の方にお会いしたいのです」

「残念だけど一度、研究に没頭したらなかなか出てこないよ」

「大したお時間はいただきません。そちらの方と少しお会いさせていただくだけでいいのです」

「先に用件だけ聞かせてくれる?」


 私が頑なに拒むと男は照れたように頭をかく。

 そこで護衛らしき黒マントが男に何か耳打ちした。ラキの聴力を借りて盗み聞きすると、なになに?

 用件だけ告げてはいかがですかと提案していたみたいだ。


「魔転車、ですか。あれを製作した方をぜひズドック工業にスカウトしたいのです」

「そう、じゃあ伝えておくね」

「はい、よろしくお願いします。ところであなたは魔道具を製作された方とどういったご関係ですか?」

「うーん……なんだろ。雇われ人?」

「ほう? と言いますと、家政婦のようなもので?」

「そんな感じだね」


 勝手に誤解してくれるならありがたい。と言いたいところだけど白々しい。

 この人達はある程度、わかって訪ねてきているはずだ。護衛の私に対する異常な警戒心といい、そこらの平凡な組織の人間じゃない。

 当然、私をただの家政婦だなんて思ってない。男が黒メガネをくいっと指で上げて、舐めまわすように私に視線を這わせてくる。


「やはり家政婦ですか。優秀な方となると、やはりそのくらい雇わなければいけないものでしょうねぇ。私はてっきり護衛か何かかと思いましたよ」

「そう見える?」

「あ、いえいえ。気を悪くされたのでしたら申し訳ありません。それではいつ頃、お伺いしましょう?」

「明日の朝ならたぶん大丈夫だと思う」

「わかりました。それでは明日、またお伺いしますね」


 男達はすごすごと引き下がった。この町に宿でも取っているんだと思う。男達が去った後、リトラが手を引いてきた。


「アリエッタ。殺せばよかろう? よくもあの程度で我らを牽制できるなどと思ったものだ」

「いやいや、万が一でも善意の人だったら困るでしょ。それに大人しく引き下がってくれるなら、それに越したことないもの」

「ではどうするのだ?」

「そうだねぇ。まずズドック工業についてミルアムちゃんに聞こう」


 ひとまずリトラを剣術道場に送って訓練が終わるまで見守った。相変わらずヘロヘロな動きだけど、少しずつマシになっているように思う。

 だけど師範が少しでも上達を褒められたらすぐに調子に乗るから、リトラの場合は一切褒めないのが正しいのかもしれない。

 動機はなんであれ、少しでも人間界に馴染んて来ているようで、ちょっと面白い。

 それから訓練が終わった後は家に帰って、研究に没頭しているミルアムちゃんが部屋から出てきた。


「え!? ズドック工業ですか? 私をスカウトに……?」

「やっぱり有名なの?」

「えぇ、国内最大手の工場です。ですがあそこは昔から国とズブズブな関係という噂がありますし……。はぁ……」

「そういうことか。つまりこれは色々とバレたと思って間違いない」


 あの男はミルアムちゃんのことを知っていて近づいた可能性が高い。

 術騎隊がミルアムちゃんの拘束に失敗したのもすでにわかっている。

 戦う力がないミルアムちゃんが術騎隊を撃退できるはずがなく、護衛の可能性を考えるのが当然だ。そうじゃなきゃ私を見てあそこまで警戒しない。

 警戒した王国上層部は術騎隊を送り込むのをやめて、ズドック工業というクッションを置いたんじゃないかな。


「ど、どうしましょう?」

「ミルアムちゃんはいつも通り過ごして大丈夫」


 昼食後、私は第二段階に移行するべきだと思った。ここからが勝負だ。食べるだけ食べて寝息をかいているリトラをベッドに運んだ後、夜まで普通に過ごす。


                * * *


 深夜、アリエッタ達の家の周辺に近づいた男の一人は魔術師ディム。ズドック工業術戦課に勤務して十八年、彼は課内のエースだった。

 エイシェインを支える柱の一つであるズドック工業の術戦課は、彼が卒業したエイシェイン王立学園でも憧れの就職先だ。

 勤務内容は表向きでは工場の警備だが、時として過激な仕事を与えられることがある。ディムはこれまでも何度か経験してきた。

 今回はこの町に住む魔道具士の拉致だ。その魔道具士は偉大なる魔道王国に背く非国民であり、場合によっては排除すべき存在である。

 これは国を守るための大役だと聞かされているので、ディムとしては奮起しない理由などない。エイシェインの地に生まれた民として、愛すべき国の為に働くのは至極当然だ。

 ディムは何の疑問も持たず、誇りをもって仕事をやり遂げようとしている。


「いいか、お前達。森にあった術騎隊の死体はおそらくあの家政婦の女の仕業だ。そうなると相手は相当の手練れ、真正面からでは分が悪い」

「はい。心得てます。だからこそ、この仕事が成功すれば大きく出世できるんです」

「そうだ。出世となれば、急造の術騎隊どころではない。四星率いる術騎隊や魔導術撃隊へのスカウトも考えられる」

「うひょお! 国内最強部隊! 戦地で女を抱きまくりとかいう話も聞いてるし、こりゃモチベーションが上がるなぁ!」

 

 しょせんは奇襲、そう難しいことではないとディム以外の魔術師は楽観視していた。

 しかも相手が女とあって、よからぬ欲望がムクムクと湧き上がる。


「ディムさん。殺す前にやっちゃっていいですかねぇ?」

「ダメだ。下らんことをしてズドック工業の品位を落とすことは許さん」

「でもハロウ先輩は昔、任務でしょっちゅうやってたみたいですよ。忙しくて女を抱く暇もないんだから、やらせてくださいよぉ」

「ダメだ! そんなことを考えている暇があったら、任務を遂行することを考えろ!」


 チッとディムの後輩が舌打ちした。


「なんだ? 不満か? 聞こえているぞ」

「なんでもありませーん」


 ディムは軽くため息をつく。新人の魔術師である彼らを率いているディムは、将来のためになんとしてでも歪んだ思考を正さなければならないと考えていた。

 ディムは今一度、気を引き締める。ディム率いる術戦課はアリエッタの家の周辺を取り囲んでいる。

 昼間、アリエッタを見た時にディムは歯を食いしばっていた。なぜなら、アリエッタからは一切の魔力が感じられなかったからだ。

 魔術師でなくても、人は微量の魔力を持っている。つまり、魔力が完全にゼロというのはあり得ない。


(あの少女は明らかに異常だ)


 ディムはアリエッタについて、考えれば考えるほどわからなくなった。

 アリエッタ自身は膨大な魔力をただ漏らしにして自分や居場所を誇示することにメリットがないと考えて抑えている。

 天獄の魔宮でも魔力を察知して襲ってくる魔物がいたせいで、普段から魔力を消す癖があった。

 しかしそれがいかに非常識で、それでいて不可能なことであるか。アリエッタはその事実に気づいていなかった。

 アリエッタというのはどういう存在か。考えれば考えるほど、ディムにはアリエッタが得体の知れない怪物のように思えてくる。


「ディムさん?」

「すまん。さっさと済ませるぞ」

「はい」


 ディムが勇んで家の窓を破壊しようとした時、背後で音がした。


「イルビー? おい、どうした」


 イルビーという名の部下が倒れていた。何かに斬られたように血を噴出しており、顔色が青い。

 口から泡を噴出して痙攣しており、声すら出していない。


「なんだ、どういう……」


 また一人、ディムの部下が倒れた。血が飛び散り、ガクガクと体を震わせている。

 ディムは血の気が引いた。この異常事態がそもそも何者かによる攻撃なのか。もしそうだとすれば、より恐怖がこみあげてくる。

 勤続十八年、ディムは初めて膝が震えた。呼吸が乱れて、体が言うことを聞かない。


「ニャアァァァ~」


 ディムの視線の脇には暗闇に紛れた黒猫が目を光らせていた。

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