王子は香水姫を逃さない

花里美佐

第1話 旅立ち

 ゴオっと言う音がして、丘に強い風が吹いてきた。

 羽の付いた帽子が飛び、金色の髪がたなびいた。

 青い乗馬服をすらりと着こなしたアーサーが、緑色の瞳を眇めて城下を見下ろしている。

 

 二人でいつものように丘の頂上まで馬で来た。ここなら、だれにも見られない。

 アーサーは、私を抱き寄せると黒髪をなでながら、息を吐いた。

 「ロゼリア。二日前、バージニアから使者が来た」

 エセンはバージニアに農産物などを輸出しているが、鉄鉱石などはバージニアから輸入しており、自国でエネルギー生産ができない。

 常に侵略の危険にさらされているため、エセンのような同じ状況の他国は、バージニアに人質か婚姻関係によるつながりを作る。

 アーサーの叔母がバージニアの王子に嫁いでいたが、先月亡くなった。

 子供もいなかったため、今後の関係がどうなるかとアーサーが以前から気をもんでいた件だ。


 「そうですか。私に話されるということは、決心されたということですね……」


 アーサーの叔母が亡くなった時に、妹姫のマリー様を嫁がせる話が大臣達の間で議題にあがったらしい。

 マリー様は16歳。社交界にデビューしたばかり。

 王様や王妃様もマリー様は一人娘だし、とてもかわいがっているという。

 

 「バージニアで人質暮らしなど、幼い妹にさせられない。となれば、残る選択肢は第二王子である自分がバージニアに行くことしかない。この景色を見に来たのは、この丘から見える景色を心に刻みたかったからだ。そして君に……しばしの別れを言うためだ。だが、だめだな。君を見ると決心が鈍る」


 アーサーは、私の肩をぎゅっと抱き寄せた。ほっとする、彼の香り。私があげたポプリを身につけてくれている。

 カモミールがほんのり漂った。

 「バージニアへ行くのですね。くれぐれもお身体に気をつけてください。お手紙書きます。いつかお手紙をやりとりできなくなるかもしれないですが、私はいつまでもアーサー様のことを忘れません」

 「どういう意味だ。私が君を忘れるとでも?」

 「いずれ、王子様はバージニアの姫と結婚されると言われています。私はアーサー様を困らせたくない」

 「あちらに一時的に住むが、必ずロゼリアの元に戻るし、君を正妃に迎えるつもりだ。あちらとは婚姻関係を結ばなくても、いいようにするから」

 「何か方法があるのですか?」

 「いや、あちらに行ってから、足場を作り、説得する。私を信じて連絡を待っていて。必ず帰るから」

 「……はい。お待ちしています」

 アーサーは、私の長い黒髪をなでながら、キスを落とした。

 

 彼とこの丘で出会って、日時を決めて会う約束をするようになって、半年。

 彼が決心したように、私も決心していた。彼には伝えないけれど。

 

 「私以外の男を今後見てはだめだ。舞踏会は絶対に出席するなよ。伯爵にも君とのことを話しておく。私は本気だ。信じて待て」

 アーサーは、約束するように、深い口づけと熱い抱擁を残して帰って行った。


 「ロゼリア様。本当にあちらに内緒で行くのですか?」

 馬の後ろについてくる侍女のエリン。

 「もちろんよ。エリンだって、キースと離れたくはないでしょ」

 キースは、アーサーの一番の従者。常に従っているから、彼もバージニアについていくのだ。

 エリンは、キースに片思い。とはいえ、最近はキースもまんざらではないと思う。

 もう少したったら、二人を取り持ってあげたいと思っていたのよね。

 このままじゃ、本当にかわいそう。だから、エリンも連れて行くの。

 

 愛馬のロンが、私に向かって鼻を鳴らした。

 「俺がいれば、あいつの愛馬ノエルと連絡がとれるし、心配ご無用だ」

 「そうね。頼んだわよ」


 何で、馬が話せるのかって?

 それは、馬が話せるのではなく、私が馬の話を理解できるから。

 私は、自分の精霊が馬なの。だから、ロンが私の守護精霊。馬の実体となり、私の側にいる。

 ロンは、ノエルを通してアーサーの考えを聞いてくれる。

 

 アーサーは私に話す前から、ノエルに独り言のように話していたから、バージニアに行く気なのは知っていた。

 私が精霊を持っているのは、家族の間でしか知らない秘密。

 よく思わない人もいるから、アーサーにも言っていないの。

 

 両親からは、結婚したら、夫となる人には伝えて良いといわれている。

 なぜなら、子供も精霊を受け継ぐ可能性が高いから。

 

 精霊を持つことは、良いことの方が多い。

 だけど、知らない人から見ると、気持ち悪いらしい。

 人間ぽくないからかな。

 

 アーサーは、王家の人間だから、理解はあると思う。

 

 伯爵家でも下位の家柄であるサミュエル家。

 王都から少し離れた土地を所有している。

 使用人を使って馬を育てながら、バラの農園経営もしている。私の名前はそのバラからとったもの。

 バラで香料を使った石けんやポプリなどを作り、生花も売っている。

 最近は、学校で化粧品の作り方も習っていて、バラを化粧品に使いたいと思って、研究している。

 商品化にもめどがつきつつある。

 バラだけでなく、他のハーブも育てながら、いろいろ試しているところだった。


 「お父様、その後バージニアの件はどうでしょうか?」


 リビングのソファでコーヒーを飲みながら、庭を見ている父に尋ねた。

 「ロゼリア、本当にいいのか?使用人のような生活になるのだぞ。フローレンスにはまだ相談していないのだろう」

 「お母様には、私から言えば泣かれてしまいます。決まったこととしてお父様からお伝えいただくのが一番です」

 

 深いため息をついてこちらをじっと見つめるお父様。

 でも、お父様だからこそ、相談できた。

 

 私の計画は、バージニアでバラを使った香料や化粧品を商品化して、城下で販売しながら生活するということ。

 もちろん、最初はこちらから材料を取り寄せたりすることになるし、お父様には余計な出費になると思う。

 でも、バージニアで商品が売れるようになれば、サミュエル伯爵家としてもお金になるし、交易することで立場もあげられる。

 実は、一番の目的はアーサーの近くにいて、アーサーの婿入りを阻止すること。

 そのために、考えた秘策を持って、バージニアに行くのだ。父上には相談済み。

 

 「お前は、頑固だからな。こうと決めたら、てこでも動かないのは小さいときからわかっている。知り合いのお店にお前を下宿させてもらえないか聞いてみたところ、昨日良い返事をもらっている」

 「花屋だから、バラはうちのものを安く手に入れることができるし、向こうはずいぶん乗り気だ。ただし、お前が家事を手伝うことも条件だそうだ。大丈夫なのか?」

 

 一応、今の私は伯爵令嬢。家事はエリン達使用人の仕事。実はやったことがないのよね。

 「最初は、できないことも多いと思いますが、エリンも行ってくれるので、家事は彼女に教えてもらいながらやっていきます」

 「むこうも、お前の身分はわかった上で話を持ってきているから、きつく当たることはないと信じたい。ただ、下宿させてもらう立場であることを忘れず、謙虚にな」

 

 お父様は伯爵だけど、身分を笠に着て、使用人にきつく当たることはしない人。

 使用人にも家族のように接しているのを小さいときから見ている。

 私もエリンとは姉妹のような関係性だと思っている。

 下宿先の人とも、身分を考えずにお付き合いするつもりでいる。

 

 「それで、商品はどうする。いくつか作ったものを持って行くのだろう?」

 「はい。すぐには、商品を作る余裕は多分ないので、こちらであらかじめ多めに作っていきます」

 「ひとつ約束してくれ。絶対に無理をしないこと。これ以上無理だと思ったら、意地を張らずに帰国すること。手紙は必ずすぐに返事を書くこと、それから……身体を何より大切にすること」

 優しい目が私を包む。お父様の愛を感じずにはいられない。

 泣きそうになったけど、明るくごまかした。

 

 次の日から、私は香水や化粧水、石けん、ポプリなどを多めに作り始めた。

 今までは、少しづつ作っていたが、バージニア行きが決まった今、急がねばならない。

 

 アーサーは、おそらく今月末までにあちらに出立するだろう。

 彼も今は公務や片付けることが多く、出発まで会えない。

 

 かえって良かったかもしれない。寂しいと考える暇もないくらい忙しいのだ。

 

 私も、出立までにやることが山積みだ。

 商品を作るのも、使用人を大勢お父様にお借りして、総動員でやっている。

 

 引っ越しの準備はエリンに任せきり。

 まあ、自分のもので持って行くのはほんの少しの洋服など。

 なにしろ今後は舞踏会もないしね。

 必要なのは、商品を作るための道具類。


 あっという間に、アーサーの出立日が来た。

 

 「ロゼリア。愛してる。必ず迎えに来るから、待っていてくれ」

 そう言って、彼は私の左手を恭しく持ち上げて、キスをした。

 私は、アーサーに金色の刺繍をした袋を渡した。

 

 「アーサー様。この刀袋は旅のご無事を祈って作りました。良かったら身につけてくださいませ」

 「ありがとう。……刀を入れて、常に身につけるよ。……ああ、この香りは、僕の好きなあの花の香りだね」

 私の作った刀袋には彼の好きなカモミールを縫い込んである。

 この香りさえあれば、彼がどこにいてもロンが気づいてくれる。

 これで、私はいつでも彼を見つけられる。


 アーサーを送って、屋敷へ戻ってきた私は、早速自分の出立の準備をした。

 今日、アーサーの行った道をすぐに追って出た方が、王家の警備もいるので道中安心できる。

 お父様のほうから、今日バージニアに向けて伯爵家の小隊が出ることはお許しをもらっているのだ。


 馬車に荷物を載せ、ロンをつなぎ、御者台に護衛のニックと一緒に乗った。

 ニックは幼なじみのようなもの。私の乳母の子供だ。

 一応、もう1つの馬車に商品を積んでいるので、そちらにはエリンが乗っている。


 「お父様、お母様。それでは行って参ります。どうぞお元気で」

 「ロゼリア。私の大事な娘。必ず帰ってきてちょうだいね」

 「身体に気をつけるのだぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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