5-2.

 開成かいせい高校グランドの裏手に小さなコインパーキングを見つけ、竜吾はそこに車を停めた。陽の落ちた住宅街の暗がりに、今にも溶けて消え入りそうな、ひなびた二階建てのアパート。竜吾と佳それぞれが自分のスマートホンで住所と地図を確かめながら、ようやく辿り着いたそれが、メゾン向陵稲荷坂こうりょういなりざかだった。

 部屋番号を教えてもらっていない事に気付いた、竜吾は肥後田のエクスペリアを取り出す。案の定FONのアクセスポイントがあった。竜吾がメッセンジャーアプリを立ち上げると、まるで待ち構えていたかのように、『ケーニヒスベルク』もそこにログインしていた。

〈 ついたか? 〉

〈 はい、たぶんアパートの前です。 〉

〈 一階の奥の部屋 〉

 それだけを書き込み、それも数秒して消してしまった後、『ケーニヒスベルク』はログアウトした。竜吾と佳は息を飲み、伸び放題の雑草を踏んでメゾン向陵稲荷坂に足を踏み入れる。

 入り口から数えて三つめの部屋の前で、二人は足を止める。蒲鉾板かまぼこいたのような小さな木板の表札に「橋部はしべ」と書かれているのがうっすらと読める。ああなるほど、と竜吾は一人納得する。『はしべくにひさ』から転じて、『ケーニヒスベルクの橋』か。

 そこへ、中からかちゃりと扉が開く。竜吾と佳が、同時に姿勢を正す。

「FLTの方ですね」

 ひょっこりと出てきた坊主頭は、竜吾の目と同じ程の高さだった。スウェットのハーフパンツに、薄手のパーカーのようなラフな部屋着。『ケーニヒスベルク』と思わしきその男は、ぎょろりとした双眸で二人を一瞥し、扉をぎいとして開くと、

「どうぞ、お入り下さい」

 見た目より丁寧な口調で、薄暗いその部屋へ招き入れた。

「し、失礼します」

 小奇麗な台所を抜け、プラスチックのコンテナが詰まったスチールの網棚が並ぶ洋室を通る。奥の和室も、手前の洋室と同じくスチール棚に左右を囲まれ、窓際のデスクでは三台の液晶モニターがそれぞれ違う画面を映し出している。

「狭い部屋で申し訳ないです。適当に座って下さい」

 メッセンジャーで受けたぶっきらぼうな印象と、目の前にいる坊主頭の男の語り口は、大きく異なるものだった。男は冷蔵庫から取り出した缶コーヒーを三つ、和室の真ん中のちゃぶ台にことりと置く。そしてデスクの引き出しからごそごそと名刺を取り出す。竜吾も素早くかばんから自分のそれを取り出し、佳も慌ててかばんをごそごそと探る。

「ケーニヒスベルクの橋部です。この度は、お悔やみを申し上げます」

「ありがとうございます……FLT開発部の安土です」

「か、株式会社FLTの、経理部の増間です。宜しくお願いいたします」

 名刺交換に慣れない様子の佳を尻目に、竜吾は渡された名刺を見る。白無地にテキストだけの簡素なそれに書かれていたのは、受託開発事業者ケーニヒスベルク、橋部邦久という名前。そして裏地をびっしりと埋め尽くす、事業内容と彼の持つスキルの数々。間違いなく彼が協力者だと、竜吾は確信した。

「多分僕、安土さんにはお会いした事がありますね。衛星技術研究室で」

「本当ですか! じゃあひょっとして、追原の事も」

「ええ、追原は僕の、学生時代の同期です」

 橋部が頷いたのを見て表情を輝かせる佳が、竜吾の視界に入った。無理も無いかと思いながら、竜吾はメモ帳を取り出し、橋部に訊くべき事を整理する。最初に問うべき事柄は決まっていた。

「L7プロジェクトの協力開発者というのは、橋部さんですね」

 橋部は目を伏せるようにして一度頷き、肯定の意思を示す。

「じゃあ、L7コードを受信するシステムは、肥後田社長が公式発表できるような製品化段階まで完成していると」

「ええ、ほぼね。ただその為の最も肝心な部分は、追原が亡くなって以来失われたままになっています」

 追原の名が橋部の口から出るたびに、佳の目の色がくるくると変わる。

「と、言いますと?」

「鍵が無いんです」

 鍵。済まなそうに零した橋部の言葉の意味を、竜吾はすぐに察した。

暗号鍵あんごうかぎですか」

「ええ。L7コードは、従来のL1からL6までのどのナビゲーションメッセージとも異なる暗号形式を利用していて、それによってフレームサイズの大幅な圧縮に成功し、高速化を実現しています。ですが、それを受信して利用するには、暗号を可読化デコードするための暗号鍵あんごうかぎが必要なんです」

 唐突に始まった専門用語の羅列に、頭上にクエスチョンマークを浮かべる佳を見て、橋部はしばし思案してから、言葉の一つ一つを確かめさせるように説明する。

「詳しく言えば省サイズMPLDエムピーエルディ、メモリベース・プログラマブル・ロジック・デバイスですね。追原の組み上げた暗号ロジックを電気回路で実現し、受信したL7コードを読解どっかい可能なメッセージに変換して出力する解読用のチップ、と言えばわかりますか?」

 眉を上げ下げしながら、メモ帳の上で万年筆を右往左往させる佳。竜吾も橋部も、黙ってその様子を見守り、話の続きを待ってやる。万年筆が止まる。じっと視線を送る二人の男にようやく気づき、恥ずかしそうに「大丈夫です」と小さく呟く佳。

「で、この可読化デコードチップを使えるようにする為には、プログラムを書き込まなければいけない。それの所在がわからなくなって……いえ、おそらくは彼が意図してどこかに隠したまま亡くなり、見つける事ができないまま今に至る、というわけです」

「その暗号のロジックを知っているのは、他には誰もいないんですか」

「暗号を開発した当人である追原以外には、今ではいないはずです。私はもちろん、衛星に搭載する送信側システムの開発者だった彼の奥さん、論子さんも、送受信結合試験そうじゅしんけつごうしけんには、追原から受け取ったプログラム済みの可読化デコードチップを使っていたはずですから」

 ブラックボックス。竜吾の脳裏に浮かんだその言葉が、正にこの現況をそのまま表していた。入力されるメッセージと、出力されるメッセージは明らかになっている。だが、その過程に必要なロジックそのものが、今は真の闇に消えて見えなくなっているのだ。

「そうだ。安土さん、試しに見てみます? パソコン上のエミュレートでもいいので、解読ロジックを再現して頂けると助かるのですが」

 デスクのパソコンを冗談めかして指差す橋部に、竜吾は即座に首を横に振る。

「勘弁して下さい、到底お力にはなれそうもありません。しかし、そんな状態のまま、何故肥後田社長は公開に踏み切ったんですか」

「その前にお訊ねしますが、社長は今回のプレゼン、最後まで話し切れたのですか?」

「いえ、L7の概要について触れ始めた所でした。時間的にも、予定していた内容の中盤に差し掛かったかそうでないかという程度でしょう」

「では、これを見てください」

 橋部はデスクの上に無造作に置かれていた紙束を、とんとんと叩いて律儀に揃え、竜吾に手渡す。パワーポイントで作られたスライドショーを、一枚に四ページを割り当てて印刷したものだった。

「肥後田社長がプレゼンに使った筈の資料です。とりあえず、最後のページを見て頂けますか」

 竜吾は橋部に言われて、紙束の最後の一枚をつまみ出す。

「フリーランス開発協力者募集、と」

「お恥ずかしい話ですが、最後の手段という奴です。恥を忍んで、行き詰まっている現在の状況ありのままを公開し、在野の優秀な人間の力を借りて製品化に漕ぎ着ける。それが肥後田社長のご決断でした」

 講演で肥後田が使っていたiPadアイパッドは、彼が倒れたと同時に床に落ち、画面全体に大きくひびが入って起動もしなくなったと、竜吾は釘張から聞かされていた。捜査一課に押収されたそれは未だFLTには返却されておらず、竜吾が肥後田のプレゼン資料を最後まで目にしたのは、この時が初めてだった。

 畳部屋に似合わないパソコンチェアに力無く腰を落とし、橋部は深く溜息を吐く。

「私がロジックを理解出来ていれば済んだ話なのですが、残念ながら力及ばなかった。現時点でL7コードを用いたアプリケーションを作ろうとした場合には、追原自身が亡くなる前にプログラムを書き込んだ、何枚かの試験用チップを使うしかないんです」

「その試験用の可読化デコードチップと言うのは、今どこに」

「追原は全部で十枚のチップに、受信コード解読用のプログラムを書き込みました。FLTが三枚、磐沢が五枚を保有し、二枚は三菱の元にある筈です。FLTが確保した試験用チップの使用状況はすべて私が把握しています。チップ自体は、今はもうこの写真しかお見せ出来ませんが」

 プレゼン資料のページを一つ巻き戻り、隅に小さく乗せられた写真画像をクローズアップする。無数の銀の足で緑色の基板にしがみ付く、オレンジ色のチップの姿が見える。

「……と言うと?」

「既に三枚とも、動作検証の為の実験機器に組み込み済みだからです。ほら、これとか」

 橋部は少し得意げに、デスクの上にあったスマートホンをひらひらと掲げる。この夏に出た最新型、『NexusXネクサスエクス』の様だったが、背面のカバーケースの一部が不自然に盛り上がっている。おそらくは橋部が改造し、そのチップを組み込んであるのだろう。名刺の裏面から竜吾が安易に想像したレベルを、おそらく大きく超えた技術で実現しているのだろう。竜吾は内心感嘆する。

「ちなみに、そのデバイスからプログラムを読み出す事は」

こころみましたが、しっかりプロテクトがかかっていますね。つまり事実上、この国に今も降り注いでいるL7コードを活用し得る機器は、これを含めて十台しか存在し得ない、という事です」

「では、追原が隠した解読プログラムを発見し、この可読化デコードチップを量産出来るようにしなければ、L7を利用したソリューションは成立しない、と」

 仰るとおりです、と橋部がゆっくりと頷く。ブラックボックスという袋小路で、L7プロジェクトは足踏みをしている。竜吾の目の前でその事実認識が、改めて肯定されたのだった。

「……増間さん、追いついてる?」

 ふと、竜吾は佳を見る。万年筆を持つ左手が、完全に停止している。

「おぁ! だ、大丈夫です。たぶんわかってます、たぶん」

 赤べこか何かのように首をこくこくと縦に振る佳。竜吾は橋部と目を見合わせ苦笑した後、メモ帳を睨みながら素早く思考を走らせる。

 論子は佳に、この解読プログラムのありかを探させようとしていたのではないだろうか。はっきりとそう伝えずとも、追原の死の真相を探らせる過程で、プログラムの隠し場所が見つかる事を期待しているのではないか。そうであれば、佳は確かに産業スパイに当たる。それも、本人にそれと意識させない、遠隔操作スパイだ。

 その想像に行き当たった瞬間、竜吾はぞっとした。つまり、橋部がもしこの解読プログラムを所有しており、いつでもL7ソリューションの完成が可能な状態だったとしたら、その時点でゲームオーバーだったのだ。たとえ技術分野に関する佳の理解度が低くとも、解読プログラムという物の在り処さえ知られてしまえば、それごとL7ソリューションを奪還され兼ねなかったのだ。

 竜吾は安易に佳を連れてきた、己の不用心を後悔した。そして、ひょっとして既に自分は、この少女に心を絆されかけてはいないか。竜吾の疑いの矛先は、今や自分自身にも向きかけていた。

「ところで、お腹減りませんか。坂を下りた所にカルボナーラの美味うまい喫茶店があるんです。どうです、ご一緒に」

「あ、ホントだ。もう八時になっちゃうんですね。安土さん安土さん、行きましょうよ、カルボナーラ!」

 専門用語の嵐にくたびれ切っていた佳の表情が、橋部の言葉にぱっと華やいだ。相変わらずわかり易い子だと竜吾は思いかけたが、もはやそれも疑いの対象に見ようと思えば見えてしまう。

「そうだ、ついでにいい物をお見せしますよ。試験用のチップを組み込んだ、もう一つのL7実験機器です」

「それは確かに、興味深いですね。じゃあ、行きましょうか」

「やった! 行きましょ、うん。で、でもちょっと待ってもらっていいですか」

 佳が畳に尻餅を付いた妙な姿勢で、目を白黒させている。スカートを片手で押さえながら、正座で痺れた素足をじりじりと伸ばす。崩してて良かったのに、と橋部が笑う。その滑稽な様に竜吾も自然と口角が上がるのを、どうしても抑え切れなかった。

 気を引き締め直し、佳をスパイだと断じてその動きから目を離さない。竜吾はその必要性を強く認識してはいた。だが、それが本当に自分に可能なのだろうか。情けない一抹の不安を覚えながら、竜吾も畳に膝を着き立ち上がった。


 鉄の門扉の開く重い音が、秋の夜の静けさをひと時破った。

「しかし、何でまた開成高校のグランドの鍵なんか持ってるんです?」

「ああ、私ここの卒業生なんで。実験であれば自由に使っていいと、校長先生からお借りしてるんです」

 あっけらかんと言ってのける橋部に、竜吾は舌を巻いた。開成高校から現役東大進学という、絵に描いたような秀才が目の前に実在する事に、竜吾はただただ恐れ入るしかなかった。

「あ、安土さん。私、高学歴の人って珍獣みたいな確率でしか会えないもんだと思ってたんですが、実はあんまりレアじゃないんですかね……」

「レアなはずなんだけど、この件絡んでから東大生がもう三人目だしな。俺もちょうど、あ、意外といるんだなあとか、そんな事思ってたとこだよ」

「ボロアパートで好きなメカいじりしてるだけの人間ですから、大した事はありませんよ。あんまり騒がしくするとご迷惑なので、ちょっと静かに待ってて下さいね」

 橋部の、まるで教師が生徒を諭すようなその口調に、竜吾と佳は目を見合わせる。腰を落ち着けられるようなベンチも見当たらず、ただ黙って立ち尽くす二人の前で、橋部はコンテナごと持参した機械を楽しそうにがちゃがちゃと組み立てる。

「さて、お待たせしました」

 橋部が高々と夜空へ掲げたのは、白い十字架型の奇妙な物体。四方に伸びたアームの先端それぞれから、さらに四枚羽のプロペラが生えている、マルチコプターと呼ばれるタイプの飛行ラジコンだった。

「……空撮カメラですか」

「ええ、そうです。元々はね」

 橋部が空けた片手で、先ほどの改造スマートホン、ネクサスエクスを操作する。すると、ボディとアームの各所につけられた青色のLEDが、たった今目覚めたかのようにぱっと光る。そして回転を始めた二対のプロペラが、勢い良く空気を刻み橋部の手からふわりと離れる。

「おぁ! すごいすごい、ラジコンヘリ!」

 空へ舞いあがった白い十字架を見上げて、佳は無邪気にはしゃぐ。竜吾は浮遊するそれよりも橋部の手元に目を向けるが、彼の指がネクサスエクスのタッチパネルに触れている様子は無い。

「操作はそのスマホから?」

「それもできますが、これの場合は完全な自律型を目指しています。せっかくなんで増間さん、ちょっとこれ持ってみてください」

 とてとてと駆け寄った佳に、橋部はネクサスエクスを手渡す。

「ど、どうやって動かすんですか?」

「何もしないでいいです。あ、いえ、せっかくなんで、このトラックを軽く走ってみて下さい。よーい」

「え、ちょ、ちょっとま、マジですか」

 どん、と橋部に一方的に合図されるまま、佳は慌ててスタートを切る。薄闇に消えかけたトラックを辿るようにして、佳はパンプスの足でひょこひょこと走る。

「わっ、わっ、ちょっと、あの、追っかけて来るんですけど、この子!」

 背後と頭上を気にしながら、不器用に走る佳。白いヘリは彼女の頭上から一定の高さを保ちながら、空中を滑るように移動している。

「マスターとなるスマホは、取得したL7の位置情報を、後付けのユニットから無線でヘリへ飛ばしているんです。で、ヘリは自分自身もL7の位置情報を取得できますので、それらを比較しつつ、設定された間隔を保って飛行するように自律制御するという仕組みです。今はマスターの直上ちょくじょう二メートルをキープするように……あ、増間さん、怖かったらスマホ上に上げてください! 余計寄って来ますよ!」

 思わずかがみ込んで低くなった佳の頭上で、律儀に間合いを保ちながらもゆるゆると近づいて来るヘリ。それはあたかも、幼い飼い主を心配するペットの様にも見えて、竜吾は思わずくすりと笑う。

「橋部さん、この子すごい。ちゃんと言う事聞くんですね! 名前無いんですか、名前」

「ロケーショントラッカーL7。略して『エルトラセブン』です」

「おぁ! なんかそれ、聞いた事あります!」

 特撮ヒーローに似せたその名は、きっと橋部の思い入れの証でもあるのだろう。竜吾はそう感じながら、語感の良いその名を一人口に転がしてみる。エルトラセブン。

「ヘリの機構にも依存しますが、滞空できる位置の誤差範囲はX・Y・Zエックスワイゼットともに一センチ以内。もちろん、このスマホの位置情報だけでなく、マニュアルで指定した位置への自律移動も可能です。現地へ飛ばした後に帰還するタイミングと位置情報を予めセットしておけば、無線の届かない範囲でも行って帰って来てくれますよ」

「これは……いや、すごいな、面白いですよ! 測位関連でなくとも、何にでも活用できそうですね」

「ええ。別アプリケーションからの位置情報の受け取りも出来ます。安土さんの所で、測量カメラアプリなんか作ったりしていませんか?」

「ああ、なるほど! 撮影したオブジェクトとの距離から位置を出して渡せば……」

 ヘリの滑らかな飛行挙動や橋部の語るその性能に、竜吾も興奮を隠し切れなかった。人的コストを必要としない地形調査や、遠隔地での救難活動。あらゆる分野へ、あのエルトラセブンが飛んでいく未来を想像し、竜吾の胸は激しく躍った。

「ええ、そうですね。傘とかいいなって思ってるんですけど」

 傘? 橋部が口にしたその活用法を、竜吾は思わず聞き返してしまった。

「ほら、あいつが頭の上で傘を持って着いて来てくれれば、雨の日でも両手を空けて歩けるでしょう」

「なるほど! くくっ、その発想は無かったですよ。確かに便利ですね。傘用エルトラセブン!」

 橋部のミクロな視点と柔軟な発想に、竜吾は毒気を抜かれる思いだった。L7プロジェクトの規模に気圧されていたのだろう、マクロな方面ばかりに考えがちだった自分の固い頭が、ころりとほぐれた音がした。

「追原の生み出したL7コードは、確かに素晴らしい技術です。でも、それがすごいからって、特別すごいことに役立てようとか、とてつもない利益につなげようとか、そんなに躍起やっきにならなくてもいい気がするんです、僕は。だってほら」

 楽しそうじゃないですか。橋部はそう言いながら、ネクサスエクスをくるくると振り回してエルトラセブンとたわむれる佳を、目を細めて見守っていた。橋部の言葉に、竜吾はすんなりと納得した。心の底から同意して頷く事が出来た。こんなにも気持ちよくイエスと思えたなんて、いつ以来の事だろう。

「すごい、かわいいですよこの子! 安土さんも、ほら!」

 橋部の言葉通り、佳は最新技術のすいであるそれと、子供のような屈託の無い笑顔ではしゃぎ回っている。

 竜吾自身、きっとあのネクサスエクスを手渡されれば、清まし顔ではいられないだろうと思っていた。マスターのスマホをどの角度にしても平気なのか、鞄に入れても問題は無いのか。別のアプリケーションとの連動は可能だろうか。もしくは、どうすればエルトラセブンが困り顔を見せるのだろうか。

 玩具としても技術サンプルとしても、あらゆる手を尽くし、時間を忘れて全力で遊びにかかってしまうだろうと、竜吾は胸の高鳴るままに想像を巡らせた。L7コードは確かに今この場で、一人の少女と一人の男に、笑顔と興奮を与えてくれているのだ。

「そうだな。技術って、すごいな」

「ホントですね、すごいんですね! はる兄も、橋部さんも、安土さんも!」

 疑念とプレッシャーに疲れかけていた心が、少しだけ洗われたような感覚。心地良いそれを楽しみながら、竜吾は闇夜に遊ぶ佳の姿を、じっとその目で追いかけていた。

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