85・二度目の切端へ

 空が一段と低くなり、澄んでいた青色も一枚靄が掛かった様に見える。山の上の残雪も疾うに消え、田の稲も少し背が伸びた。


「わぁ、本当に道が無い…」

「だから言ったであろう。案外大変だと。」

足元の藪を鉈で払いながら小さな峠を目指す。

「上まで行ったら海見えますか?」

「いや、山の影になっていて見えない。海が見えるのは本当に最後の最後、村の直前だ。」

「ちぇー…」

俺の答えに春が頰を膨らます。

 昨年と同じ時期。糸を採るために葛の蔓を皆が切り出している最中。今年は春を供にして切端村に向かう。


 途中、一晩の夜営を挟み翌日の昼前には村と海を望む位置に出た。

「すごい!すごーい!ずっーと水がある!」

初めて目にする海に春が歓声を上げる。

「あれならいくら獲っても無くならない!」

なんで春が付いて来たのか。そう言う事である。

 多くの者が湊へ行きたがる中、春は釣りが出来て近場の切端への同行を望んだので、今回の訪問に連れて行く事にしたのだ。村の周りでは資源管理の観点から漁獲量を絞っていたし、何より最近は襲撃の恐れが絶えないので中々崖下に下りる事が出来なかった為に釣りに目覚めた春は鬱憤が溜まっていた。

 更に、昨秋に村を訪れた北敷の連中から海で釣れる大物の話を散々聞かされた結果、春は当然とばかりに同行を主張したのだった。

 まぁ、横で目を輝かせる様を見れば連れて来て良かったと思える。特に春はその立ち位置から我慢を強いられる事が多い。今回の釣果次第では切端へ行く時は毎回連れて行っても良いかもしれない。


「おーい!」

「おぉ、又来られたんかい。」

村の外れの畑に出ていた住民に少し離れた場所から呼び掛けると呑気にそう答えてくれる。前回の訪問で覚えてくれた様だ。まぁ、お互い訪れる者の少ない村に住んでいるからな。

「波左衛門殿はおいでかな?」

「あぁ、今時なら浜だと思いますがね。」

「左様か。では、先に浜を覗いて見るとするよ。仕事中すまんな。」

「いやいや、構わんさぁ。」

俺はそう礼を言うと先へ進む。


 波左衛門の館は浜の手前の左手にある低い丘の上だが、川沿いにそのまま浜へ下りると舟の傍に人が集まっている。

「おーい!」

先程同様、少し離れた場所から声を掛ける。

 相手に余計な警戒心を抱かせない為には重要だ。見知らぬ者が黙って近付いて来るのは単純に考えて怖いからな。

「おぉ、治様だ。殿ー、飯富の治様ですぞ!」

一番手前に居たのは秋に手伝いに来てくれた者の一人で、直ぐに俺に気付くと波左衛門に伝えてくれる。

「おぉ、祥治殿ではないか。」

「ご無沙汰ですな波左衛門殿。」

「うん、大凡一年ぶりか。今回は娘連れとは如何な事だ?」

「いや何、あの娘は釣り好きでな。秋にあの連中に散々海釣りの話を聞かされたもんだから連れて行けと煩くてな。」

「おぉ、あの娘が噂の釣り娘か。」

「釣り娘と言う呼び名は如何かと思うが、良ければ釣らせてやって頂けると有り難い。」

そう頼みながら春の方を振り返ると、男達に囲まれた春は既に竿を持たされていた。

「我等の出る幕は無さそうだ。」

「左様ですな。積もる話も有る。」

「おい、俺達は館に戻る。無茶をさせるなよ!」

「へーい」「分かってまーす」

そんな頼り無い返事を聞くと館へと向かう。


「そちらは変わり無いか?」

「あぁ、お陰で田は少し増えた位だな。襲撃も相変わらずだ。こちらは如何か?」

「こちらは変わり様も無い。幸か不幸か知らんがな。して、用件は?」

お互い少し不本意そうに近況を伝え合い、本題に入る。

「まずは簡単な話からだ。俺が戻り次第、湊に人を出す。一緒に運ぶ物が有れば預かる。」

「おぉ、海鼠と鮑だな。他の村からも集めて有る。俵とは言わぬがそれぞれ桶一杯程は有る。」

俺の問にそう答える波左衛門。

「やはり売った金で米を買いたいのか?」

「それはそうだ。他に可能なら鉄、酒も手に入れば言う事無しだがな。」

予想はしていたがその答えに少し顔を顰めてしまう。

「何か拙いか?」

「いや、実際には見ていないが聞いた話から考えるとかなりの量の米が手に入ると思う。正直我等が遣る人数では運び切れんと思う。それに鉄はもっと重いし酒も重い上に運ぶのに手間が掛かる。」

俺の表情を見てそう聞く波左衛門に答える。


「それなら、次はこちらからの用件を聞いてくれ。」

「ふむ?」

そこへ波左衛門が自信満々に言い募る。

「吉兵衛の話を聞いた他の村の腕自慢共がお主の所で習いたいと言っているのだ。」

「はあ?」

「吉兵衛の奴、相当に嬉しかったらしくてなあ。正月に皆が集まった折りに若い者の間でその話をして回ったらしいのよ。」

「つまり腕自慢ってのは民では無く領主やらその息子の事か!?」

「まぁ、そう言う事よ。」

「それは拙いのではないか?こちらで何か起こったらどうするのだ?」

「外との揉め事等起こらんし、村々での諍いならむしろ居ない方が話が早く纏まって楽な位だ。問題無い。わははは。」

どんな荒くれ者を押し付けるつもりなんだこいつは?問題しか無い気配がするぞ…

「こっちも食い物に余裕が無いしなぁ…」

「そいつらに湊から運ばせてくれ。あ、勿論雑穀だぞ。」

くそ、遠回しに断っても聞きやしねぇ…

 その後、いくつかの事柄について相談をして、その日は一泊。夕餉には春の釣果とご機嫌な笑顔が並ぶ事となったのだった。


※※※※※※

定期的に最初から書き直したくなるのは作者あるあるなんでしょうか?特に筆が進まない時…

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る