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 滋晨はそれからほぼ一ヶ月、大学の授業と論文書きの仕事以外に、文献と映像資料と音声資料に埋もれた。少年の言葉から彼がどこの家の子供かはすぐにわかったし、それに関連する映像資料はたんまりあった。さらっていくと、少年の姿は確認できた、母親らしい映像もすぐに見つかった。

 滋晨は飛び上がりたくなったが、絮飛にはまだ言わなかった。

 映像も画像も偽造は可能だ。会議で、医療班を送りたいがために、作ったのだろうと疑いを持たれれば終わりだ。絮飛と滋晨が配偶者であるのは皆知っているし、絮飛のコネクションにそれだけの映像を作れる人物がいるのは秘密ではない。

 絶対に、動かない証拠が欲しかった。それを裏付けるには、タイムリープでは得られない、歴史的な文献的資料の補強が必要だった。

 だが、あんなただの子供と女性の話を誰が書く?

 歴史文献は社会的に重要なものしか記述されないし、女子供の取るに足らない資料など残らない。

 ありとあらゆる電子アーカイブをあさり、大学図書館に通って地方史や野史の紙資料まで思いつく限りのものを目を皿のようにして見た。だが、何も見つからない。

 その間に絮飛は移民局に連絡し、あの男の子と一人で面談を開始した。面談は順調だった。男の子は最初は少し怖がったようだったが、絮飛と言葉が通じるのに安心して少しずつ口を開いたという。

 その日は、滋晨もその子に会う予定の日だった。

 ただうまく時間の設定が出来ず、大学に行くのも中途半端な時間だった。だから滋晨は書斎で手持ち無沙汰に時間を過ごしていたが、ふとプロジェクトの参加初期からの資料を見直し始めた。

 ノートがずいぶん溜まっていた。みな電子ノートを使うし、その方が地球にはいいのだが、滋晨はどうしても紙が好きだった。紙に字を書いていくと、頭の中が整理される。

 ノートを開く。タイムリープでフィールドワーク、何を?自分の字が目に飛び込んでくる。最初は……そうだあまりにも突飛で文句ばかりを書き込んでいた。古代言語の復元? AIで通訳機? 浅はかでは? 光学迷彩が使えないんじゃ丸見えで、ただの不審者だ。

 滋晨はくすくす笑いながら、ページをくっていく、すると何か紙が挟まれている。資料のコピーだ。大学図書館で、コピーさせてくれないかといったら、狂人でも見るような目つきで見られたのを思い出した。

 その紙に書いてある文字を脳が読み取る。心臓が跳ねた。それは古代の類書の一部だった。


  燈市之夜、童偶遇兩仙一黑一白、二仙人摩童子之頭,語童善讀書,善鍛鍊。其母疾病,三日後黑衣女往童家語醫,予丹所食,母康復。


「あの子は俺たちのいうことを聞いたんだ!」

 滋晨は興奮して思わず大声を上げた。

 紙には書き込みがされていた。「見られても不審に思われないために、神仙の伝説を利用する可能性」紛れもなく自分の字だった。日付までちゃんと書かれている。

 俺たちはもうずっと前に出会っていたんだ。なんで気づかなかった。なんで忘れていた。

 それから面会時間までに、滋晨は、大海で見つけた針一本から、その資料の補完資料をさらに見つけ出し、映像資料をあわせて、理論立てて、ただの一人の母親に医療ユニットを送るためのレポートを書いた。もちろん面談から帰ってきた後も一週間は推敲をした。実際的な医療を行うまでは絶対に承認されないだろう。少なくとも少年の母親が回復できるだけの栄養剤と当時手に入れられる薬剤をどう使うか、その指南書を渡すことを要望した。

 会議にかけると、誰も反対はできなかった。

 ただ、レポートに滋晨はいくつかの付記をつけた。

 このタイムリープ自体がすでに歴史となっている可能性を。

 神仙が元宵節にくるという伝説を利用したはずだった。衣服の色も、記録に残っているさまざまな流行から選んでいた。だが、もし、神仙の着ているものが、その流行りの契機となっていたら?

 会議に参加している連中は、目を丸くして、押し黙った。

 そしてタイムリープによるフィールドワークは一時休止となった。代わりに、全プロジェクトチームによって、これまでの収集資料と、歴史的文献とを再度突き合わせ、歴史と時間について考えるための全ての専門を網羅・超越した膨大な検証作業が始まることになった。

 絮飛はもちろん文句を言った。

 仕事を増やしやがって、「軽功」装置が本当に使えれば楽しいことになっただろうに。

 どこかで神仙ごっこができるようにかけあったらと提案すると絮飛はそれも悪くないな、と思案顔になった。

 プロジェクトチームの皆が悲鳴をあげた頃、二人は男の子を家に迎えることになった。男の子を迎えにいくのに滋晨も絮飛も何を着ていくべきかわからず、お互いに文句をつけ合って、研究室かラボにいるときの世の中どうでもいいと思っているような格好だけはやめた。

 移民局のフロアはありとあらゆる色の人でごった返していた。親子連れも多い。金髪の巻き毛の子供が真っ青な瞳に東洋人二人をうつす。滋晨はその子に向かってにっこりと微笑んだ。子供の扱いも、何度かの面談を経て、慣れてきて、やっていけそうだった。

 不意に絮飛の指が滋晨の手に触れた。

「滋晨、ありがとう」

 絮飛があまりにしみじみとそう言ったので、滋晨は肝を潰した。何が起きたんだ。

「お前が、あの子の世界を救ってくれたんだ。お前がいなきゃできなかった。ありがとう」

 それはあの過去の世界に住んでいる少年のことだった。

 たった一人の男の子の世界を少し、救っただけだった。悲劇は世界のどこででも、現在も発生していて、時空の波の中を考えれば、砂の数よりも多いだろう。そんな砂粒の一つを自己満足でなんとかしただけだった。

「俺は歴史に従っただけだ。書いてあるものの通りになるようにした。それだけ」

 滋晨は静かに笑った。

 絮飛はその笑みを眺める。

 それは名前の通り、朝の最初の太陽の光、白く、儚いように見えて、全ての人間にとって……少なくとも絮飛にとってはなくてはならない光だった。

「こっちこそ、ありがとう。絮飛の勝手さがうつったからできたんだ」

 絮飛に出会わなかったら、勝手に何でも割合決断してぐいぐいやってしまうことを知らなかったら、多分出来なかっただろう。彼に出会う前の自分ならきっと何もしなかった。絮飛が俺を自由にする。柳絮のようにどこにでも飛んでいけるようにする。

「うちの子とたくさん話をするんだ、絮飛のおじいさんに負けないくらい」

「俺もだ」

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