第8話 破滅の始まり

 アマリリスがダーレンから婚約破棄され三週間が経った。


 あのパーティーの日、ロベリアがダーレンの新たな婚約者となり、クレバリー侯爵家ではお祝いムード一色だった。婚約祝いにフランシルとロベリアはドレスと装飾品を新調して、エミリオは趣味で集める魔道具を買い求めている。


 だが、その後アマリリスが王命によりルシアン殿下の教育係になったと知らせが来た。この件は極秘事項で当面は婚約者候補として扱うと、国王陛下からの親書が届いたのである。


 国王陛下の王命では従わないわけにはいかない。どこまでいってもエイドリックの邪魔になる存在だが、今後王家と繋がりを持てるなら悪くないと考え直した。


(バックマン公爵家との繋がりもそのままだし、王家とも繋がりを持てるならクレバリー侯爵家はまだまだ繁栄していくぞ……! ああ、だが帳簿管理は面倒だ。人を雇うか……いや、ケヴィンにやらせてもいいな)


 エイドリックは、なにかにつけて苦言を呈する家令ケヴィンの存在も鬱陶うっとうしかった。四十年に渡りクレバリー家に仕えているためか、エイドリックに対しても遠慮をしない。


 ケヴィンをクビにしたいが、屋敷の管理を任せられる人材などそうそう手に入らない。通常は年月をかけて次代の家令を育成するのだが、皆使えない奴らだったのでエイドリックがすでにクビにしていて該当者がいなかった。


 そこでこの口うるさいケヴィンを黙らせるため、過剰ともいえる業務を割り当て得ることにした。

 ところが、エイドリックが面倒だと思っていた帳簿管理をケヴィンに任せると、今までよりも小言が増えたのだ。


「旦那様、こちらとこちら、それから次のページにも数字の写し間違いがございます」

「そんなもの、お前で直しておけばいいだろう!」

「いえ、それではミスがなくなりませんので、今後の効率化を図るためにも早急に対処が必要でございます」

「ぐぬっ……直せばいいんだろう! わかったからお前は下がれ!」

「では失礼いたします」


 自分の価値を正しく理解しているケヴィンは、エイドリックに容赦なく間違いを指摘した。アマリリスが去った後、少しずつ使用人を減らしている。


 帳簿の管理を手伝うようになり、クレバリー侯爵家にはどれくらいの時間が残されているのかも理解していた。


(アマリリス様はルシアン殿下の婚約者候補になられたと聞いたが……あのお方ならうまくやれるだろう。できればアマリリス様のおそばでお仕えしたかったけれど、私もそろそろ身を引くタイミングなのかもしれない)


 ケヴィンはこの時、砂上の楼閣であるクレバリー侯爵家とともに沈む覚悟を決めたのだった。




     * * *




 その頃、バックマン公爵家ではダーレンとロベリアが公爵夫妻の前に呼び出されていた。


「父上、ロベリアも同席しての話し合いとは、もしかして結婚式のことでしょうか?」

「まあ、そうなのですか? ずっと想ってきたダーレン様の妻になれるなんて、嬉しいですわ!」


 嬉しそうに能天気な笑顔を浮かべるダーレンとロベリアに反して、バックマン公爵夫妻は眉間に皺を寄せ、口角は引き下がっていた。公爵夫妻のこの表情を見ても、頭の中で花が咲いている息子とその婚約者にため息が出るのをこらえている。


「お前たちは、アマリリス嬢が婚約者だった時から愛し合っていたのか?」

「ええ、そうなんです! クレバリー侯爵家へ行っても接待してくれるのはずっとロベリアでした。アマリリスは姿を見せることもせず、私が送ったドレスもすべてロベリアに処分するように命じていたのです!」

「ダーレン様のおっしゃる通りですわ。わたくしはずっとアマリリスに虐げられておりましたの。身の回りの世話をさせられ、持ち物はすべて奪われました」


 バックマン公爵の問いかけに、愚かなふたりはここぞとばかりにアマリリスを貶める。

 それが事実だと信じて疑わないダーレンの姿に、バックマン公爵夫人はどこで教育を違えたのかと心が沈んだ。


 しかし公爵夫人として生半可な覚悟で嫁いできたわけではない。愚かな息子に公爵家の未来は託せないのだ。


「ダーレン。貴方がアマリリス嬢と面会したのは年に何度なの?」

「はい、確か……年に一度会うかどうかです。私がどれだけクレバリー侯爵家を訪れても、姿を表すことはありませんでしたので」

「そう。私は年に三度か四度、アマリリスとお茶の時間をとっていたわ。私の呼び出しには応じるのに、クレバリー侯爵家で会えない理由がわからないの。ロベリアはなにか知っているの?」


 バックマン公爵夫人はロベリアに鋭い視線を向ける。


「実は……アマリリスがダーレン様とは会いたくないと面会を拒んでいたのです。そこで失礼のないようにわたくしがお相手をしておりました」

「貴方は年上であるアマリリスを呼び捨てにしているのね」


 そこでロベリアはハッとして口をつぐんだ。

 礼儀や作法に厳しい貴族社会で、年上の女性を敬称なしで呼ぶのは躾ができていない証拠なのだ。


 お茶会でずっとアマリリスと交流してきたバックマン公爵夫人は、今度こそ自分がこの目で見た事実を信じるのだと固く心に決めている。


「アマリリスは決してそのような無作法はしませんでした。それからアマリリスの身の回りの世話をしてきたのに、貴方の指先は潤いがあって綺麗なままなのね」

「そ、それは……アマリリスが、いえ、アマリリス姉様が侯爵家から出られたので、お世話することがなくなったからですわ」


 見え透いた言い訳だとバックマン公爵夫人は思った。アマリリスとお茶をする時、彼女はいつも手袋をしていた。決して外されることがなかったが、もし使用人のようにあかぎれだらけの指先を見せないためだったのではないかと、今なら気付ける。


 これまでもアマリリスの不穏な噂は耳にしていた。たとえ流行りのドレスを着ていなくても、あまりにも優雅で美しい所作と的確な受け答えにアマリリスならバックマン公爵家を任せられると考えていたのだ。


「そう、でもね。私は貴女の言うことが信じられないわ」

「そんな——わたくしは嘘などついておりません!」

「お黙りなさい。両親を亡くし、兄まで養子に出された従姉の婚約者に懸想するような女がなにを言うの? 普通なら自分を律して横恋慕すらしないものよ。所作も洗練されていないし、どんな教育を受けていらしたの?」


 バックマン公爵夫人の厳しい追求に、ロベリアは顔を真っ赤にして震えている。侮辱された怒りと馬鹿にされた羞恥心でロベリアの心は埋め尽くされていた。


「母上! そんな言い方はあんまりではないですか! ロベリアはずっと虐げられてきたのですよ!?」

「ダーレン。お前の目は節穴か」


 今度はバックマン公爵がダーレンを諫めた。


「父上、なぜ私の目が節穴なのですか!?」

「お前は婚約者の屋敷に行って、従妹が接待していたことに疑問を感じなかったのか?」

「は……? アマリリスが拒否していたのだから、仕方ないではありませんか!」

「ではマリリリス本人からそう聞いたのか?」

「……いえ、それは……」


 八年間もの間、婚約者の屋敷に行って一度も会えないなどありえない。その異常事態に気が付かない時点でダーレンの後継者としての資質が疑われる。


 侯爵家は最初からダーレンの婚約者をすげ替えたかったのだ。相手の意図に簡単にはまるようでは、公爵家の跡取りとして自覚がないとしか言えない。


 それにアマリリスが流行遅れのドレスを、ロベリアが最新のドレスをいつも身に着けているのを見れば、どちらが嘘をついているかなど一目瞭然である。


「ダーレン、お前を公爵家の後継者から外す。すでに次男オードリーを後継者とする準備は整った。早々にこの屋敷から出ていけ」

「そんな……! どうして…… !」

「アマリリスほど聡明な女性なら、ダーレンが後継でも問題ないと考えていたがな。あの日、その女と婚約を結んだ時点でオードリーの後継が決定したのだ」

「……っ!」


 ダーレンは真っ青な顔で俯き、微動だにしなかった。ロベリアはこの展開についていけず、目を白黒させている。


 バックマン公爵は家門を存続、発展させる後継者を選定する義務がある。そのため誰よりも現実を見つめ、冷酷にならなければいけなかった。


 妻が感情的になろうとも、息子が愚かな決断を下したとしても、バックマン公爵は家門を維持するために必要な決断を下しただけだった。


 そして、これがエイドリック一家の破滅の始まりだと、当の本人たちはまだ気付いていない。



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