第5話 気になるアイツ
「はい、じゃあ今日の終礼はここまで」
という小林先生の声で、日直当番が「起立!」という号令をかけた。
クラス全身が席を立ち、椅子がガラガラと教室の床をこする音がする。
「礼!」
という日直の号令に合わせて
「先生さようなら!」
とみんなが声を合わせる。
「はい、さようなら」
と小林先生は黒板に書いた連絡事項を指さして、「日直はちゃんと黒板消しておけよ~。この前の放課後、黒板消し忘れてたぞ~」
と言いながら教室を出て行った。
5年生になってから、もう2週間が経った。
ゴールデンウィークを間近に控え、季節はだんだんと梅雨に近づいている。
転校生の
勉強も出来るし体育の成績も悪くない。
あまりクラスメイトとお喋りしたり遊んだりする子じゃないけど、だれかに話しかけられればそつなく応対できるし、先生から何か頼み事された時も、とても効率の良い仕事をして見せる。
顔立ちの整った美少年という事もあって、クラスメイトだけでなく他のクラスの女子からも注目を浴びていた。
だからといって横柄な態度を取ったり傲慢な性格になったりという事も無く、
「お前は本当に優秀だな」
と先生に言われた時には、
「ありがとうございます。とても励みになります」
と微笑をたずさえて返せる余裕さえ感じるのだ。
私は鰐谷君がただの小学生でない事は分かるのだが、その理由を測りかねている。
もし彼が、私と同じ様な「人生を繰り返す者」なのだとしたら説明は簡単だ。
私は「できるだけ普通の子に見える」様に、テストの成績も「上の下」くらいを維持している。
勿論真面目に取り組めば満点を取れてしまうのだが、私はもう「天才少女」になりたくはないのだ。
鰐谷君は「天才」というよりは「秀才」という印象を周囲に振りまいている。
友達に遊びに誘われても、
「ごめんね。家庭教師が来るから、早く家に帰らないといけないんだ」
と言っていつも誘いを断っている。
おかげでいつの間にか男子達は鰐谷君を遊びに誘うのを止めてしまった。
逆に女子達は、
「鰐谷く~ん、一緒に宿題しない?」
と、何だかんだと理由をつけて鰐谷君に声をかけている様だが、鰐谷君はその誘いに乗る事も無い。
まるで「子供と遊ぶのは面倒だ」といった具合だ。
勿論クラスメイト達にそんな態度の機微を理解できるとは思わないが、私は彼を目の端で追いながら、そんな感想を抱いている。
彼は一体何者なんだろう。
人生を繰り返す「リピーター」なのか、それとも他の何かなのか。
私が求める「トキメキ」を彼に感じる事は無いのだが、どうしても気になる。
こういう時は、悶々としていても仕方が無い。
気になるのら、私から話しかければ良いだけの事だ。
それはこれまでの人生で何度も思い知った事だ。
なのにこれまでの2か月間、私はそれをしてこなかった。
何故なら、この人生は「鰐谷君が居る世界」という、「次の人生で繰り返されるかどうかが分からない世界」だからだ。
もしこの世界で彼との関係が「何でもない関係」になってしまえば、「次の人生で彼とやり直す事が出来ないかも知れない」のだ。
これまでは「どんな失敗をしようと、死ねばまた人生が繰り返される」という想いがあった。
だけど、もしかしたら彼との関係は「この人生だけ」にしか存在しないかも知れないのだ。
もし彼との関係が特別なものになったとしたら、私の人生は大きく転換するのかも知れない。
いや、もしかしたら私の「繰り返しの人生」に終止符を打つ存在にさえ成りかねない。
そう思うと、私は少しゾクリとした。
両腕に鳥肌が立っている。
もうこの人生を繰り返す事にはウンザリしている筈の私が、「繰り返す人生に終止符を打つかも知れない存在」に恐怖している?
いや、これはむしろ「恐怖」などではなく「期待」なのかも知れない。
だとしたら、やはり私は彼に話しかけるべきなのだ。
そう思った私は、ランドセルを両肩に背負って教室を出ようとする鰐谷君の後ろ姿を追っていた。
「
と私が呼ぶと、鰐谷君は扉にかけていた手を降ろし、身体全体でこちらを向いた。
「
とそう言う鰐谷君の表情は少し驚いている様に見えた。
「うん、ちょっと鰐谷君に聞きたい事があって」
とそう言いながら私は彼の手を取って、近くの席に座らせた。
「優子ちゃん、ばいばーい」
とクラスメイトの女子達が私に手を振って別の扉から教室を出て行く姿に、
「うん、ばいばーい」
と返した私は、教室に他の児童が居ないのを確認すると、
「鰐谷君は今、何度目の人生を生きてるの?」
と言って彼の顔を正面から見据えた。
「え・・・?」
と言葉を詰まらせ、驚いた様に私を見る鰐谷君の目は、信じられない物でも見るかの様に見開かれていた。
私は手ごたえを感じていた。
やはり彼には何かある。
彼は我に返った様に表情を崩すと、
「えっと・・・、それはどういう意味?」
と、いつもの微笑をたたえて私に訊いた。
私は両手を彼の肩に置いて軽く力を入れて掴み、
「本当に分からない?」
と、彼の目を見据えながらそう訊いた。
鰐谷君は私の視線から逃げる様に、何度か瞬きをしてから視線だけで辺りを見回し、教室に誰も居ない事を確認してから、小さな声で何か呟いた。
「何? 聞こえないわ」
と私が言うと、彼は一つ大きなため息をついてから、今度ははっきりとした声で、
「数えてない」
と言った。
やはりそうだ。
彼も私と同じ「人生を繰り返す者」なんだ。
これまで100回を超える私の人生で、初めて出会った同類だ。
しかも同級生!
こんな偶然があるだなんて!
鰐谷君は、今度は私の目を真っ直ぐに見据え、
「君も、そうなの?」
と言った。
「ええ、そうよ。もう何度繰り返してるか分からないけど、軽く100回は超えてるわ」
「100回も!?」
と驚く鰐谷君の表情は、やはり「繰り返す者」の表情だった。
「あなたはどれくらいなの?」
と私がもう一度訊くと、彼は一つ頷き、
「ちゃんと数えてないけど、僕は多分、20回目くらいだと思う」
と言った。
「そうなのね・・・、私のこれまでの人生は、小学校ではどれも同じ顔ぶれにしか出会わなかったけど、今回初めて知らない顔に出会えたわ」
「それが、僕なんだね」
「そう、これが何を意味するかは分からないけど、今回の人生で私は、初めてあなたに出会ったのよ」
「そうか・・・、君は何度も同じ人生を、100回以上も繰り返しているんだね」
「あなたはどうなの?」
「僕は・・・、毎回違う人生を生きているんだ」
「違う人生?」
「そう、毎回知らない家の子として生まれ、その人生を全うするんだ。だけど、産まれる時代はいつも同じ。まったく、訳が分からないよ」
今度は私が「信じられない物を見る様な顔」になっていたのではなかろうか。
どういう事?
私は毎回「紅羽優子」で、今回もそうだ。
だけど彼は「毎回違う人間」なのだという。
毎回違う人間の人生を送り、それを20回程度繰り返しているというのか。
ふと私は気になった事を訊いてみた。
「それって、産まれる国も違うって事?」
彼は肩をすくめて目を瞑り、
「そうだね。日本人に産まれたのは今回が初めてだよ」
と言ってから私の顔を見返すと、「紅羽さんはずっと日本人なんだよね?」
と訊いて来た。
「ええ、そうよ」
と私が言うと、彼は苦笑してから、
「きっと、神様は君の事が本当に気に入ってるんだろうね」
と言った。
「どういう事?」
と私は意味が解らずそう訊いた。
彼は少し首を傾げ、
「日本ほど素晴らしい国なんて、他のどこにも無いからさ」
と言った。
彼は何を言っているのだろう。
私がこれまでに繰り返して来た日本人としての人生は、それは良い人生もあったけど、この国が「他に無いほど素晴らしい」というのは大袈裟ではなかろうか。
「そうなの・・・? 日本がそれほど素晴らしい国だなんて、これまで思った事は無いけど、どういう所が素晴らしいと思うの?」
と私は訊いてみた。
すると彼は不思議そうな顔をして、
「だって、この国は平和でしょ?」
とだけ言った。
私はこれまでの人生を思い返してみた。
私が繰り返してきた人生で、日本が戦争に直接参加する事は無かった。
だけど、世界の政治的な問題に巻き込まれ、戦争の片棒を担がされたり、増税に次ぐ増税で国民が苦しめられる人生は経験してきた。
2025年頃には日本が中国との政治的衝突を起こし、日本列島が被害を受ける事は無かったものの、アメリカとの軍事同盟が足枷となって、日本国内のアメリカ軍基地からは毎日ミサイルが発射されるという時期があった。
戦争はアメリカの勝利に終わったものの、その後の国民は更なる増税で疲弊する社会になった事がある。
私の人生は毎回1990年11月に始まる。
彼の人生も毎回1990年から始まっている。
だとすると彼は・・・
「ねえ、あなたはこれまで、どんな国に産まれてきたの?」
と私は訊かざるを得なかった。
その問いに彼は、教室の天井を見ながら、
「全部を思い出す事は出来ないけど・・・」
と言って腕を組むと、「アメリカ、メキシコ、ブラジル、イラク、アフガニスタン、シリア、リビア、ベネズエラ・・・」
と、色々な国名を挙げ出した。
一通り国名を挙げ終えた鰐谷君は、ふうっと息を吐いて私の顔を見上げ、
「どう? 君ならこれらの国がどんな歴史を辿って来たか、知ってるんじゃないの?」
私は言葉を失った。
彼の言葉に、私は頷く事しか出来なかった。
彼はこれまで、先進国から発展途上国まで様々な国で人生を送り、きっと壮絶な人生を送ってきたに違いない。
何故なら、イラクもリビアも国連に滅ぼされた国だ。
イラクやアフガニスタンも戦争とは縁が切れない国で、義勇兵団で子供が銃を持っているのが当たり前の国なのだ。
「日本は本当に良い国だよ。きっとこれまでの人生で頑張って生き抜いた僕に、神様がくれたご褒美の人生なんだと思う」
と彼が口を開き、そしてこう言った。
「だから僕は、きっとこの人生を最後に幸せになって、天国に行けると信じてるんだ」
彼がどれほどの過酷な人生を歩んできたのか、私には想像が出来なかった。
私が天才少女?
バカバカしい!
私など、ただの平和ボケした女でしかない。
私の想像を絶する彼の人生を、私はどうしても知りたくなってしまった。
そして、見た目は美少年である彼の姿とのギャップに、私の心はこれまで感じた事の無い騒めきを起こしていた。
これはトキメキとは程遠い感情だ。
だけど、もしかしたら私は、彼と何かを成す事が必要なのかも知れない。
それが何なのか、今はまだ分からない。
だけど私は、彼が居るこの人生を本気で生きてみようと、そう思ったのだった。
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