第18話

 二人が施設を出ると、打って変わって言葉を交わさなかった。

 二人とも、マリアの行動が異様だと改めて思ったからかもしれない。ちょうど公園が見えてきた時だった。


「俺、水曜日は仕事」

「おだまり。数日前、翌週は仕事が入ってないって、店で言っていただろ?」


 そう言えば仕事帰りに小腹を満たすため、胡蝶の店に寄って話たのを思い出した。胡蝶の細かいことまで覚えている性格が、面倒な女みたいで疲れる。


「わかったわかった。怒るな。皺が増えるぞ」

「鳥坂、喧嘩売ってんのかい?」


 鋭い目が鳥坂に向けられる。両手を上げて降伏のポーズを取ったが、胡蝶は何事もなかったように話題を変え始めた。


「それにしてもマリアちゃん。何があったんだろうね」

「さあな。興味ねえよ」

「あんなに可愛いのに、自分で汚すなんて……不幸って何かしら」

「施設にいるんだ。親が死んだことじゃないのか? ま、御木ってババアは、あの餓鬼のことを昔から知ってるみたいだけどさ」

「え?」

「『昔は』って言ってただろう? と言うことは、もともとこの付近に住んでいたのか、親が知り合いだったかだろ」


 胡蝶が目を見開きながら驚いていた。


「なんだよ」

「あんた頭いいね。もっと馬鹿だと思ってたわ」 

「この業界、馬鹿の方がいいんだよ」


 胡蝶は確かにそうかもね、と言いながら小さく笑った。

 公園に差し掛かると、胡蝶は水曜日だよと半ば脅す様に念を押し、二人は別れた。




 胡蝶の店に来る客は様々だった。治安がいい場所だったので、客の質も悪くはない。

 十八時半頃に看板の明りを点けるが、客が入りだすのは十九時以降。その間は煙草を蒸かせながら読書やニュースで時間を潰している。

 この日はテレビもラジオも点けず、吐いては宙に溶け込んでいく煙草の煙を、マリアのことを考えながらぼんやりと眺めていた。

 どんな経緯で施設に身を置く羽目になったのか、気になって仕方がなかった。

 確かに鳥坂が口にした、両親が亡くなったと思うのが妥当だろう。

 しかしあれだけの見栄えであれば、喜んで引き受ける親族もいたのではないだろうか。それとも天涯孤独になったのか。


 勝手にマリアの心情を想い図って、胸を鷲掴みされたように痛んだ。

 そういえば、マリアの名字を聞いてないと気付いたが、園に今さら聞くのも怪しまれるだろう。

 ふとカウンターの端に設置してあるパソコンが目に付き、電源を入れてみた。

 パソコンには簡単な売上の集計と、界隈の飲食店からつくる寄り合いで使うワードが入っているだけではあったが、インターネットは繋げていた。


 胡蝶は鳥坂の予想通りで、元々この近隣住人であれば、名前だけでも何かしらの情報がでてくるのではと考えたのだ。

 都道府県とマリアと打ち込むと、何千と関連する結果が表示された。そこから事件、事故と加えていく。

 見だし部分を流しながら読みすすめると、最後の行に全国版の新聞名と隣町である典布つねふ市の名前が出てきた。

 記事をクリックすると、白い洋風の住宅の写真とその横に太文字で『実業家惨殺』と見出しが書かれていた。


 日付は今から一年半ほど前で、実業家の御厨省吾みくりやしょうご三十三歳とその妻由利子が自宅で殺害されており、当時八歳だった娘のマリアは無傷で保護されたとあった。室内は荒らされた様子はなく、怨恨による殺人の疑いで捜査が行われた。


 記事には簡単な説明しか書かれていなかった。

 胡蝶は、御厨省吾で検索をかけてみた。だがそれらしい記事は見つかるが、詳しい内容までは書かれておらず、似たようなものばかりだった。

 ある掲示板に噂と言う形で書きこまれた情報があった。それは御厨夫妻の遺体は、人が手を下したものとは思えないほど酷かったらしい。


 両親が殺され、それをもし目の当たりにしていたのであれば、マリアの現状は致しかたがないだろう。だが……そこで胡蝶の思考は止まった。

 発声できなくなる理由にはなるが、自身を汚すという行動は何を表しているのか。犯人を目撃したからといって、そこまで子供が考えて行動するだろうか。

 胡蝶は吸い込んだ煙草を、大きく吐き出した。煙は勢いよくカウンターを通り越して、細くなって消えていった。消えた先にある入口が開くと、この日の一番客が店に入って来た。


「胡蝶ママ、いつもの頼むよ」


 サラリーマンの男は、細身の光沢のあるグレーのスーツに薄いピンクのネクタイを締めた、三十五歳前後の妻子持ちの客だった。銀行で働いていて、数年前にこの付近で家を買った佐藤雄介さとうゆうすけという客だ。


「あら雄ちゃん。今日は早いじゃないかい」

「ノー残業デーでね」


 老婆心に早く家に帰った方がいいのではと思ったが、人それぞれ何かを持っているものだ。

 客が話せば、差し出された話題にに乗ればいいし、無言であれば無理に話しかけない。話しかける時は、客から何かを吐き出したいと雰囲気が出ているから、世間話から始めて相手の出方を待つ。それが胡蝶のスタイルだ。

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