第16話
原形をとどめない記憶をたどっていた鳥坂の耳に、スマホの呼び出し音が響き、現実に連れ戻された。
電話には下四桁が一二三四となっており、登録もされていない。珍しい番号だと思いつつ出てみた。
「鳥坂さんでしょうか?」
「ええ」
「警察署の者です。昨夜の子供ですが、施設の方が迎えに行かれるとのことなんですが、連絡先を教えられないので、そちらから電話してもらえますか?」
警官の声色は、自分達が介入せずに当人同士でと投げやりのように聞こえた。だが昨晩のやり取りを考えると、今更怒っても仕方がない。
先方の連絡先を聞くと電話を切り、控えた番号をタップした。
マリアは鳥坂を見つめ、事の成り行きを伺っている。目が合った鳥坂は反らせずに、吸い込まれそうな緑の瞳に囚われた。
相手が出ると、金縛りがみたいに顔を動かせた。
「はい。聖アレルヤでございます」
年配の女性だろうか。落ちつたいゆったりとした口調だ。
「鳥坂と申します」
「ああ! 大変申し訳ございませんでした。うちで預かっている子を保護して頂き、まして宿泊までさせていただきまして」
「今度からは、首に縄でもお願いします」
「申し訳ありません。厳重に注意をいたしますので。ではこれから鳥坂さんの家まで、お伺いしても?」
「お」
お願いします、と言おうとしたところで、携帯が鳥坂の手から飛び出したかのようになくなった。
「もしもしお電話代わりました。マリアちゃん、そちらまで送り届けますので。ええ、はい。存じております。はいでは。のちほど」
「おい! 胡蝶!」
「朝から五月蝿い男だね全く。散歩がてらいいじゃないか。たまには健康なことでもおし。さあ片づけしたら帰りましょうね」
マリアは俯いている。鳥坂は嫌な予感がした。
「暇な時は遊びに行ってやるから。でも今ここで駄々を捏ねたら、今生の別れだ」
マリアはボードに大きく本当? と書き見せてきた。
「ああ、嘘は言わない」
常に無表情のマリアの口元が少し緩んだような気がした。
「さて、お散歩に行きましょうか」
胡蝶は軽い足取りで食器を持って行った。
外は朗らかな日差しと、時折吹く風がマリアの髪を靡かせ輝かせていた。
昨晩と同じ立ち位置で歩いている三人を、すれ違う人が興味深そうに視線を投げかけてくるのを何度も感じた。
三人は公園の柵を曲がり、そのまま直進しながら住宅街を進んだ。
「なあ胡蝶。こんな所にあるのか?」
「あるに決まっているでしょ。もう少しで着くわよ」
二本目の筋を曲がると、車の走る音が風にとって聞こえてきた。どうやらもう少し先に行けば、少し広めの道路があるらしい。
「着いたわよ」
目の前には学校の校門程の幅に、洋館でよく見るアーチ状の鉄門があった。門には薔薇と中央に十字架の装飾がなされている。
敷地内は広いのだろうか。木が生い茂りその先に、三角屋根に十字架がある建物が見えた。十字架の大きさからして、それほど大きなものではないようだ。その横には小さな通用門とインターホンがあった。
胡蝶は躊躇いなくボタンを押した。
「はい」
「鳥坂です」
「ああ! 少々お待ち下さい」
「おい、何で勝手に俺の名前を言うんだ」
「だって保護したのはあんた。私は付き添い。代表者の名前を言うのが当たり前じゃないか」
胡蝶はツンと前を向くと、掌で襟足を整える素振りを見せた。
鳥坂は、誰に色目を使う気なんだと脱力したが、口には出さなかった。
立ち並ぶ木の間から、以前公園で見た格好をした五十代ほどの女性が小走りでやって来ると、小さな通用門の鍵を開け中に促された。
シスターはマリアを見て驚いた顔を見せたが直ぐに「副園長室へご案内いたしますので」と歩きだした。
三人は出向かてくれたシスターの後ろを、無言のまま従いて行った。
中に入るとタイルが敷き詰められ、両脇は大きな木が数本づつ植えられている。緩いカーブの先に、白い壁の平屋のような建物が見えてきた。
木目調の観音開きの扉から、スリッパに履き替えて廊下を進んでいく。両脇に部屋があり、突き当たりにある扉をシスターがノックした。
「鳥坂様がお見えになりました」
「どうぞ」
部屋の中央には応接セットがあり、奥の正面には、立派な何代にも渡って使って来たのだろうと思わせる木の机が置かれていた。
年代もの机に、眼鏡をかけた年代モノの小柄な女性が座っていて、机の大きさが際立っていた。
副園長は、慌てて立ち上がり三人の元へとやって来た。
「マリアちゃん! ……あ、申し訳ありません。この度は、大変ご迷惑をお掛けしまして」
深々と頭を下げられ戸惑っていた鳥坂と反対に、胡蝶は滑らかに挨拶を返していた。
「さあ、こちらにお掛け下さい」
こげ茶色の張りのあるソファは硬くも柔らかくもなく、座ってほど良い場所にテーブルが来るようになっていた。
安積の事務所にあったソファは、床にこのまま着くのではないかと感じるどに沈むから、これくらいの硬さのものにすればいいのにと鳥坂は思った。
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