第14話

 リビングに戻ってソファに体を預けた。反発しながら沈む体が気持ちよかった。目を閉じると、薄い皮膚を通って部屋の明かりが薄らと見える気がした。

 鳥坂は歩きながら話していた内容を振り返ってみた。

 マリアが孤児院、施設で住んでいること。場所はここからそれほど遠くない距離にあること。施設の付近には高所得者の住まいが多いこと。


 話からしていい額の寄付金を貰っているのだろうと推測はできる。寄付金が正当に使われているかどうかを対外的に示すためにも、子供の身なりはそれほど貧相な恰好をさせていないではと鳥坂は考えた。

 それは胡蝶が口にしていた「しっかりとしている」という言葉からもわかる。

 それなのにマリアだけは薄汚いどころではない。ネグレストをされていると見られても不思議でなはい風貌だ。


 そもそもどうして、マリアが自分に懐いているのか。もしかして何か、同類みたいな匂いでも感じているのか。親がいない点では、確かに共通はしているが、まだ何も、穢れていもいない子供のマリアと鳥坂では、汚れきった汚水と湧き水ほどの違いがある。

 胸を張って言える仕事をしているわけでもない鳥坂になぜ、懐くのか。

 色々と考えたが、聞く方が早いと至った。

 気が付くと、かなり時間が経っていると気が付いた鳥坂は、脱衣場へ向かった。

 中からは胡蝶が一人で「まあっ!」や「もう、なんで」など一人でぶつくさと怒っている声が聞こえてきた。

 深夜の風呂場からオカマ言葉が聞こえてくるのは気味が悪かった。


「おい、変なことをしているじゃないだろうな?」

「失礼ね! もう大変なのよこの子ったら。なんで……もう! もう直ぐ終わるから、上がったら話すわ」


 もうす直ぐ終わると言われた鳥坂は、冷蔵庫から缶ビールを取り出し、ソファで待機する。

 風呂から出てきたのか、変わらず胡蝶の独り言が聞こえてきた。でもそこには子供に対する甘やかすような優しさが混ざっている。

 いつも静かな部屋が知らない賑やかさで彩られた。

 胡蝶がマリアの頭をタオルで拭きながらリビングに入って来た。


「本当、驚いたわ。この子」


 マリアは、鳥坂のシャツを着ているがサイズがかなり大きためにロングワンピースのようになり、袖は何重にも折られている。鳥坂ならそこまで気が回らなかっただろう。


「驚かないでよ」


 胡蝶は鼻の穴を膨らませて、マリアの頭からタオルを取った。

 そこには栗色に近い髪に、くるりと大きな深い緑色をした瞳。長い睫毛は綺麗に上にカールをしている。鼻筋もすっと通り綺麗な形をしていた。

 どう見ても日本人以外の血が混じっているのは明らかだった。


「胡蝶、こいつは誰だ? 何をしたんだ?」

「何もしちゃいないわよ。髪は何かで自分で黒くしていたみたいで、シャワーを掛け


たら黒いお湯になるから驚いたわよ。肌も泥だらけだったみたいで、タオルが茶色くなったのよ。こんなに美少女なのに」

 胡蝶が、誇大な表現をしている訳ではない。

 本当に西洋人形のように愛くるしい容姿をしている。成長すれば誰もが振り返る美人になると、容易に想像できた。

 鳥坂はマリアの前に立ち、間近で凝視した。鳥坂はマリアの小さな頭を、たわしでこするみたいに撫でる。


「このほうがいいじゃないか。ま、この見てくれなら家に上げてもいいな」

「ちょっと鳥坂。変態みたいな言い方よ」

「止めてくれ。ちびに興味はねえよ」


 風呂上がりのマリアからは、シャンプーとボディーソープのいい香りがし、白い滑らかそうな頬も薄桜が咲いたように染めていた。

 そのまま鳥坂は脱衣所に行き、持ってきたボードをマリアに渡すと質問を始めた。


「さてマリア。なんで俺に懐くんだ?」


 鳥坂の代わりにソファに座った胡蝶は、桃色の長襦袢のまま長い髪を丁寧にタオルで拭き、二人のやり取りを横目で観察している。だがマリアは中々、答えようとしない。


「答えられないなら、二度と俺の前に現れるな。迷惑だ」


 ただ理由を聞き出すために、自身の言葉がどう解釈されるかなどこの時は考えていなかった。

 マリアは翡翠を濃くしたような色で、じっと鳥坂を見据えると、ボードに何かを書き始めた。


「他の大人とはちがうように思ったから」


 彼が文字を読み上げる。それにマリアが頷いた。


「それって、理由になるか?」


 胡蝶が口を挟んできた。


「大人にとっては馬鹿らしくても、子供にとっては、立派な理由じゃないかしら。それに……自分自身を汚している状態にも理由はあると思うわ」

「理由ってなんだよ」


 振り返ると胡蝶は両肩をあげ、分からないというポーズをとった。袖が引っ張られマリアを見ると、また何かを書き始めた。


「またあそびに来てもいい?」と書かれている。

「それは断る」


 するとマリアは、がっかりする素振りを見せる訳もなく、鳥坂を凝視してきた。マリアの深い緑色の瞳から、鳥坂は目を反らせなかった。


「鳥坂さっきあんた、『答えられないなら、二度と俺の前に現れるな』って言ったでしょ。マリアちゃんは答えればまた来ていいと解釈したのよ」


 マリアは首を縦に振り、胡蝶の言葉に同調した。


「いや、そんなつもりじゃあ……」

「大人と違って、そのまま言葉を受け取るからね。鳥坂、ちゃんと責任は持ちなさいね。さてマリアちゃん。もう寝ましょうね。ベッド借りるわよ」

「はあ? 俺は何処で寝るんだよ。というか、お前も泊まるのかよ」

「そうよ。狼の家に少女を置き去りにできやしないじゃない。それにあんたにはソファがあるでしょ。じゃ、おやすみ」


 胡蝶はひらひらと手を振りながら、マリアと鳥坂の寝室へと勝手に入って行った。


「何だよ……全く」


 マリアのお陰で時間を削られ、寝る場所まで奪われた鳥坂は、不貞腐れつつもソファに横になると、飲んだ酒も手伝い直ぐに眠りに付くことができた。

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