ロサンゼルスライツ

ロサンゼルスライツ

         


babble


 真神まがみふゆと赤内あかないレルは大学生死亡事件に駆り出されていた。

ちょうどその頃、フーストマンは日本行きの機上にいた。

「帰国直後に死んだっていうんだろ」新聞記者が集まっていた。

「意識不明で運ばれたみたいです」

ふゆは手帖に書き付けている。

「家から?」

「この家からです」

ふゆは巨大なマンション群を見上げた。

「これ家か? どう見ても一つの街・・」

「郊外型ですね。この頃、増えてます。ここのロングイーストにお住まいだったとか」

「一人で?」

「母親とです」

「話、聞けるのか?」

「今は無理みたいです。警察、入ってますから。その母親・・、ルーマニア国籍らしいです」

ふゆは何回か振り返りながら、レルと社に戻った。

男子大学生の名は多栄枝健四郎たえだけんしろう、その母親の名前は雲母きらら、か。ふゆはボールペンの先を舐めた。

レルはデスクの上の片付けをしている。

椅子を滑らせて、ふゆの真横まで来た。

「まだ、思ってます?」

「何が?」

れるはちょっと笑った。

「ふゆさんの、予感ですよ」

「ああ、思ってるよ」

「また、話してくれませんか?」

「初恋の人が現れるってアレだな。不思議だよ、そんな事、急に思い始めたんだ。何かの啓示かな。あれは小学生の頃だった・・」

レルは笑って、椅子を元に戻した。

記事を書いてるかと思ったら、何かテキストに書いている。

「何だ、それ」

「ボールペン字です、習い始めたんですよ」

ふゆはフンと鼻を鳴らした。

「六十の手習いです」

「お前もう60か」

「ええ」

レルは直角にボールペンを持って、姿勢を正している。そのために片付けたのか。

ファックスの音がした。

「俺が取ってくる」ふゆは送られてきた紙を見て何か肯いた。

「健四郎、ただの禁止薬物だ。部屋に置いてあった袋が開いてたんだと」

「どこで手に入れたんでしょうか」レルはまだ手習いをやっている。

ふゆはデスクに着いた。

「外国だろうな。これじゃ警察は国際問題だから簡単に口を開かないよ。サツ回りだな」

「新人の頃、よくやりましたね」

雲母は畳敷きの狭い居間にいた。

声をかけてくる者は誰もない。

このマンションに越してきた時には日本語もまともに話せなかった。

「何で日本に来たの?」

「ルーマニアってどこ?」

答えられないまま近所の奥さんには無視されるようになった。

健四郎に外国旅行を認めたのもそこからだった。日本ではない国を見てほしかった。

ここで健四郎を育てたのだ。

「ケン・・」雲母は開いたままの健四郎の部屋のドアを見て頭を埋めて泣いた。

「何を見ても秘密にしろ」フーストマンは旅行中に知り合った健四郎にそう言った。

健四郎は肯いた。

絶対に成功すると銀行強盗に誘うが断られた。

「君の物語を書きたい」

日本に来たのは健四郎が死んだのを知ったからではない、知っていたのだ。

フーストマンは異能を持っていると自分で思っている。前もって知ることができる。ビジョンが見えるのだ。

翌日の新聞にはストレッチャーに寝かせられて運ばれていく健四郎の写真、あと事件の概要だけ載せられて、禁止薬物のことはまだ伏せられていた。

「どういうドラッグだったんですか、やっぱり外国製ですか?」

「何も教えられないよ」警察には手であしらわれた。

ふゆはため息を吐いて立ち止まった。

通る警察、通る警察に手当たり次第声をかける。

レルはマンションの聞き込みに行ってるはずだ。

レルは近所の部屋に事情を聞きに行ったが、もう他の社に先を越されたみたいで出てくる人、出てくる人はもう取材合戦に飽きていて、「何も知らない」と呆れ顔で言うだけだった。

レルは健四郎と雲母の部屋のドアの前に立った。

インターフォンを押そうかと指を伸ばしたが、それは新聞記者のやる事ではない。

面白い事が一つ分かった。話が逸れた時、話してくれた人がいた。

ここ最近、母親自殺が後を絶たないというのだ。

原因はまだ分からない。ふゆが一つの街と言ったこのマンションではいつでもどこかで水の音がする。

ふゆがマンション前の駅で降りると、外にレルがいた。

「面白い事が・・」二人同時に口にした。

「ふゆさんからどうぞ」

ふゆは手帖を見た。

「あの大学生、母親に手紙を残してたらしい。内容はまだ分かっていないが。あともう一つ、禁止薬物は透明な袋に入ってたがその袋が小麦粉ぐらいでかいんだと」

「私の方も」レルが連れて来たのは線路をまたいだ遮断機も信号もない小さな踏切だった。

「いわゆる勝手踏切だな。生活道だから自分らで開けたんだ、取り壊すわけにもいかないからな」

「そうです。最近もここでお一人・・」

ふゆはレルの話を聞いた。

「母親が自殺を取る原因、ね・・」

それとは関係なく、ふゆは踏切の前の花に体を傾けた。

「俺は、何かこの事件が全ての始まりだと思えるんだよな」

「何の始まりですか」

「赤ちゃん投げ落とし」

「誰も投げ落とされてませんよ」

「言葉の塔がさ、崩れた時に、人類は言葉が通じなくなった。そこから何か始まってるような気がするんだ」

「ルーマニア国籍の母親は孤立していたらしいです。近所の母親からも詳しい話は聞けませんでした」

勝手踏切の上を警報もなしに電車が通った。

ふゆはその場にしゃがんだ。

「後は薬物の出どころだな」

「健四郎はそんな事をするような子だったんでしょうか。お母さんに手紙を残すくらいなら、」

「それが分からん。誰にも興味ってのがあるからな。やれやれ、」ふゆは立ち上がった。

ジャブジャブと素麵を洗っていた。

「もうすぐ蝉が鳴くね」母が子に言った。

まだ幼い子供は母親の方を見ただけだった。

「ズルル」とすするその音にも水の音があった。

「俺が押してやるよ」ふゆは何の躊躇もなく雲母の部屋のインターフォンを押した。

鍵が開く音がした。

「失礼ですが、お話を伺いたいのですが」

「警察の方、ではないですよね」

「新聞の方です」

「お引き取り下さい」

ドアが閉まりかけた。

「健四郎さんのために、話して下さいませんか」

雲母はドアを開けた。

暗い。明かりがついてないばかりか窓も閉め切られ日の光がこの時間では届かないのか。

シャーシャーと、上の階だろうか水が流れる音がする。

雲母は東アジア系だったが、日本人とも違う。

「椅子の方がいいですか」

見回すと椅子は食卓にしかない。

「畳でいいです」レルは何となく慮った。

雲母は終始、下を向いていた。

「そんな事するような子ではないと」

雲母は肯いた。

「これが私に宛てた手紙です。警察の方が返してくれました」

一枚の紙きれをふゆとレルの膝の前に置いた。

まず、レルが手にした。

「お母さん、ありがとうねありがとうね」としっかりした文字で書かれている。

ふゆにも渡した。ふゆはジッとそれを見つめていた。

レルは少し逡巡した後、雲母に向かって、「男の子は話し方が母親に似る、といいます」と言った。

「似ていますね」

「あの子は煉獄に行った。親より先に死んだ子は・・」

レルが目を移すと、机の前に典礼聖歌集が置いてあった。

ふゆは肯いて、手紙を雲母の前に返した。

「ありがとうございます。お母さんもあの袋には気付かなかったのですね?」

雲母は肯いた。

「ありがとうございます」二度言って、その部屋を後にした。

後ろでチェーンがかかる音がした。

「字、うまくなったか」

「やっぱり走り書きですね」

電車で帰ろうとすると勝手踏切の向こうでパトカーと救急車が止まっている。救急車が何も運ばずに帰っていった。実況見分が始まっている。

あの素麵を茹でていた母親だった。

また一つ花が増える。夏の花が。

ロングイーストでは今日も水の音がする。今日も引っ越しの業者が止まっている。

雲母は真っ赤なチェーンバッグを持って外に出た。

言葉の塔がさ、崩れた時にさ、人は思い出すんだよ。

言葉が音に変わる。

ふゆは駅からでも見える巨大なマンション群を見上げた。


 居酒屋でレルは豚骨をすすり、その隣でふゆは魚の骨を取っていた。

「昨日は本当、頭に来ました」

「何で?」

「あのホームで踏切見て、女子高生たちがヤバイって口々に言ってたじゃないですか。そういうの大人の言う事じゃないと思うんですよね」

「みんな正しい道を求めてる」ふゆはやっとホッケを口に入れた。

「そんな馬鹿じゃないさ」

「んー、でも」

「ベジるか」置かれたチョレギサラダをふゆは二人の前に置いた。

レルは吹き出した。

「明日はマジいい日」

「明日もサツ回りですか」

「そうなるかな。この頃は制服を着崩さないのがハヤってるらしい」

「ずいぶん女子高生事情に詳しいですね」

「新聞に書いてあった。海外では新聞記者にも個性があるらしい」

「その人の色っていうんですか」

「そうだな、あっちではジャーナリストだもんな」

「何かかっこいいですね」

ふゆは肯いた。

「俺たちは骨抜きのジャーナリストだよ」

次の日の朝、ふゆとレルはロングイーストまでの電車に乗っていた。

「夕べのジャーナリストの話の続きなんですけど、グリーンボールとキャベツの違いは?」

電車が揺れる。

「知らねえよ」

「グリーンボールはキャベツの一種です」

「グリーンボール自体、知らねえよ」

「じゃ、ウインナーとソーセージの違いは?」

「ウインナーもソーセージの一種だろ」

「バレましたか」

レルは満足げに窓の外を見た。

二人は健四郎の旅行の詳しい日程を聞きに来たのだ。サツ回りは誰でも嫌がる。

「て、かざしてもいいですか」雲母は真っ赤なチェーンバッグを手に駅の階段の上で、電車にも乗らずに行き交う人々に声をかけていた。皆、気味悪そうに避けていく。

「て、・・」

ふゆとレルだった。雲母は手をひっこめて俯いた。

ふゆは何も見なかったように通り過ぎた。レルも振り返り、ついて来る。

「何されてるんですか、あれ」

「手かざし。宗教だよ」

「話、・・」レルはまた振り返る。

「見てやるな。もう」

ふゆは割り切れない思いを胸にロングイーストまで行った。

「何しに来たんでしょう」

「サツ回りした方がよかったかな」

怪しい外国人が確かに下から雲母と健四郎の部屋の方を見上げている。

「エクスキューズミー」ふゆが声をかけた。

「何かご用ですか」

ふゆとその外国人は英語でやりとりしていた。

ふゆが首をひねって戻って来た。手には開いた手帖を持っているが、何も書き付けていない。

「フーストマン。彼が渡したんだと」

「何を」

「薬物。健四郎は死にましたか、だと」

「近くの首突っ込みたがりじゃないですか」

ふゆは黙った。ボールペンで頭を掻いている。

「こうなる事を知っていた、とも言ってたな」

「えー、何それ」

「もう一度聞いてみるか」

「ふゆさん、英語喋れるんですね」

「新聞記者。それぐらいやれるよ」

「私だけだと思ってた」

フーストマンはまだ何もせずに立っている。

今度はふゆは手帖に書き留めていた。

レルも横に付いて話を聞いた。

「じゃ、あなたが健四郎くんを殺したんだと?」

「こうなる事は前から決まっていました。日本語、ちょっとだけできます」

「いや、英語で」

「邦画研究会で日本語学びました。東京物語、ね。私が日本に来ることも知っていました」

「ビジョン?」レルが聞いた。

「私には見えるんです。未来が。だから彼の話も赤顔をつかまえてにまとめるつもりです。そのために取材に来ました」

ふゆは離れて、ボールペンで頭を掻いた。

「赤顔、日本人のことね」

「どう思います、ふゆさん」後ろからふゆに小声で聞いた。

手帖には何も書かれていない。

ふゆは首を振った。

「サンキュー」レルは言って、ふゆと共にロングイーストの中に入った。

薄暗い死角でレルは様子を窺った。

「まだいますよ」

「放っとけ。超能力ってのはまず外れるんだ」

二人は雲母の部屋の階まで上がると、上から庭を見下ろした。

フーストマンはもういなかった。

「私たちと話しに来たんでしょうか」

「まだ信じてるのか」

マンションの廊下で奥さん達が立ち話をしていた。雲母のことだろうか。

「ちょっとすみませんが・・」ふゆが事情を聞きに行く。

奥さん達はひるんだように黙ってしまった。

レルは雲母の部屋の前にいた。

ふゆは話を聞き出すのがうまい。同じ女同士だと有利になることもあるが、口を噤んでしまうこともよくあることをレルは知っていた。

「昨日、死んだ母親のことだった」

「何ですって」

「幼い子供を残してとか何とか。取れないんだ・・、母親が言ってたらしい」

「取れない?」

もう一回、ふゆは下を見下ろして、手帖に何か書いた。

「ふゆさんも信じてるじゃないですか」

「いや、気になるなと思ってな」

「何か秘密の暴露でもありましたか」

「私について来なさい。人間をとる漁師にしよう。あいつが言ってた」

「聖書の一節ですね」

雲母はまだいるだろうか。

勝手踏切にはピンクのゆりが立ててあった。

「これもキリスト」

聖書によくマリアの象徴として描かれる花だ。

「初恋の人ってこんなきれいでした?」

「今はどうなってるかな」

「ふゆさんもおじさんになりましたからねえ」

勝手踏切を件の女子高生たちが通っていく。頭を色とりどりに染めて、その内の一人がふゆを見て、髪をかき上げた。

「頭では主張してるな」

「カンフレー」女子高生たちがマンション群に向かって去っていく。

「カンフレって?」

「完璧な友達とか、かな? 本物の女子高生には敵いませんね」

「あ!」ふゆは大声を出した。

「フーストマンが禁止薬物のことを知っていたのはなぜだ」

「確か、新聞には載ってませんよね」

二人は急いでロングイーストに走って行った。

「しまった」ふゆはがっくりしている。

「ネットか何かの噂じゃないですか、色んな事言う人いっぱいいるから・・」

「だといいんだが、このマンションまで知ってるとは」

「そんなのネットで調べれば一発で分かりますよ」

駅の夕暮れ。

帰りの電車で二人は女子高生たちに囲まれて立っていた。

「女性蔑視って感じるか」

「そんなのかねてから感じてますよ」

「どんな」

「女性だからって差別されたり、結婚するから重要なポストに入れてくれなかったり」

「そんなのまだいいよ、目に見える。女性蔑視の最たる例は視姦だよ」

「電車の中で・・」

「男は女を見たら考える。裸にしてあれやこれや、男の頭の中はディープフェイクなんだよ」

「ああ、あの顔だけ取り替えて映像処理するやつですよね」

「ポルノ地獄だよ」

二人も降りる駅で女子高生たちも喋りながら降りていく。

「遊びに来たのか。制服のままで」

「あんなにスカート短くして」

「女子高生にも使い分けがあるんだな」ふゆは油のついた顔を覆った。

この街にも一回洗っただけでは取れない汚れがある。

月の波。

無灯の乗用車をパトカーが追いかけていた。

天才は理解されない。フーストマンはホテルで足を伸ばしていた。

「そうだ、車を線路に置いて、逃げるんだ。電車がぶつかるよ。安草(やすくさ)」

ふゆと並んで歩いた魚屋の前を一人で通った時、「あ、ちょっと奥さん」と声をかけられた。

一人にんまりする赤内だった。


dabble


 やる事ないからネットニュースを見てた。

ふゆは何の鳥を見ても、ヒヨドリか? と言う。

「一人で男性血を流し死亡、か」

途中まで読んで、ふゆが出社してきた。

「路上で男性が一人、倒れてたみたいです」

「そんな事件いくらもあるよ」ふゆは新聞紙を置いた。

「俺、結婚するよ」

「えっ、初恋の人とですか」

「そうです」

「おめでとうございます」

レルはまだネットニュースを見ていた。

「ま、まだ出会ってもないんだけどな。それより、今日はサツ回りの一日になりそうだぞ」

「何か分かりましたか」

「雲母が事情聴取された」

ふゆは雲母の方に詰めていて、レルは昨晩、起きた列車衝突事故の方を追っていた。

雲母の方は長引いているのか、なかなか取調室から出てこない。

「フー」

レルが疲れた様子で戻ってきた。

「ディープフェイクらしいです。容疑者は。摘発しようと思って、追いかけてたら見失って、電車と衝突した車だけを発見。それより美術品移送の愚痴をさんざ聞かされました」

「裏でポルノね」

「今夜、100年ぶりくらいに美術館から美術館へ作品が移送されるみたいなんです。こっちにとっては迷惑な話だって」

「で、容疑者の名前は」

「安草」

「今の時代に移送車、強盗する奴はいないだろ。映画じゃあるまいし」

「車を燃やすってアガーサみたいと思いませんか?」

「アガーサ?」

「ほら、あの小説の」

「ああ、あれか。そういえばそうだったな」

「不思議な縁ですねえ」

雲母の方はまだなのか、ふゆは椅子に寄りかかって腕を伸ばした。

「それより、被害者だけ名前が出るのはどうしてなんでしょうね?」ポツリとレルが独言を言った。

フーストマンは移送品を狙っていた。

今夜遅くに通る道を何度となく行き来した。こうなる事は前から知っていた。

警察は安草の件で大わらわになって手薄のはずだ。重大インシデントだもんな。日本人は電車に厳しい。

一番のお宝は最前列にある。油絵だ。フーストマンは下調べもせずにそれを知っている。

雲母が出てきた。

「どうでしたか」

「家に帰らせて」そう言ったきり、雲母は警察車両に送られていった。

「サツ回りってのは結果が出ないから新人に任せられるのかなー」ふゆは不満そうだ。

ジャージャーとロングイーストで水を流して、雲母は皿洗いをしていた。

油汚れが落ちない。

日が差してきた。

いつもこの部屋からは日が横へ暮れてゆく。

この家がいけなかったのだろうか。

買った時はピンク色の壁と積まれた石の駐車場、憧れていたテラス窓。あんなに気に入ってたのに。

雲母は手拭いタオルをグッと手で握ってくちゃくちゃにした。

「美術館に置いてあるのって個人でも買えるんでしょうか」ふゆとレルは昼盛りのロングイーストに来ていた。

もうシャワシャワと蝉が鳴き始めている。

「考えてみたら?」

「出せません」

雲母に今一度、事情を聞きに来たのだがどうやら外れらしかった。

「心理学でも学んでおけばよかったかな」

「どうしてですか」

「子を亡くした母親に事情を聞くなんて」

「そんなのどんな心理学にもありませんよ」

「俺の分かる心理学は、買い物だけが誕生日じゃない、ことだけだな」

事態は刻々と変わる。錯綜してよじれて輪になっているウロボロスだ。

フーストマンが例え異能でも、フーストマンは停めた車の中で職質を受けていた。

「この車はどなたの物ですか?」

「いえ、借りまして」

見回りは前後左右見て、何か書き付けている。

「ちょっと出てきてもらえませんか」

フーストマンは素直に従った。

「外国の方ですよね、こちらには何しに?」

「取材に・・」

「取材? 何の取材ですか?」

「いえ、小説でも書こうかななんて」

「小説?」見回りはいぶかしそうに眉をひそめた。

「どのような小説ですか?」

「あー・・」

見回りが無線機を取った。何か報告している。もう一度、車の後方に回ってじっくり見ている。

「ご面倒ですが、署まで来ていただきます。事情、聞くだけなんで。日本語、お上手ですね」

「ちょっとだけ」フーストマンは指で何かつまむ真似をした。

今も私は視姦されてるのだろうか。

人はこれが今日の運命かと受け止めるほかない。

彼らには寄る辺があるのか。それが漁師という意味なのではないだろうか。

聖書のことを考えるなんて柄でもない。

氷結したような空から残光が降りとどいている。

水の音がどこからかする。

黒い車列が行く。美術品を持って。

朝は遠い。


「ふゆさん、火事です!」

「火事?」

「この近くです」

「え!」

「この近く・・」レルはロングイーストの地図で口を隠した。

ふゆは怒って椅子を戻した。

「放火、だそうです」

二人は焼けあとに立っていた。

「全焼。調べでは、遠江(とおえ)毬(まり)、女子中学生が自宅に放火。家族三人は無事です」

「身柄は?」

「一応、警察」

「行ってみるか」

まだ夜明け、薄紫の雲が漂っている。

「禁止薬物が出たんですか!」

毬からはごく微量の薬物反応が出た。

フーストマンは明け方まで事情を聞かれ、やっと外に出た。

その足でロングイーストまで向かった。

ビジョンが間に合わなかっただけだ。今回は。

フーストマンはスケッチブックにロングイーストを描写した。

飛行機の中で書こうと「赤顔をつかまえて」もスケッチブックに書いた。

「健四郎と同じ薬物ですか」

「そこまでは教えてくれなかった」

二人はロングイーストに来ていた。

「フーストマンも署にいたらしい」

「あの?」

「禁止薬物の話は出なかったかと聞いたが、出なかったと」

レルが自販機で冷やし飴を買ってきた。

「事件を整理しよう。旅行生が死亡、禁止薬物。フーストマンが自供、秘密の暴露。何て言ってたっけ?」

「前もって知る」

「続け様にまるで待ち伏せしたように美術品移送の通りで眠りこけていたところを職質。健四郎と知り合いになっていたとしたら渡すこともできるな」

「安草の件で警護も手薄になっていたとしたら。今回の遠江鞠の事件は自分が職質から早めに逃れるため」

「どれも推測だな」

「考えてみたら、フーストマンの異能は失敗続きですよ。唯一、成功といえるのは健四郎の死亡。あの外人、何をしたかったんでしょうか。袖にされただけなような気がします」

「自分の異能を確かめるため?」

「ンー」と二人が考えている間、ロングイーストでは母親が水の音を聞いていた。

「シーシーできた?」

「うん」

音は変化するだけ。

男の子が出て行ったトイレで母親は小のレバーを押した。

「取れないんだ・・」

雲母は一人の部屋で座っていた。ここから引っ越すつもりだ。

インターフォンが鳴った。

チェーンをかけたままで応対に出た。ふゆとレルだった。

「もう家財道具ないですよ」

ふゆは頭を下げた。

「て、かざしてもいいですか」

雲母はふゆの頭に手かざしした。住所も聞かれずにドアを閉めた。

フーストマンは空港でオレンジを追いかけていく少年、キッドたちの絵を描いていた。

ビジョンが見える。もうすぐ誰かが事情を聞きにくるはずだ。

「やっぱりあの外人か」ふゆは呟いた。

「職質を終えたら帰るって」

「じゃ、国際便だな」

二人はタクシーで空港に向かった。後は経費で落とされるはずだ。

「取材に来たとも言ってたな。あいつもジャーナリストか何かか」

夏の空に北十字が輝いてる。光を落とす。

「最初っから悪い予感がしてたんだよ」

こうなる事は前から分かってた。展望台から見送るしかできなかった。

「失敗続きは俺たちの方じゃないか。あの時、聞いておけば・・」

天才は理解されない。何たる謎か。

「初恋の人は生きてますよ」

げんなりしたふゆを、レルは笑いながらついて来た。

「かくして私の喪失の夢は」

「後で秘密にする」

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