第16話 この中に裏切り者がいます

 その日は突然訪れた。

 少なくともサークルの生徒たちの認識はその通りだった。騒然とした第一講堂──反生徒会サークルの集会場では、絶え間なく怒声と悲鳴が飛び交っている。その一つ一つが交差し、重なり合い、その様相は阿鼻叫喚と形容するのが相応しい物だった。

 赤い腕章を付けた生徒を囲むのは、黒地に金で印字された腕章を付けた生徒達だった。彼らは、生徒会と呼ばれる面々である。

 抵抗するように飛び上がり、腕を振り上げた生徒も、すぐに押さえつけられて。くぐもった呻きをあげる生徒の腕を締め上げながら、生徒会の男は低く唸った。


「風紀委員だ。調査にご協力頂く」




「どうなっている」


 呟き、獅子堂先輩は呆然とスマートフォンを眺める。俺が「どうかしましたか」と尋ねると、困惑の滲んだ表情で眉を寄せた。


「査察という名目で、集会場に風紀委員の押入り調査が入りました」

「…………」

「他の幹部生にも、風紀委員からの召集がかかりました。一体どこから情報が漏れた?」


 腕を組み、考えを巡らせるように視線を彷徨わせる。それを側から見ながら、俺は目を伏せた。口を開いて、


「獅子堂修か」


旧校舎の一室。寂漠とした空間に響いた鋭い声音に、俺たちは振り返った。


「……風紀委員」


苦虫を噛み潰したような表情で、先輩が低く唸る。そこに立っていたのは、いつぞやのクソ眼鏡先輩である。俺を騙し、青龍寮の庭に小一時間放置した。確か名前を、鷲尾と言ったか。財布がマジックテープな人。

 鷲尾先輩は涼しげな目で俺を一瞥し、折り目正しい足音を響かせながらこちらへと歩み寄ってくる。獅子堂先輩の前で立ち止まり、銀縁眼鏡のブリッジを押し上げた。


「君たちには、危険思想喧伝の嫌疑が掛かっている。学校秩序の維持、ひいては生徒の安全のため、調査にご協力頂きたい」

「危険思想?」

「ご協力頂きたい」


 抑揚のない事務的な声に、獅子堂先輩は皮肉げな笑みを浮かべる。


「我々の活動は非公式とはいえ、世間一般に言う思想・良心の自由の範疇だと思いますが。それともあなた方の仰る『危険思想』とは、生徒会にとって都合の悪い思想、という意味でしょうか?参りましたね。でしたら俺たちのそれは確かに危険思想なのかもしれない」

「訂正が2つ。1つ、君たちの考える『危険思想』と我々の認識には、ほぼ差異は無い。2つ、その思想を言論ではなく暴力に訴えた時点で、君たちはこの学園の秩序を乱す危険因子だ。君に倣い世間一般の枠に当て嵌めるのなら、テロリストと呼称される物だろう」

「暴力……?」


 眉を顰めた獅子堂先輩に、鷲尾先輩は僅かに首を傾ける。


「斎藤佑樹」


 その名前は、俺には聞き覚えのない物だった。けれど獅子堂先輩の表情を見るに、想像に難くない。それは彼が以前語った『友人』の名前なのだろう。


「彼がこのサークルと密接な関係であった事実が報告された。彼は生徒会支援者に対する暴力を以て、自らの思想の正当性を主張した」


 光の無い黒目が見開かれる。

 そして、愕然とした表情で俺を見て。


「…………君ですか」

「………………」


 怨嗟の籠った低い声を、凪いだ気持ちのまま受け流す。もしかしなくてもそれを明かしたのは、俺に対してだけだったのかな。


「あなたはご友人の事を、『愚直で、人の善性なんて物を信じ込んでいた』と嘆かれていましたが。俺に言わせればあなたも充分お人好しです」


 こちらに身を乗り出した獅子堂先輩を、鷲尾先輩がすかさず取り押さえる。鋭い目は、「余計な挑発をするな」とでも言いたげな物で。


 視線を逸らし、その抗議に気付かないふりをする。

「得体の知れない部外者を信用するなんて、ちょっと無防備が過ぎますよね」

「…………幹部生の素性を明かした事は無いはずですが?」

「ああ、簡単。秘匿だなんだとは言っていたけれど、所詮は組織。ある程度大規模で指揮系統が存在する以上、下から辿っていけば自ずと上には辿り着きます。調べようと言う意志と執念。あとは少しの器用ささえ有れば、誰にでもすぐ調べはつく」


 ここにきて初めて、先輩の相貌が驚愕に歪む。俺のようなチャランポランに良いように売られたとなれば、その表情も納得のいく物だ。


「君はそれなりに心を許してくれていると思っていた」

「何を以て?」

「君は反抗する素振りを全く見せなかった。気付いていましたか?俺以外にも、君を監視している人間が必ず居た」

「…………」

「ああ、成る程。道化は俺の方でしたか。あれだけの監視の目に晒されながら、どうやって生徒会に協力を仰いだのやら」

「チャンスはいくらでもあったでしょう?なんせ俺の役割は生徒会の偵察だったんだから」 

「百も承知です。だからこそ、賊心の兆しを見逃すほど、生温い監視でもなかった」


 尚も食い下がってくる先輩に、焦燥すら覚える。鷲尾先輩、超睨んでるし。なぜそうも詳細を知りたがるのだろう。そんなことを知ったって、今の彼には何も変えられやしないのに。


「連絡を取ったのは1ヶ月前。あなた方に接触された次の日です」


 何も変わらないのなら、種明かしくらいはしても構わないかなと思った。餞別だ。決して、先輩の滲ませた哀愁に心動かされたとかではない。


「蛇穴が必ず訪れる場所を知っていたので、読書やらピクニックやらに勤しむ体でそこにメッセージを残しました。『そちらの条件を呑むので、所定のサークルを摘発してほしい。連絡はまた追って蛇穴を通して行う』。内容はこんなものだったと思います」


 その時の屈辱がぶり返してきて、口端に皺が寄る。あの兄の白々しい笑みが、目前に浮かぶようだった。


「そして最後にして2回目の連絡が、先日。あなたと別れたあとすぐ。蛇穴に絡まれたあの時です。あなたの話してくれた事実と一緒に、摘発の実行を要請しました」

「あの時に、ですか?」

「気付かなかったでしょう。あいつの名演技に救われました」

「『演技』……?」


 復唱する先輩。その皮肉げな──天下の阿保でも嘲るような口調が気になった。


「あなたには彼のあれが、演技に見えたのですか?」

「…………?」


 何を言っているのかわからない。

 眉を顰めれば、先輩は嘲笑を消し、どこか呆れたような目で被りを振った。「はい、わかりました」と畳み掛ける表情は、この話題についてはもはや触れたくもないと言った様子だった。


「…………では最後に。きみは何故、今更斎藤の名を引っ張り出して摘発をしたんですか?それほどの執念があれば、もっと強力で刺激的なネタを掴むことができたでしょう」

「勿論、あなたへの嫌がらせです」

「それだけですか?」

「はい、それだけです」


 言い切って、「もう良いですか?」と、できるだけ丁寧に尋ねる。獅子堂先輩は答えてくれなかった。


「引き留めちゃってすみません、鷲尾先輩」


 少しだけ虚しい気持ちになったので、標的を変えて連行を促す。鷲尾先輩は露骨に不愉快そうな表情をして、捕縛した男の腕を引っ張った。


「残念です」


 やっと獅子堂先輩が口を開いたのは、教室の敷居を跨いだ時だった。


「俺は君が嫌いではなかった。友情を重んじる人間は好ましいですから。けれど買い被りだったらしい。こうも容易く友人を裏切るとは」

「人の善性を宛てにしすぎです。厚かましいですね」


 失望に濡れた目でこちらを見てくる先輩を、冷ややかに見返す。くれてやる言葉などこれ以上存在しなかった。


「お世話になりました、獅子堂先輩」


 頭を下げて、鷲尾先輩に引きずられて行く背を見送った。




「犬飼くん、退学になっちゃうの?」


 耳に障る能天気な声だった。窓枠の向こうからヌッと突き出てきたのは、茶色い猫毛が特徴的な女顔である。神出鬼没か?


「蛇穴」

「この前ぶりだねぇ。最近会いにきてくれなくなって、おれ悲しいよ」

「会う必要がなくなったからね」

「都合の良い男じゃん、おれ」


 ……それはそれで素敵…………!と無敵の変態のようなことを言いつつ、蛇穴が窓枠を跨ぐ。室内へと足を踏み入れると同時に、木製の壁と床が、ミシミシと悲鳴をあげた。

ピカピカのスニーカーで床を押さえつけて、俺の首へと腕を回してくる。相変わらず暑苦しいパーソナルスペースだと思った。


「データを人質に取られてたんでしょ?」

「伝手で消してもらった」

「伝手、伝手ねぇ」


 愉快そうに喉を鳴らす。


「それは生徒会(ウチ)の内通者のこと?」


 猫みたいに弧を描いた目が不愉快で、回された手を振り払う。嘆息して、手近な椅子へと腰掛ける。座ってみて気付いたが、これは獅子堂先輩がいつも使っていた椅子だ。


「封筒の内容から見て、この一連の流れを作り出したのはあのクソ兄だ」


 不服そうな顔をした蛇穴を無視。両手の指先を合わせ、親指同士をぐるぐると追いかけっこのように回転させる。


「それならサークルの内部情報──盤面をリアルタイムで探るための内通者がいるのは想像が付く。現にお前は今、犬飼のデータのことを知っていたし」


 態とらしく目を見開き、両手で口を押さえる蛇穴。一挙手一投足がいちいち癪に触る。


「秘密主義のサークルから有意義な情報を得るのなら、ある程度の在籍期間があって──この場合は、そうだな一年くらい。あとは、役職持ちであることが最低条件だ」

「だから幹部を調べる必要があったわけだね」

「そう。それでいて条件に合致する生徒は、ええと」

「9人」

「……取り繕わなくなったね」

「必要無くなったもの、口滑らしちゃったし」

「それで見つからなかったら、条件を緩くしてまた候補者を絞り込むつもりだった」


 テンポ良く進む会話に、ストレスはない。いつもこんなふうに喋ってくれたら良いのにと思う。こいつは無駄に言葉遊びを好むぶん、しばしば物分かりの悪いフリをする。


「で、候補全員に声かけたわけ?『助けてください』って」

「まさか」


 目を細める。

 赤銅色の瞳もまた、僅かに細められる。俺がこれ以上話すつもりがない事を理解したのだろう。暫し沈思黙考して、「ああ」と間延びした声を上げた。


「そのために、あの獅子堂先輩に大人しく付き従ってたんだぁ」

「その言い方やめてくれる?」

「仕返し!こっちは嫉妬で狂っちゃいそうだったんだからね?」


 頬を膨らませた蛇穴は、女顔に拍車がかかって最早子供のようだ。ボディビルダーの頭部を、そのままリカちゃん人形のそれに挿げ替えたような気持ち悪さがある。「キショ」と呻くと、蛇穴は飛び上がって「ひどい!」と喜んだ。

 そのまま椅子に座り、半分ほど傷んだ机へと上躯を任せる。ガッタンガッタンと楽しげに椅子を鳴らして、「じゃあ、答え合わせね」と俺の相貌を指差した。


「おきくんは、情報を符号がわりにした」


 頬杖をつき、ニコニコと笑う蛇穴を見返す。


「例えば9パターンの日時で、候補者にそれぞれおきくんと先輩の会合の情報をそれとなく漏らして?誰かが聞き耳を立てに現れたその情報が、そのまま内通者に結びつく」


 ……上層部で公的にやり取りされる情報ならば、収集には内通者1人で事足りる。加えて、そう言った情報は複数人で共有されるのが常である。絞り込みには向かない。

 しかし、プライベートで、かつ機密性の高い物ならば、そうはいかない。対象に顔が割れている人間が、対象の会合場所で聞き耳を立てたり、裏取を行うリスクはあまりにも大きいからだ。

 必然的に、内通者と実働隊は往々にして別人になる。

 蛇穴は9パターンの日時と仮定したが。実際は昼食の時間帯、ルーティンから外れるような『9つの我儘』を、獅子堂先輩に呑ませつつ、候補者それぞれの前で漏らしただけだ。結果、8回の試行に反応は見られなかったが、1回だけ、急遽の予定変更にも関わらず監視が付いてきた時があった。

 時間も手間もかかる小細工だったが、こうして1ヶ月にも及ぶ苦労が報われたのだから御の字である。

 特に訂正が無いのを、肯定だと捉えたのだろう。蛇穴は自らの前で手を組んで、切なげに口を開いた。


「そして炙り出した内通者に頼むわけだ。『生徒会の〇〇さん、あなたの身の安全と引き換えに、お願いがあるんですけど』って具合に」


 正確には、素性をサークルに秘匿しておくという交換条件で。サークルからの報復も怖いところだが、内通者にとって最も恐れるべくは会長の──兄の存在だろう。兄は無慈悲だ。使えない駒を容赦なく切り捨てる。無能な味方は役に立たないどころか多大な損害を齎すと言うのが、あの冷血漢の信条であるからして。

 自らの胸に支える不快感に、ほぼ無意識に椅子の脚を引っ掻く。損なうだけの矜持も無ければ、取り返しが付かないほどの失敗があったわけでもない。目的は最低限達した。ただ問題なのは、それを看破したのがこの男だと言う事で。

 俺の心中を知ってか知らずか、蛇穴は人懐こい笑みを浮かべる。目と口が同時に弧を描く、態とらしい作り笑いだ。


「そーんな面倒くさいことしなくても、俺に言ってくれれば、内通者のリストでも何でもあげたのに」


 整えられた指先に、額を弾かれる。


「……生徒会に借りを作るわけには行かなかった」

「生徒会へのじゃなくて、おれ個人への借りだよ?」

「もっと怖いでしょ、そんなの……」


 言えば、ひどーい!と舐め腐ったような声が上がる。オーバーなお道化は、言うなれば嵐の前の静けさだ。

 案の定、「あれぇ」と低く落とされた言葉に、肩が強張る。


「でも、おかしいなぁ。なら、今おきくんが生徒会を使ってサークルを突き回してるのは、矛盾しているよね。どうしてだろう」


 背に嫌な汗が滲む。動揺を悟られぬように、努めて冷静な声を出す。


「あんなサド野郎が先導する集団に、急所を知られたんだよ?なりふりかまってられないでしょ」

「犬飼くんが人質にされたこと、ちょー怒ってんじゃん」

「……怖いだけだよ」

「だから徹底的に叩き潰す?二度と手出してこないように」


 露悪的な言いようには物申したいが、それで納得してくれるのなら万々歳だった。小さく顎を引く。

 赤色の虹彩に一瞬、寒気がするほどに透徹した光が宿った。やや於いて、「嘘だね」と断言した口調には、こちらを一瞬で諦観に突き落とすような響きが伴っている。


「怒ってるのも、サークルに対する敵対心も本当だけど、本質はそこじゃない。なんなら生徒会に入る気もサラサラない」

「…………」

「だから生徒会への借りは、1つじゃないといけない」


 見透かされている。

 最早、臓腑に氷塊でも押し付けられたような心地だった。今すべきは、この男をどうやって煙に巻き、あるいは丸め込むかを必死に考えること。理解しているのに、うまく思考が回らない。

 生徒会に『それ』が露見した時点で、半分敗北が決定するような物なのに。

 短いようで、永遠にも感じられるような沈黙。

 得体が知れない、底が知れない、あまりに多面的。何を考え、どこまで知っていて、どう動くのかが全く予想できない。この男と会話するときには、そんな、大自然を前にしたような緊張感が常に付き纏う。気まぐれに救いの手を差し伸べ、前触れもなく牙を剥くような。

 沈黙の末に蛇穴は、相貌をゆっくりと軽薄な笑みの形に歪ませた。


「でもまあ、いいよ。黙っててあげる!そっちのが俺は嬉しいしね」


 見逃された。

 俺の脳内を占めるのは、その一言で。無遠慮に頬に伸ばされた手にすら、碌に反応する事ができなかった。


「言ったでしょう。おれ、ほしいものは独占したい質だから」


 遅れて頬に伝わってくる体温は、焼けるほどに熱い。俺の血の気が引いているからだ。首すら碌に動かせない状態で、頬に添えられた手へと視線を遣る。

 ふふ、と吐息混じりに漏らされた笑み聲は、妙に蠱惑的で。


「おさがりも共用も耐えられない!」


悍ましい信条を叫び、肩を抱いて笑う。悪魔が実在したのならこんな感じなのではないかと思った。そしていま俺は、その悪魔みたいな男の情けに縋るほか無いのだ。

 眼前に際限なく広がる暗い道は、絶望で舗装されているように見えた。

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