第14話 箸休め 推理ゲームの時間
*この話には、アガサ・クリスティ著『そして誰もいなくなった』の致命的なネタバレが含まれます。ご了承下さい。
犬飼は走っていた。友人を取り戻すためである。
「待っていろ」と言われたので大人しく待っていたが、友人を引っ張って行ったのは忌わしい天敵だった。15分経って戻ってこなければ、探しに行こうと決めていた。だが、校舎内のどの教室にも友人は居なかった。よって、高台を目指す。すなわち屋上だ。
余談ではあるが、犬飼の視力は裸眼で両目8.0である。マサイ族と同様に、5km先のシマウマの縞模様を数えることができた。学内を見渡し、馴染みの背を見つけるのは雑作もない事だろう。
完璧なフォームのまま真顔で駆けていく美丈夫は、さながらサラブレッド。イヌカイバクシンオーだった。廊下の生徒たちは、引き攣った表情で誰もが道を開けた。減速すらせず、カーブに差し掛かる。
刹那。
「わぎゃ!」
衝突の後、後ろにひっくり返る男子生徒。犬飼はそれをハードル飛びの要領で飛び越え、そのまま13段の階段を飛び降りた。体幹に一切ブレがない。踊り場で着地する。
「すまない、怪我はないか」
振り返り、階段を1段飛ばしで登る。
黒髪の青年だった。陶器のような白肌に、大きいと言うよりは細長いと形容するのが適切な体躯。総じて虚弱な印象を与える青年は、目を閉じている今、完全に死人の風態をしていた。
犬飼は困ったように腕を組む。テキスト上の難問に向き合う時と同じ表情だった。
一年前の自分ならば迷わず捨て置いただろうが、それが「良くないこと」であるのを知識として知っている。頭の中で、友人が「医療的措置が必要だ!」と叫んだので、その肢体を米俵のように担ぐ。「人体は脆い!」とまた友人が叫んだので、素直に姫抱きに持ち直した。
保健医に任せて先を急ぐつもりだったが、保健医が留守だった。犬飼の眉根が頼りなく下がる。
青年をベッドに寝かせ、その呼吸と脈拍を調べた。異常がない事を確かめて、保健室の角に備え付けられている冷蔵庫から氷を取り出す。氷嚢に入れたそれを青年の額と頸部に置いて、保健医を呼ぶべく青年に背を向けた。ここまでで1分。犬飼は兎に角急がねばならなかった。
「はっ、僕はなにを」
しかしそれは叶わない。覚醒した青年がガバリと上体を起こしたからだ。氷嚢がポトリと落ちる。気付かないふりをして教室を出ようとした犬飼の足に、青年がおよそ人体構造的にあり得ない挙動で巻き付いた。
「なんて動きをするんだ」
「逃げるつもりだったろう!僕は許さないからね、なぜなら轢き逃げは断じて許されてはいけないから!そうだろう!?」
「その通りだ。保健医を呼んでくるつもりだった」
「ほんとかなぁ」
抵抗を止めた犬飼に、青年も幾分か落ち着きを取り戻す。眠そうな鳶色の瞳で、ボンヤリと犬飼を観察した。
「ふぅん、へぇ、ははーん」
「…………」
「嘘は吐いてないみたいだね。良いよ、貸しひとつで水に流してあげる」
片眉を吊り上げて、氷嚢を拾い上げる。それをパンパンと払って、再び自らの頸部に当てた。
「恩に着る」
「待って待って、どこ行くのさ」
「すぐに保健医を呼んでくる」
「治療はもう良いよ。それより、僕は君に興味が湧いた。ええと、」
「犬飼だ。すまないが先を急いでいるんだ。また後日改めて謝罪するから、今は────、」
犬飼の手首を、死人のように冷たい指がつかんだ。犬飼の目が、僅かに痙攣する。何か言いたげに青年をまじまじと見返した。
「負債はできるだけ早く返済した方が良い」
顎を引いた青年の瞳が、光を反射して赤らむ。何処か含みのある笑み顔に、犬飼はゆっくりと瞬きした。
「今から出す問題は大体がフィクションだから安心してね」
ベッドから上躯を起こした状態で、青年は機嫌良く言う。
「これから殺人事件の被害者リストを提示するので、次の被害者の特徴を推測してね。ミッシングリンクってやつだ」
犬飼はベッドの脇に置かれたパイプ椅子に腰掛けたまま、小首を傾げた。
「負債は早く返済するべきだ」と。そう言って青年は、返済条件として所謂推理ゲームを持ち掛けた。妙に弁が立つ青年に、犬飼はあれよあれよと丸め込まれてしまったわけだが。
「はい、犬飼くん早かった」
おずと手を挙げた犬飼を、青年は指名する。「質問して良いだろうか」と尋ねる言葉を、「いくらでもどうぞ」と肯んずる。
「その……『みっしんぐりんく』とは、何だ」
「ある一つの目的の元に行われる、一見無関係に見える複数の事件。その見えない共通点に対する呼称だね」
「ふむ」
「君が最近読んだのでは、たとえば『abc殺人事件』や『ホッグ殺人事件』が有名な例だね」
つるりと言ってのけた青年に、犬飼がきょとと目を瞬かせる。言わんとすることを察して、青年は面白そうにくすくす笑った。
「ごめんね、実は僕君のこと一方的に知ってたんだ。図書館の貸し出し履歴でよく見る名前で」
「なるほど」
「不満そうな顔だね」
「そうか?いや……俺だけ一方的に知られているようで何だか……」
「ふむ、確かに不公平だ。そういえば僕は君に名乗ってすらいなかった」
顎先を指で擦りながら、青年は斜め上を一瞥する。少しだけ迷うような素振りをして、細い前髪を軽く整えた。
「僕は2年生の秋谷。遅ればせながらよろしくね、犬飼くん」
人好きするような笑みで小首を傾げ、「さて」と言葉を継ぐ。「先輩だったのかすか」と妙な敬語を使おうとする犬飼を、「タメで良いよ」と嗜めた。
「本題に戻ろう。推測してもらうのは、具体的には次の被害者の『性別』、『職業』、『死因』の3つだ」
「……俺はこう言う知恵比べのような物は得意じゃないぞ、先輩」
「大丈夫大丈夫、きっと簡単だから。僕が保証する」
右目を瞑って、秋谷は「メモを準備したまえ」と言った。犬飼が慣れない手つきでスマートフォンを取り出すのを見守りながら、口を開いた。
被害者一覧
1人目
性別:男性 年齢:19 職業:大学生
死因:致死量のシアン化カリウムの摂取による中毒死
2人目
性別:女性 年齢:37 職業:ハウスキーパー
死因:睡眠薬の過剰摂取による中毒死
3人目
性別:男性 年齢:67 職業:元自衛官(退職済み)
死因:頭部外傷による損傷死
4人目
性別:男性 年齢:43 職業:ハウスキーパー
死因:頸部を刺されたことによる出血性ショック死
5人目
性別:女性 年齢:31 職業:専業主婦
死因:毒物の注入により引き起こされた呼吸困難、窒息死
6人目
性別:男性 年齢:41 職業:医師
死因:溺死
7人目
性別:男性 年齢:47 職業:探偵
死因:頭部が潰れて圧死
8人目
性別:男性 年齢:29 職業:自衛官(陸)
死因:胸部を撃たれたことによる出血性ショック死
「以上だよ。推測される次の被害者の性別、職業、死因は?」
多いようで少ない情報量に、犬飼は目を白黒させる。難しい表情でメモと睨めっこして、「お手上げだ」
と言った。早々に匙を投げようとする犬飼を、「待って待って」と秋谷は慌てて引き留めた。
「質問はいくらでも受け付けるから!」
「問題に関しても質問して良いのか」
「うん。でも、『次の被害者の死因は?』とか言う身も蓋もないのはナシだからね」
釘を刺しつつ、一応腰を据えて問題に向き合い始めた犬飼に胸を撫で下ろす。「では、質問だ」と言う言葉に、嬉しそうに顔を上げた。
「8人に直接的な関係性はあったか?」
「いいや。全員面識は無い」
「居住地が同じ人間は?」
「居ない。現場も、北海道、東北、関東、中部、近畿、中国、四国、九州でそれぞれ起きてる」
「不自然なほどに分散してるな」
「でもまあ、現場は関係ないからあまり考えなくて良いよ」
「そうか」
「素直だね。気にならない?」
「気にはなる。だが出題者がそう言うのなら考える必要は無いだろう。……ところで、本当に推測するのは性別と職業、死因の3つだけで良いのか」
「うん。そうだけど、どうして?」
「被害者の年齢が全て素数だ」
「わお、すごい偶然。でもこれにも特に意味はないよ」
「…………」
テンポ良く問答を重ねて、犬飼は黙り込む。目の前の男の、出題者としての手腕に疑念を持つような目をしている。秋谷は秋谷で、その不満げな視線を平べったい目で見返した。
「なぁに。言いたい事があるのかな?」
「ノイズが多すぎる。出題内容外ならともかく、出題内容にまで事件に関係ない共通点を作るべきじゃない」
「ごめんって。でもそこのところ融通が効かないと言うか何というか──」
「フィクションなんだろう。あなたの裁量次第でどうにでもなるはずだ」
「それはそうだけど……うーん、ミスリードだと思って。そのために質問形式にしてるんだからさ?」
「納得が行かない……」
けんもほろろだ。取りつく島もない。辟易したように唸って、犬飼は大人しく思考に戻った。
「ときに君、推理小説は好き?」
「多少は嗜む」
「へえ、じゃあ何が好き?」
「ホラーやファンタジーが面白い」
「最近読んだのって何?」
「最近、読んだのは──」
いつのまにか起こっていた立場の逆転にも、不満一つ漏らさない。思考を邪魔するような無関係の質問に律儀に答えながら、犬飼はふと言葉を呑んだ。言葉を呑んで、弾かれたように秋谷の顔を見た。秋谷は依然、機嫌良く微笑むだけだった。
「…………質問して良いか、先輩」
「どうぞ?」
微笑んだまま、薄幸の美少年が首を傾げる。その挑戦的な所作を無感動に見返しながら、犬飼は問答を始める。
「この並びは遺体発見順に並んでいるのか?」
「いや、死亡推定時刻が早い順だ。実際には発見の順序が多少前後してたりする……と言うことにしておこう」
「なるほど。リストの8人と問題の1人は、もう発見された被害者だという認識で良いか?」
「そうだね、全部で9人。その認識で構わないよ」
「では、最後の質問だ」
『質問』というよりかは、『確認』を行うような口調だった。犬飼は指を組み、僅かに目を細める。
「この一連の事件。被害者は全部で10人居る」
窓から差した陽光が、秋谷の白い相貌を照らした。僅かに赤みの差した瞳を見開いて、秋谷は息を呑む。息を呑んで、唇を引き攣った笑みの形に歪めた。
「その通りだ」
やや於いて落とされた言葉に、犬飼は目を瞑る。眉間を軽く人差し指で弾いて、「もう結構だ」と言った。
「次に殺されるのは女性の教師。死因は恐らく、頸部を圧迫された事による定型的縊死だ」
「ファイナルアンサー?」
「ファイナルアンサーだ」
「ふむ……」
芝居かかった所作で、顎の下をさする。
「正解!」
ご機嫌なオウムのような声でウインクをして、秋谷は調子はずれに拍手した。「一応根拠っぽいものを添えてもらって良いかな」という催促に、仰け反りなら天井を眺めて。
「これは推理小説、『そして誰も居なくなった』に照応した事件だ」
朴訥と始めた犬飼の言葉を、「見立て殺人の見立て殺人だね」と秋谷が補足する。
「『そして誰も居なくなった』は、逃げ場の無い孤島に取り残された10人の男女が、童謡『10人のインディアン』に見立てた殺害方法で次々と殺害される作品だ。最終的には、島の全ての人間が死んで終わる」
「だからこの事件も、被害者は10人?」
「ああ」
頷きながら、犬飼が続ける。
「最近読んだ物なので、問題を聞いた時から思うところはあった。けれどそれなら、6人目は確か医師ではなく判事、溺死ではなく銃殺でないとおかしいので一度除外した」
「ああ、だからリストの構造について尋ねたんだね」
「そうだ。これが死亡時刻順のリストなら、辻褄が合う。何故なら本編にて、犯人は、6人目の被害者を装い自らの死を偽装。自分以外が全員死亡した後に拳銃自殺したからだ。犯人こそが最後の被害者であり、同時に6人目以降の被害者が繰り上がる。10人目の被害者が存在ごと伏せられていたのが、酷くいやらしい」
「いやぁ、それほどでも」
頬を薄桃に染めてクネクネする秋谷。犬飼の、「それなら」という言葉に、相貌を上げる。
「その連続殺人事件の犯人は、10人目の死者か?だから『被害者リスト』に入らなかった」
「ううん、犯人はまた別に居る。10人目をリストに入れなかったのは、ミスリードと……あとは、単純にまだ死体が発見されていないから」
「……………」
「やるならそこまで再現するべきだって?でも9人を殺すほどの動機がある人間なんて中々いないし、作ろうにも時間も手間もかかりすぎるしモニョモニョ……ああそう、確かにこれは致命的に不完全な見立て殺人だ……」
悔しそうに唸る姿は、地団駄でも踏み始めそうな勢いだった。ひとしきり歯軋りをして、気圧されたような目をする犬飼へと向き直った。
「それにしても、完璧だよ犬飼くん。知恵比べが苦手だなんて、露骨な謙遜をしないでくれよ」
大袈裟なまでの賞賛に、顎を引く。その所作には、どこか狼狽のようなものが滲んでいるようだった。
「俺の方こそ、露骨に誘導された気分だ」
「あはは、なんのことやら。うーん、参ったなぁ、僕の完敗だ」
「…………」
悔しそうに足をジタバタさせる秋谷。自身に向けられる冷めた視線を歯牙にも掛けず、秋谷は「それにしても」と軽薄な笑みを浮かべた。
「改めて君みたいなのが文学少年なのは意外だなぁ。前情報が無ければ、本読むタイプには見えないもの」
「そうか?」
「そうそう。文庫本よりダンベルとかカラオケマイク持った方がしっくりくるかんじ」
その第一印象をどう捉えたのか、犬飼はゆっくりと視線を伏せる。シャツの皺を伸ばしながら、「確かに、これまで本を読む事は無かった」と呟いた。
「読み始めたのは、友人に勧められたからだ」
「へぇ」
鳶色の虹彩がきらりと光る。興味深げに身を乗り出して、犬飼に「お友達は何て?」と尋ねる。
前のめりの先輩をぼうっと眺めたあと、何かを思い出すように、鈍色の瞳がゆらゆらと揺れた。
「『喜び』という概念を知って初めて、人は喜びという感情を獲得するのだと」
「ん?」
素っ頓狂な声を上げる秋谷。その反応を無いもののように扱って、犬飼はマイペースに会話を展開させていく。
「だから、語彙力を付けろと。会話の時だけでなく思考をするというだけでも、俺は言語を用いる。故に語彙を学び概念を知る事は、思考をより深く具体的な物にする上で必要不可欠な事だと」
「あ、あー……あるね、そう言う話は」
「そして現段階で最も効率的に、かつ広範な概念と出会うことができるのが書籍という媒体だと友人は言った」
「何と言うか、うん、それは……」
完全に本を娯楽ではなく資源として見ている。
何かを言おうととして、秋谷は引き攣った笑みのまま口を閉じる。どう言葉を選んでも、「情緒もクソもねぇな」という旨の感想しか出てこない気がした。何せ彼の語彙もまたある種偏っている物で。生憎、抒情的なフォローの言葉などは専門外である。
微妙な表情のまま黙り込んだ秋谷を見兼ねてか、犬飼は「だから俺も本は読む」と沈黙を埋めた。
「こういうのは積み重ねなんだろう。現にいくら推理小説を読もうと、登場人物のように推理することはできない」
「え、もしかして今のクイズを引き摺ってる?」
「ああ。丁寧に誘導してもらったのに、俺は犯人にすら辿り着けなかった」
「気にしないで良いと思うよ、少なくもこの問題に関しては。これは絶対に犯人が当てられない問題だから」
「そう言うものなのか」
「そう言うもの。だから尋ねなかったろう。僕はフェアな出題者だから」
秋谷の言葉に、無表情のまま首を傾げる。言葉の意味を咀嚼しかねているようだった。秋谷は苦笑いをして、右手の人差し指を立てる。掌に、赤紫に変色した火傷跡が広がっていた。それを見て犬飼は何か言いたげに口を開閉させたが、結局何も言わずに傾聴の姿勢を取った。
「あの問題から犯人を推理することは完全に不可能だからね」
そう言って、視線を右上に遣る。自分の中で、一通り理論構成を組み立てているようだった。
「ミッシングリンクは、ただでさえこういう推理ゲームに向いていないんだ。わかりやすい目印や手口の類似点が無い場合、一見なんの関連性もない事件どうしを、0から結びつけることは難しいからだ。だから出題者は、まずそれがミッシングリンクに類する問題だという前提を開示する必要がある」
「この事件には関連性があった」
「それはそう。そうじゃないと問題ならないからね」
そこまで言って、「では、例えばどうだろう」と微笑む。頑是ない子供に、噛んで含めるような口調だった。
「出身校が共通している人間が立て続けに殺害された、といったケース。この場合、探偵役は犯人像や次の犯行についてどのようなことが推測ができるかな」
「…………『犯人は学生時代に怨恨や後ろめたい記憶を持つ同一犯ではないか』。だとしたら次に殺されるのも、その出身校の人間である可能性が高い?」
「その通り。ところが、先刻の問題のように、『好きな推理小説を模倣したい』、『色々な方法で人を殺してみたい』なんて、動機────ワイダニットが著しく合理性に欠けていた場合。共通点や次の犯行を推測することはできても、犯人に辿り着くことだけは不可能だ」
「……ああ、益のない殺人は理解できない」
「そうだね」
弧を描いていた双眸が、うっすらと開く。その中に一瞬だけ過った色に、犬飼は訳もなく上躯を僅かに前方へと傾ける。警戒心の滲んだ所作だった。
「殺人でも、そうでなくても悪事にはリスクが伴う。犯人には、リスクに見合う分の益が齎されるはずだ。畢竟、益のない人間•不利益を被る人間が犯人であるはずがない。普通はこう考える。真っ当で合理的な思考だ」
秋谷は最早眼前の人間のことなどすっかりと忘れているようだった。淡々と、しかしどこか愉楽すら感じさせるような口調で言葉を紡ぐ。
「『現実』においては、科学捜査だったりのおかげで、そういう事は起こりえないんだけどね。『非常にむつかしい科学的説明を要する毒物を犯行に用いてはいけない』って、僕もその点においてはノックスに大賛成。科学捜査ものとして読むのなら結構だけれど、探偵物としてロマンがないもの。その結果として作家たちが生み出した叡智の結晶が、絶海の孤島、嵐の山荘。クローズド・サークルだ。んん、そう言えば、空間や人間関係が閉鎖的で、よほど深刻な事件でない限り警察の手が及ばないって点において、学校もまた一種のクローズド・サークルと呼べるのではないか…?」
そこまで饒舌に語って、瞬き一つ。
ががちのような色をした瞳が、瞼に隠れて、また顔を出す。その時には、先刻までの陶酔したなような熱はすっかりと消え失せていた。
残火のような無気力な目をして、処世の滲んだ笑みを浮かべる。気怠げに、「ごめん」と犬飼へと謝罪した。
「……話が逸れたね。つまり回答者に開示されていない情報──犯人の動機や内面が必要となる答えを、出題者は普通求めない。フェアじゃないから」
「ああ……」
「まぁクイズにおいては、って話なんだけど」
どこか悄然と締めくくる青年の様子を、真珠色の目がじっと見つめている。無機質のような色に違わず、鉱物のような瞳から内面は読めない。
「保護者との約束事で、朝刊を欠かさず読んでいた」
高木を指で弾いたような、硬質な声だった。脈絡のない言葉に、秋谷は欠伸を噛み殺した。眠たげな目は、万物から興味を失ったような色をしている。
「溺死、事故死、不審死。当然数多の人間の死が判じられるのを見てきたが────2年前」
『2年前』という文言に、秋谷の指先が小さく跳ねた。覚束ない視線が、しっかりと犬飼を捉える。
「未解決事件がやけに多かった時期があった気がする。約1ヶ月毎だったか。等間隔に起きる人死にと、不自然なまでに一貫性の無い死因、現場、被害者がやけに気になったのを覚えている」
「………………」
「あなたの『クイズ』を聞いていて、一つ可能性を思いついた」
「聞こうか」
楽しげに弧を描く唇に、僅かに見開かれた瞳。興奮しているようにも、怯えているようにも見える。顔の上半分と下半分で、二律背反の感情を表しているようだった。
尋常とは呼べないその様子にも、犬飼は眉ひとつ動かさない。ただ、目的を果たすべく口を開くだけだった。
「思うに、あなたはその事件を────」
どちらともなく、唾を嚥下する音が響く。
「独自で調査しているんだろう?」
「へ?」
「探偵に憧れているんだろう?」
「ゑ?」
「独自の見解をクイズとして出題したんだろう?出題内容について融通が効かない、と言うのもそのせいだ。あくまで実際に起きた事件を元にしているから。正直すごいと思う。あなたの言う通り、一貫性の無い事件だからこそ、それが同一犯による物だなんて俺は思いつきもしなかったから」
目を伏せ、しみじみと言う犬飼。秋谷はそれを、半目で眺めていた。演説を終えた時と同じ、気怠げな表情だった。
「…………あー、うん。そんな感じ」
「やはり」
「僕以外の人からの意見をもらいたかったんだ。正直自分だけでは限界を感じていて」
「そうだったのか、力になれなくて済まない」
謝る犬飼に、薄い肩を内巻きに丸めたまま、覇気のない笑みを浮かべる。そして、「だが」という言葉に、やおら視線を上げた。今まで以上に無機質な声で、聴覚だけでは感情を計れなかった。
「危ないから、『そういうの』は程々にした方が良い。無茶はしないように」
「…………『そういうの』?」
「好奇心は猫を殺す、と。的を射たことわざを最近知った」
色の無い表情だった。双眸の色のせいもあってか、模糊とした印象を抱かせる様相である。けれどもそこには、真摯さのようなものが滲んでいるようだった。
その真摯さの根本に横たわるのは何か。何かを探るような深長な光が、暗紅色の瞳に一瞬だけ宿る。
「ありがとう。気をつけるよ」
次の瞬間に浮かんでいたのは、柔らかな微笑だった。優しげに垂れた糸眉に、完璧な弧を描く桜唇。百人が見たら百人が『善人』と称するような、典麗な笑みである。
「……時に、ええと、犬飼くん。きみ急いでいたんでしょう?」
「ああ……」
「引き留めちゃってごめんね。もう行ってくれて大丈夫だよ」
素っ気ない声音で言いながら軽く手を振る。『君に興味が湧いた』と引き留めた男と同一人物とは思えないほどに、分別のある言動だった。
その代わりように一瞬怪訝な表情をしながらも、犬飼は「ああ」とパイプ椅子から腰を浮かす。彼とて、いち早くここを去りたいのは同じである。
「では、そうさせてもらう。済まなかった、秋谷先輩」
「ううん、気にしないで」
一礼をして、医務室を後にする。その広い背を見届けて、秋谷は微笑んだまま右手を下ろした。
「またね」
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