第6話 待って、本格的にルームメイトが不穏でぇ!

 生徒会役員選抜の期間が終わってからというもの、教室は随分と居心地の良い空間に変わりつつあった。嫌がらせの主犯格達がいなくなったのもそうだが、元々加害行為に消極的で、傍観者に徹していた生徒達が半数以上いたようだ。

 だからこうして、俺は教室の端っこの席でウトウト微睡む事ができるわけで。


「優太郎」


 ちょいちょいと背後から肩を叩かれる感覚に、ゆっくりと瞼を開く。

「どうしたの」と振り返ると、そこには目が覚めるほどの美貌が鎮座している。窓から差し込んでくる日光がキラキラと反射して、どこか映画のワンシーンみたいな非現実感があった。


「来週は俺の誕生日らしいのだが」

「なんで伝聞系?」

「保護者に欲しい物を聞かれて困っている。こう言うのは初めてだから」


 17年目にしてようやく祝われるのか?とか、まさか自分の誕生日すら知らなかったのか?とか。

 色々考えた末に、俺は泣いた。こいつの苦労を勝手に想って涙した。


「いっぱいお祝いしてあげるからな……」


 口を押さえながら涙を流す俺に、犬飼はおろおろと視線を彷徨わせる。困らせてごめんな。「気にしないで……」と呻けば、「わかった」と良い返事が返ってくる。


「普通の高校生はどんな物をねだるんだ?」

「うーん……」

「優太郎は何をねだった」


 実を言うと俺自身、もうプレゼントは貰わなくなったし、おねだりした記憶もあまりない。だがそれを言うと、犬飼はプレゼントをもらわない選択をしてしまう気がした。


「知らないけど。うーん、無難なのは図書カードとかイヤホンとかじゃない?」

「優太郎もそれをねだったのか?」

「いや、今のは俺の話じゃなくて一般論と言うかなんと言うか……ちょっと待ってね、いま思い出すから」


 こめかみをトントンと叩いて、記憶を遡って。


「あー、断って後悔した物ならあるかも」


 間延びした声が上がる。今の今まで忘れていたが、過去に一つ心を惹かれた提案があったのだった。


「犬」

「いぬ……」

「そー」


「お前に犬をやる」と言われた。

 俺だけに尻尾を振って、俺の好きに扱って良くて、何より従順な犬を与えてやると。

 言葉を額面通りに受け取った10歳の自分は、ンなモン要るかとすげなく断ったけれど。当たり前だ。奴隷なんてわざわざ欲しいとは思わない。好みの犬も居なかったし。だが今思えば、飼い犬と支配関係になるか友達になれるかは、自分の裁量次第だったのではないかと後悔している。


「……俺次第では、良い友達を得られたかもしれないのになぁ」

「そうか」

「今から『やっぱほしい』って言ったらくれるかな」

「優太郎は犬がほしいのか」


 犬っていうか友達……と言おうとして、口を噤む。

 犬飼が、俺の右手を取ったからだ。


「犬飼?」


 伺うように、灰色の瞳を覗き込む。つるりとした水晶体の中に、曇った早朝の空が詰まっている。厚い雲に覆われて、本心も、感情も何一つ読み取る事ができない。

 ただただ彫刻じみた顔が、こちらをじっと見ているだけだった。


「俺の飼い主になるか」

「へ?」

「優太郎が飼い犬が欲しいと言うのなら、丁度良いと思った。俺は俺の飼い主をずっと探していたから」


 初めての冗談?お赤飯とか炊くべきだろうか。

 なんて考えが過るけれど、不思議と茶化す気にはならなかった。というか、犬飼以外が言うと──否、犬飼が言ったことを加味しても中々とんでもない発言だ。


「冗談でもそう言うこと言うんじゃないぞ。都合の良いように曲解する人間は、腐るほどいるんだから」

「曲解」


 ぐる、と。

 犬飼の視線が虚空を一周する。かと思えば、俺の右手を掴んだまま、自分の首へと誘導する。俺の手に、首輪みたいに急所を明け渡して。

 喉仏が上下する感覚、等間隔な鼓動。

 指先越しに伝わってくるそれらの感触はあまりにも倒錯的で、無意識に唇を舐める。妙に乾いてしまったから。


「では、もっと露骨に、わかりやすく言う」


 節目がちな睫毛が揺れる。灰色の目が、縋るような色をしている。こちらを睨め上げたまま、赤い唇がぱっくりと開いた。


「俺は優太郎の犬になりたい」

「な、」

「優太郎だけに尻尾を振って、優太郎の好きに扱える、従順な犬になる」


 覗き込んでくる瞳は、相変わらず燻んでいる。けれどもその奥で、獰猛な欲火のような物がゆらゆら、ゆらゆらと揺れているようだった。犬なんかではない。犬よりも遥かに獰猛で凶暴な、獣の目だと思った。


「俺はおまえを飼いたくなんてないよ」


 首筋を汗が伝う。掴まれた右手が、軋むような音を立てる。無意識に握り込まれているのだろう。


「よくわからないけど。そもそも俺は、誰かを支配できるほど大層な人間じゃない」

「それは俺が決める」

「でも、俺はおまえと────」


 息を呑む。首筋を汗が伝って、自分の鼓動の音がやけに大きく聞こえる。


「────おまえと、友達になりたいんだよ」


 口にした瞬間、押し寄せてきたのは羞恥か後悔か。言った。とうとう言ってしまった。

『あの……お友達?』『ルームメイトだよ』

 なんて。いつかの会話を思い出して顔が熱くなる。居た堪れなくなって顔を伏せると、「友達」と、朴訥とした復唱が返ってくる。

 正直このまま俯いていたいけれど、こいつがどんな表情をしているのか、知らない方が1番怖い。

 鉄球みたいに重い頭を、ゆっくりと擡げて。


「…………なんて顔するんだよぉ」


 初めて見る犬飼の表情に、もう一度泣きべそをかいた。



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