『普通』の青春が欲しかったのにルームメイトが殺し屋だった件について

ペボ山

プロローグ

第1話 プロローグ

 光一つ通さない海底のような夜に、齢18にも満たない、痩躯の少年がいた。

 滲み入る夜空よりも暗い瞳に、風に揺れる銀髪。

 少年の足元には10をゆうに超える死体が転がっている。

 けれどもそれを見下ろす目には、恐怖も、焦りも、歓喜すらもない。観劇でもするように、生々しい死体をただ空虚な眼差しで眺めるだけである。

 ふと、少年の指先が僅かに跳ねる。

 足音が聞こえたからだ。


「あなたのような人が、こんな所に何の用だ」


 ほぼ吐息だけの声で、背後の存在に語りかける。目線は一切動かない。


「仕事が上手くいったかは、自分の目で確かめるのが1番良い」


 暗闇から現れたのは、20代にも10代にも見える若い男だった。気品溢れる風態で、地に伏す男たちを検分する。全てが生き絶えているのを確認して、調子外れな声音で「お見事」と唸った。


「評判通りの腕前だ。天才の呼び名は伊達ではないらしい」

「…………」

「で、新しい上司として、早速きみに次の仕事を頼みたいのだけど」


 男は引き締まった顎先を撫でる。その一挙一動は隙だらけのようで、実の所、隙一つ無い物だった。少年の目が、きろりと男へと向けられる。燻んだ灰色の目は、この世の全てへの期待を捨てたような色をしている。


「4年間の休業」


 言いながら、男は首を傾げる。諭すような声は穏やかでいて、妙な求心力を伴っていた。


「その間きみには、我々にとって最も大事な物を見つけてもらう」


 そこに来て初めて、少年の目が男へと焦点を合わせた。


「…………不満かい?」

「仕事におれの意志は必要ない」

「聞き分けの良い部下で助かる。で、具体的にその間なにをしてもらうかって話なんだけど」


 変わらず空虚な視線を受け止めて、男は鷹揚に笑って見せる。表情をピクリとも動かさない青年に、茶目っ気たっぷりに片目を瞑った。


「エンジョイ、アオハルライフ」


 ***


 高い天井は、見上げるも果てが見えない。広大な空間に敷き詰められた座席には、気品に溢れた先輩生徒たちが犇きあっている。

 入学式当日。

 一足先に着席した俺は、教員に引率されてくる同級達の表情を観察する。

 反応は違えど、三者三様に、皆がこれからの学生生活に希望を抱いている。

 ふと、自分の視線が、一人の生徒に吸い寄せられるのを感じた。

 一目で異質だとわかる。圧倒的なオーラ、とでも言うのだろうか。

 その少年は、周りの生徒に比べてひょろりと背が高く、幾分か大人びた雰囲気を背負っていた。アッシュグレーの髪に、引き結ばれた薄い唇。鼻梁の通った顔立ちは日本人離れした物で、凛々しい柳眉と相まって冷たい印象を与える。そして一際目を惹く灰色の瞳は、昏く、何処までも静かだ。

 美しくもどこか空虚で、総じて陶器の置物を彷彿とさせる佇まいの少年だった。

 どうやらその少年に目を奪われたのは俺だけではないようで、少しだけ会場がどよめいた。


 犬飼春彦。

 それが彼の名前だった。整った人形のような容姿に、秀麗で無駄の無い所作。どこか浮世離れした雰囲気の彼は、さぞ高貴な身分の出身なのだろう。

 そんな皆の期待は、数週間もしないうちに打ち砕かれる事になる。

 彼は一般の父子家庭の息子だった。

 故に、彼に対する周囲の興味と認識は次第に薄れていった。出自も、言動も、全てが『並』である。妙にオーラがあるだけの一般人であると。

 だが、俺は知っている。

 こいつ──犬飼は、全く以って普通などではない。

 なんかベッドがあるのに部屋の隅やらトイレやらで寝ようとするし、ロープ無しで壁を登攀するし、虫とか食う。怪人トカゲ男である。あとこのまえ偶然上裸を見ることがあったけど、バキバキだった。そしてその筋肉が、俺と同じサイズの制服に収まる。着痩せとか言うレベルじゃない。シツリョーホゾンの法則はどうした。

 犬飼は大体、理の外で生きていた。

 そして、なぜ俺がヤツの裸を知っているのかと聞かれれば、それは俺があいつと同寮の同室、ルームメイトだからに他ならない。

 我が校には、中央校舎を囲むように青龍・朱雀・白虎・玄武の4つの寮がある。中等部が使用するのが北の「玄武寮」、大学生が使用するのは西の「白虎寮」。そして俺たち高等部に充てがわれているのは、最も南に位置するこの「朱雀寮」で。

 初めて出会ったのも、入学入寮初日の夜だった。色々あって寮に帰るのが遅くなり、滑り込もうとした眼前で寮食堂の扉がピシャリと締め切られる。

 料理をしようにも食材も何もなく、夕食を諦めトボトボと部屋を目指した俺。

 そしてその道中で、蹲り、バリバリと虫を食う男。

 気を抜いていた俺は、そいつとうっかり目を合わせてしまったのだ。


「…………食うか」


 犬飼だった。

 口端から、なんらかの節足がはみ出している。そして「食うか」とか言いながら、モゾモゾと動く何かを、素手でこちらに差し出してきている。


「い、いや……俺お腹いっぱいだから……」

「そうか」


 素気なく答えて、背負ったカゴに手の中のそれを放り込む。

 俺はもう怖くて仕方がなくて、「早く帰れよ、体冷やすなよ」なんて早口で言って立ち去る。けれどなぜか、犬飼は後ろをついてくる。俺が「早く帰れよ」と言ったからだろう。でも本当にずっとついてくる。

 そしてとうとう一緒の部屋に帰宅した犬飼は、鍋を取り出し、籠の中の虫をぐつぐつと茹で始めたのだった。

 その晩、ルームメイトからコオロギと幼虫の塩茹でをご馳走になった俺は、生まれ変わったような心地のまま眠りにつく。明日はあいつに食堂ラーメンの味を教えてやろうだなんて考えながら。


「優太郎」

「…………」

「優太郎、何を読んでいる」


 自分の席で読書に励む俺の周りを、クルクルと移動しながら覗き込んでくる。機敏に動き回る美丈夫に、クラスが少しザワザワしていた。

 ご覧の通り現在、ルームメイトとの関係は良好である。ただ少し鬱陶しく感じるのは、贅沢な悩みだろうか。

 先週ニンゲンになったんですか?と言うほどに常識が無い犬飼。

 そんな彼に、食堂のシステムを教えてやり、勉強を教えてやり。それでも一人で大不正解変質者ルートへとズンズン突き進んで行くそいつに、とうとう痺れを切らしたのが1週間前。

「助けてほしい時は助けてほしいって言え。できる範囲でなら助けてやるから」

 それのどこが琴線に触れたのか、人を頼る事を覚えた犬飼はカルガモのように後ろをついてくるようになった。「あれはなんだこれは何だ」と事あるごとに聞いてくる姿は、カルガモというより下界を視察にきた神さまみたいだとも思ったが。


「教科書か。予習をしているのか」

「違うよ、小説。読書」

「普通の学生は読書をするのか。俺もした方が良いか」

「人それぞれ。趣味とか娯楽は、人に強制されてやる物じゃないよ」

「…………難しいな」

「…………」


 本当に。犬飼は今までどんな生活を送ってきたのだろうかと思う。虫や野草を食べ、趣味らしい趣味もない。少し考えて、脳裏に過ぎったのは昔知人の家で見たテレビドラマである。

 大家族に生まれ、父が蒸発し、母親は働き口を探す毎日。極貧生活に放り込まれた長男は、山菜や昆虫を食べて飢えを凌ぐ。当然彼に、趣味を持つまでの余裕なんてない。

 その時の気持ちが押し寄せてきて、俺は思わず胸を押さえた。


「優太郎?」

「俺……俺が間違ってたよ」

「なんの話をしている」

「おまえ、苦労してきたんだなぁ」


 これからもっと優しくしてやるからな…!

 涙を拭い、犬飼の手の中にギュっとチロルチョコを握らせる。それを見つめ、銀紙ごと口に放り込んだ犬飼に、俺はまた涙ぐんだ。

 チロルチョコの食い方も知らないなんて……。


「犬飼、犬飼春彦は居るか」


 同時である。

 バーン!と開け放たれた教室のドアから、けったいな美青年が顔を出す。

 気難しげに眉間に寄った眉。几帳面に整えられた黒髪。銀縁の眼鏡は、普通のサイズなんだろうが如何せん顔が小さいので、少しオーバーサイズに見える。

 涼しげな目が、なおも不機嫌そうにほそめられていた。

 俺はチロルチョコを吐き出させるため、犬飼の口に手を突っ込んだまま固まる。


「……何でここに生徒会が」


 誰かの呟きに目を凝らす。

 確かに彼は、3年の生徒会会計の先輩だった。

 そしてもっと冷静になってみれば、クラスだけじゃなくて廊下まで騒がしい。他の一般クラスの連中が、物珍しさに集まってきているようだった。

 切長の目がジロリと教室内を見回して、こちらを捉えた。


「そこか」

「…………」

「犬飼くん、僕は君に用がある」

「…………」

「なんとか言ったらどうだ」


 何とかも何も、俺の拳が口に詰まっているので犬飼は喋れない。見たら分かるはずだが。

 犬飼が唇をモゴモゴと動かしたので、チロルチョコを掴んで拳を引っ込める。


「………あなたは誰だ」


 無表情で咳き込み、涎を拭い。真っ直ぐに先輩を見つめて問いかける。

 騒つくギャラリー。この学校内に生徒会を知らない人間はいないので、当然と言えば当然の反応か。

 だが、相手はあの犬飼である。現代の通貨システムすらちょっと危うい犬飼である。奴に常識を求めるだけ無駄と言う話で。

 案の定当の犬飼は、妙に毒気の抜かれる挙動で首を傾げるだけだった。


「…………鷲尾幸成だ。3年a組に所属している」


 鷲尾先輩の目が、少しだけ柔らかくなったように見える。


「先輩」

「そう、先輩だ。敬語を使いたまえ」

「先輩は俺なんかに何のようだすか」

「敬語に慣れてないのか?」


 咳払いをし、「単刀直入に言う」と犬飼の手を取る。ギャラリーがさらにざわついた。俺も前のめりになった。


「きみは生徒会に入れ。一年の席が一つ空いている」

「は?」


 思わず声を上げてしまうが、咄嗟に口を塞ぐ。だが周囲はもっと騒ぎになっていたので、俺のリアクションが目立つこともない。

 だって、あの生徒会だ。現代の民主制に真っ向から喧嘩を売るような、独裁政権を敷く生徒会。生徒会役員からの指名制で、まず俺たちのような一般生徒には立候補する権利すら与えられない生徒会。

 その中枢を担っている鷲尾先輩が一般校舎に顔を出す時点で異例だが、直々な一般生徒の勧誘ともなれば、とうとう只事ではない。

 コトが大きすぎて、俺にはこの後の展開など予想もできないが。

 ピクリとも動かないままの犬飼に不安になる。こいつだけ2Gなんじゃないか。もしくは目を開けたまま寝てるんじゃなかろうか。


「質問は良いかすか、先輩」


 どさくさに紛れて天下の鷲尾先輩をカス呼ばわりした犬飼。だが流石強者は余裕が違う。「敬語はもう良い」と、寄り添う形で寛大な理解を示す。


「────そこには優太郎も入れるのか?」

「なに?」


 素っ頓狂な声を上げたのは、鷲尾先輩である。口を両手で塞いでいたので、俺はどうにか声を上げずに済んだが。我ながら良い判断だったと思う。このままこちらに矛先が向く前に、トンズラするが吉だろう。


「君が『優太郎』か?」

「いいえ」

「いや、お前は優太郎だ。ええと、苗字は何だったっけ」

「興(おき)だよ馬鹿、散々教え……あっ!」


 馬鹿は俺である。

 一斉に集まる視線が気持ち悪い。特に鷲尾先輩は、ジロジロ、ジロジロと俺を品定めするみたいに観察してくる。勘弁してくれ。


「……なぜ彼を?」


 結果、俺はお眼鏡に敵わなかったらしい。何でこんな庶民が?と、険しい目がありありと語っている。


「俺は世間知らずなところがあるから、一人だと粗相をするかもしれない」

「ああ、そんな事は気にするな。つまらん事で腹を立てる奴は居ない」

「優太郎は連れて行けないのか」

「……なぜそこまで、」

「連れて行けないなら、申し訳ないが話は受けられない」


 切長の目が、また俺を睨んだ。

 腕を組んで、何かを思案する様にこめかみを揉み解す。


「良いだろう」


 やや於いて絞り出された声は、不満げな物だった。


「……いや俺はなにも良くないんですけど」

「仔細は後ほど伝える」

「いや俺はなにも……」

「今日の17時に、2人で青龍寮に来い」

「いや!俺はァ!」


 驚いたことに、鷲尾先輩は犬飼だけを見てさっさと出て行ってしまう。

 俺には一瞥もくれない。

 え、大丈夫だよね。俺って確かに今ここに存在してるよね?


「……おいおい、犬飼。お前どんな手使ったんだよ」


 一瞬の静寂はどこへやら。次の瞬間には、犬飼の周りに人が集まり始める。

 僻みやら羨望。諸々入り混じった視線に晒される犬飼は、やはり朴訥とした表情で淡々と問答するだけだった。

 俺は何だかもう気分が悪くなってしまって、よろめきながらトイレへと向かう。

 向かえない。

 控えめに袖口を掴まれたからだ。


「優太郎」

「…………あー…」


 ………………そんな目で俺を見るなぁ!

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