第8話 従者

 竜之進りゅうのしん……その名を、ハヤトも知っていた。


 しかし、まだ下忍になったばかりの彼にとっては、雲の上の存在に等しかった。

 顔を見るのすら初めてだ。


 そんな彼と対等の物言いをする、先程まで組み合っていた、虎次郎こじろうという名の侍も相当身分が高いに違いない。

 唇を噛みしめ、片膝をついて頭を下げる。


「おいおい、俺にそんなかしこまった態度をとる必要はない。いや、かえって迷惑だ。竜は『お忍びの旅』っていう事になっているんだ、身分を悟られちゃ困るからな」


 虎次郎は豪快に笑いながら、ハヤトに立つように促した。


「そんなことよりも、襦袢じゅばんしか纏っていない巫女が困っているではないか……二人とも後を向け……よし、舞、重ね重ね済まなかった。今のうちに巫女装束を。その子は、その場に座らせておけばいいだろう。我々がその子に害意を持っていないと分かっただろうし、な」


 竜之進の、自らも後を向きながらの指示に、舞は頬を赤らめながら巫女服を脱いだ場所に戻り、素早く襦袢の上に着込むと、大人しく座って待っていた男児の元に戻った。


「……ありがとうございました。もう大丈夫です」


 やや恥ずかしそうなその声に、三人の男達は向き直った。


「さっきも言った通り、その娘は、お前達二人が腕試しをしている間も、幼子おさなごの身を守ることを最優先に行動したのだ……一番しっかりしているではないか」


「……まあ、そう言われると反論できねえな。俺としては、これから相棒となる者がどれほどの腕なのか、知っておきたかっただけなんだが……確かに他にもやりようがあったかもしれねえな。巫女さんよ、悪気はなかったんだ、許してくれ」


 虎次郎はそう素直に謝った。

 だが、舞にとっては幼馴染みのハヤトがいきなり絡まれたのだ、はい、そうですかと納得出来るものでは無い。


 しかし、ここでそのハヤトが、男の言葉に反応した。


「……相棒って、どういう意味ですか?」


「うん? ああ、まだ言ってなかったな……その巫女さんの母親から、今回行方不明になった男の子の捜索に、娘が向かったっていう知らせが役所を通じて城にあった。それに、ハヤトって言う名だったな、おまえの母親からも、その護衛に息子が向かったって知らせが入った。そして別の事案を捜索していた俺たちにも伝令が入ったんだ。二人の仕事っぷりを確認しろ、手に余っているようだったら助力してやれ、ってな」


「……貴方様のような身分のお高い方にそんな仕事を依頼する方って……」


「ああ、察しの通り、俺の父親だ」


 竜之進が、やや顔をしかめながらそう言った……そしてその事実に、舞とハヤトは目を見張った。

 竜之進の父親ということは、現藩主その人だ。


「……まあ、藩主様からすれば、息子を嫁候補と早めに出会わせておきたい、と思ったのかもしれねえな」


「虎次郎、余計なことを言うな」


 竜之進が嫌そうな顔をする。


「そうか? 黙っている方がずるいとは思わないか?」


「……俺はともかく、突然そんなことを言われたら、その娘が困るだろう?」


 その言葉に、虎次郎とハヤトが舞を見ると、彼女は真っ赤になっていた。


「と、突然何をおっしゃるのですか。私は、ただこの子を無事、母親の元に送り届けたいと思っているだけです」


 慌ててそう話を逸らそうとするが、明らかに困惑していた。

 ハヤトは、ズクン、と、何かに打ちのめされたような気がした。


 抗いようのない、身分の差。

 舞は、幼馴染みとして自分と対等に接してくれている。

 しかし、実際には、商人の娘と忍という表向きの身分以上の、圧倒的な差が存在する。


 藩主の息子の、嫁候補。

『時空の仙人』と藩主との蜜月関係を考えれば、十分にあり得る話だった。


 自分など、全く入り込む隙間がない――。

 そんな様子を、虎次郎はニヤニヤと見つめていた。


「ま、実際には本人同士が決める問題だ。特に仙人殿は、娘を無理に誰かに嫁がせたりするような方ではないと聞いているしな……ま、それは置いといて、合流したならしばらく一緒に旅をするよう言われているんだが……」


 虎次郎がそう言うと、舞もハヤトも、えっと声を出した。


「そんな……私はなにも聞いていないです。その、殿方三人と、私一人が、一緒に旅をするのですか?」


 舞は明らかに困り顔だった。


「いや、もう一人参加することになっている。女子おなごだ、その娘もその方の身辺警護と、従者という扱いになっている。それならその方も心強いだろう?」


「……えっと、女の子が、私の警護と、従者に? ちょっと、よく分からないのですけど……」


「そうだろうな……俺の父は、その方の仙術を、高く期待しているのだ。何度か、仙人殿と共に披露したことがあるのだろう? この藩にとって、その御業はとても有益なものになると考えているようだ。そして俺に対しては、野に下って藩の内情を知れ、という命が出ている。世間に疎いことは自分でも把握している。そこで藩内で起きている様々な難題を共に解決しつつ、知見を広く持て、という指示なのだ」


「……立派な建前だろう?」


 虎次郎は、竜之進の言葉を茶化すようにそう言い、彼に睨まれていた。


「……えっと、その……私が持つ三百年後の御業……つまり仙術が有効に活用できるのであれば、それは嬉しい事ですし、竜之進様のお役に立てるのであれば光栄ですが……その、いきなりというか、あまりに唐突で、頭の中が整理できません……それに、私に従者など……女の子と言っても、初対面で私になんか……」


 舞の困惑は、さらに深まっているようだった。


「いや、初対面ではないと聞いている。女の忍、つまり『くの一』で、名前は確か、『もも』」と言ったか……。」


「桃……桃ちゃん!?」


「桃……桃だって!?」


 舞とハヤトが同時に驚きの声を上げ、そして顔を見合わせた。


「ああ……その様子だと、やはり顔見知りの様だな」


「あ、はい……でも、最近は修行が忙しいと言って、かれこれ一年ぐらい会っていないような気がします」


「ああ、俺も……そうだな、半年ぐらい会っていない」


 ハヤトは、舞に向かってそう言った。


「え、そうなの? あんなに仲、良かったのに。兄妹みたいだったじゃない」


「いや、最近は『くの一』の修行に入ったから、男の俺とは基本的に合うことがなくなったんだ。まだ子供だと思っていたけど、もう実践に出るのか……」


「だって、私達と一つしか違わなかったでしょう? 小柄だったから子供っぽく見えてたけど……え、じゃあ、桃ちゃんと旅ができるのですか?」


 舞は先程までとうって変わって、明るい表情で竜之進に尋ねた。

 その変わりように、今度は彼がちょっと戸惑いながら、


「ああ、その予定だ。遅れて来ているという話しだったから、今頃はその子供の集落についているかどうか、という頃だろう」


 竜之進は、退屈そうにしている男の子を見ながらそう言葉にした。


「そうなんですか!? あ、じゃあ、ちょうど良かったです、この子、先に送り届けようと思っていましたから」


「先に、だと? ……ああ、例の『瞬間転移』の仙術を使うのだな……なるほど、それは興味深い」


 竜之進は、眼光鋭く、舞の手首に巻かれている『時空の腕輪』を見つめながらそう話した。

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