イーリアス大祭 : 巨獣 vs ジン、オデュッセウス


 この異世界に転移してから、ジンはいくつかの怪物に出会った。

 

 闘技場から逃げる際には、飛竜の背に乗った。

 オーク退治の際には、ひと際大きなハイオークを斬り捨てた。

 魔族ダンタリオンも、捉え方によっては怪物の一人だろう。


 だが、目の前に現れた黒い巨獣は、ジンが遭遇したどの獣よりも、忌々しい見た目をしていた。

 馬のようで、狼のようで、ワニのような、醜い獣が立ちはだかっている。


 

「物の怪、とはな……魔術とは、こんなものすらも生み出せるのか」



 ジンは恐怖することなく、感心していた。


 前世の戦国でも陰陽道などといった、俗世から外れた教えや知識もあったが、実際に妖怪を使役するような人間はいなかった。



「面白い。では、強度も試させてもらおうか」



 ジンは刀を構えた。


 巨獣はうなり声を上げ、ジンに跳びかかってきた。


 ワニのような前脚が振り下ろされ、爪が襲いかかる。

 爪一本だけでもジンの首よりも太い。


 

「しゃっ!!」



 その爪をかわし、すれ違いざまに足首を斬りつける。


 固いウロコに覆われた足が、深々と斬られる。

 しかし切断には至らず、それどころか、斬った傷の周囲の肉がうねり、みるみると再生していった。



「ふっ!」



 オデュッセウスが矢を放つ。


 矢は寸分狂わず、獣の目玉を射抜いたが、その傷もあっという間に再生していく。



 ボァアアアアッ!!


 

 獣が吼え、激しく首を振り回して、連続で噛みついてくる。


 ジンは最初の噛みつきをかわして、それから柱を利用して、距離を取った。



「傷が癒える妖怪か。厄介だな」



 厄介、とは言ったものの、ジンは微笑を浮かべていた。


 いつになく高揚しているジンの横顔を見て、オデュッセウスはうすら寒いものを感じた。


 渾身の一太刀が無駄に終わったのなら、普通は落胆するはずだ。

 そこまでいかずとも、傷が癒えてしまうことを、深刻に捉えるものだ。


 しかしジンは、まるでおもちゃを前にした子どものように笑っていた。



「ハヤシザキ、どうしますか?」


「お前さんは矢をつがえ、好機を待て。俺の言いたいことはわかるな?」



 意味深長な言葉だったが、オデュッセウスはすぐに理解してうなずいた。



「わかりました。役割分担というわけですね」


「そうだ」


「では、それまで援護はどうしますか?」

 

「ふっ、いらぬわ。こやつの動きの速さはわかった。あとは息絶えるまで……楽しませてもらう」



 すかさずジンが柱の間を縫って、一瞬で巨獣の足元に接近した。


 そこで一太刀を浴びせる。

 刃が深々と腹の肉を切り裂き、骨を断つ。


 巨獣が足を振り上げ、ジンを踏みつぶそうとした。


 だが、ジンはその直前に二の太刀を振るい、足首を斬った。

 もちろん足はジンを踏みつける軌道から外れてしまい、半分ほどちぎれた足が、地面に落ちた。



「まだまだあ」



 ジンの刃は止まらない。

 むしろ、さらに加速して切り刻む。


 巨獣の首元をえぐり、あばら骨の隙間を引き裂き、太ももの骨を断つ。


 何か巨獣が抵抗すれば、それをあざ笑うかのように、真っ向から斬り捨てる。

 爪を振るえば指を切断し、噛みつこうとすればあごの肉を深く斬った。


 斬られるたびに、どす黒い血が噴き出す。

 それらの傷は瞬時に再生してしまうが、ジンは構わず滅多切りにしていく。


 まさに血の雨が降り注ぐ中で、ジンの小柄な体が、凄まじい速度で暴れ回る。



 ギョァアアアッ!?



 たまらず巨獣は跳び下がった。


 もちろんどの傷も、瞬時に癒えている。

 戦い始めた時と見た目は変わらず、肉体は無傷だ。


 だが、巨獣も意思を持った生物である。

 休むことのない猛攻にさらされたことで、ついに苦痛に耐えかねたのだ。



「逃がさん。まだ斬り足りぬ」



 ジンはすかさず距離を詰める。


 馬のような巨獣の顔面を、上段から深々と斬り下ろし、続く太刀で鼻先を横一文字に切断した。


 ひと際大きな、血の噴水が上がる。

 巨獣の顔面から血がボタボタと音を立ててこぼれ、礼拝堂を朱に染める。


 さらにジンは、休まず刃を振るう。

 首の動脈、足の付け根、心の臓、柔らかい腹部。

 刀が届く範囲を余すところなく、なで斬りにしていった。



「休みなど与えんよ。ほれ、気張ってみせい。ほれほれほれ」



 そもそもあらゆる一太刀が、致命傷になりうるのだ。


 そんな斬撃を、巨獣は休むことなく浴び続けた。

 死に至る斬撃を何十回と受ける苦痛は、筆舌に尽くしがたい。


 それを楽しみながら斬り続けるジンの方が、よほど獣じみていた。



 ブゴ、ゴゴォオオオッ……!



 ついに巨獣が膝をついた。

 それどころか、まぶたには涙の粒を浮かべていた。


 わかっていたことだが、永遠などあり得ない。


 再生すれば苦痛が終わらない、と巨獣も理解したのだ。

 傷を再生すれば無限に斬られると悟り、血だまりの中で動かなくなった。



「やれい、オディ」



 ジンの合図を受け、オデュッセウスは二本の矢を放つ。


 倒れた巨獣に、ではない。

 その陰に隠れていた魔術師の長を、オデュッセウスは狙っていた。


 その二本の矢は、長の両膝を貫いた。

 巨獣という盾を失った魔術師は、一瞬にしてオデュッセウスに撃ち抜かれた。

 


「ぐわぁああっ!?」



 長は泣き叫んで、倒れて転がった。

 膝を射抜かれては、立つことはできない。

 

 そして長が倒れたことで、巨獣も苦しげなうめき声を上げた。


 術者が傷つけば、召喚された側も少なからず影響を受けるようだ。

 ただ、長が倒れずとも、すでに巨獣に戦意はなかったが。



「よし」



 ジンは刀を納め、動けなくなった巨獣の横を通り過ぎて、長に歩み寄った。



「観念しろ。奥の手だった物の怪はこの通りだ。お前さんも両足をやられてしまえば、満足に動けないだろう。ここらが潮時だ」



 再度、降参をうながしたジンだったが、長は憎しみをこめた目で睨んだ。



「まだ、終わっていない……近づいたのが最期だぁああ!」



 長が杖をつかみ、何かを念じる。


 その直後、ジンの後ろで倒れていた巨獣が起き上がり、襲いかかってきた。

 己の戦意とは関係なく、術者が念じれば、巨獣は意のままに動くのだ。



「哀れな」



 振り向きざまに、刃を抜き放つ。

 

 そして、静かに鞘に納める。

 巨獣の首がずるりと落ちて、少し遅れて体が床に沈んだ。

 

 長は放心し、口をパクパクと動かした。


 隙だらけに見えた剣士が、一撃で巨獣の首を切断してのけた。

 もはや現実離れした、恐ろしい斬首の業。


 

「さて……」



 ジンが振り返る。


 彼の頭髪も、顔も、体も、返り血にまみれている。

 そして彼の微笑みの裏には、確かな怒りがあった。



「俺も詳しく知らぬが、この獣を無理やり動かしたな? なんだか、お前のことが憎らしくなってきたぞ」


「ま、待った……」


「待たぬ。お前も代償を払うべきだ、神妙にしろ」



 その言葉とともに、刃を振るう。


 長が手を振って抵抗しようとしたが、その手の小指が落ちる。

 さらには長の片耳も、ボトリと落ちた。



「ぎゃああっ!! あ、ああっ……!」



 指と耳を一度で斬り落とされ、長は悲鳴を上げ、泡を吹いて気絶した。


 ジンは刀を納め、長が身に着けていた布を剥ぎとった。


 

「これにて落着だな」



 オデュッセウスの方へ振り返り、いつもの穏やかな様子で話す。

 そんなジンに、オデュッセウスは寒気を感じていた。

 

 彼は将として何度も戦場に出たことはあったが、ジンのような恐ろしい剣士に出会うことはなかった。

 否、おそらくエーゲ半島中を探しても、ジンのような根っからの人斬りに出会うことはないだろう。


 エーゲ半島にいる英雄たちとはまた別の恐ろしさが、ジンにはある。

 



「どうした? オディよ」


「え、いいや……なんでもありません」


「そうか」



 それからジンは、礼拝堂の外を見やった。


 

「他の魔術師はどうする? もしうっとうしいなら、ついでに仕留めるが」


「いいえ、無視しましょう。長は倒しましたし、まだまだ混乱は冷めそうにありません。放っておいても害にはならないでしょう」


「わかった。ともかくこれで、俺もお前さんも十枚獲得だな」


「そうですね。あとは予選終了まで奪われなければ、本選進出です」



 ジンはうなずいた。


 

「さて、これからどうする? 俺は下山しやすい場所まで歩くつもりだったが」


「せっかくなのでお供しますよ。私とあなたの本選の競技が別々で、利害がぶつかっていないところが楽ですし」


「たしかにな。お互いに気兼ねなく、予選突破を目指せるわけだ」



 そして二人は礼拝堂を出て、森を抜けて、南へ向かった。


 ジン、オデュッセウス、ともに十枚獲得。

 魔術師たちの襲撃を退けたことで、予選進出への必要枚数に到達した。 

 

 予選終了まで、残り六十九時間。

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