イーリアス大祭 : オデュッセウスとの共闘
地中海の南沿岸、南の砂漠には、古い王国がある。
その王国の民は、古代ギルシアスの時代よりも古い神話を崇拝している。
神話には砂漠、大河を模した神や、多くの動物神が現れる。
彼らの王は砂漠に巨大な墓を作り、そこに眠る。
その墓の最深部にて、王の遺体は聖水に浸された布に包まれる。
『いつか余は復活する』
歴代の砂漠の王はそう言い残し、配下の神官に死出の旅を見送られる。
ゆえに砂漠の神官は皆、優れた医療者かつ生物学者なのである。
そして、それらの技術が長じて行き着く先で、生命に関与する秘術を扱う『魔術師』になるのだ。
当然、聖王国では、それらは邪教の類ではあるが。
「こいつらは生物に影響を与える術を使います! 刺青の入っている、その手に触れてはいけません!」
オデュッセウスはジンに警告した。
ジンはうなずき、太刀を構える。
目の前には五人の魔術師がおり、彼らは間合いを測っている。
オデュッセウスの言う通り、魔術師たちの腕には妖しげな刺青が施されている。
その刺青が魔術を扱う上で重要なのだろう。
「切り落としてやっても良いが……いや、さすがに死ぬか」
ジンは首を振り、自分を
いくら勝負とはいえ、これは祭りの競技なのだ。
殺せば即座に失格となり、予選通過ができなくなってしまう。
「まあ良い、考えても無駄だ。さっさと終わらせてやる」
ジンの目つきが変わる。
強烈な殺気を放ち、すぐさま動いた。
その踏みこみに、魔術師たちは反応できなかった。
素早いのはもちろんだが、一対五だというのに、まったく迷わず襲いかかってきたことに驚いた。
そこでジンの刃が一閃。
一番前にいた魔術師の首に、刃が命中した。
「ぐあっ……!」
悲鳴を上げて、魔術師が倒れる。
それを見て、残る四人が凍りついた。
仲間の首が斬られた。
競技だというのに、この老人は躊躇なく殺した。
そう思ったのもつかの間、ジンはもう一人の胴体に刃を浴びせて倒す。
さらに続けて太刀を浴びせ、次々と打ち倒していく。
「
そう笑ったジンの刃は、血がついていなかった。
初めから殺していない。
峰打ちで五人を倒したのだ。
峰打ち、という技術は、刃の裏でただ叩くものではない。
直前まで斬ると見せかけて、瞬時に刃を返して、鋭く打ちすえる。
すなわち『打たれた激痛』と『自分は斬られた』という感覚を同時に味合わせて、意識を刈り取る。
それが峰打ちの、本当の極意である。
なお、タネが分かれば、ただ痛いだけの一撃で終わる。
しかし、初見でそれに気づける者はあまりいない。
「ははっ、斬る瞬間に刃を反転させたのか……その上、あの殺気にぶつけられたら、並の人間は斬り殺されたと思い込むか……」
少し離れた場所で見ていたオデュッセウスは、その仕組みをすぐに理解した。
彼も並外れた観察眼の持ち主である。
それと同時に、底すら見えぬジンの強さを感じ取った。
「おっと、よそ見している場合じゃないよな!」
オデュッセウスは体をひるがえして、魔術師の腕を避けた。
「せいっ!」
そして返しの斬撃を放ち、魔術師の腕に傷を負わせた。
前腕が深く斬られ、血が流れる。
「ぐ、ううっ……効かんな……!」
しかし魔術師の男は笑った。
斬られた傷がみるみると再生して、出血が止まったのだ。
オデュッセウスはそれを見て、距離を取った。
その間にも残りの魔術師たちが現れて、礼拝堂に押し入ってくる。
「生命の秘術……なるほど、殺さず倒すとなると至難の
オデュッセウスは苦笑いした。
純粋な戦闘力ではオデュッセウスの方がはるかに上だ。
この程度の魔術師たちに囲まれても、すぐにやられる心配はない。
しかし殺さず全滅させるとなると、難易度は跳ね上がる。
多少の傷では、今のように傷を回復されてしまう。
だからといって思いきり斬りつけてしまうと、今度は本当に殺してしまうかもしれない。
魔術師たちもそれをわかった上で、殺せないルールを逆手に取るために、武器も持たずに押し寄せて来たのだ。
ジンとオデュッセウスは、自分たちを殺すことはできない。
そしてある程度の負傷は、魔術で治すことができるのだ、と。
「オデュッセウスよ」
奥に控えた、杖を持った魔術師の男が口を開いた。
どうやらこの魔術師たちの長らしい。
「我らとしても、お前のような英雄に怪我を負わせたいわけではない。ここは大人しく布を明け渡すのだ」
「それは困るね。私も予選通過したいんだよ」
「あくまでも抵抗する気か。我々の魔術にかかれば、貴様の若々しい肉体を害し、衰えさせることもできるのだぞ」
「触ることができたら、の話だろう?」
オデュッセウスはニヤリと笑い、剣を構えた。
対する魔術師の長は顔をしかめた。
「情けをかけてやったというのに愚かな……者ども、かかれ!」
長の命令により、魔術師たちは一斉に跳びかかる。
魔術の力を宿した腕が、オデュッセウスに群がる。
オデュッセウスは後ろに跳んで、距離を取った。
「馬鹿め、一時しのぎにしかならないぞ!」
後ろに逃げたオデュッセウスを見て、長は高笑いを上げた。
そこでオデュッセウスは、高々と真上に跳躍した。
その跳躍力は凄まじく、なんと崩れた天井の穴を超え、穴のふちに着地した。
「なっ……」
まるで鳥のように跳躍したオデュッセウスを見て、魔術師たちは呆然とした。
二階以上の高さを跳ぶなど、人間業ではない。
「仕方ない。ここはひとつ、夢の世界に行ってもらおうかな」
オデュッセウスはつぶやいた後、大きな木の実を投げ落とした。
彼が何かを落としたのを見て、魔術師たちはとっさに身構えた。
「馬鹿者! 今すぐ離れっ……!」
魔術師たちの長が怒鳴った。
彼だけは、その木の実の正体に気づいた。
「残念、もう遅いよ」
しかしその前に、オデュッセウスの放った矢が、落下する木の実を射抜いた。
射抜かれた木の実が弾け、果汁が飛び散る。
礼拝堂に固まっていた十数人の魔術師に、冷たい果汁が降り注ぐ。
「冷たっ……なんだ? これ?」
「ただの果実、じゃないか」
拍子抜けしたように、魔術師たちは顔を見合わせる。
何かとんでもない危険物かと思いきや、何の変哲もない果汁が体にかかっただけではないか、と。
しかし、それこそ大きな間違いであった。
「……あれ? なんだ、足が、重い?」
「俺たち、何を……していたんだっけ?」
「ここ、どこだ?……なんだか、わけが、わからなく……」
魔術師たちの様子がおかしくなっていく。
目はうつろになり、足取りはふらつき、ついには次々と眠りこけていく。
「ちぃっ……!」
魔術師の長が舌打ちした。
ものの一分で、十人以上の魔術師がその場に倒れ、意識を失ってしまった。
中にはぶつぶつと、夢遊病者のように寝言をつぶやいている者もいる。
「ロートスの実……幻覚を見せ、睡魔を誘う、厄介な果実……やってくれたな、オデュッセウスよ」
「おや、知っていたのか」
オデュッセウスがそう言うと、長は鼻を鳴らした。
「言っておくが、わしにこんな小細工は通用せんぞ……それに、そんな場所に逃げても、わしの魔術からは逃げられん!」
長は杖を地面に突き立て、文言を唱える。
その文言に共鳴して、杖に巻きついたヘビのオブジェが、まるで生きているかのようにうねりだす。
それは砂漠の神々を
選ばれし神官のみが与えられる、生命の獣を生み出す、強力な
「出でよ!セクメトの
長が叫ぶと、彼の足元に魔法陣が広がる。
その魔法陣が輝き、やがて煙となって立ち昇る。
そしてその煙が明確な形となり、二羽の鷹となった。
「ゆけっ!!」
長が叫ぶと、けたたましい
「おっと!」
オデュッセウスは天井の穴から離れ、姿を消した。
二羽の鷹は穴から飛び出し、逃げたオデュッセウスをさらに追いかける。
一度でも召喚すれば、あとは獲物を仕留めるまで追跡する鷹だ。
殺戮の女神として名高いセクメトの力を受けており、殺傷力は侮れない。
爪は人間の肉をえぐり、クチバシは鎧や兜を貫くほどだ。
「これで終わりだ。もし致命傷を負っていれば、布と引き換えに傷を治してやれば良いだろう」
長は満足げにほくそ笑んだ。
一方その頃、ジンは教会の窓枠から飛び出し、外で戦っていた。
雑草の伸びきった敷地で、魔術師たちがぞろぞろと群がってくる。
すでにジンの足元には、三人の魔術師が気絶している。
そのため彼らはジンの強さを実感し、下手に近づいてこない。
「むっ、あの鷹は?」
ジンは教会の天井から飛び出した鷹たちに気づいた。
長が召喚した鷹は、教会の周囲を縦横無尽に飛び回っている。
当然、屋根の上を走り回るオデュッセウスに襲いかかるためだ。
「オディが手こずっているようだな……よし」
ジンは刀を納め、壁の方に体を向けた。
それを見て、魔術師たちは驚く。
囲まれている状況で武器をしまい、背中を向ける神経に絶句した。
「い、今だ! かかれぇっ!!」
ある魔術師が叫び、一斉に襲いかかる。
しかしジンは窓枠によじ登ったかと思うと、そのまま上に跳び、壁の凹凸に指を引っかけてぶら下がった。
「お前たちは後で相手してやる。そこで待ってろ」
ジンはそう言い残してから、猿のように壁をするすると登っていく。
老人とは思えぬ身のこなしと、腕の筋力だ。
「くそっ! 逃がすな! なんとしても追いかけろ!」
「で、でもどうやって!」
「なんでも良いから、階段でもハシゴでも探すんだ!」
魔術師たちはお互いに怒鳴りながら、一斉に散らばる。
彼らに建物の壁をよじ登る身体能力はないため、大きく回り道をするハメになってしまう。
その間にも、ジンは壁を登り切り、教会の屋上へと到達した。
屋上に上ると、オデュッセウスは二羽の鷹の猛攻をかいくぐっていた。
自由自在に飛び回る鷹は、クチバシを突き出し、足の爪を振り回す。
魔術で形作られた、まがい物の生命だというのに、その鷹たちは明確な殺意を持ち、オデュッセウスを
オデュッセウスは白銀の剣で迎え撃っている。
彼もまた軽やかな身のこなしをしており、鷹たちの攻撃を避けながら、剣で斬り捨てようと試みている。
「手を貸そうか、オデュッセウス」
ジンが声をかけ、刀に手をかける。
その直後に、一羽の鷹が反応した。
ゆっくりと近づく、ジンの殺気にあてられたのだ。
オデュッセウスは「心配いりません」と返事しようとしたが、片方の鷹はジンに向かって猛然と襲いかかってきた。
この鷹に備わった防衛本能が、ジンの殺気に震えあがったのだ。
オデュッセウスも、この鷹の意外な反応に驚いた。
まさかジンにおびえて、命令を無視して襲いかかるとは想像できなかった。
「やはり獣か、まんまと釣れたわ」
一直線に飛んでくる鷹に向かって、ジンは歩みを止めない。
彼は剣を納めたまま、散歩のように歩いている。
もう間に合わない。
オデュッセウスがそう思った瞬間、ジンの体が揺れた。
抜き放たれた刃が鷹を
鷹の首が、宙を舞う。
あまりの居合の速度に、鷹自身も気づかなかったのだろう。
首無しのまましばらく飛んでいき、やがて失速して落下した。
「さて、あと一羽か……む?」
ジンは刀を抜いたまま、オデュッセウスの方へ近づこうとした。
しかし、ここで異変が起こった。
オデュッセウスに襲いかかっていたもう片方の鷹が、空中で動きを止め、ぶるぶると震えはじめたのだ。
オデュッセウスはそれを見て、剣を納めた。
「はあ、やっと効きました。魔術で生まれた獣は、どうも操りにくいですね」
オデュッセウスはやれやれと首を振った。
「何をやったのだ? この鷹、動かなくなったぞ」
ジンが駆け寄って問いかけると、オデュッセウスは答えた。
「ちょっとこの鷹に小細工を仕掛けたんです。本当は二羽とも操る予定でしたけど、あなたに返り討ちにされたので、まあ一羽で充分でしょう」
「操る……?」
「ええ。下準備は終わりましたし、これで全員を無力化できます」
そう語るオデュッセウスは、にこやかに微笑んだ。
「ご覧に入れましょう。トロイの木馬ならぬ、トロイの『鷹』の混乱を」
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