透明なお隣さん

うもー

第1話 透明人間

窓から入り込んだ夏の日差しが、僕の左の太ももを照らし続けている。

暑い。

鬱陶しい。

僕はその感情をできる限り押し殺しながら、画用紙に鉛筆を走らせる。少しでも気を緩めたら、画用紙の凸凹に足を取られ、線が曲がってしまいそうだ。時折、汗で湿った手を服で拭いながら、ひたすらに手首を動かす。

「今日の三浦君は何を描いてるんだい?」

加賀さんが話しかけてきたので、僕はいったん手を止める。

「大学の裏にある森の風景を描いてます。ほら、これが参考の写真で...」

僕はテーブルの上に置いてある写真を指差す。

「へー、いい写真だね。これが絵になるのは楽しみだなぁ」

加賀さんはそう言って、ぶつぶつと何かを唱えながら、部屋の中を歩き回る。

加賀さんは大学三年生で、この「創作サークル」のサークル長だ。ショートの髪はいつもぼさぼさで、ジャージのポケットに手を突っ込みながら背中を丸めて歩く姿はまるで不良だ。少し癖のある見た目と性格だが、一年生の僕たちに優しくしてくれる良い先輩だ。サークルでは普段小説を書いており、新しく考えた「言い回し」を何度も唱えながら部屋を徘徊する姿にはもう慣れた。

「もー、加賀ちゃん、歩き回られると気になるからちゃんと椅子に座ってよ!あと怖いからぶつぶつ喋らないで!」

同じ三年の藤沢さんに注意され、加賀さんは不満げな顔をしながら、自分の席に戻った。

藤沢さんは僕の方を見て、苦笑いをしながら、「ごめんね」のジェスチャーをする。肩より少し長いサラサラの髪と、真っ黒で大きな瞳に魅せられて、僕は少し顔を赤らめる。正直、美人でキラキラした雰囲気の藤沢さんは、この地味なサークルには似合っていない。普段サークルでは、ぬいぐるみを作っており、先月から作り始めていたテディベアは今日で完成したようだ。

「なあ、写真じゃなくて実際の風景見ながら描いた方がいいじゃねえの?」

隣に座っていた健二が話しかけてきた。

彼は僕と同じ一年生。大学内にいる僕の唯一の友達だ。大柄で眼鏡をかけており、おとなしそうな見た目だが、結構はっきりと物をいう奴だ。健二は僕と同じで、サークルでは主に絵を描いている。僕は風景画を描くことが多いが、健二は抽象画を描くことが多い。

「いや、外暑いし」

「この部屋も外もあまり変わんないだろ」

そう言って健二は、部屋の隅に設置してある、おそらく機能していないであろうエアコンを見る。

「確かにな」

このサークル室は結構古い教室らしく、部屋の備品も使えなくなっているものがいくつかある。でも僕は、みんなといるこの時間が好きだから、外に出ようとは思わない。みんなで集まって、他愛もない雑談をしながら、各々が創作活動に取り組む空間。高校までの部活とは何だか違う、何にも縛られていない青春って感じが、すごくいい。


いつの間にか、左の太ももに当たっていた日差しはどこかへ消えていた。

「あ、私16時からバイトあるからもう帰らないと!」

藤沢さんがそう言って、荷物を持って立ちあがる。

「詩乃ちゃん帰るんか、またね~」

加賀さんがソファに寝転がりながら手を振る。

『お疲れ様でーす』

僕たち一年生も挨拶をする。

「...残念だったな」

藤沢さんが部屋を出た後、健二が僕に向かってニヤニヤしながら、そう囁いた。

「何が?」

「何ってお前、今日は藤沢さんと一緒に帰れないじゃん」

「いや、それは別に...」

「いいよな、あんな美人な先輩と部屋が隣って」

健二はため息をつきながら、うらやましそうな目で僕を見る。

僕と藤沢さんは住んでいるアパートが一緒で、それも部屋が隣同士だ。だから、僕と藤沢さんは、サークルが終わると一緒に帰ることが多い。美人の藤沢さんと二人で帰るのはなんだかとっても恥ずかしいのだが、それが楽しみであるのも確かだ。

「あ、詩乃ちゃん、スマホ忘れてる...」

藤沢さんが帰ってからしばらくして、ソファから体を起こした加賀さんが、テーブルの上を見てつぶやく。テーブルの上には藤沢さんのスマホが置いてあった。

「詩乃ちゃんも意外とおっちょこちょいだなぁ。たぶん、取りに戻るの諦めてバイトに行っただろうね」

加賀さんが笑いながら時計を見る。

時刻は16時を少し過ぎたくらいだ。

「...僕、帰りに届けに行きますよ。部屋隣なので」

「おー、そうだったね。じゃあ三浦君にお願いしようかな。ありがとうね」

「いえいえ」

また健二がうらやましそうに僕の方を見ていたが、無視した。


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