魔性の彼女
初めて彼女を見た時、こういう人が何だかんだ異性から好かれるんだと思った。
容姿は特出して整っているわけでもない。派手でもない。むしろ、大人しそうな人だ。けれど、長いまつ毛だとか、厚めの唇だとか、泣きボクロがあるとか、スカートから覗く足が白いだとか、ブラウスのボタンの閉じ具合だとか。そういう隠しても収まりきらない「女性」の部分は人目を惹きつけるものはあった。
彼女とはネットで知り合った友人同士だ。年齢も知らない、本名も、仕事も知らない。そんな、現実世界じゃそうないような、けれどネット世界ではよくありがちな人間関係だ。
二十代半ばだろうか。大人っぽい雰囲気だ。けれど垣間見える少女性も加味すると高校生にも見えさせた。最近の、学生はませているから余計。
彼女とは一日に1回SNSのDMで会話をし、月に一回どこかに出かける。出かけない日は電話をする。ただ、それだけの関係性だ。
「今日はどこに行く?」
そう、私が聞く。今回は彼女が行き先を決める日だ。
「植物園、に行きたいかな」
彼女特有の区切りをつけた答え方。私達は待ち合わせた駅前にあるバス乗り場から植物園行きのバスに乗る。初めて行く植物園。意外とバスの本数が少なくて焦ったけれど、彼女の落ち着いた姿を見ていると私の心も凪いだ。1番近いバスに乗った私たちはバスの中で植物園のホームページを検索していた。
「植物園、今は紫陽花が見頃だって」
植物園のSNSで告知されている写真をスクロールさせて彼女に見せる。そこには酸性、アルカリ性、中性の土で変化させられた紫陽花畑が映っている。彼女は、
「そう」
と、薄い反応だ。けれど、彼女は自分で調べたいのかスマホをタップし始める。そして、急にその落ち着いた横顔がキラキラと輝いた。
「何か、好きな花でもあった?」
「うん。これ」
彼女が私に見せたのは毒々しい見た目の植物だった。一見えんどう豆に見えるそれはウツボカズラだ。近くには「さらないで」と書かれたハエトリソウもある。
「食虫植物。好きなの。小さい頃は、ウツボカズラを、育ててた」
「へ、へぇ……」
ウツボカズラの印象といえば、溶液でハエとかを溶かして食べるイメージだ。それを育てていた……。ハエがいないからウツボカズラも枯れてしまうだろうに。
「植物は、生き物に、食べられるのに。植物が、食べてしまう、なんて。素敵よね」
そう、笑む彼女は食虫植物とは程遠い美しさと魅惑があった。
市が運営している植物園には平日だからか、人は少なかった。それが逆に彼女の美しさを際立たせている。
マップの案内に沿って歩いていく彼女と私。写真を撮る愛好家や家族連れ、年配のおばあさんが色とりどりの花を楽しむ中、彼女も花を見ている。
その目の先はまだ固い蕾と、これから落ちゆくしおれた花。
見頃の花など興味を一切持たない彼女は、人々から見向きもされない花をどこか優しい目を向けていた。
私はただ、一歩後ろで彼女の横顔を見つめている。
「温室に行こう。食虫植物の」
そう、私が言うと彼女は嬉しそうに微笑んでいた。
階段をいくつも登った先にある温室。その温室の中には食虫植物が所狭しと植えられていた。
「ウツボカズラ。ハエトリソウ。モウセンゴケ……」
一つ一つ植物名を羅列する彼女の声は熱がこもっていた。まるで、旧友に再会したかの様に。
「あ、これかわいいね」
「ムシトリスミレ、ね。でも、ここで、虫を捕まえるの」
「ひっ!」
思わず覗き込んだ私が悪かった。根元に広がった星のような葉の中にはコバエがたくさんいた。
「これは、ロゼッタ。この、中に粘液があって。動けなくなった虫を消化するの」
「そうなんだ……」
前言撤回だ。かわいいなんてもう二度と口にすることは無いだろう。それほど、グロテスクだったのだ。同時に自然にいつか淘汰される我々のようでもあった。
「食虫植物、はね、わざと虫の好きな匂いを出すの」
「これも?」
「それは違うわ。分かりやすいのだと、ラフレシア。ハエの好きな、腐った肉の臭いを出す。そして、おびき寄せて吸い込ませる。この子達は、生き延びるために食虫を選んだの。他の植物だって、そう。わざと美味しくなっている」
言葉を待っていると意図をくみ取ったのか彼女は続けた。
「木の実は鳥が食べて、飛んだ先で排泄する。消化しきれなかった種が、遠い場所で育ち、また鳥に運んでもらう。花の密は鳥や虫が花粉をつけて。受粉をしてもらう為に、美味しくできている」
野生の世界はいつだって弱肉強食。そして、生きるために弱者は進化する。私たちが忘れてしまい始めている進化を、私たちは生活の為に利用している。
「ねえ。どうして、人間は、特に女性は美醜にこだわると思う?」
突然の質問だった。私はどう答えていいのか分からなくて口を閉口して、しばらく考えてしまった。
「みんな美を評価するから……? マジョリティーが正しいと思っているから?」
結局出てきた答えはありふれたものだった。けれど、彼女は笑わない。馬鹿なしない。それが彼女だから。
「うん。それも、あると思うよ。でも、私はこう、思うの」
彼女は食虫植物をどこか同類を見る眼差しを向けながら続けた。
「美しいは、美味しいから。生き残るための、手段なのよ。本来はオスが美しい。それが、自然界なのに、ね」
彼女と出会ったのは一年前だ。なんだかんだで一年経つのだ。
私はまだその頃、学生でSNSは就活と小遣い稼ぎの為に使っていた。他の学校とか、周りはどうか、知らないけど。
美大生の私は彼女に会うまでずっとどこか焦っていた。今ではSNSでの活動によって、在学中の学生が仕事をもらったり、就活で有利になったり、はたまた個展まで開けるという。私は、ただずっとこの地に残りたかったのだと思う。
当たり前だけど、焦っていればスランプにもなる。絵の投稿頻度と共にフォロワーも減っていく。作り上げたクリエイター像は壊せない。依頼の停止も考えた時だった。
彼女が私に依頼してきたのだ。
『君の、思う、夜空を描いて欲しいです』
そこに提示された予算は私が今まで受けた仕事のどの金額よりも高かった。慌てて料金表を送ったけれど、彼女はひかなかった。結局、キャンバスサイズを大きくすることで両者が納得する形になった。
その絵が完成した日。何故か、私はスランプから抜けることが出来た。
それから彼女とはSNSで話すようになった。最初はコメント欄。だんだんとDMで。依頼にも使っているアカウントでは通知に気づかないから連絡用のアカウントまで作った。
半年も経てばお互いの住んでいる都道府県も一緒だと会話の内容から察することが出来た。最初に彼女と行ったのは博物館。しかも、剥製しか置いてない。彼女のチョイスだ。
臓器を抜き取られ、ガラスの目玉をはめ込まれた生き物たちは観賞用としてそこに鎮座している。この剥製の中にはかつては愛玩動物だったものもいるだろう。人間だって生き物なのに彼らだけ、こうして人間に利用されている。
「ねえ、君。描いてよ。ここにいる、剥製を」
そう、彼女に頼まれて、私は持ち歩いている無地のノートにクロッキーする。けれど、私は彼女にそのクロッキーを見せてあげやしなかった。
私が描いたのは彼女。死しても尚、器だけ残された生き物たちを哀れむ女神のような彼女を、私は、美しいと思ってしまったからだ。
その日も私と彼女は出かけた。行った場所は寂びれた港町。若い、SNS映え目当ての客を捕まえるためとしか思えない場違いなオシャレなカフェで私と彼女はまず、お茶をした。夏だからこまめにカフェに入らないと暑くて仕方ない。
彼女はいつも欲しいものを欲しいがままに注文する。お金を使うことに恐怖などないかのように。私は、そんな彼女がちょっぴり羨ましくも、そうはなりたくないと思っている。貧乏性なのだ。貧乏生まれ、貧乏育ちは結局、大金が入っても狼狽えてしまうのだ。
「海の、匂い、するね」
「うん。地元を思い出すよ。こんな、生臭い匂いだった」
地元の海はバブルか何かの流行りに肖って、日本の何とかってオシャレな外国の海の名前をつけていた。本当はただの魚が捕れるだけの、ただのプランクトンいっぱいの海なのに。泳ぐなんて以ての外の。今は寂れた、私の大っ嫌いで、寂しい、地元の海。
「潮の香り、好きなの。命の匂いだから」
「命の匂い? 母なる海とかそういう?」
人はよく海に母性を求める。でも、私は海が恐ろしくて仕方ない。海は災いを運んでくるのに。いつか人は海に滅ぼされるかもしれないと言うのに。何を呑気に崇めているのだろう、美化しているのだろうと、思ってしまうのだ。
「それは、ただの人間が、生み出した、偶像崇拝に過ぎないのよ。この匂いはプランクトンがいる証拠。プランクトンがいる海は豊作なの。でも、多いと害になってしまう。なんでも、そう。多くを、望み過ぎてはいけない、の。イカロスも、アダムも、落ちていったもの」
空を飛ぶことを願ったイカロスは鳥の羽と蝋の翼で空を飛んだ。そして、人々から賞賛され、更にと天を目指してしまい海に落ちた。アダムは、知恵を欲し大天使に咎められた。そして、イヴと離れたくないアダムは知恵の実を食べて堕落し、楽園を追放された。
私たち人間が多くを望むと必ず堕落が待っているのだろう。だから身の丈にあった生活が一番なのだ。けれど、みんな自分が一番でいたいのだろう。彼女にもそんな感情はあるのだろうか。彼女は何を一番、欲しているのだろう。
私はいつの間にか彼女の人間臭い部分が知りたくなってしまっていた。
帰ろうとしたものの、雨で電車が止まってしまった。夏の夕立は時として暴走する。まるで、別れたくないカップルのようだ。癇癪を起してもいつか去ってしまう日は来ると言うのに。きっと、私と彼女も。
「どうしようか……」
私が辺りを見渡すものの何もない。そりゃあそうだ、田舎だからだ。彼女は暗くなっていく空をどこか虚ろに、怖がるように見つめていた。
「大丈夫?」
そう、私が声をかけると彼女は振り向いた。強張った顔が私の胸を苦しめる。彼女のこんな姿は初めて見た。
「大丈夫、よ」
その声は硬い。近くに泊まれる場所もない。いや、あるのだがカップル向けのそういう場所なのだ。間違っても絶対に入りたくはない。色々誤解されそうだから。
「ねえ、私のことどう思う?」
彼女が質問する。一体どういう意味だろうか。私は彼女ではないから分からない。でも、彼女の濡れた髪と透き通った瞳には嘘がつけなかった。
「綺麗な、人だと思う。でも、それは絵を見ているようなの。宗教画ってリアルに描いたらいけないから美化して描くんだけど、そこから出てきた感じ。美が体現化しているけど、何かを教えるために描かれた素直さがあるというか。その素直さが私もかつてあった少女性、みたいだなって」
「それなら、よかった」
彼女はどこか嬉しそうに微笑むと私の手を取る。そして、引っ張った。
「今日はお泊りのお出かけにしましょう」
「えっ、えっ」
「あなたは私を見せても変わらないから」
そうは言われても、入ってしまっても、こんな場所縁もゆかりもないから緊張してしまう。無駄に情欲をそそるように出来ている。けれど、そういうものは苦手なので漫画読む時に役立つなぐらいしか感想が出てこない。
「濡れたから、着替えよっか」
そう、彼女はいきなり脱ぎ始めた。あまりの突拍子のなさに目を瞑るどころではない。服の落ちる乾いた音の数だけ彼女の露出度も高くなる。
初めて見た彼女の裸体は想像通り美しかった。大学でモデルのヌードデッサンのデッサンやポーズを頼んで制作をしているので肉体美として人の体を見る癖が出てしまう。二の腕は動いても揺れていない、筋肉がうっすらと見える。首の胸鎖乳突筋が鎖骨へと流れている。この一連の流れが人物を描く上では大事なんだよな。胸はモデルよりやや大きい。服の代わりに着たバスローブとの組み合わせも相まってディアナ像みたいだ。隣に座った彼女の脚はそこだけちょっと肉付きがいい。女性らしい肉付きのバランスだ。
「着替えないの?」
「私はそんなに濡れてないから」
「そっか」
彼女は強制しない。いつだってそうだ。彼女は自分の世界と他者の世界を分けているのだから。
「こんな、男女しか使わないようなところなんであんな町にあるんだろうね」
いや、最近はラブホ女子会なるものもあるから私の言ったことは偏見だ。裏を返せば、恋愛経験の乏しい人間なのだ。仕方ない。
彼女はそんな私にこう言った。
「でも、男女なんて元は一つだったからそう性差に大差なんてないのよ、本当は」
「胎児の時のこと?」
胎児はある時期が来るまで女性だと言う。だんだんと男性になるか、そのまま女性になるか決まるのだ。そう、テレビで見た事があった。何故かその時、私は私でいいのだと安心した。
「それも確かにそうね。胎児は最初は女性で、成長につれて性差が出てくる。でも、私が信じている説は違うの。太古では人間は元々女性だけだったという話をどこかで聞いたの。ずっとソース元を探しているけれど見つからなくて。でも、それを知った時、安心したの」
彼女は私の方を見る。チカリと光る目が何故か恐ろしい。
「ねぇ、私たちは一体どこで分かれてしまったのだろうね?」
あれから彼女は変わった。よく笑うようになった。大人の笑みじゃなくて、少女らしさを残した笑みへと。そして、自分のことも若干話すようになった気がする。それに……。
「どうしたの?」
「いや……初めて肌見せてきたなって」
そう、彼女が季節らしい格好をするようになった。日焼けを嫌がる女性だと思っていたけれどそうじゃなかったのだろう。
「普段は、見せないから、ね。夏もカーディガン、羽織っているし」
「ガード固くしてるの?」
私は思わず、聞いてしまった。彼女がそこまで肌を隠している理由を。聞かなくてもわかっているのに。
「そう、見せて、いるだけ」
「じゃあ、本当は逆なの?」
わからない。私でも分からない。それほど彼女には見てみたい何かがある。暴いてみたい何かがある。それだけは確かなのだ。
「どうでしょう、ね。私自身、分からない。でも、情欲をそそる、異性ってこと、だけは自覚している。きっと、その気になれば、依存させることも出来る、んだと。でも、そんなことするのバカバカしいし、私の生き方に、反するの。だから、自己防衛している。本当はもっと女性として、自由に、生きてみたい。でも、自分の身を守れるのも、私だけ。植物が、生き延びるためにわざと美味しそうに、するなら。私は私でいるために……不味そうにするのよ」
植物園の時にも言っていた。植物は生きるために美味しそうにするのだと。動物は生きるために美しくいるのだと。だから、彼女は咲き誇る花には目もくれなかったのだ。食虫植物と、彼女。醜い見た目と馨しい香り。美しい見た目と、抑えきれない色香。彼女の色香は引き付けたくもない異性を引き付けてしまう。
「女性だったら叶うんじゃないの?」
私はどうしてこんな失礼な事を言ってしまったのだろう。私が逆の立場なら憤怒してるのに。けれど、彼女は決して怒らない。代わりに自分の意見を述べるのだ。
「女性にも素敵な人はいると思うわ。でも、私が生涯のパートナーに求めているのは男性なのよ。子供がとか、性行為だとか、専業主婦になりたいとか、そんなんじゃないの。私の女性性が男性といたいと思っているの。こういう所だけ、生物らしくて困るわね」
彼女は困ったように笑った。その笑みが乾いていて、どんなに水をこぼしてもその乾きは乾かなくて。彼女は人を、私を、魂で見てくれているんだろうけれど、どうしても人間だから1パーセントはどこかで生物的な性別で見てしまってるのだろう。私も、そうだから。彼女の事は魂も器も美しい人間だと分かっていても、女性としての色香がどうしても鼻をくすぐる。甘ったるくて、目の前がぼんやりして、気を抜けば酔ってしまいそうな、本能に逆らえない女性の香り。
「もし、誰もあなたを性的に見ない、都合のいい対象に見ない世界ならどうしたい?」
私は、彼女の願いを聞きたかった。彼女の嘘偽りもない切実で、心の柔らかな所を見てみたかった。そして、何故か期待していた。分からない。いや、分かっている。私が何を期待してるのかは。でも、それは向き合ってはいけないもので。見てはいけないもので。分からないフリをし続けた。
彼女の答えは、こうだった。
「真っ白なワンピースが着たい。髪を伸ばして、マスカラをつけて、ピンクのリップをつける。そして、お出かけするの。夜までずっと。誰もいない夜空の綺麗なところで、星と私だけが白く輝いていたいの」
空の下の彼女はそれは、それは輝いているだろう。ガニュメディスのように美しすぎて神様に連れていかれるほどには。この空の数々の星がそうであったように。
白い牡牛、白鳥、エウロペ、レダ……。白い星が彼女を誘惑しているんだ。
「いつか、行けるといいね」
乏しい自分の人生経験と語彙ではそう言ってあげることしか出来なかった。
どう声をかけてあげるのが正解だったのだろう。彼女をここに引き止めることが出来たのだろう。
いや、自分が大人と呼ばれる人間であっても彼女の理想にはなってあげれない。生物学的な性別うんぬんや、哲学的な知識うんぬんじゃない。
彼女の理想はきっとあの星の向こうにいるのだから。
「ありがとう」
彼女はそんな胸の内を知ってか知らずかどこか憂いを帯びた笑みを浮かべていた。
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