第2話

「15万円! 他にいらっしゃいませんか?」


 よし! このまま落札だ! 

これであのカップは私のも……。


「17万円」


 は? 

誰だ、こんなマニアックな作品に札を上げた奴。

私以外他にいるの? 

あのカップを欲しがってる人が?


「20万」


 仕方なく、もう一度札を上げる。

これでハンマープライスだ。


「25万」


 あ? ちょっと待て。

会場を見渡す。

私以外に、まだ複数のパドルが上がっていた。


「28万」


 くそ。こうなったら意地だ。

せっかくの掘り出しモノ、ここであきらめるワケにはいかない。

札を上げた私の後に続いて、すぐ他の札が上げられる。


「30万!」


 誰だ? 

昔ちょっと流行っただけの、マイナー作家の迷作をこんな高値で買い付けようっていうバカは! 

そういう私もパッパパッパと札を上げまくっているけど、そろそろ本気でお終いにしたい。


「40万! 50万円! もういらっしゃいませんか?」


 場内がざわつき始める。

最高落札価格48万円だったものが、50万を越えた。

お願い、もうあきらめて! 

手数料とか税金とか、色々追加したらもうこれ以上は無理!


「50万! 50万円! いらっしゃいませんか?」


 残ったのは私ともう一人。

前方の席に座る若い男性だ。

くっそ。

高そうないい仕立てのお洒落スーツ着てるじゃないか、勘弁してくれ。

私は泣きながらもう一度札を上げた。


「53万!」


 相手はまだ下りない。

札を上げ続ける私は、もはや涙目だ。

このあたりで勘弁してほしい。


「55万、57万! 58万。もういらっしゃいませんか?」


 ダメだ。

そもそも今回の軍資金は、私の全財産である50万円。

次の給料日までを考えても、これ以上はムリ。


「8番、58万円で落札されました!」


 オークショニアの興奮した声に、無慈悲なハンマーの音が響く。

ここは、より多くのお金を出せる者だけが勝利する世界。

ボロボロと勢いよく流れ落ちる涙を誤魔化す余裕なんて、私のどこにも残っていなかった。

どよめく会場の中を、ガタリと大きな音を上げて立ち上がる。


 派手な音なんて、たてるつもりは全然なかった。

だけどそうなってしまったものは、仕方ないじゃない。

会場の注目が一身に集まる。

私を泣かせた男は、ちらりとこちらに視線を投げた。

それに後を追われるように、会場を抜け出す。

欲しかった。

どうしても自分の手で取り戻したかった。

大切なおじいちゃんとの思い出のカップ。


 試作品としていくつか作っていたものだ。

今はもう撤去されてしまった自宅の窯で焼いていた。

沢山作った中で残っていた、出来の悪いものだ。

おじいちゃんがまだ幼かった私のおもちゃ代わりにと、割ってしまうくらいならとままごと道具にくれた。

私が捨てないで、壊さないであげてって頼んだからだ。

庭の草をむしって入れたり、ビー玉を入れて遊んだ。

その思い出が目の前をすり抜けていく。

もう二度と私の手には戻ってこないだろう。


 チラリと冷ややかな視線を投げた男には、見覚えがあった。

なんだよ、お前か。

初めて生で本物を見た。

絶対にかなわない相手だ。

まぁ、あの人の手に渡るのなら、大事にしてくれるかな。

少なくとも転売や投機目的ではなさそうだ。

大切に使ったり飾ったりしてくれるんなら、私が遊んでいたあのカップも本望に違いない。

悔しいけど、悔やんだところでどうにかなる世界ではないのだ。


 文字通り会場から逃げ去り、飛び出してきたビルの外は、さんさんと明るい太陽の光が降りそそいでいた。

春だ。

桜の花びらがどこからか飛んできて宙を舞っている。

流れる涙をぬぐい、思いっきり鼻水をかんだ。

ひらひらと地面に落ちた花びらは、投げ捨てられたゴミと一緒になって、歩道の隅に掃き寄せられている。

桜の花びらも、本当はこんなふうになりたかったわけじゃなかったよね。

ずっときれいなままで、誰からも賞賛され美しく咲き誇る花でありたかったんだよね。

分かるよ。

私も同じ気持ちだから。

だからもう、おうちに帰ろう。

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