第48話 三日目 11:30

 胸が裂けるような痛みで身体が不調を訴える。

 空き部屋で一人、口から白い唾液を吐きながらのたうち回る蓮の姿があった。

 煙草なんて吸うんじゃなかったね……

 後悔しても遅いことを考えながら胸を強く叩く。息が詰まるほどの衝撃は心地よい痛みと共に感覚を麻痺させていた。

 数十回と繰り返し、次第に落ち着いてきた蓮は一錠の薬の入った袋を握り締めて立ち上がる。

 仕込みは上々。あと問題なのは自分自身にかかっている。

 ナイフを取りだしてその刃を眺める。きらりと光沢を放つそれを蓮は胸に抱いていた。




 十一時三十分。

 ゲーム終了の時刻が迫る中、十人の男女は屋上へと集まっていた。

 一人欠けている。その事実に数名が落ち着かない様子で視線を交わしていた。

 蓮がどこに行ったのか、今どこにいるのか知っているものはいない。余った時間は気を紛らわすために近場を探索して見たりもしたが熱が入らず何も成果がない状態であった。

 そんな中で痺れを切らしたように颯斗が零す。


「……来ないな」


「来ないじゃ済まされないでしょ」


 眉間を押さえて、春夏はため息を着く。

 一番深刻なのは一佐だった。薬もなくスマホも無い。時間もないためただ待つことしか出来ない。傍から見ていて可哀想になるほどどんよりとした空気を撒き散らしながら、小言で辞世の句を読み上げていた。


「どうするんですか?」


 桜が問う。


「探しに行くか? 時間もねえけど」


 選択肢としてはありだった。マーダーと出会い一人野垂れ死んでいる可能性もあるため、スマホだけでも回収しなければならない。

 その決断は成されることはなかった。


「いや、すまない。どうにか間に合ったかな」


 ガチャリと、扉が開く音と共に、五体満足で蓮はそこに立っていた。

 

「大丈夫だったんですね」


 いの一番に駆け寄ったのは桜だった。抑圧から解き放たれた表情は弾けるほどに明るく、蓮も合わせて笑顔を見せる。


「当たり前さ、ほら薬も用意してある」


 見せつけるように掲げた袋の中には赤い錠剤が一つだけ入っていた。

 半ば奪い取るように一佐が受け取ると、乱雑に包装を破いてペリカンのように大口を開いて飲み込む。

 焦る必要は無いのにと呆れていた蓮に、春夏が近寄り、


「ねえ、あなたの分は?」


「それについては後で」


 蓮はそういうと一台のスマホを手に、仮面を見つめていた。


「まもなく時間だな」


 その言葉が早いかどうかというタイミングでヘリのプロペラ音が鳴り響く。

 屋上から見える木々の中から轟音を立ててせりあがってくるそれは、二基のプロペラによる強風で周囲を激しく揺らしている。

 クジラにも似た姿のヘリコプターは高度を上げていく。あっという間に蓮達の目線よりも高くなったかと思うと優雅に頭上まで飛行していた。

 空を飛ぶというかつての人類の夢がそこにはあった。

 あまりに大きく、強靭な胴体に圧倒される。立っていられないほどの風をまき散らしながら、下降を始めたヘリの行方を見守ることしかできない。

 ものの数分で着陸を完了させたヘリは、プロペラの回転数を徐々に落としていく。完全に止まり切ってから、胴の横にあるハッチが開き、中から数人あわただしく降り立っていた。

 そのうちの一人、軍人然として恰好の、マスクで顔を隠している人が参加者に近づいていた。


「どうぞ、薬を飲んだ方は乗っていただいて結構です」


「ゲームクリアか。疲れたぜ」


 その言葉とともに益人が率先してヘリに向かう。

 数人が歩き出した中で、春夏は目つきを悪くして、


「まだ時間はあるけど」


「ここからどうにかなるわけもないしな」


 既に命を脅かす敵はいない。小さなことを気にする必要はないと颯斗も歩き出していた。

 春夏も最後尾からその団体についていく。

 そして全員が乗り込んだ後、


「あれ、蓮さんは?」


 見渡して、十人しかいないことに気付いた祐子が声を上げる。


「なんだ? どうした?」


 先に乗ってシートに着座していた益人が尋ねる。

 少しの逡巡とともに騒がしさを増す車内で桜が事情を説明していた。


「蓮さんが乗ってこないんです」





 一人屋上に残った蓮に、数人が近づいてきていた。

 誰もが武装している中で一人だけ小奇麗なスーツ姿の男性がいる。

 彼は取り囲まれるように、しかし確かな足取りで蓮の前に立っていた。


「貴方がゲームマスターかな」


 少ししわの目立つ顔つきの初老の男性を前に蓮は尋ねる。


「あぁ、薬は?」


 頷き聞き返しされたことに蓮は笑みを浮かべていた。

 ……知っているだろうに。

 それを白々しいとは思わない。何事も確認は大事なことだから。

 そこに優位性を感じたいという感情が含まれているとしても蓮は不快になることはなかった。

 口を開く前に辺りを見る。前後どの位置にも銃を持つ人がいる。ゲームマスターのすぐそばにも一人護衛のように控えている者がいて不埒なことをすればすぐに鎮圧されることが考えなくてもわかった。

 ……さて。

 いつまでも答えないわけにはいかないかと蓮は首を振る。

 縦に、ではなく横に。

 目を伏せる蓮に、ゲームマスターはサディストめいた視線を向ける。


「残念ながら。知っての通り全員分の薬を用意する手段はなかったよ」


「そうか」


 呟いて、彼は残念そうに首を振る。

 演技派だねと、苦笑を浮かべる蓮は、口の端から一筋赤くぬめるものをたらしていた。


「ああ、それに私もそろそろ限界のようだ。これを受け取ってくれないかな」


 真っ赤に染めた口を押さえながら蓮はもう片方の腕を突き出す。

 使い古したバックパックだった。チャックが壊れ中途半端な位置で止まっているせいで中にあるスマホが今にも零れ落ちそうになっている。

 一番上のスマホが起動していた。既に十二時は過ぎている。ゲームマスターはバッグパックを護衛に取らせると、


「残念だよ、君には期待したのだがね」


「すまないね」


 蓮は一言言葉を発するとともに大きく口から血を噴出していた。

 降りかかる血がゲームマスターの頬に二、三滴付着する。それでも瞬き一つせずに彼は蓮を見ていた。

 限界だ。膝から崩れるように身体を落とした蓮は、ゲームマスターの足に縋りついて何とか地面にぶつからないでいた。


「ひとつ……いいかな?」


「なんだ?」


「これ以上薬の効果が出る前に……」


 それは以前に交わした約束だった。

 目もうつろになり、力の抜けた蓮は最後まで言うことができなかった。その代わりにと、ゲームマスターは蓮の腕をつかみ、


「あぁ、そのつもりさ」


 身体を引き上げると、その肩口に小さな銃のようなものを押し当てていた。

 一見するとおもちゃのように見えなくもないそれの引き金をためらいもなく引く。

 血が、一段と高く吹きあがる。

 一瞬だけ蓮の体は痙攣したように跳ねていた。その反動で、ゲームマスターから距離を置くように背中から地面に倒れこむ。

 器具からは爪が伸びていて、赤黒い肉をしっかりとつかんでいた。抉り取った肉片を興味深そうに見つめたゲームマスターは蓮を運ぶ手配をする。

 蓮は死亡した。ゲームは十人生存で幕を閉じる。

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